退屈凌ぎに、弄ぶ
文字数 3,099文字
七月上旬の月は、雲一つない空にぽっかりと浮かび、淡い光を放っていた。海に、森に、その光を惜しみなく降り注ぎながら、静かに神々しく浮かんでいる。
「つまんない……」
その月の光が零れ落ちている魔界の森で、マビルは心底つまらなそうに吐き棄てた。
足元には、死んでいる魔族の男。幼さがまだ残る彼は、四肢を切断されて絶命していた。整った顔立ちだったのだろうが、恐怖と激痛で顔は歪み、見るに堪えない表情をしている。
マビルはその死体を火炎の魔法で焼却し、足元の石を何処へともなく蹴り上げた。
「つまんない……。そして、なんかムカツク」
歯が欠けてしまいそうなほど、力強く歯軋りする。胸に粘着ある汚泥が絡みついたようで気分が悪い、胸の内から込み上げるこの苛立ちを、どう表現したらよいのだろう。
「勇者、ムカつく……気がする」
マビルは再び石を蹴り上げた、石は空中で砕け飛散した。パラパラと散りゆく砕けた石を見つつ、遠くの月を仰ぐ。髪を風に靡かせ、マビルは流れる様に宙を移動した。森に何かしらの気配を感じたので退屈しのぎに、出向く。普段は自ら動かない、獲物が来るまでその場にいる。自分から動く事など体力と時間の無駄で、馬鹿らしい事だと思っていた。
森の端に、赤い髪の少年が立っている。迷子なのだろうがなかなかの美童、マビルは口元に笑みを浮かべ、軽やかに地面に降り立つとそっと右腕を伸ばす。
迷子、というよりもマビルが誘き寄せた、と言ったほうが的確だ。彼は蜘蛛の巣にかかった虫、本来ならば結界が張ってあるので入り込めない筈だ。
突如現れた美少女マビルに呆気に取られていた少年だが、誘惑の香りに逆らう事など出来なかった。
小さく舌を出し、艶かしく唇を嘗めるマビルから淫靡な香りが漂う。色香にあてられ、少年はふらふらと吸い寄せられるように近づいていった。
「よかった、あたし好みな男の子!」
小さく零したマビルは、嬉しそうに微笑む。
「あたし、マビル。よろしくね。今、とっても暇なんだけどぉ、あなたはぁ、あたしと遊んで楽しませてくれるぅ?」
とりあえず、退屈凌ぎにはなりそうだった。
少年は全力で頷く、従うしかない。
「マビル、君は今まで見た誰よりも美しい! 甘い香りに、柔らかで艶めかしい肌……この世のものとは思えない」
「そぉ? ありがとー」
少年は跪き、足の爪先に口付けの雨を降らし始めた。
薄布を纏っていたマビルはすでに全裸で、自分に平伏している少年を満足そうに見下ろした。
すぐに地面には脱ぎ散らかした二人の衣服が転がった、マビルの身体に無数の朱い痕跡がつけられていく。二人は躊躇することなく肌を重ね、互いを貪り合う。飽きることなく快楽に身を委ねていた二人だが、ようやく離れる。
荒い呼吸を繰り返し、汗ばんだ髪をかき上げたマビルは、掠れた声を出す。その声は先程と打って変わり、とても弾んでいる。
「気持ち良かったよー、上手いね。うん、気に入った! 顔も綺麗だし、綺麗な宝石くれたし。次は可愛いお洋服頂戴ね」
「勿論、マビルが望むなら! 例え火の中、水の中。君の愛があればドコヘだって行けるよ」
「わーい、ありがとう。マビル、嬉しいー」
マビルは手の中にある指輪を空へと掲げた、それは少年が肌身離さず持っていた親から譲り受けた物だ。非常に精巧な作りだったので興味を持ったマビルに、少年はいとも容易く渡してしまった。大きな瞳を輝かせて、小首傾げて「それ、ちょーだい」と言われては頷く他ない。本来ならば、絶対に有り得ない。代々伝わる由緒正しい指輪だ、間違っても他人の手に渡す事などなかった。
指輪をはめて満足し頷いたマビルは、気怠い身体を起こして立ち上がる。軽やかに地面を蹴って、近くの泉へと身体を沈める。艶やかな黒髪に水滴が滴り、妖艶な空気を醸し出す。
魔族の少年は慌てて立ち上がると夢中で追いかけ、泉に入った。笑いながらマビルを抱き締め、唇を貪り、胸を弄ぶ。
「愛しているよ、マビル」
「うん、ありがとう」
「永遠に、愛しているよ。君の愛があれば、死なないよ」
狂おしく熱した声を出し懸命にマビルを抱き締めている少年に、マビルは無邪気に笑った。
「……ホント?」
胸に舌を這わせていた少年の頭を抱き締めたかと思えば、マビルはそのまま一気に水中へと少年の顔を押し込める。
「ぐげばべぇあ!」
無数の泡が、上がってくる。豪快な音を立てて暴れる少年を、マビルは愉快そうに押付けたまま破顔した。彼がどれだけ力を入れても、水中から顔が出る事はなかった。
やがて、静まり返った泉。
マビルは忌々しく舌打ちし、少年の頭から手を離す。
ゆっくりと、少年の身体が上下に揺れた。
水に漂うその身体に、唾を吐き棄てる。
「……死んでるじゃん、嘘つき。それとも、あたしの愛が足りなかったのかな」
揺れる赤い少年の髪は、妙に美しい。
けれども、つまらなそうにマビルは小さく欠伸をする。玩具は、壊れてしまった。また、退屈な時間が訪れる。
「誰が死体の処理すると思ってるの? 死ぬのは勝手だけど、あたしの目の前から消えてよね。面倒なんだから」
不本意だが、死体を泉から引き摺り上げた。頭を思い切り踏み潰し、火炎の呪文を唱えて放つ。水中に放置した死体が腐敗し、異臭を放つことくらいマビルとて理解している。そんなものを見る前に、焼却しておいたほうが楽だ。
「男なんて、馬鹿ばっかりー。でも、しまったな、お洋服持ってきてもらえばよかったかな」
全裸で地面に転がると、瞳を閉じた。
「苛々する……落ち着かない……。これもあれもそれも、おねーちゃんが来てから!」
唇を、噛締めた。見たことがない姉に、無性に腹が立つ。
何故こうも苛立つのだろう。
それは恐怖心でもあるような気がしていたが、口には出さなかった。脆弱な、自分の足元にも及ばない姉の気配に、何を躊躇うというのだろう。
しかし、歯痒くて、もどかしい感情が自分を支配する。
誰かが耳元で囁くのだ『このままでは、お前の全てが姉に持っていかれるよ』と。
囁かれるたびに、マビルは身震いした。そんなわけがないのに、歯が鳴るほどに恐ろしくて震えてしまう。無限に深い沼の底に脚をとられて、助けが来ぬまま沈んでいくような絶望感。
月影の晩に。
燃え盛る死体の隣で、瞳を閉じる。夜は、嫌いだ。一人を実感するから、嫌いだ。流石にこの場では寝付けずに立ち上がり、家を目指した。
無理やり酒を呑み、ベッドに入って眠る。酔いが回り、なんとか寝付けそうだった。
一人きりの、静かな家。誰もいない、孤独な家。慣れているが、非常に物悲しい。
夢を、観た。
茶色い髪の見知らぬ男が、自分を見て微笑んでいる。何をするでもなく、見ている。思わず手を伸ばしかけたが、やめておいた。だが、その男は穏やかに微笑んだまま常に隣に居た。
翌朝、マビルは。
大粒の涙を零し、泣いていた。枕が濡れていた、恥じて慌てて瞳をこする。何故、泣いたのか解らない。けれども、切なくて苦しくて寂しくて、涙は止まらない。
涙の雫が、マビルの甲にぽたん、と落ちた。
※挿絵は頂き物のマビルです(*´▽`*)