僅かに軋んでいた歯車は、大きく動き出す
文字数 2,417文字
目の前で竜へと変貌した二人、いや、正しくは二体にトランシスは面食らい言葉を失う。瞬きを繰り返し頬をつねるが、夢ではない。平然とデズデモーナに乗り、トランシスに手を差し伸べるアサギに引き攣った笑みを浮かべる。
「どういう世界だ、ここは。どんな理屈で人間から違う生物に変化するんだよ」
トランシスの世界には“竜”という生物が存在しない。初めて見る異形に、恐れ戦いた。
唇を震わし、蒼褪めている様子にトビィが鼻で笑う。とんだ腰抜けだ、とばかりに。
「惑星が違うだけで、ここまで……」
勝手が違う事に、痛感する。逆にこの世界には、トランシスやアサギの惑星では当たり前のように空を飛ぶ機体がない。実に不思議な事だと、低く唸る。
「それにしても、
「ですよね、謎なのです」
零したトランシスに、アサギは当惑した。
言いだしたらキリがない、アサギはこの世界の文字を読む事が出来るが、他の勇者らには読めなかった。実に、不思議な事だ。
だが、不思議な事であれ理由はある。それが、露見していないだけで。
「まぁ、
トランシスが半ば安堵したように笑うと、アサギも釣られて笑った。
「で、本当にそれに乗るの?」
「はい! 快適ですよ」
「……うへぇ」
仕方なしにアサギの手を取り、トランシスはデズデモーナの背に乗り込んだ。
竜が浮上すると盛大な悲鳴を上げたトランシスに、トビィは堪え切れず吹き出した。
「デズが落とさずとも、面白いものが見られた。これで悲鳴を上げるようでは、魔物と戦えるわけがない」
低く笑いながら、挑発する様にトビィは速度を上げる。
そんな姿を恨めしく見る余裕すらなく、トランシスはアサギにしがみつき瞳を閉じたままだった。
「大丈夫ですか?」
「…………」
アサギが平然としているのにこれは情けないと自分でも思うが、無理だ。そもそも、空を飛ぶこと自体が初めてである。偵察機は常に上空を行き来しているが、乗った事はない。
トビィがここぞとばかりに嘲笑していることは安易に想像出来たが、今は敗北を認めるしかなさそうだ。けれども、アサギの細い腰に腕を回し密着しているこの状態に満足もしている。前向きに考えると『これでよかった』のだ。
トビィには、出来ないことなのだから。
アサギに捕まりながら大空を舞いつつ、トランシスはようやく余裕が出てきて瞳を怖々開く。地面についていない足を見る事が怖かったので、視線はもっぱらアサギの髪だ。
黄緑色の髪が艶めき、美しくなびいている。
「ふ、ふぉ……」
風が激しく肌寒いので、よりアサギに密着した。
「大丈夫ですか? でも、気持ちいいでしょう?」
「あー、うん」
アサギが大声で話しかけてきたが、聞き取るのも一苦労。
トビィの速度に合わせている為、普段よりも速く飛んでいる。デズデモーナに任せているアサギも、多少は息苦しく思っていた。
アサギが軽く咳き込んだので、察したデズデモーナが若干羽根の動きを緩やかにした。
徐々に下降していくと、先程までの圧迫感が薄れていく。ここへ来て、どうにか周囲の状況を見渡したトランシスは初めて見る世界に感動し、歓喜した。
「うっわ、すごっ!」
腹の底から叫んだトランシスは、無邪気に瞳を輝かせる。
空は夢物語だと思っていた澄み切った青色で、純白の雲が浮いていた。大きく吸い込んだ空気には淀みがなく、美味しい。下は鮮やかな色彩で埋め尽くされており、一角でしか見る事が出来なかった緑色がこれでもかと続いている。
自分が住んでいる惑星とは、文字通り別世界だ。
トビィに遭遇したことに蟠りを感じているものの、アサギの温もりと眼下の光景でどうにか相殺出来そうだ。
「これは気持ちがいい」
「でしょう? よかったです」
「アサギ、敬語はやめて」
「は、はいっ」
竜達は、優雅に惑星クレオの空を飛行した。黒竜と風竜、本来ならば共に生活しない竜たちは、その青空に映える。
トランシスがこの惑星に居られる時間は、日付変更まで。
陽は無情にも傾き、くっきりとした橙の光を放ちながら海に沈んでいく様を、トランシスはぼんやりと眺めていた。アサギの体温が心地よく、時折睡魔に気を許してしまう。共にいられない仲だと解り時間が惜しいことは肝に銘じているが、こうして何も語らず微睡む時間も貴重なものだと思い知らされた。
甘い時間が流れていく。アサギの髪の香りを堪能しながら、至福の時を感じた。
唯一気に食わないのは、乗っている生物が先程アサギに恋慕の視線を送っていた雄という点だ。
「この世界の生物は、簡単にカタチを変えられるの?」
「いえ、そういうわけではないのです。デズデモーナとクレシダは、特殊なのです。……というか、私が神様の宝物庫でお借りした杖で、人型になれるようにしてしまったんです」
「アサギが?」
「はい、私が」
「つまり、その杖があれば他の生物もカタチを変えられるんだ?」
「そういうことになりますが、持ち出し禁止なので不可能だと思います。私が許可を得ずに借りてしまったので……」
「へーぇ。さっきの盆暗神にしては、すげぇの所持してるんだな」
「神様ですから」
トランシスは、瞳を細めてデズデモーナの黒光りする鱗を見やった。
……その杖が存在しなければ、竜のままだったということ。異形が人間に恋? 馬鹿らしい、問題視しなくても。
――問題視しないと。男、雄、オトコ、オス、それらは、その子を奪っていくモノだよ。カタチなんて関係ないよ。
トランシスは、
「そう。雄、だよな。オレと同じ、オス、だ。じゃあ目障りな奴に違いない」
誰かに後押しされたように、トランシスは冷めた色を瞳に浮かべる。
そんな独り言など、アサギは知る由もなかった。トランシスに産まれた嫉妬と劣情に、気づくわけがない。
解るわけがない。