不運
文字数 3,400文字
「魔王ハイの死後、彼がいた神殿に新たな神官が派遣される予定だそうよ。ムーンが選出しているみたい。ただ、病死でしょう? 妙な病原菌がないか不安がっている人もいると」
マダーニがそう告げると、トビィが皮肉めいて笑う。
「得体の知れないものに怯えても。もしそうなら、オレやアサギも倒れているだろうな」
「一旦調べてからになるみたいだけど、分かるものかしらね」
「ただ、ハイはあの場所に人を寄越して欲しくはないように思える。……なんとなくだが」
「トビィちゃんがそう言うのなら、ムーンに伝えておくわ」
ムーンとサマルトは復興に全力を注いでいる為、惑星クレオを気にかけつつも積極的に参加は出来ない。無論それが当然であり、気持ちだけでも有り難い。
「元魔王のリュウ様は、要請があれば動いてくれるとか? 助かるわね」
「魔王が手助けしてくれるって、よくよく考えたら有り得ないケド」
アリナがあっけらかんと笑うと、マダーニが肩を竦めた。
「本当に。でも、悪い奴はミラボーだけでしょう? ……もしアサギちゃんが魔王ハイに攫われていなかったら、どうなっていたのかしら」
「さぁー。ところで、アーサー達も復興で多忙だよね? となると、どうしたって動けるのはボクらだけか」
「破壊の姫君探しが途方もないから、助っ人に期待してしまうけど。これは私達の問題なのだから、異世界の仲間に頼るのも気が引けるわよね。頑張りましょう」
「もう少し、神がなぁ……」
アリナがぼやくと、空気がピリリと引き攣った。信頼関係を築けないことが一番の問題である、どうにも彼は胡散臭い。
「ブジャタさんはお元気?」
「元気だけど、腰を痛めて。大体寝てる」
「御自愛くださいと伝えておいて」
「了解」
その後は他愛のない話で盛り上がったが、アサギがミノルと別れた事は、まだ誰も知らなかった。
岩壁をも貫くような目険しい瞳で、神クレロは破壊の姫君を崇める邪教徒の本拠地シポラを睨みつける。
「私は、彼女を護らねばならない」
一心不乱に惑星を見つめているその後方で、ソレルは瞳を泳がせる。クレロが勇者アサギを異常なまでに気遣っていることなど、多くの者が気付いている。ただ、幸いにも『自分の惑星の勇者だから』という理由で、贔屓しているのだと思っている。
アサギが破壊の姫君になり得る、という情報は、まだ一部の者しか知らない。それで警戒しているのだと納得しそうになったソレルだが、腑に落ちない。それだけではない、まだ何かを隠しているとしか思えなかった。
神が、知り得ている情報を隠す。
その行為は、下々の者に余計な疑心を持たせてしまう。クレロに忠告すべきだと、ソレルは思っていた。
しかし、勇者アサギ。
勇者の中で一際目立つ有能な美少女、魔王ですら虜にする美貌の持ち主。まさか、神すらも魅了し手中に収めたというのだろうか。
ソレルは喉の奥で笑った、ならばクレロを監視せねばならない。神といえども、もとは同じ天界人。前神に回復能力の高さと、人柄を見込まれて神に即位した男。
もし、魔王も神も手中に収めてしまうのならば、アサギは危険人物である。あながち破壊の姫君であると言えなくもないとソレルは思った。
ソレルは、ある程度人間の世界について学んでいる。
一人の寵姫に溺れ、国を破滅へ追い込んだ王が少ないわけではない。天界人と人間の大きな差は背の羽ではなく、欲の自制力だと心得ている。しかし、結局男女の区別は人間と同じ。欲の為に身体を重ねる天界人はいないが、もし惑わす能力に長けた者が現れたらならば。
実際、勇者アサギと擦れ違う度に嬉しそうに会釈する天界人も見受けられた。笑顔で挨拶をするので釣られているのだと思っていたが、そうではない。勇者といえども人間だ、警戒することなく接する者に眉を顰めていたが、それ以上に敬意を表している者も出てきたことに驚愕した。
見る度に背筋が凍る。しかもそれが、男だけではないというのが問題だ。
ソレル自身も何故かアサギに関しては冷たくあしらう事が出来ず、思わず笑みを浮かべてしまう。警戒せねばならない筈なのに、どうしても出来ない。
この日、地球の日本は金曜日。
ユキは習い事のピアノがあったので不在だが、トモハル達は学校から帰宅した後、クレロに交信を試みた。「天界を見学したい」と申し出ると難なく受理されたのでトモハル、ダイキ、ミノル、ケンイチは天界に来ている。
クレロから全く音沙汰がなかったので痺れを切らしたのが本音なのだが、すぐに楽しみ始めた。歓声を上げ、惑星クレオに浮いている天界の内部を散策する。庭園を案内してもらったり、世界の出来事を記した書庫を覗いたりと、社会見学にでも来たかのように心が弾む。
見る場所はどこもかしこも新鮮だ。地球上にはない光景が広がっている。
ここへ来たのは三度目だが、じっくり余裕を持って歩くのは初めてだ。羽のある天界人を不思議そうに眺め、物質が特定出来ない壁に触れてみる。
気軽な気持ちで来ていたのだが、こういう時くらいしか持てないからと、各々武器は所持していた。流石に勇者の剣を地球で振り回すことは出来ないが、戦闘でなくても手にしていたい。持っているだけで、誇らしく感じる気持ちは全員同じだ。
しかし、トモハルは塾の時間が迫り、ケンイチは飲食店を経営している家の手伝いの時間になり、ダイキは習い事の剣道へ行かねばならない時間となった。
慌てて帰宅する三人を、ミノルは手を振って見送る。共に帰宅してもよかったのだが、勧められた菓子が非常に美味しかった為、一人で食べる事にした。甘いものは苦手だったが、柔らかく軽い食感のシフォンケーキのようなそれは、想像より甘くない。出された茶が少し苦味があって、一緒に食べると丁度良い加減になる。
一人夢中で食べていたミノルの存在など知らず、アサギはその日もハイの墓参りに行く為天界に来ていた。この場所を経由せねばならないので、仕方がない。
手には庭に咲いていた花を持っている。切花ではなく、植え替える為に掘り起こして鉢に入れて持って来た。
マジョラム。白い花が可愛らしい、肉料理にもよく使われるハーブである。偶然だが、ハイの誕生花だ。
アサギは、もう何度も訪れているハイの墓まで来ると、嗚咽を漏らした。しかし、泣いていても仕方がない。腰を下ろして墓石の近くにそれを植え、手を合わせ瞳を閉じれば、再度涙が溢れ出す。
数十分、アサギはその場で耐えていた。後悔の念に押し潰されそうになる、思うことはいつも同じ。
『何故、もっと早くに会いに行かなかったのか』
その言葉が圧し掛かってくる、耳元で皆が口々に喚いている。気が狂いそうだった、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、と吐き続けた。
力なく立ち上がると、周囲は暗くなっていた。星が空に絵を描き、月が煌々と淡い光を地上に送ってくる。
「あぁ、そろそろ帰らないと」
項垂れて天界に帰宅したアサギを、クレロが呼び止めた。毎日ハイの墓参りに通っていると耳にしたので、放ってはおけない。苦笑しながら肩に手を置くと、泣いていた証拠の赤い瞳に心痛し顔を大きく歪める。
「アサギ、ハイはもうあの場所にはいない。神である私が言うのもなんだが、魂というのは輪廻する。アサギが強く思っていることはハイとて、光栄だろう。だが、その強すぎる思いは、彼の魂をこの世に留めてしまい、輪廻を妨げる可能性になってしまう。何より自分を責め過ぎだ、それではハイも心配するよ。ハイはアサギの事を大事に思っていただろう? 大事な人が自分の事で悲しんでいたら、辛いだろう?」
「輪廻、引き止める……それは、避けなくては駄目ですよね」
ぽつり、と呟いたアサギに大きく頷いたクレロは、その艶やかな髪を撫でると背中を抱いて茶を勧める為に歩き出した。察したソレルが、精神安定の効果がある茶を煎れる様に天界人に指示を出す。
「私は共にいられないが、茶を飲んでいきなさい。落ち着いたら地球へお帰り」
アサギを落ち着ける場所へと誘導したクレロだが、五人も入れば窮屈な小部屋の茶室には、先客がいた。
ミノルである、まだ菓子を食べていた。