願いは回帰する
文字数 3,046文字
キスの仕方など、誰も教えてくれない。
「ホント可愛いなぁ」
上下するアサギが愉快で、トランシスは含み笑いを漏らしながら何度も口づける。ここまで過剰に反応をする相手は、初めてだ。白く美しい首筋から立ち上る色香なのか、鼻先をくすぐる甘い不思議な香りに眩暈がする。よくもまぁ口づけだけで耐えているものだと、自分でも感心している。
先程、四回吐き出しておいてよかったとほくそ笑む。
「これ以上のことを
改めて、トランシスはアサギを見つめた。
冷静になれば、自分の彼女が何者なのか疑問に思う。知らない単語を口にして、上から降ってきた娘。何者でも構わないが、知っておきたい。
「アサギ?」
「は、はい」
熱に浮かされたような顏で見上げたアサギに、下半身が熱を帯びた。思わず、腕で顔を隠す。顔に熱が集中し、赤くなっているような気がして恥ずかしい。
「クソッ」
照れている自分に狼狽し、こんな青臭い自分を見られたくないと動揺する。見つめられただけでどうしようもなく胸が高鳴っていることを、知られたくない。自分のほうが優位でなければ、この関係が保てない気がしていた。
「あの、どうかしましたか?」
心配そうに声をかけられたので、上ずった声を出す。
「べ、別に。……とりあえず、恋人になったんだから、互いのことをよく知ろうと思う。アサギ、何処から来たの? この辺の子じゃないだろ」
ぶっきらぼうに、そう言った。火照りは治まらず、それどころか全身に広がっていく気がする。面白がって見つめていただけなのに、虜になっていたのは自分かもしれないと気づいた。
トランシスの顔が見えなかったアサギは、気分でも優れないのかと眉を寄せ、そっと手を伸ばし腕に触れた。
瞬間、手が弾かれる。
「触るなっ」
「ご、ごめんなさい」
アサギは、驚いて手を引っ込めた。怒鳴り声に胸の鼓動が速まり、急に身体が大きく震え出す。
これは、恐怖。
今の声を、
『触るな、気持ち悪い』
耳元で、そんな声が聴こえた。
喉の奥で悲鳴を上げると、アサギは慌てて指を噛む。こうしていないと恐怖で自分が発狂してしまいそうだった。歯が深く指に食い込んでいくその痛みで、どうにかここは現実だと言い聞かせる。
爪にあたった歯が、カチカチと音を立てた。
キィィィ、カトン。
何かが軋む音を、二人は聞いた。
多少頬が冷えたトランシスが、訝しげに周囲を窺う。しかし、何もない。今、この場所には二人しかいない。
その音は、もう聞こえなかった。
首を傾げて小さく溜息を吐くと、冷えた頬を確かめる為に手を添える。呼吸が整ったのでトランシスは安堵し、改めてアサギを見つめる。頭に血が上り、手を弾いてしまったのは先程のこと。
「こんなもどかしい感覚、初めてだ」
朦朧とする意識の中、アサギの姿だけは鮮明に脳裏に焼き付いた。不安に怯える大きな瞳は伏し目がちで、臆して小さくなる姿に加虐心が煽られる。
思い出したら、再び下半身が熱を帯びる。これはどうしようもない生理現象だ。
「あぁ、また」
膨れてきた逸物を、情けなく見やる。病気では、と思うくらいに反応してしまう。このようなこと、今までなかった。トランシスは、鼻先をくすぐる甘い香りに眩暈を覚えた。
アサギが違和感に気づき、身体を捩る。
「う、動くな、大人しくっ」
少しの振動が、大きな刺激となる。舌打ちし、アサギの身体を固定しようとした。
「あの、でも。硬いものが背中にあたるんです、木の枝かなって……」
悪びれた様子も見せずにそう告げるアサギに、トランシスは蒼褪めた。本当に何も知らぬ娘らしく、扱いに困る。
「そ、そのうち取れるから、とにかく今は動くなっ。絶対に、だ」
「は、はぃ……」
手を動かし異物を取り除こうとするアサギを、懸命にトランシスは止めた。今掴まれたら、勢いで射精してしまいそうだった。
それだけは絶対に避けねばならない、情けないやら恥ずかしいやらで、今後顔を合わせられない。
「あぁ、クソッ!」
煽った責任をとってもらい、このまま犯してしまおうかと衣服に手をかける。恋人なのだから、我慢する必要はないのではないかと納得しかけた。木の上で身体を重ねるなど、強烈な思い出になるだろう。
けれど、トランシスは崩壊寸前の理性で我に返る。
……ダメだ、彼女の信頼を得なければ。そして、順序よく調教し、従順な女に育てる。身も心も喜んで
「また、失敗する」
抑揚のない声で、トランシスはそう零した。
「え?」
言葉の意味が解らず、アサギは首を曲げて顔を覗き込む。聞き直そうかと思ったが、美しい紺藍の瞳は何処か遠くを見つめており、視線は交差しなかった。若干翳っているように見えて、息を飲む。
「冗談じゃない、これ以上取り逃がしてたまるかっ。今度こそ……今度こそ、オレは手に入れる」
トランシスは、そう吐き捨てた。
急に背筋が冷たくなったアサギは何も言えず、すごすごと肩をすぼめながら正面を向く。何を言っているのか解らなかった、独り言のように思えたし、誰かと対話しているようにも見えた。声がかかるまで、大人しくしていうようと思いスカートを掴む。
木から見下ろした大地は、荒野だった。乾いた風が時折鳴き、灰色の空へと舞い上がる。砂塵で視界は奪われ、遠方は霞む。
アサギは、見慣れぬ風景に息を飲んだ。
「ここ……何処?」
トランシスに口づけされ意識が飛んでいたが、自分の置かれている状況に焦る。ようやく事の重大さに気づき、別の意味で恐怖を感じた。記憶の糸を辿り、惑星クレオで神クレロを捜していた事を思い出した。そこから酷い頭痛に襲われて、この木に引っかかっていたような気がする。最後に見た惑星に飛ばされたとすれば、納得出来る気がした。
ただ、どうやって戻るのだろう。
「ど、どうしよう」
再度、アサギは目の前の大地を見下ろした。何処までも灰色の世界が広がっており、空気も澱んでいる気がする。喉がチクチクと痛みだした。
無意識のうちに首が下がると、トランシスが履いているボトムに目が留まる。見慣れたデニム生地に思えるので、恐らく惑星クレオではない。彼の服装は、現代の地球を彷彿とさせるデザインだ。
二人して、呆けていた。
見知らぬ場所へ来てしまった勇者アサギと、欲情し惹かれて口づけてしまったトランシス。
トランシスが口づけたことにより、成り行きで恋人となった二人。
もし。
アサギが地球の日本にいた
偶然ではなく、必然。
『滅び行く国で、次は勇者になりたい、と願った。勇者になるなら力が必要だ、誰にも負けない力が必要だ。勇者に、なれば。勇者に、なりさえすれば。もう、何も』
少女の願いは、この為に。
勇者になりたかった本当の意味は、ここに。
勇者にならねば、この男に出逢うことはなかった。
トランシスに逢いたいがゆえに、アサギは勇者になることを望み、願ったのだ。
例えそれが、過ちであったと後悔することになろうとも。