外伝6『雪の光』14:接近

文字数 5,428文字

 生けられているのは、王侯のごとく豪華な花。官能的に香るそれは、二人の空気をより濃密なものにする。

「アロス。どうだ、後宮での生活は? 少しは慣れたか? オレは四六時中お前がいないと不安で、落ち着かない」

 寝所で口付けながら、トシェリーは甘く囁く。
 とうに快楽に落ちたアロスの意識はなく、声など耳に届かない。ただ頬を染めたまま、薄っすらと涙を浮かべて頷いた。身体の中で今も蠢いている彼の熱杭を受け入れたまま、無意識のうちに腰を振っている。

「離れたく、ない。目を離すと、アロスは何処かへ行ってしまう……」

 トシェリーは、毎夜後宮に来て抱く。日中も暇さえあれば、アロスのもとを訪れる。しかし、それでも足りない。傍から見たら異常なほどに依存し、執着していた。

「アロスは、容姿も心根も綺麗だ」

 髪を弄り、口付けの雨を降らせながら呟く。自分と違うと理解しており、だから余計惹かれるのかもしれないと、額の汗を拭いながらトシェリーは自嘲気味に笑う。
 汚れなき乙女を陵辱し、心を絡め取った。今後も自分に縛り付けて、生きていく。
 今まで幾人もの女達の身体を開き、弄んできたが、情愛を寄せたことはなかった。感情など煩わしいだけで、都合よく快楽が得られるだけでよかった。
 しかし、アロスの笑顔を見たいと、同じ様に愛おしく想って欲しいと願い出した。自分が脆弱な者に堕ちた気がして、歯痒い。しかし、狂おしい気持ちは止められない。
 

「なぁ、アロス。お前はオレを愛しているのか? ……自分でも奇妙だとは思うが、オレはアロスを愛している」

 寝所で女達に『愛しております』と囁かれても、何も感じなかった。愛などという言葉は女特有の単語であり、生きていく上で必要のないものであると思っていた。非常に不確かな感情であり、言葉が真かどうか調べる術がない。言うだけならば、誰でも出来る。

「愛、してる」

 困惑し、眉を顰める。『愛している』と口にすることで、自分自身が優越に浸れるだけなのではないかと思っていたが、今なら解る。
 恐らく、愛するということは相手が大切で慈しみ、片時も離れたくないと思うこの心であると。永久に、共に居たいと願うことであると。
 そして、相手にも同じ想いを抱いて欲しい。つまりは、“愛し合いたい”。

「アロスの言葉が聴けないことが、こんなにも辛いとは。一度で構わない、アロスに『愛しています』と告げられたい」

 気を失いながらも絶頂を迎え仰け反ったアロスに口付け、トシェリーは瞳を輝かせた。

「死力を尽くし、名医を捜す。アロスに声を与えられた者には、褒美をたんまりとやる」

 果てる事を知らぬように腰を振りながら、トシェリーは陶酔した。

「そうして、喋ることが出来たら。まず最初に、オレの名を呼んで欲しい。そして、飽きるくらいに、喉が嗄れるくらいに、“愛しています”と言い続けてくれ。さすればオレは、満たされる」

 トシェリーは、本能の赴くままにアロスを乱暴に抱いた。いつもこうだ、優しくしてやりたいのに余裕が無い。何故か、焦燥感に駆られる。愛を互いに確かめられないことが、こんなに辛いことだとは知らなかった。「愛している」と囁けば、夢現でアロスも頷く。しかし、慊焉(けんえん)たるものがある。
 明確な答えを、トシェリーは欲した。

「堪えられない。オレだけが悩み苦しみ、想いが通じないなど有り得ない。炎上し、身体中が焼け焦げる。アロスは、オレの傍に居ればいい。オレだけを見て生きていければよいと、他には何もいらないと思って欲しい。頼むから、オレの為だけに生きてくれ、オレ以外をその瞳に入れないでくれ。そうでないと、辛くて心が壊死してしまう」

 耳元で幾ら囁いても、アロスの耳には届かない。

「愛とは……反吐が出る程、甘美なものではないのか。酷く胸の内が張り裂けそうで、痛くて、怖い」

 トシェリーは、何度も泣き叫ぶように“愛を”語った。
 確かに、彼は彼女を愛している。一目見た瞬間に、恋に落ちた。いや、前から知っていて捜していた気がした。出逢う運命であったと直感し、必然だと思った。寄り添うべき相手であると、確信していた。
 ただ、それを確かめる手段がないため、心の内にどうにもならぬ蟠りがある。

 二人の親密さは、四十日が経過してもそのままだった。
 後宮の女達は、降り積もる雪のようにアロスへの憎悪を積もらせる。
 アロスはトシェリーが後宮を離れると、大人しく部屋にいた。彼に指示された者達が菓子を運び、茶を淹れてくれる。異国の珍しい鳥が贈られたので、飽きずに眺めていられた。
 退屈ではなかった。そもそも、待っていればトシェリーが戻って来る。それを考えるだけで、嬉しくて幸せで、待つ時間ですら楽しい。
 時折、庭園に出向く事もあった。ここには広さは違えど三つの庭園があり、散歩するには丁度良い。温室では百花繚乱の花が咲き誇っているが、庭園にも雪の寒さに耐えて咲く花がある。物珍しくて、アロスは時間を忘れる程に見入った。
 ただ、幾ら花で心癒されても、気づけば寂しさを痛感した。近くに、優し気に微笑む彼がいないとしっくりこない。
 
 ……私は、トシェリー様を愛しています。
「ぅ、ぁ、あ」

 言葉が話せなくて、幾度も落胆する。寝所で甘く囁かれ、同じ様に返答したくとも、叶わぬ夢。喉を掻き毟ったら声が出るのではないかと、狂気じみたことを思いついたりもした。
 二人は間違いなく、互いに愛し合う仲だった。
 例え()()()()()()()()()()()で、確かめ合わずとも。

「こんにちは、アロスちゃん」

 吐く息は白く、手先が冷たさで痺れる。それでも一心不乱に、この寒い気温の中で美しく艶やかに咲いている黄色い花をじっと見ていた、ある日のこと。声をかけられ、アロスは振り返った。
 そこには、同じ年頃の少女が立っていた。いつも傍にいる女官らと似たような衣装だが、初めて見る顔だ。

「私はね、ユイっていうの。以前から、お友達になりたくて。ねぇ、一緒に遊ぼう?」

 茶色の髪をゆらし、ユイはにこやかに笑う。
 アロスは『友達』という単語が嬉しくて、すぐさま大きく頷いた。
 ユイは、皮肉めいて口角を上げた。女官らが止めたものの、アロスがこちらへ駆け寄ってくる。

「まるで、頭の悪い子犬みたい。優しくしてやれば誰にでも尻尾を振り、懐いてしまう」

 吐き捨てるように、小声で呟く。疑うことなく自分を見つめてきた目の前の美少女に、躊躇などしない。罪悪感などない、気の毒だとも思わない。女が生きていく為には、他人を蹴落とさねばならない。自分で運命を掴み、手繰り寄せねばならない。例え、手を汚してでも。
 こんなことは慣れている、ユイは心の中でそう呟いた。

「そんなに慌てなくても大丈夫よ、私は消えないわ」

 平穏な時間を続ける為には、アロスが邪魔だ。貧しい農家の娘以上の衣食住があれば、それでよい。だから、立ちはだかる壁を排除する。
 
「普段は何をしているの? アロスちゃんは何が好き? お庭じゃ寒いでしょう、私のお部屋へどうぞ」

 この雪に埋もれた庭園に佇み、花を見ているアロスがユイには信じられず、見つけた時には呆気にとられた。凍える程寒くて、今すぐに部屋に戻りたい。喋っている間も、寒すぎて時折舌がもつれる。

 ……変な子! 確かにお花は綺麗だけど、ここにいたら命が幾つあっても足りないわ。凍死する!

 ユイは、急かすようにアロスの手を握った。そうして精一杯の作り笑いを浮かべ、冷たい手を擦り合わせる様に動かす。
 二人のかじかんでいた冷たい手は、徐々に温かくなった。
 アロスは大きな目を輝かせ、繋がれた手を見た。同じ年頃の友達がいなかったアロスにとって、同姓から手を握られたことは初めてだった。自分と同じ、小さくて柔らかな手。同じ手なのに、トシェリーとは全く違う感触だった。
 嬉しくて微笑んでいるアロスを、ユイは白けた瞳で見下ろす。

 ……なんでこんな阿呆が、王の寵愛を受けてるの!?

 人を疑うことを知らない時点で、自分とは正反対だと思った。相容れる事はない、怒りしか沸いてこない。ユイは常に周囲に気を配り、情報の糸を張り巡らせ、常に疲弊し生きている。まず他人を警戒し、疑い、本心を隠して打算で動く。アロスの危機感のなさに呆れ返った。
 同時に、腹立たしくも思えた。これは、認めないが嫉妬。不公平だと思った、目の前の愚かな娘が后にでもなったら発狂しそうだ。その前に、全力で潰す。

 ……一人じゃ何も出来ないくせに!

 国王に買われ溺愛されて、后にのし上がるなど見てはならぬ夢物語。現実になど、させない。強くアロスの手を握り締め、ユイは微笑む。不思議と、憎らしいと思えば思うほどに笑みが零れる。楽しくて仕方がない、演技をすることは慣れている。この成り上がりの娘が泣きながら放り出される姿を想像するだけで、いくらでも親しいフリが出来る。なんともいえない達成感及び快感に包まれそうだった。

「さぁ、行きましょうアロスちゃん。ここにいては風邪をひいてしまうわ、あたたかな飲み物を頂きましょう」

 アロス付きの女官らは、警戒しユイに猜疑の瞳を向けた。ユイがミルアの付き人であることなど周知の事実。新参者の女官もいるとはいえ、数名は元から後宮に居た者達ゆえ知っている。
 しかし、ユイは挑発的な視線を彼女らに送ると、何も疑わないアロスを連れて屋内へと入った。
 アロスは、落ち着きなく周囲を見渡した。ここは、トシェリーに案内されていない場所。煌びやかな衣装を着た女達がこちらを見ていたので、頭を軽く下げた。タイル張りの壁は眼を見張るほど美しく芸術的で、女性らの雰囲気に合っていると思った。

 ……美術館のよう!

 トシェリーが用意してくれた部屋や、彼の寝所も美しい装飾だが、ここはタイルの色が完全に異なっていた。白と藍色のタイルで、模様が描かれている。
 放心状態で歩いているアロスを見るなり、女達は瞳を吊り上げた。「何故、あの小娘がここに? 汚らわしい!」密かにそう悪態づく女達だったが、ミルアが現れると口を噤んだ。

「んっふふふふふっ!」

 彼女らに耳元で計画を囁けば、皆は納得し微笑した。それは同意の合図であり、瞳に暗い影を落とす。

「初めまして、寵姫アロス。お会いできて光栄よ」
「こんにちは、寵姫アロス。ゆっくりなさってね」

 湖に分厚く凍った氷のように冷たい瞳で、アロスに微笑みかけて頭を下げる者。優雅に軽く手を振り、挨拶をする者。女達は、温かく迎え入れる素振りをする。
 声をかけられたアロスは煌びやかな後宮の女達に溜息を吐き、上品に会釈をする。嫉妬と欲望渦巻く場所とは知らず、心を躍らせて歩いた。
 ユイが、ミルアと意味深な視線を交わしていることなど知ることなく。

「私の部屋といっても、主人のミルア様のお部屋よ。とってもお優しくて気高く美しい御方だし、振る舞いも良いの。ほら、もう温かなお茶が用意されているわ!」

 蓮花茶のすっきりとした香りが、部屋中に漂っていた。

「まぁ、流石ミルア様! これは高級な茶葉だわ、香りが違うもの。アロスちゃんを歓迎して、用意してくださったのね」

 告げられたアロスは感謝しつつも、部屋を見渡した。ユイと同じ様な衣装を身に着けた女性が数名いるが、この中の誰がミルアなのだろう。

「もしかして、ミルア様を探しているの? 生憎先程沐浴に行かれたわ、予定に入れていたから仕方がないわよね。でも、連絡を受け、こうして席を用意してくださったのよ。本当に気が利く素敵な御方でしょう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ」
「ぅ?」

 困惑しているアロスに、ユイが声をかけた。そうして、ミルアを褒め称える。この場にはいないが、影に隠れて一部始終を監視していることを知っているので、言葉を選んで丁重に話した。ついでに意地悪してやろうと思い、トシェリーとの仲を匂わせておく。鈍臭い雰囲気のアロスに、隠しきれない苛立ちが募ってきたところだった。

「この後宮ではね、トシェリー様の寵愛を受けた女は色々な褒美を頂けるの。美味しいお茶に御菓子は勿論、沐浴の際に使用する香り高い石鹸や、希少な香油、精巧な装飾品に、価値の有る布。ミルア様は、ここで一番優れた御方だから、様々なものを頂いているの」

 大袈裟に話しながら、ユイは肩を竦めた。確かに幾度か抱かれたことはあるが、回数だけでいうなればガーリアが上だ。つまり、一番ではない。しかし、トシェリーの母が病で逝去し統括する者が不在の今、ミルアはガーリアを潰す勢いで動いている。

「さぁ、冷めないうちにお茶を頂きましょう。ねぇ、アロスちゃんのお話を聞きたいわぁ! ……あっ、ごめんなさいっ。声が出ないのよね、可哀想ね! それではトシェリー様と愛を語れないでしょうに」

 知っていて、ユイは大声で告げる。

「ミルア様はね、とっても美声だからよく唄われるの。今度お願いして、一緒に聴きましょう。トシェリー様も大好きで、いつも褒めているのよ」

 歌姫と名高いのはガーリアだが、ここでもミルアを推した。
 トシェリーとミルアの仲を持ち出すたびに、アロスが動揺している様が見て取れたユイは、可笑しくて続ける。

「この世で一番の美貌を持つと言われるミルア様だから、一目見れば解るわよ。トシェリー様もよくお褒めだもの」

 アロスの、カップを持つ手が震えている。
 ユイは、してやったりとほくそ笑んだ。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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