外伝4『月影の晩に』13:求婚がもたらした波乱
文字数 5,508文字
葦の葉のようにざわめく室内で、マローは当惑し姉のドレスを握り締めた。
双子姫らに代わり、呼ばれた参謀が手続きを行った。来賓室で話を、と促したものの、すぐにでもお伝えしたいとの一点張りで、結局このまま来城を許可した。
余程の事態らしい、皆の興味の対象は、アイラからそちらへ移る。
案内された使者達は、姫君たちの前で恭しく跪く。そうして、御目通りが叶った事に安堵の笑みを零した。
居合わせたままのトライは、眉間に皺を寄せた。
その苦虫を潰したような表情に、ミノリは喉を鳴らす。動悸が激しく鳴り、嫌な汗が額を伝う。
視線が集中すると、畏まった使者は凛とする声で書状を読み上げた。
「恐縮ですが、この場で読み上げさせて頂きます。
『親愛なるラファ―ガ国の皆様方。先日は、大層なもてなしを有難う御座いました。御気に召すか解りませんが、我国の風景が描かれた絵画を数点、贈らせていただきます。高山ならではの木の実や、珍しい鳥も贈らせて頂きます。音楽がお好きなようですので、楽器も用意致しました。今回は御伺いすることが叶わず、書簡にての事、非常に心苦しく思っております。
最愛なる、恵みの国の麗しき姫君よ。我国へいらして下さい、決して貴女を退屈させません。天上に輝く星を永遠に見られるよう、庭を造り、高山花を植え替えております。私は第四皇子です、不相応やもしれませんが、生涯をかけて貴女様を愛し抜くと誓います』
以上となります」
ラスカサスよりの使者は、丁重に立ち上がると寄り添うように立っていた二人の姫君へと歩き出した。普通ならば、繁栄の子を産むマロー姫に求婚をするだろう。しかし、書状の内容がマロー宛ではないことなど、皆気付いていた。ただ、俄かに信じがたかっただけだ。
トライが舌打ちし、ミノリが青褪める。
「アイラ姫様、どうぞお受け取り下さい。我が主君であるリュイ様は、貴女様を御所望にございます」
室内は、蜂の巣をつついたように一気に姦しくなった。先程の料理人への刑罰など、最早吹き飛んだ。
風の守護を受けるラスカサスの第四皇子リュイが求婚したのは、呪いの子を産むアイラ姫だった。
「子供だと思い、油断した……。やるじゃないか、あの皇子」
トライがマントを翻し、直様アイラの元へと向かう。悔しさで端正な顔を歪め、大股で歩み寄る。
アイラの騎士達は揺れる周囲とは反対に、唖然として立ち尽くしていた。唐突な最悪の事態だ、鈍器で殴られたように身体中が痺れて動かない。アイラ姫がどう応えるのか、検討がつかない。これでは、トライ王子からの申し出が破棄となってしまう。騎士達は、リュイとトライを比較すると、やはり数日を共にし、性格を把握しつつあるトライ王子に好感を持ち始めていた。水の国への移住計画を半ば心待ちにしていた為、足元が崩れ落ちる様な絶望感に項垂れる。
……リュイ皇子は、自分達を国に招きいれるだろうか。
騎士らの問題点はそこだ。アイラと離れることが、何より恐怖に感じた。
よもや戦線離脱したと思われたリュイ皇子が、真っ先に求婚に出てくるとは。誰も予想していなかった。
「どうするつもりだ、アイラ」
「トライ様。どうするも、こうするも……私は」
戸惑いを隠せないアイラは、書簡を受け取ったものの困り果て、トライに視線を送る。
トライは安堵した、アイラが自分を頼ったことに、そして決断出来ないことに。
冷静さを装いつつアイラは呼吸を整えると、使者に頭を下げて声をかける。
「遠くから……お疲れでしょう。お返事の書簡を用意するまで、ごゆるりとご滞在下さい。部屋を用意致します」
「取り計らい、有難う御座います。恐縮です」
マローは使者を虚ろな瞳で眺めていたのだが、アイラのドレスを力強く握り締め唇を噛み続ける。
「嫌よ。行っては駄目よ、絶対に駄目……」
掠れた心痛な声で、弱弱しくマローはそう告げた。
アイラは柔らかく微笑むと、そっとマローの頭部を優しく撫でる。震える愛しい妹は、雨に打たれ続ける迷子の仔猫のように見えた。落ち着かせようと、何度もゆっくり撫で続ける。
「大丈夫です、きちんとお断りします。マローが居て欲しいというならば、ここに居るから」
「うん……約束よ。ちゃんと、傍に居てね?」
「安心して、マロー」
室内の華燭が、大きく揺れていた。開けられていた窓から、夜風が心地良く入り込んでいる。喧騒が続く中で、アイラとマローは互いにしなだれて手を握った。
しかし、双子の気持ちなど誰が汲み取るだろう。トライは、震えているようにも見える双子姫に、憐憫の眼差しを送る。
食事を終えていたベルガーとトレベレスは、騒動を知らされて二人で紅茶を飲み交わしていた。
ベルガ―は、瞳が据わったまま喉の奥で笑う。
「大したボウヤだ。姉に求婚するとは、これは愉快」
夜風に当たりながらぼんやりと遠くを見つめていたトレベレスに、同意を得る様に漏らす。
大袈裟に深い溜息を吐きつつ肩を落としたトレベレスは、皮肉めいた声で呟き返した。
「何故、あの呪いの娘に翻弄されるのか。……自滅してくれるのであれば、こちらとしては願ったりですけれどね」
言い終えると、不意に二人の視線が交差した。
二人が虎視眈々と狙う妹姫への求婚ではないので放っておけば良いのに、どうにも気にかかる。トライ、そしてリュイが妙に腹立たしい。どちらかが呪いの子を産む姉を引き取ってくれるのならば、好都合な筈だった。
しかし。
二人は暫し沈黙した。互いの顔色を窺う事はせず、ベルガーは庭を、トレベレスは天井を見つめる。流れのない水底に溜まった汚泥が、胸に流れ込んでくるような不気味さに、身震いすら覚える。
徐にベルガーが口を開く。
「謀られている気がするのだが、貴殿はどう思われる」
猜疑を宿しているような暗い瞳で、トレベレスはベルガーを見やった。煙草に火をつけ、苛立つ心を抑える為に吸う。
「つまり、ベルガ―殿は、姉が繁栄の声を産むとまだ疑いを?」
「それもあるが、そもそも繁栄も破壊も出鱈目では、ということだ」
トレベレスは、呆れたという風に肩をすぼめた。
「そこからですか」
「あの姉、アイラ、といったか? 先程の国への、民への思いを聞いたろう。あれが破壊へと導く者の言葉か。そこらにはいない、才色兼備な姫にしか見えなくなってきたが」
「まぁ、確かに。思いだけは大したもの、最初に見た頃と比べると、見違えるほど光を放っていますね。不思議な姫だとは思いますけど」
言うなり、二人は再び口を噤む。思い出したのだ、最初にアイラを見た瞬間を。
あの時、確かに繁栄の姫はアイラだと直感した。そして、何故かこの娘を捜していたような、待ち侘びていたような、そんな懐かしくも切ない想いに捕らわれたのだ。
弾かれたように、二人は顔を見合わせる。
すると。
キィィィ、カトン。
「っ!」
木製の何かが動いた音に、二人は瞬時に身構えた。けれども、室内は静まり返っている。二人は微動だせずに、数分その場で防御態勢を崩さなかった。
音は、止まった。
気を取り直し怪訝にトレベレスに向き直ったベルガーは、ようやく本題に入る。わざわざ世間話をしているのではない。
「ともかく、だ。一つここは手を組もう」
「唐突ですね、ベルガー殿」
運ばれてきた紅茶を啜りつつ、未だに先程の奇怪な音が気になった二人だが、互いが信頼を置いている家臣を数人部屋に招きいれ、月が雲で陰る中、密談を始める。
「繁栄の姫さえ手に入れば、このような場所に用はない。ここは牙城だ、内部から幾らでも攻め落とせるだろう。城の見取り図は既に手に入れておいた」
「野心家のベルガー殿は、行動もお早いことで」
「つまらん皮肉はよい、トレベレス殿。確かにこの地は、土壌が豊かだ、農産物においては優秀な地。わざわざ繁栄の子を他国へ寄越し、破壊の子をこの地に留まらせる気など、もとよりここの者達にはないだろう。面倒なので、このまま戦争を仕掛け、妹姫のみ連れ帰ろうと思う。報復に備え、徹底的に国は潰すが」
トレベレスが不服そうに眉根を寄せたので、ベルガーは真顔で言葉を続ける。
「妹姫は平等に扱うこととする。何処かに幽閉し、互いの所有物としようと思う。それならばどちらの子を孕もうが、文句はなかろう?」
「それを聞いて安心いたしました、手柄を横取りされては骨折り損ですから。現在、我らは牙城の内部、状況把握も出来ている。オレとベルガー殿の精鋭兵ならば、やれないこともない、と。問題はトライが現時点でこの場に存在する、ということですけどね」
トレベレスが、悔しそうに唇を噛んだ。
「トライ王子か、武勇に優れた王子だと伺っている」
「オレと五分五分ですけど」
ベルガーが飄々と言うと、トレベレスが間入れず反発をした。
吹き出しそうになったが辛うじて堪えたベルガーは、苦笑を浮かべてどうにかやり過ごす。こちらも噂通りだ、“トレベレスはトライに対抗心を抱いている”と。それも、極めて粘着な。
「トレベレス殿とは懇意な仲なのだろう? 一定期間でよい、この城から離れさせてはくれまいか」
「懇意な間柄とは胸を張って言えませんけれど……。確実に邪魔ですからね」
思案していたトレベレスだが、不意に顔を上げると一人の家臣を手招きで呼びつけた。耳打ちすると、その家臣は幾度か頷き、一礼し部屋を出て行く。
視線で家臣を追っていたベルガーを一瞥したトレベレスの頬を、冷笑の影が掠める。
「トライの母上には、臥床についていただきましょう。万が一に備え、あの国にはオレの息がかかった者が数名待機しております。数日の時間は要しますが、偽の書簡をこさえて届けさせる間に、薬でも盛って書簡を本物にすれば良いのです」
「やれやれ、トライ殿も苦労しておられるようだな」
「アイツが片意地を張っているから、まぁこれは当然の報いということで。では、手筈を突き詰めておきましょうか?」
「ご協力に感謝致す。君が物分りの良い王子でよかったよ。しかし、頻繁に二人が共にいるところを見られては、後々面倒となる。我らは表向きには恋敵、今宵は解散し、明朝に続けるとしよう」
「そうですね。では、良い夜を」
型通りの挨拶を交し、トレベレスは部屋を出て行った。ドアの閉まる音を聴きながら、ベルガーは再び紅茶を啜る。
「折角辺鄙な場所まで来たのだから、愉しませて貰おう」
「良いのですか? 姫をあの若造と共有するなど」
「私は、破壊も繁栄も然程信じていない。だが、それに踊らされている者達を利用するのは、良い手だと判断したまで」
押し寄せた分厚い雲により、星の光はおろか月ですらも姿が見えない。蝋燭の火が妖しく揺らめく中で、ベルガーは軽く残忍な笑みを浮かべた。
「そういえば、女王の遺言では姉に手をかけるとその時点で災いが降りかかるのであったな? 余興にあの姉姫を殺めてみようか」
「お、おやめください、ベルガー様」
血相を変えて鋭い悲鳴に近い声を出した家臣に、苦笑いを向ける。ベルガーは冗談だ、と首を振り、焦燥感に駆られている彼らに肩を竦めた。安堵の溜息を漏らしている家臣達を見て、瞳を細める。余程、ここの亡き女王が怖いのだろう。死しても尚、威圧感を振り撒く女王とは一体何者だったのか。
ベルガーは、更に紅茶を所望した。この国の茶葉が合っている様で、毎日何杯も飲んでいる。ふくよかな味わいに酔いしれながら、一息つく。そうして、父の言葉を思い出していた。ラファーガ女王の絶大な魔力の話を聞いていなかったわけではない。物心つき、他国への侵略こそが自分の使命だと思い始めていた頃、父から口煩く教えられた。
『あの女は、魔女だ』
千里眼を持ち、女とて甘く見ると返り討ちに合う、と横暴な父が最も恐れていた人物だ。確かに、その魔女の娘らならば遺言通りの力を持ちえているのかもしれない。だが、ベルガーは実際に女王の力をこの目で見たわけではなく、信じ難い。野心家の父親が女王の話となると人が変わったように怯え出すところを見ると、確かに満更嘘でもなさそうだ。過去にこっぴどく振られたのではないか、とも思っていたが。
室内の観葉植物に目をやったベルガーは、静かに立ち上がると徐にその葉に触れてみる。
「姉の髪が、似たような色合いだったな」
小声でそう呟いた、触りながら静かに瞳を閉じる。目まぐるしく表情が変化する姉、アイラ。当初描いた人物とは、全く掛け離れた姫になった。おどおどしているだけかと思えば、大胆に発言もする。姫らしくなく乗馬を嗜み、剣も習い、しかして読書も好きだと。
トライと共にいた時に見せた純粋な笑顔が、ベルガーは気がかりだった。何故気になるのかは自分でも解らないが、視界に入れば目で姿を追っていた。“視界に入る”ということが何を指すのか、薄々感じていたが敢えて口にはしない。自分が無意識のうちに“目で探している”とは認めたくなかった。
「宝石やらを好む、女の欲の塊のような妹よりかは……確かに見ていて面白いかもしれないが」
緑の葉を見つめていると、胸が軽く痛んだ気がした。