アサギの前世

文字数 4,787文字

 背後から芳醇な花の香りがする。それは、何処か懐かしさすら感じた。アサギはその腕が誰のものか知っている気がした。
 だから、名を呼ぼうとしたのだ。

「貴様っ、離れろ!」

 怒涛の勢いで斬りかかってきたトビィによって、アサギの口は閉じた。華奢ながらも大きなその身体に包まれた際に、何かを思い出しそうだったのに。

「アンリ! あぁ、アンリ!」

 紅蓮の長い髪を風に遊ばせ、魔族のサーラは号泣しながらアサギを抱き締める。
 困惑し、サーラを見上げたアサギは不思議そうに首を傾げた。白皙な美しさの男性を、知っている気がする。遠い記憶。女性の様に繊細で儚げ、何処か悲しみを纏ったような、しかし芯が通った燃え滾る心を持つ人。
 サーラの胸元で想い人アンリの肖像画を施した、銀のネックレスが煌めく。
 遠くのなだらかな稜線が夕日でより一層、くっきりと見えた。

「一旦、落ち着きましょう。サーラ」

 ナスタチュームが平素よりも低い声で告げた。僅かな怒気を含んでいる威圧ある声に、他の者は姿勢を正し緊張した面持ちを見せる。
 しかし当のサーラには効果がなく、まだアサギを抱き締めている。

「サーラ、気持ちは解りますが、アサギ様が困惑してらっしゃるでしょう。おやめなさい。トビィ殿も今にも斬りかからんばかり」

 トビィが剣を突きつけても、サーラはアサギを手放さない。このままでは、本当に容赦なく斬り捨てられてしまう。

「アンリ、アンリ! あぁ、君は、やはり!」

 アンリ。
 アサギ、という名の勇者をそう呼ぶサーラに周囲は困惑した。
 零れる涙は、積年の償い。そして、焦がれ続けた切ない想い。嗚咽しながらアサギを抱き締めているその姿に、皆戸惑う。その姿に、声をかけられなかった。引き離しては気の毒に思えた。

「アンリ、痛かったろう? 私が気を許したばかりに……」

 真相を知っているのは、現在ナスタチュームとオークスだけ。
 けれども、ラキはなんとなく気づいている。アサギの美しい緑の髪を見て、物語の様に何度も聞かされていた姫を連想していた。今は無き、亡国の姫。見目麗しい、人形のような姫。小国の姫だった、サーラの想い人。
 その名はアンリ姫。

「まさか……転生してたのか」

 ラキが呟いた隣で、訝しげにジークムントが瞳を細めアサギを深く見据えた。

「サーラ、これは命令です。アサギ様から離れなさい」

 嚇怒した様子のナスタチュームに、その場が一瞬凍り付いた。
 流石にサーラも顔色を変え、言われた通りにアサギから離れる。そして、深く腰を折って詫びた。

「も、申し訳ありません。感極まって」
「二度とアサギに近寄らせない、腹立たしい」

 憤慨するトビィを宥めるのにも、時間と根気を要した。とりわけ、割って入ったオークスはキリキリと胃が痛み項垂れる。

「あれほど落ち着くように、と告げたのに。全く困ったものです」

 深い溜息を吐いたナスタチュームは苦笑し、立腹しているトビィと困惑しているアサギに手を差し伸べた。
 
「失礼致しました。どうぞ、こちらへ」

 相変わらず質素な造りのナスタチュームの館へ移動し、腰を下ろす。
 それでも、大人しく鎮座し沈黙しているサーラに、トビィが目くじら立てていた。二度と触れさせまいという勢いでアサギの前に座り、護衛している。
 渋い茶を啜りながら、ナスタチュームは深い溜息を吐いた。茶の水面が波打つ。

「さっさと本題に入る、時間が惜しい」

 苛立ちながらトビィがそう告げると、ナスタチュームが瞳を伏せる。
 
「しかし、サーラの気持ちも配慮してやってください。彼は、本当に姫の転生を待っていたのです」
「……姫の転生?」

 トビィが眉を吊り上げた。
 傍らでは、状況が飲み込めないアサギとリョウが出された茶を静かに啜っている。
 トビィは以前、大体話を聞いていた。サーラは昔、人間の国に滞在し、世話していた姫を慕っていたと。
 徐に、サーラは首飾りをトビィに差し出した。
 受け取るのも躊躇したのだが、皆から懇願される瞳で見つめられ、舌打ちし多少乱暴に受け取ったトビィは、細工してあるその首飾りを挑むように見つめる。
 横の突起を押すと、ペンダントが開いた。中には美しい娘の肖像画が入っている。
 問題は、その肖像画の人物だ。


「アサギ?」

 トビィが眉間に皺を寄せる。食い入るように見つめ、低く唸った。後ろで静かに茶を啜っているアサギ、本人だ。
 絞り出したトビィの声に、重々しくナスタチュームが頷く。

「そうです。サーラが昔、人間界で護衛していた姫君。……アサギ様に瓜二つなのです」

 アサギとリョウが弾かれたように立ち上がり、トビィが手にしている首飾りを覗き込む。そこには、緑の髪と瞳の美しい娘が柔らかに微笑んでいた。

「私に似てますか?」
「うーん、アサギだねぇ」
 
 自分の頬に手を添えて首を傾げるアサギと感嘆するリョウに、トビィが肩を竦める。ここ最近理解不能なことばかり言われるので、いい加減疲労が溜まってきた。唇を噛み締めると軽く首を鳴らす。
 もう、何がどうなっているのか解らない。

「肉体が死を迎えると、魂は新たな肉体に宿り、それを繰り返す……。確かに、そう聞いたことがある。しかし、容姿が似ていたとしても、本人とは限らないと思うが。世の中に、瓜二つの人間は二人存在するとオレは聞いた」

 しかし、否定しながらもトビィは確信していた。アンリとアサギが同じ魂の持ち主であると。何より、この美しい容姿は彼女以外有り得ないとも思っている。

「アサギ様には、サーラの記憶が無いようです。確かに、トビィ殿が仰る通り、容姿が同じだけの別人かもしれません。ですが、それでも奇跡でしょう。こうして巡り会うことが出来たのならば。しかし、自分以外に同じ顔をした者がいるとは奇妙なことで。宝石や植物ですら、同じものなど何処にも存在しないのに」

 ナスタチュームがアサギに視線を移すと、不思議そうにこちらを見ていた。
 暫し見つめ合った後、アサギは一言も発することなく俯いていたサーラを見つめる。
 サーラはようやく視線に気づき、ぎこちなく顔を上げアサギを見て悲しそうに微笑んだ。
 悲壮感溢れるサーラの笑みに、アサギは罪悪感を抱いた。胸の中が、白く靄がかっている。迷い込んだ森は濃い霧が立ち込め、行先すら見えず心がざわめく。
 暗闇の向こうに光はあるのだろうか。ここからでは何も見えない。

「ごめんなさい、その、憶えてなくて」

 懐かしいような感じはした、知っているような気はした。だが、詳細を話せと言われても、アサギには無理だった。ただ、そう思っただけかもしれない。雰囲気に流された、思い込みかもしれない。

「いえ、お気になさらず」

 素直に謝ったアサギに、ナスタチュームは微笑する。けれども、サーラは押し黙ったままだった。
 優しく繊細なサーラを、哀しませたくはないとは思う。嘘でも「憶えている」と言ったほうがよかったのだろうか。アサギはいよいよ気が滅入ってしまった。しかしそんな嘘をついたところで、どうにもならない。
 嘘は、いつか露見する。そもそも、その嘘は誰も望んでいない。

「アサギ様は、何故勇者に?」

 突如問いかけてきたサーラに、アサギは口籠る。澄んだ瞳で見つめられ、恐縮した。皆の視線が集まる中、ややあって開口する。

「勇者に……子供の頃からなりたかったんです。本の中の勇者様は勇敢で信頼されていて、平和に導く素敵な人でした。“勇者になれば、きっとすべて上手くいくって”。勇者は“みんなを助けられる”素敵な人なんです」

 アサギのその言葉に満足したように、サーラは柔らかく笑みを零す。胸が突き動かされ、涙が浮かぶ。

「ごめんなさい、変な事言いましたか!?」

 アサギは驚いて狼狽えたが、それを制した。首を横に振りながら、サーラは震える声を出す。

「いいえ、アサギ様。私はとても、嬉しかったのです」

 堪えていたが耐え切れず、サーラはその場に泣き崩れる。オークスが慌てて駆け寄り支えたが、徐々に高らかに笑い出した。
 声が聞えた、声が揃った、声が重なった。

『前。サーラ、話してくれたよね。勇者様が存在するって。今、この世界には勇者様がまだいないみたいだよね、いたら、来てくれたものね。ねぇ、もし私が勇者になったら、みんなを助けられる? なら、私は生まれ変わって、勇者になるの。だから待ってて、必ず幸せな世界を築きましょう。サーラは魔族だから、人間よりも長く生きられるでしょう? 待ってて、また一緒に色々お勉強を……』
『待ってて。勇者になるから、勇者になればきっとすべて上手くいくから! 私、勇者になるの。そうしたら、貴方はきっと』

 人間の歴史からは消えてしまった、ある小さな王国での一時。瀕死のアンリ姫が最期に呟いた言葉が、重なる。

「あぁ、アンリ様。我が、愛おしき君」

 気が狂いそうな年月を過ごしても、記憶は鮮明に残っている。顔だけではなく、声もアサギとアンリは同じだ。間違えるはずがない。自分の無力さに打ちひしがれて勇者になりたいと羨望し、未来を待てと言った姫が目の前にいる。
 自分だけが解っていればいい、アサギはアンリだと。
 アンリを失ってから初めて、サーラは顔いっぱいに笑みを浮かべて心の底から笑った。
 状況を把握出来ないトビィは鼻白んで睨み付けていたが、傍にいた親友のオークスはその姿に心底安心した。活気無く暮らしていたサーラの瞳に、昔の炎の光が戻ってきた瞬間だった。

「大変申し訳ありませんでした、()()()様。ご挨拶も致しませんで、失礼な事を。私は、サーラと申します。以後お見知りおきを」

 颯爽と麗しい立ち振る舞いでアサギに自己紹介をしたサーラは、前髪をかき上げる。
 その表情を見た途端に、アサギの顔が明るくなった。誰が見ても幸せそうな、明快な笑みだったからだ。先程の言葉に、嘘偽りはない。何が心に届いたのか解らなかったが、結果として良かったらしいと心が軽くなる。
 
「私はアサギと申します。宜しくお願いします!」

 人懐っこい笑顔で微笑みかけたくれたアサギに、サーラは再び目頭が熱くなる。それは、焦がれた想い人の笑みそのものだった。

「時間を要しましたが、本題に入りましょう」

 若干釈然としないトビィだが、場は随分と穏やかなものになった。皆はゆったりと足を崩し、果実を口に運ぶ。


「……あぁ」

 そんな館の外では、入ることを許可されなかったラキが冷や汗をかいて盗み見をしていた。サーラの至福に包まれた笑みを見て苦笑し、壁伝いに力なく座り込む。この場から離れたいのに、脚が言うことをきかない。
 運命の出逢いだと痛感した。サーラの想い人は、ああしてやって来てしまった。以前現れるわけなどないと小馬鹿にし、強がったのに。悲恋に身を染めたままの彼を救いたいと、何度か思った。その度に見せつけられたのは、アンリ姫への一途な想い。
 ラキは鼻を啜る。

「失恋だぁ、あははは。あんな、お姫様みたいな子に、敵わないや。健康そうな肌の色、艶かしいしなやかな手足。豊かな新緑色の柔らかく艶やかな髪に、温かみのある光を帯びた大きな瞳、軽く頬を桃色に染めて、熟れたさくらんぼの様な唇の。まるで御伽噺の女神だよ、勝ち目なんて、ない」

 くぐもった声で嘆く。

「胸もでっかいし」

 劣等感で胸がいっぱいになる。自分の貧相な胸に視線を移し、口を半開きにして嘆いた。館の中では話し合いが始まったが、ラキには興味がない。聴こえる会話は耳を通り抜けていく。過去に離れ離れになった二人が再会するという、輝かしい場面に水を差してはならないと逃げるようにしてその場を後にした。
 遠くに、心配して様子を見に来たジークムントが立っている。父親のように待っていてくれた彼の姿が歪む。堪え切れず溢れ出た涙と嗚咽を周囲から隠してもらうために、その大きな胸の中に飛び込んだ。

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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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