神候補になった挙句、仮魔王の小学生勇者
文字数 3,400文字
「アサギ様、我らの願いをお聞き下さい。当面、魔族の長として君臨していただけないかと思いまして」
悪びれた様子もなく、世間話でもするようにさらりと告げたナスタチュームに、アサギとリョウが啜っていた茶を吹き出した。先に主旨を聞いていたトビィは、微塵も驚かない。ただ、当然の反応をした二人に憐れみの視線を送る。
咽る二人に若干苦笑し、ナスタチュームは続ける。
「実際に指揮をとって頂くわけではありません。その名をお借りできれば、と思うのです。ご存知の通り、魔王アレクは……先の戦いで死去致しました。統治者が不在であり、魔族たちは不安に怯えております。このままでは混乱が生じ、無益な争いが起きるでしょう。よって、絶対的な統率者が必要なのです」
いかなる場所であれども、リーダーが必要だということはアサギも理解している。しかし、話が大き過ぎてついていけず瞳を泳がせた。
「私はアレクの従兄弟ですが知名度がなく、そもそも本物だと証明する手立てもありません。多くの魔族は、私の存在を知らないでしょう。その為に、アサギ様。アレクと共にミラボーに挑み、魔族たちから名と顔を知られている貴女であれば……皆も納得して受け入れるかと」
「で、ですが、私は勇者です。人間の勇者なのに、魔族の長って、幾らなんでも無理が」
焦ったアサギは、辞退の姿勢をとった。蒼褪め、勢いよく腕を振って拒否をする。勇者にはなりたいと思ったが、魔族の長になりたいとは思っていない。
しかし、諦めないナスタチュームは詰め寄る。
「勿論、永久にではありません。立て直しの見通しが定まれば、新たな魔王を選出するか……不本意ですが認められた場合、私が背負います。よって、一時的なものです」
「あーうー。あ、あの、そうかもしれませんが、私は人間でして、魔族ではなくて」
どうにか言い訳をしてやり過ごそうとしているアサギだが、見た目によらずナスタチュームは強引だ。どちらも引く気はない。
「我らを助けると思って。亡きアレクの意思を、途絶えさせるわけにはいかないのです。貴女の慈悲は、人間にしか向けられないのですか? 魔族にもどうか」
助ける。亡きアレクの意思。魔族にも慈悲。そう言われては、アサギは口を噤むしかない。
葛藤しているのが見て取れたので、ナスタチュームは一気に止めを刺す。
「おそらく、これはアレクの……そしてエルフの姫ロシファの思いでもあります。救済の勇者よ、どうか人間だけでなく、魔族も御救い下さい」
「……な、名前だけなら。私、一般人なので王様の仕事とか解りませんけど」
アサギが、項垂れて折れた。
胸に突き刺さる言葉に、耐えられなかった。アレクもロシファも、死んでしまった。助けられなかった二人だ、勇者になったにも関わらず。それに、魔族には優しくしてもらった恩がある。関係がないわけではない、このまま無責任にサヨウナラは出来なかった。
自信も知識もないが、それでも目の前で困窮している魔族達の懇願を無下に出来ない。
聞き取るのが困難なほど小声だったが、アサギが了承したのは間違いない。ナスタチュームは瞳を輝かせると、何度も感謝を述べる。
不安そうに見つめてくるリョウに同じような視線を返したアサギは、当惑してトビィに視線を投げる。呆れたように溜息を吐きながらも、優しく頬を撫でられて若干落ち着いた。
「オレがついてる、大丈夫だ」
「助かります……いつもごめんなさい」
その言葉だけで、安堵した。トビィがいるなら、どうにかなるのではないかと思った。アサギは静かに溜息を吐くと、瞳を閉じて口をへの字に曲げる。
……どうしよう、神候補みたいなことになった挙句、仮魔王の小学生勇者って、変な肩書きが出来ちゃった。
重苦しい溜息を吐き脱力する。断れない性質のアサギは、これまでも生徒会やら応援団の副団長やら様々なことをこなしてきた。
だが今回はそんなレベルではない。
「大丈夫です、恐ろしい事など何もありませんよ」
「そう、ですか……」
アサギの苦衷を察し、気分転換に島を案内してもらうこととなった。トビィとナスタチュームが残り、他の者は席を外す。
正直トビィはそちらについていきたかったが、訴えるようなナスタチュームの瞳に渋々断念した。手を振って離れていくアサギらを見送りその姿が豆粒ほどになると、新しい茶が差し出される。
「さて。多少畳みかけてしまいましたが、アサギ様の承諾は得られましたので、早速私たちは魔界イヴァンへ向かおうと思います。アサギ様は普段、こちらにはいらっしゃらないのですよね?」
「そうだな、地球の学校とやらに通っている。そこは“曜日”というものがあって、七日で一巡するんだそうだ。学校へ行かなくてもよい日もあると」
「ふむ……色々な決まり事があるのですねぇ」
しみじみとナスタチュームは言い、茶を啜る。
暫し、二人は鳥の鳴き声に耳を傾けていた。
「平和ですよねぇ、この先には何も恐れるものはないような気すらします」
呟いたナスタチュームに、トビィは顔をそちらへ向けて軽く唇を噛んだ。神は、破壊の姫君について「アサギかもしれない」と言っていた。それを告げるべきか否か、迷っている。
戸惑った素振りは見せなかったトビィだが、にこやかに微笑みナスタチュームは続ける。
「それで、神は何と?」
トビィは軽く呼吸をしてから茶を口に含み、口内を潤した。
「共闘したいとのことだ、仲間は多いほうがいいと」
「でしょうね。宜しくお願い致します……それで、今後ですが」
カタン、とカップを置く音が妙に響く。
不自然な沈黙が二人を襲ったが、舌打ちしてトビィが言葉を吐き出した。溜めておくことは、性に合わない。
「神は、アサギが破壊の姫君かもしれない、と言っていた」
「……なんですって?」
それまで温和だったナスタチュームの声が、途端にひっくり返る。とげとげしく、重低音になったその声にトビィは違和感を感じた。驚いた、といえばそれまでだが、ただそれだけの事ではないような気がした。
冷静を装って俯き思案しているナスタチュームに、射抜くような視線を送り続ける。トビィは、思いをそのまま口にした。
「お前、何か知っているのか」
トビィのその言葉に気が楽になったとばかり、ナスタチュームは力なく微笑む。
肯定した。
自嘲気味に笑いながら空になったカップを見つめ、ぼんやりとそれを手に取る。中には、何も入っていないのに。空にも関わらず、中身を飲み干す素振りをみせた。
「同意です。まさか神と一致してしまうとは……どういたしましょうね」
テーブルを叩くけたたましい音にも、ナスタチュームは動じない。苛立つトビィに困惑気味な視線を向け、再びカップを置いた。
「トビィ殿は、アサギ様が破壊の姫君だと思いますか」
「知らん。一つ言えることはアサギが破壊の姫君であろうとも、オレはオレでアサギはアサギ、それだけだ」
「でしょうねぇ」
ナスタチュームが喋る速度は、一般的な人よりも遅い。それが、余計にトビィを苛立たせた。
「真意は誰にも解りません。神にすら解らず、勿論、私にも。ただ、アサギ様が
トビィは不貞腐れたように横を向いている。しかし、聞き漏らすことはないだろう。安堵して続けた。
「破壊の姫君は我らにとって、驚異的な人物。命を何とも思っておりません、生かすも殺すも彼女次第、全てが死に絶えたところで、彼女には支障がない。我らは、価値なきもの」
「アンタはどうやって破壊の姫君を知った。伝承か」
意外にも途中で口を挟まれたので、ナスタチュームは瞳を細める。小さく頷くと視線は合わなかったが、トビィに告げた。
「破壊の姫君、という危うい存在を奉っている邪教があることは、随分前から知っていました。ですが、現状に満足しない者たちが勝手に作り上げた偶像だと思っていたのです。アレクも軽視していました。けれども調べていくうちに、どうもそうではないことが解ってきたのです」
「解ってきた? ということは、記述でもあるのか」
神以上に事態を把握しているような口ぶりに、トビィが思わず身を乗り出す。破壊の姫君など、どうでもよかった。
だが、そこに愛するアサギが関わってくるならば話は別だ。