名もなき宇宙の果てを思い出すは“闇”

文字数 8,974文字

 案内された浴室で入浴を終えたアサギは、用意されていたシルクの寝巻に羽根の様に軽い煌びやかな布のローブを羽織り、待遇に狼狽え部屋に戻ってきた。

「ここは魔界……で、さっきのは魔王様……だよね? 確か」

 訝しみながら、呟く。その筈だと言い聞かせる、腑に落ちないが。
 ベッドに腰掛け、髪をタオルで拭きながら口に出して脳内を整理整頓してみる。魔王と対面出来たのは良いが、この先どうしたものか。とても戦える雰囲気ではない、もう、出来ない。
 この世界へ召喚された意味が、本格的に分からない。
 外が暗かったので普段の癖でカーテンを閉めてみれば、ふと眼下に広がる闇が目に入った。月は先程まで顔を出していた、しかし、今は雲に光を遮断されている。不意に窓が揺れた、風の仕業だろうが外で奇怪な声が響いているようだ。背後で物音が聞こえた気がして、反射的に振り返るが何もいない。脈打つ心臓、背筋の冷ややかさ。静まり返る部屋が不気味で、微かな物音でさえも過敏になる。
 例えば遠方の従兄弟の家に泊まりに行き、一人部屋で眠る時のような。誰もいない自宅の自室で、夜中留守番しているような。一人きりの薄暗い教室で、校庭からも廊下からも声が聞こえてこない時のような。家族で宿泊した旅館で一人真夜中に目を醒まし、聴こえた時計の針の音のような。
 ゾクリ、と全身に鳥肌が立つ。自身の肩を抱き締め、身震いする。
 広すぎる部屋が更に巨大に見えた、外から何者かが覗いているような気がした。
 暗闇に、一人。
 見知らぬ土地に、一人。
 異界に飛ばされても、傍らには常に親友が、友達が、好きな人が、仲間が居た。宿で眠るときも、馬車で眠るときも、皆が居てくれた。だが、この場所は。
 誰も居ない。
 震える身体は止めることが出来ず、顔は青褪め、吐く息は途切れ途切れになる。

「ハイ様、リュウ様っ」

 アサギは足をもつれさせながら、濡れた髪をそのままに慌ててドアへと戻った。助けを求め呼んだ名は、二人の魔王。現時点で、この魔界での知り合いは彼らだけだ。
 廊下に出れば誰かが居るに違いない、そう願ってドアノブに手をかける。二人を呼んできてくれるか、彼らの部屋に連れて行ってくれるに違いないと思った。
 一人は、無性に怖い。
 闇の中に一人きりは何かを思い起こしそうで、過剰に怯える。
 幼い頃、暗闇にとじ込まれた経験は、ない。
 けれども、怖い。
 荒涼とした場所には、漠然とした虚無感と愁嘆しかない。
 アサギは、歯を鳴らしながら恐る恐る窓を振り返った。夜空が口を開けて、吸い込もうとしているように見えた。

――こちらへ、早くお戻りなさい。

 闇が、そう誘っている気がした。
 二の腕に爪を立て、双眸の底に寸間も休まらないというような恐怖を潜ませる。夜空は愛おしく感じる反面、底知れぬ畏怖をも痛感する。

 一方、先程失神していたハイは勢い良く起き上がると自室の枕を一つ持ち出し、駆け足でアサギの部屋に向かっていた。
 肌触りの良い寝着に着替え、優しい笑みを浮かべている、それは決して、疚しい笑みではない。姿を見れば解る、ハイはアサギと共に眠るつもりだった。
 もう一度言う、疚しい考えなど、ない。
 純粋に、ただアサギの傍に居たいだけだ。ハイにとってアサギが世界の全て、片時も離れたくない強い愛情が彼を突き動かす。

「何処へ行くぐハイ? 枕なんか持ち出してって、まさかアサギの部屋に行くわけじゃない……のだぐーよね? はははははー」

 都合よく前方からやってきたリュウは、擦れ違い様にハイに「おやすみー」と挨拶をした。
 白地に苺模様の寝着に帽子を身に纏っている、成人男性が着用するものとは思えない愛らしさが漂っているが、リュウの一番のお気に入りだ。この姿で徘徊する魔王を見た魔族らは度肝を抜かれたが、数日もすれば慣れた。

「いくらなんでも、ハイにそこまでの度胸があるわけないのだぐー」

 欠伸をしながら多少小馬鹿にし、笑って通り過ぎれば。

「何を言うんだ、そうに決まっているだろう」

 ハイは立ち止まると、憮然とした面持ちで振り返り、大真面目に断言した。
 はははー……と笑っていたリュウの声が、裏返る。
 まるで瞬間移動、流石魔王というべきか俊敏すぎる動きでハイの目の前に立ちはだかったリュウは、勢い良く掴みかかって身体を揺する。

「な、なんだってー!? 生涯童……げふんげふん、……貞だと思っていた、あのハイが! あんな年端もいかない人形のような幼子を!? あーしてこーして、あっはんうっふん、あああああああぁ、ご無体なっ、的なー!? ふ、普通の男だったのだぐー!?」

 伏字になっていない、魔王の発言。
 慌てふためくリュウを他所に、眉を顰めたハイは訝し気に眉を寄せる。腕を跳ね除け、襟元を直すと枕を片手に仁王立ちになった。

「意味がわからん。私がアサギと眠ろうが、リュウには関係ないだろう。何をそんなに」
「いや、普通、うら若き娘は……その、男と寝るのを躊躇すると思うのだが。そもそも、何しろ相手がハイだしぃー。拒否されるに苺百個賭けても構わないぐっ」

 ほぼ初対面で、一回り以上歳が離れた魔王。流石に一般的に考え、快く受け入れる娘は少ないだろう。

「いやしかし、人間の貞操概念なんて知らないぐ。もしかして意外と……」

 見た目だけなら比較的整った顔立ちのハイだ、万が一という可能性もある。
 それはさておき、意味ありげに語尾を伸ばされたハイは、顔に陰りを見せた。

「そ、そうなのか!? ……添い寝をしてもらうと、暖かいではないか、落ち着くし。私もよく犬や猫や狸や狐を寝所に招き入れたものだよ」
「わぁ、獣」

 リュウは思わずビシィ、とハイに突っ込みを入れたがそれどころではない。

「んー、多分数分後には『きゃあ、何するんですか、ハイ様っ。不潔、変態、あっち行ってっ』で終わりなのだぐ。さようなら、ハイ。短い恋を有難う」
「誰が変態で不潔なんだ。相変わらず失礼な奴だな……ともかく私はアサギと寝てくる」
「わぁ、もうなんていうか」

 ハイはリュウを押し退け、疾風の如くアサギの部屋の前まで辿り着くと激しくドアを強打した。
 廊下中に響き渡る喧しい音にげんなりとして、リュウは壁にもたれかかる。

「忠告してあげたのにー、どうなっても知らないのだぐー」

 リュウは満面の笑みでそう言いながら、心底楽しくて堪らないとでもいうように口笛を吹いて成り行きを見守る。どうなるだろう、アサギがハイを平手打ちにするだろうか、それとも怒り狂って剣を向けるだろうか。なんにせよ、非常に愉快だ。この先一ヶ月はそれを話の種にして過ごせる、実に愉快だ。

「アサギ、私だ! ドアを開けてくれ!」

 ドアに耳を寄せ、アサギの返答を聞き取ろうとする。

「そこまでしなくてもいいのにー」
 
 ヤジを飛ばすリュウを無視し、ハイは必至だ。ドアに耳を押し付けると、中から弱々しい泣き声が聞こえてきたので、反射的にドアを渾身の力で蹴り飛ばし、勢いで部屋に転がり込んだ。施錠されていなかったので簡単に開いたのだが、ノブを回すという行為を忘れていた。
 意外に力があったんだなぁ、とリュウは感心して破壊されたドアを見つめている。

「修理費を請求されなければ良いぐーな」

 言いつつも、そ知らぬフリをすることにする。

「どうしたぁ、私の大事なアサギ! 誰に虐められたんだ、殺してくるから名前を言いなさい!」

 ペチペチ、と気の抜けた拍手を送りながら、リュウも部屋に悠々と進入する。

「アサギが来てから、退屈しなくて有り難いぐ」

 これでもかというくらいに目を見開き、全力疾走で床に座り込んでいるアサギの元へと駆け寄ったハイを見つめ、口元を緩める。数年共にいるが、死霊を操る以外に能がない魔王だと思っていた。それまた失礼な話だが、結局この二人の魔王はなんのかんので仲が良い。

「何があった!?」

 もう少し感情の抑制が出来ないものか、と思いつつアサギの背中をさすっているハイに近寄り見下ろす。
 勢いで力任せに抱きしめ、よしよし、と頭を撫でるハイはアサギを気遣っているのだろう。しかし、力の加減を知らないので、アサギは案の定苦しそうだ。
 圧迫されていたものの、身を捩り、アサギは辛うじて声を発した。苦しいので、手短に。だが、それは省略し過ぎた。

「あの、怖いので、一緒に寝て頂けると助かります」

 涙で瞳を潤ませ、微かに頬を赤く染め、上目遣いで。
 恐怖に怯え先程まで泣いていた、付け加えて呼吸困難で苦しかった為浮かんだ涙である。ハイの背が高いので上を見るのは当然のこと、あざとい仕草になってしまったが、故意ではない。
 正確には『見知らぬ土地で一人きり、ここは魔界で怖いのです。眠れないので、出来れば知っている人に一緒に居て欲しいです』と言いたかった。
 リュウは呆然と口を大きく開き、力を喪失したように前のめりになった。想定外もいいところだった、まさかそんなこと言うとは思っていなかった。
 一方ハイは“想いは同じだった”と、感極まりない笑みを浮かべて更にアサギを抱きしめる。まさに天に昇るようだ、幸福を噛み締めている。

「だ、大胆な娘なのだ。や、まさか長髪だし、雌みたいな衣服だしハイを女だと思ってる? いやいや、けっこうガタイは良いし、どう見ても雄。……あれなのだ、最近の娘はそんな感じ? 清純派に見せかけた小悪魔だぐ! まさに羊の毛皮を被った狼!」

 予想に反したアサギの反応に狼狽したものの、すぐにリュウは違う妄想を始めた。自主規制になったので声には出さなかったが、口元は締まり無く緩んでいる。

「そうだったのか、アサギ! 来るのが遅れてすまなかった、泣かせたのは私だったのだな。よぉし、今悪い私に罰を食らわせるから、少し待つんだよ」

 ぼぐっ!
 ハイは自分の頬を手加減無用で殴りつけ、満面の笑みでアサギを覗き込む。

「わぁ、きもいぐ」
「ハイ様!?」

 リュウも流石にドン引きし、数歩後退した。相当危険な人物だったと改めて思い直し、身震いする。
 アサギも身体を仰け反らせた、今のが何なのかさっぱり解らないが、とりあえず痛そうなので心配そうに見つめる。

「大丈夫、そのつもりで来たからな。さぁ寝よう、すぐ寝よう! もう疲れただろう、ゆっくりおやすみ。リュウよ、さらば! ドアはしっかり閉めていくように。もう行け、邪魔だ、迷惑だ」
「やー、ドアは破壊されてるのだぐー、閉められないぐー」

 上機嫌で夢心地のハイは、掠れた声で破壊されたドアを指すリュウなど、気にも留めなかった。まるでその背に羽根がはえたかのように弾みながら歩き、優しくアサギをベッドに寝かすと、隣に自身の枕を置いて満足そうに小さく頷く。違和感無く隣に入り込むと、手だけ振ってリュウを追い払った。
 唖然と様子を見つめていたリュウだが、困惑気味に上半身を起き上がらせたアサギと視線が交差する。立ちつくしているリュウに照れ笑いを浮かべ、小さく会釈した。

「よかった、ハイ様が居てくれて。リュウ様も、おやすみなさい」
「え、えぇあぁ、うん……。ぐー」

 にこ、と朗らかに微笑むとベッドに倒れ込み、アサギは自然と瞳を閉じる。ハイの横で安心したのだろう、ものの数秒で寝息を立て始めた。

「寝るの、はやっ! どんだけ寝つきが良い娘さんだぐーかっ」
「何だお前、まだ居たのか。ついでだ、灯りも消していってくれな」

 ハイに言われるがままに虚ろな瞳で頷いたリュウは、壊れたドアを踏みつけて廊下へと出た。仕方ないので廊下のカーテンを引きちぎり、適当に部屋を覆い隠すようにドア代わりにする。意外と律儀である。

「いや、廊下に嬌声が響き渡ったら、皆が眠り辛いぐ。っていうか、眠れないぐ」 

 余計な一言、次いで一息。

「よーし、よく分からないけど、なんか魔王と勇者が一つの寝台にっ。ほぼ初対面なのに!」

 状況把握は間違ってはいない、カーテンの向こう側で何が起こるのだろう。
 深呼吸を、五回繰り返す。急に身体が震えだした、アドリナリンが大量に放出されている。地面を蹴り上げ猛スピードで廊下を駆け抜けると、ある一つの部屋を目指した。
 リュウ的には大事件である「もう面倒だから結婚してしまえばいいのにー」と漏らす。笑いが込み上げてきたので、堪えることなく声に出しながら深夜の魔王城を徘徊する。

「おやすみなさいませ」

 疾走するリュウと遭遇した魔族達が次々に声をかける、大きく手を振って挨拶しつつ、階段を上って角を曲がると二人の魔族が夜中だというのに掃除していた。

「明日は忙しくなるから、早目に寝ておくのだぐ!」
「はぁ」

 嬉しそうに愛想良く笑みを振りまき、豪快に笑いながら疾走するリュウを皆一礼して眺めた。「相変わらず元気で忙しい方だなぁ」と軽い溜息と共に感心する。
 だが、無駄に元気なのは迷惑だ。掃除をした廊下に、足跡がついている。苦笑いしつつも掃除をきっちりと済ませて、二人は大浴場へと向かった。彼らは城に住んでいる掃除担当者である、主に夜中に掃除し、朝、魔王達が不快な思いをしないようにするのが彼らの仕事だ。
 魔王アレクは湧き出る温泉を公共大浴場として提供しているが、この時間は城に勤務する者しか入る事が出来ない。数人しかいないが、全員顔見知りだ。

「しかし、あのリュウ様の表情。あれは、悪知恵を働かせた後の」
「しっ! 思っていても口にするな」

 湯気立ち込める浴室の中で、徐に一人が口にした。
 懐かしむように瞳を細め、大きな溜息を吐く。「リュウ様の悪戯のお陰で、しなくても良い掃除をする羽目に幾度なったものか」「そうだったな……」二人して、脱力しながら笑った。

「黙っていれば、普通の魔王様なんだがな」
「口を開くと、なぁ……」
「あと、寝間着の趣味が……」
「無類の苺中毒者なのも……」

 黙っていたとしても、普通の魔王ではなさそうな口調である。
 二人は思った『願わくば掃除が増えませんように』と。しかし、すでに破壊されたアサギの部屋のドアを片づけねばならない。そんなことは当然知らないが、嫌な予感は若干していた。

 自分が噂されているとは知らず、リュウはようやく目指していた場所に到着した。惑星クレオ、魔王アレクの部屋の前である。
 一応ノックをし、ドアの両側に立っている警備兵達に軽く挨拶をすると、返事を待たずに部屋へと足を踏み入れる。ここへ入るのは初めてだ、寡黙な魔王がどのような生活をしているのか、若干興味はあった。
 満足な家具も揃っていない様な雰囲気の、がらんとした部屋で窓辺に立っているアレクと目が合う。豪華絢爛な場所を想定していたので、意外だとばかりに目を開き、周囲に視線を走らせる。彼以外に、誰もいない。一人の時間を大切にしているのか、それとも他人を信用していないのか。
 リュウは軽く瞳を細め、皮肉めいて笑う。
 意外な来訪者に然程驚かず、アレクは静かにリュウを見ている。その微妙な表情の変化に気づいたものの、言葉を発する事はなかった。
 互いの腹の底を探るように凝視していた二人だが、リュウがおどけた顔を浮かべて先に口を開いた。

「明日。急で申し訳ないけど、魔族達に召集かけて欲しいのだぐ・お披露目会だぐー」
「明日? まぁ、伝令を飛ばせば昼過ぎには可能だが。随分性急だが、お披露目会とは?」

 アレクは眉を顰めると、リュウを挑む様に見据える。
 だが、あっけらかんとリュウは笑う。相変わらず、つかみどころがない。

「うん、アサギが来たのだぐーよ」
「アサギ?」
「クレオの女勇者ちゃんだぐ、小さくて、可愛いのだぐ。ハイと一緒に今寝てるのだぐー、懐いてるみたい。折角だし、結婚させちゃおうかと思って。面白いぐ、勇者と魔王の婚約発表会だなんて、そうそうお目にかかれるものではないぐーよ」
「……そうなのか」
「めでたや、めでたや! というわけで、よろしくーなのだぐ」

 にこり、と微笑んだリュウは、豪快にドアを閉めて出て行った。
 外では警備兵が狼狽していたが、肩を叩いて気さくに笑う。魔王同士とはいえ、こうも楽に侵入を赦して良い筈はない。

「入れてくれて、ありがとだぐ」

 瞳は微笑んでいたものの、声には冷酷さが漂っている。兵らは、リュウに怯えていた。何を考えているのか解らぬ男だが、威圧感すらも普段は隠している。リュウに凄まれ、彼らは硬直していたのだ。
 意気揚々と去って行くリュウの背を見つめながら、兵らの頬に一筋の汗が伝った。とんでもない男を住まわせているのではないかと、不安が募り出す。
 当たり障りのない返事しかしていない魔王アレクは、廊下で響いている彼の笑い声を聴きつつ溜息を吐く。

「全く底知れぬ男だ、惑星ネロの魔王リュウ」

 部屋に数個灯っていた蝋燭の火を、指で消しながら小声で呟く。

「勇者」

 来ていたのは当然知っている、アレクとて待ち焦がれていた存在だ。まさか、別の魔王が連れてくるとは思ってもみなかったが。
 月明かりだけが照らす薄暗い室内で、アレクはベッドに入らず愛用の椅子に深く腰掛けると頭を抱えて唇を噛む。暫し、震えていた。様々な思案が、糸になり複雑に絡まり、解けない。

「会わなければ。会って私達の願いを聞いて貰わねば。ナスタチューム、ついに……勇者が来た。君が傍に居てくれたら、どれだけ心強いだろう。しかし、弱音を吐いている場合ではないな、我等の願いを伝えなければ。でなければ、離れている意味がない」

 魔王アレクは、明け方までそこで頭を抱えていた。リュウからの願いはともかく、今後自分が“どうすべきか”を思案していた。すべきことは、決まっている。だが、怖かった。

「魔王リュウ……もっとも警戒すべき魔王。争うことなく、この惑星に馴染むのであれば滞在を許可するが、そうでないのならば。しかし、何故この惑星に皆集結したのか」

 争いを好まない魔王アレクは、他惑星からの魔王を受け入れてしまったことを若干後悔した。拒否し、無駄な血を流すことになるくらいならばと思ったが、その判断が正しかったのかどうかすら、分からない。

「希望はそのままこの手にある、望む未来に行き着くように私が動けば良い。やらねばならぬ、尊い命を護る為に」

 魔王アレクは歯軋りすると、瞳を閉じた。微かに身体が震えていた。歴代魔王の中で最も魔力が高いと誉れ高い彼だが、平和を望み、上に立つことを嫌う男だ。
 彼の心は、酷く脆く、そして折れやすい。

 ドアが崩壊したその部屋で、月の微かな灯りに照らされているアサギの寝顔を、飽きもせずに見つめていたハイは至極幸せそうだった。
 一体、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
 月の位置が次第に変わるが気にも留めず、指で頬に触れてみたり、髪を撫でてみたり。緩んだ顔で、不気味な笑いを漏らしている。

「かわいいー」

 二十七歳の男と、十二歳の少女、の図。
 しまりなく鼻の下を伸ばしている男、警察に見つかったらその場でお縄だろう。そんな世界ではないので、魔王ハイが捕まることはない。
 よかった。
 うっすらと笑みを浮かべているように見えるアサギのその寝顔に、吸い込まれるように魅入っていた。それゆえに、ハイが気づいた時にはすでに月は消え、目映いばかりの太陽が顔を覗かせていたのである。月の仄かな幻想的な明かりから、太陽の熱い陽射しへと明かりが変わった頃になって、ようやくアサギから視線を外した。

「なんと!? 朝!?」

 血の気が引いた。すでに明朝は予定が入っており、体力を使うことを知っていた。眠っておかねば魔王といえど、人間であるから体調不良を起しかねない。

「今日はアサギと森へ出掛けるのだから……、相当足腰にきそうだ」

 よっこらしょ。  
 布団を被ったハイは、隣で未だに眠っているアサギに戸惑い気味に近づくと、優しく髪に口付ける。名残惜しそうに見つめ、瞳を軽く閉じ、数秒でまた開いて見つめて、閉じる。こうしている間にも時間は過ぎていくが、ハイにとって至福の時だった。
 何故か、アサギが隣に居るだけで気分が落ち着く。
 鼻に刺激を感じる程の強い花の香りではなく、ほんの僅かに、動くときにだけ香る、甘く爽やかな花の香りが始終している気がして。勇者だとか、そういうことは頭から外す。唯一人の、とても大切にせねばならない少女であると確信した。

「アサギ」

 名前を呼んでみる。軽く身を起し、顔を覗きこむとハイは再び名を呼んだ。当然返事はない、小さく笑うと再び布団を被って瞳を閉じ、そっと深呼吸する。
 胸が、甘酸っぱい香りで満たされる、時折締め付けられるような感覚、だがそれが心地良い。

「不思議な、娘だな」

 今まで出逢った誰とも違う、愛らしい娘。瞳に姿を入れただけで、傍にいるだけで心が何かを急かすように高鳴る。胸がざわめく、身体が宙に浮くようにふわふわしてしまう。
 ハイは静かに寝息を立て始めた、窓から入り込んだ朝日が二人の顔を照らしている。

『来た、のか……』

 もし、室内に起きている誰かが居たのならば、その声を聴いていただろう。だが、生憎アサギもハイも眠っていたので気づくことはなかった。

『ここは。……思いの外心地良い、流石クリフ神が創造した惑星。あの時の空気が若干残っている、それに、時折懐かしい生命の声が届く。ここへ逃れていたのか、無事でよかった』

 声は、誰に、というわけでもなく一人で呟いていた。微かに喜んでいるような、いや、悲しんでいるような。諦めにも似た悲痛な声で言葉を零すと、そのまま沈黙した。
 そう、誰も聞いていない。
 私の声など、誰が聴くものか。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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