深淵の邪美 ~ミシア・ドライ・レイジ~

文字数 11,120文字

 三人を見送ったアリナとサマルトは、軽く視線を交差させ踵を返した。
 こちらも時間がない。極力動き回るべきだろうが、何よりこの二人。

「……始める前から言うのもなんだけど、ボク達ってさ。こういうのに向いてないよねー」
「同意。とりあえず、クラフトから貰った置手紙通りにやってみるしかないな」
「どれどれ」

 そういうことだ、この二人が大人しく水面下で情報を収集するなど到底無理な注文である。
 人の流れに身を任せつつ、交互に紙を眺めてからがっくりと肩を落として武器屋の壁にもたれ掛かった。サマルトは嘆く。

「忘れてた、ここの惑星の字読めないんだった」
「そうだったね、読み上げると、こう」

 こめかみを押さえつつアリナは大声で読む、簡単なことだった、文字数は少ないのだから。

『大人しくしていて下さい。目立つと何が起こるか分からないので』

 そう書かれていた。
 どうしろというのだ、この一週間。
 唸る二人だったが、アリナが唾を吐き捨て、ようやく壁から離れた。
 慌ててサマルトも起き上がり、後を追う。

「牢獄にでも行ってみるか」
「ろ、牢獄?」
「あぁ、西の外れにどでかいのがあった筈だ。結構犯罪者が多いらしくてさ」
「物騒だなぁ」

 サマルトの発言に苦笑いし、アリナは露店で揚げた芋を二人分購入すると片方を手渡し、食べ歩きを始める。先程朝食をとったばかりなのだが、小腹が空いたらしい。

「これを食べて歩いてたほうが、観光客を装えるだろ?」

 自分の空腹を満たしつつ、尤もな理由をつけてあっけらかんと笑ったアリナに、サマルトは空笑いで返した。サマルトはまだ満腹状態で食べることが出来ない、正直、いらない。非難の視線を投げかけるも、アリナはお構いなしである。
 牢獄は、確かにこの街に存在している。重々しい金網で隔たれ、華やかな街とは一変した息苦しい雰囲気が漂う。その異様な雰囲気に、サマルトは固唾を飲んだ。
 しかし、入り口には門番の姿がない。普通は警備しているだろう。
 不審に思ったアリナは、入り口に手を触れてみた。簡単に、開いた。
 顔を見合わせ首を傾げながらも慎重に足を踏み入れる、半分ほど減った芋を強引に口に押し込む。飲み物を買っておけばよかったと後悔するが、遅い。もそもそと口を動かし、乾く口内で懸命に咀嚼する。

「いらっしゃいませー」
「い、いらっしゃいませ?」

 中は微妙に明るい、警戒していると、突如声をかけられた。入って数歩の所に『受付』と書かれた場所があり、手を差し出された。意味が分からず唖然としていると、紙を渡される。

「観覧料金ですよ」
「か、かんらん?」
「ひょっとして、ご存じではないのですか?」
「何を?」

 疑問符を頭に浮かべて呆けている二人に、受付嬢は語り出した。
 この牢獄、数ヶ月前に閉鎖されており、今では建物を取り壊す代わりに観光名所として金を貰っているのだそうだ。中には牢獄気分を味わうためにここで食事会を開いたりする金持ちも存在するとかで、最上階は大広間や宿泊施設もあるのだそう。
 口をだらしなく開いて突っ立っているアリナだが、観光客を装っているのだ、我に返ると丁度良いとばかりに金を払って見学することにした。

「案内人は如何されます? 別料金ですけど」
「……お願いします」

 にこやかに出てきた案内人に促され、二人は進む。予想外の事態である。

「こちら二階は、軽度の犯罪を犯した者が入れられていた牢屋になります。
 地下の牢屋が第一級犯罪を犯した者達が容れられる場所になりますね、脱獄出来ないように常に看守が張っておりました」
「はぁ」
「四階には軽食をとれる場所も御座います、是非昼食はそちらで! 牢獄弁当も販売しておりますよ」
「へぇ」

 絶対要らないっ、と二人は心中で叫んだが案内人は笑顔で二人を連れ回した。好き好んでここへ来る人の気が知れない。

「牢屋の中にも入れますよー、別料金で絵師を呼び、絵も残せますが」
「遠慮します」
「まぁまぁ、そう言わずに。せっかくなので牢屋の中にはどうぞ」
「ふぉ」

 無理矢理二人は牢屋に押し込まれた、簡素なベッドに用を足す為の穴、それだけしかない。一体何が楽しいのか。顔を見合わせて肩を落とす、何故こんなことになったのだろう。大人しく宿で寝ておくべきだった、と悪態ついても仕方がない。

「あのー、質問してもいーかな」

 アリナが苦し紛れに声を出す、笑顔で案内人は近寄ってきた。その笑顔が妙に怖い、指導されているのだろうが、作り物の笑顔が周囲の雰囲気も手伝って余計不安に思える。

「ここの人たち、何処へ行ったわけ? 犯罪者がいなくなったわけじゃないよねぇ?」

 アリナの最もな質問に、案内人は笑顔のまま、こう答えた。

「シポラへ行きましたよ。あそこの教祖様方は寛大でして、犯罪者こそ必要だと。自分の過去の過ちを認め、悔い改め世の為、人の為に働けるようにと、犯罪者達に機会を与えたのです」

 二人の顔色が一気に変わる、声を出そうとしたサマルトの足を思い切り踏みつけ、アリナは素知らぬ振りをした。
 前言撤回、情報に辿り着いたらしい。ここへ来たのは、無駄ではなかった。

「立派なんだねー、シポラのその……教祖様?」
「えぇ。他にも孤児や浮浪者を集めて行かれましたよ」

 二人は結局最上階まで案内してもらい、昼食をとるため四階へ下りる。結構人は来ているようで、中には例の牢獄弁当とやらに手を出している人物もいる。案内人が昼食を取るために関係者の部屋へ消えていったので、二人の険しい眉が少し解けた。始終気を張っていたが、何か口にせねばと思い食事に手を伸ばした。そこまで腹は減っていないが、溶け込むために食べる。いまいち味がわからないのは、先程衝撃的な言葉を聞いた為だろうか。
 トマトのひき肉パスタを二人で分けて食し、あとは濃い珈琲を啜る。周囲を伺いながら、顔を寄せて小声で会話をした。

「変だよな、ここ。シポラの教祖を大絶賛してたぞ」
「あぁ。始終笑顔だし、ひょっとしてここの運営資金とか売上金とか全部シポラ行きじゃね? ボクの憶測だけどね」
「なぁ。数日後、またここに来ないか? 案内人抜きで」

 サマルトの提案にアリナが深く頷く、二人の視線が鋭さを増した。折角牢屋の中にも入れるのだから、何か手がかりを探せるかもしれない。幸い二人は男女だ、恋人同士に見られているのかもしれないし、色々と好都合だった。
 昼食を終え、迎えに来た案内人は再び説明を開始した。この場所が建てられた経緯や、建設当時の様子をまるで見ていたかのように語る。ようやく出口へ向かう途中で、上の空で頷いていただけのアリナが質問した。

「シポラって、何する場所? よく知らないんだけど、人がそんなに必要なもんなの?」

 そ知らぬ振りをして、確信めいた質問だ。息を殺し、二人は返答を待つ。
 案内人は、笑顔で振り向く。清々しいまでの笑顔だ、やはり蝋人形のような“作り笑い”を浮かべているようにしか見えない。違和感があって当然だ、この表情しか見ていないのだから。

「世界を安息の地へ導くべく活動をしている宗教の教祖様方がいらっしゃる場所ですよ。神殿の設備を整えたり、教えを説いたりしています。また、地方への街道を皆で造ったりと」
「へぇー、団体名はなんてーの?」
「『火界の右目は』です」
「『ヒカイノミギメハ』?」
「えぇ」
「それ、どういう意味?」
「存じておりません。気になるのでしたら、現地で教祖様にご質問を。かなり深い意味があるそうですよ」

 ガイドの笑顔に釣られて笑顔になった、だが首を傾げる。「変な名前……」サマルトは無意識のうちにそう呟き、アリナに足を踏みつけられる。本日、二回目だ。
 気を取り直して次の質問である、質問する分には料金も発生しないし、訝しがられないだろう。
 恐らく、だが。

「教祖様“方”ってことは。教祖様は二人以上いるわけ?」
「えぇ、お二人ですよ。美男子ですねぇ、なので女性の入信者も多いそうですよ。実際、彼らの美貌に惹かれて入団する女性が後を絶たないとか。しかし、きっちりと教えを習って改心しているそうです」
「へぇえええー。参考になったよ、ありがと。是非一度見てみたいもんだね」
「一階の受付では、常時仮入団申し込みも可能ですよ」
「ほー、そりゃどーも」

 二人は軽く礼をして牢獄を後にした、早足でそこから立ち去り人混みへ紛れ込む。奇怪な場所だった、今頃になって異常な興奮が押し寄せてくる。相当危険な場所にいたのではないか、と冷や汗が吹き出す。

「なぁ、食事しちまったけど、毒とか混ざってないよな?」

 思い出して蒼褪めたサマルトだが、アリナはしかめっ面で重々しく口を開く。

「……念の為、宿で毒消しを飲もう。クラフトが調合したやつがあったはず」
「ヒ、ヒィ!」

 今すぐにでも毒気を飲んでしまいたい、そこらの露店で買おうとしたが、アリナに止められた。信頼のおけるものを口にするのが一番だ。
 駆け足の様な歩き方で宿へ戻る中、サマルトが周囲を軽く窺い、剣を触りながら小声で語る。

「なぁ、変だよな」

 追っ手が不安だった、怪しい二人組みだと目をつけられていなかったか、唇を噛み締める。迂闊に行動できない場所に思えた。いつになったら安んじることが出来るのか。
 宿ですら危険なのでは、と猜疑心が膨れ上がる。

「昨日教会で出会った女性は、あんな風に言ってなかった」
「その件は宿までもう口にするな、余計な気を張る事になる。……あ、その前に」

 周囲を見渡すとアリナが道を逸れて路地裏へと入っていく、慌ててサマルトはその後を追った。気まぐれなアリナの行動に、サマルトは右往左往しっぱなしである。

 ……この女、どういう風に育ってきたんだよ! 協調性がなさ過ぎるだろ!

 悪態をつくが、アリナは基本自由奔放である。そして、何も考えていないわけではない。
 そこはゴミが散乱しており、整備されている表通りと違って悪臭漂う汚れた場所だった。気にせず突き進むアリナの後ろを、顔を顰めつつ追う。汚物がいたるところに放置してある、不衛生な場所だ。
 蹲っている人間や、こちらを見て下卑た笑いをしている男達、建物の二階から大声で笑って身を乗り出している、裸同然の女達。
 嫌な汗をかき始めたサマルトがアリナの肩に手を掛けようとした、その足が停止する。

「自分の身は自分で守れよ」

 小声でアリナがそう告げる、瞳を丸くして前を見れば厳つい巨漢達が目の前に立ちふさがっていた。逃げようとするサマルトのマントをがっしりと掴み、アリナは楽しそうに男に話しかける。

「幾ら?」
「参加費は五十マリだ、どうする?」
「ん、了解」

 状況が飲み込めずに狼狽しているサマルトを後目に、アリナは屈伸を軽くして男達へと近づいた。指を鳴らし、瞳を燦然と輝かせる。
 歓声が上がった、見ればいつの間にか周囲を多数の人間が取り囲んでいるではないか。これは、掛け金有りの喧嘩だ。周囲からも金が飛び交い、ヤジを飛ばしながら大勢が賭けを開始していた。
 アリナの前には、大の男が二倍に膨れ上がったような体格の大男が立っている。
 転がっていた缶を誰かが棒で叩くと、カーン! と鈍い音が響き渡る。試合開始の音だ、男はアリナを瞳を細めて見ていたが、そのまま突進してきた。
 慌てず、アリナは動かずに男を待っている。周囲は落胆の声を上げた、恐怖で動けないと思ったのだろう、しかしそうではない。
 観客の視界からアリナが消え、盛大な音を立てて男が地面に倒れ込んだのは、ほんの数秒のこと。
 束の間の沈黙、それから地面が揺れるほどの騒音が上がった。もう何を言っているのか聞き取れない人々の声、罵声なのか歓声なのか、解らない。興奮状態で脚を踏み鳴らし、壁を殴っている者もいる。
 アリナは瞬時にしゃがみ、足払いをした後転倒する前に後方に回り込み、右足で背中に蹴りを食らわせ地面に叩き付けていた。
 目に見えた者は、多くはいない。
 満足そうにアリナは微笑み、金を受け取った。上機嫌で観客に拳を突き上げ、音頭までとっている。
 反して、サマルトは額の汗を拭い、大きな音を当てて唾を飲み込んだ。この場所は心臓に悪い、アリナが強いことは知っているが、周囲の雰囲気は圧倒的に敵に有利だ。ならず者達の結束力が高いのか、それとも本来はいかさまで余所者から金を巻き上げている者達なのか。
 アリナを応援するものなど誰もいないように思える、気弱な者ならば泣き出してしまいそうな雰囲気だ。一人勝ち抜いたものの、大人しく帰して貰えるのだろうか……サマルトは脈打つ心臓を必死で押さえつける。正直、魔物より怖いと思った。ジェノヴァでもアリナはこうして金を稼いでいたが、このように治安の悪い場所ではなかった。
 これでは、心臓が幾つあっても足りない。
 当然憤懣しているその者達に、あっけらかんとアリナは笑うと受け取った金をそのまま突き出して一言。悪戯っぽく目を開かせ、余裕の笑みで言い放つ。

「これ賭けて、もっかい挑戦」

 サマルトは、声にならぬ悲鳴をあげた。何故、挑発するのか。
 侮蔑的な態度に思えたのか、ざわめきと非難の声が上がり、いきり立って数人の男達がアリナを取り囲む。平然と腰に手をあて、アリナは鼻で笑った。

「何、四人がかりだって? ボクはそれでも構わないけれど、金額は四倍にしてくれよ」

 言うなり跳躍し、一人の男の頭部に蹴りを入れる。地面に舞い戻ると、次は外回し蹴りを別の男に喰らわせた。重心を上手く使い、腕に軸捻転を加えて三人目の男を殴りつけてから、男の突きを紙一重で避ける。突き出してきた腕を捕らえて捻り上げ、悲鳴を上げたところで背後に回り、片脇に頭を潜り込ませて相手の腰を両腕で抱え、後方へと反り投げた。ド派手な大技ばかりを駆使したのは、余裕だったからだ。
 その間、数分。
 乱れた髪を整えることなく、アリナはにこり、と微笑むと手を差し出す。

「はい、お金」

 無邪気な笑顔が逆に怖い、誰も反論も反撃も出来なかった。ただ、静まり返り金を集め始める。小柄な少女が軽々と数人がかりの男達を倒し、呼吸も乱れていない。弱っていたならば追撃したかったが、全く歯が立たない相手だと嫌でも悟る。  
 とりあえず四百マリという大金が手に入ったので、二人は上機嫌で宿に戻った。後方からの刺すような視線が痛いが、人だかりに紛れて姿を眩ませてしまえば安心だろう。

「ひやっとしたよ」
「あはは悪かったね、でもボクは無謀なことはしないよ。さぁて、軽く運動したから夕飯、夕飯!」

 どういう代謝なんだよ! と突っ込みをしたいサマルトだが、堪えた。口でも腕でも、アリナに勝てる気がしない。
 宿に戻り、汗を温泉で流すと待ちわびた夕飯だ。今日は白菜と牛肉の牛乳煮に、パンである。二人で今日の出来事と今後について話をするため部屋に行くが、サマルトが不意に首を傾げた。

「な、部屋って昨日と同じでいいんだよな?」

 部屋の入口に来たものの、そういえば鍵がない。アリナが手招きし隣の部屋を指したので、そこに入ると、二人の荷物が置かれていた。
 絶句し硬直するサマルトの傍らをすり抜け、アリナがベッドに倒れ込む。二人分の荷物とは、アリナとサマルトのものだ。
 嫌な予感がする、口籠りながら、サマルトは壁に背をつけて疑問を口にした。

「ま、まさか。一つの部屋で寝ないよな!?」
「へ? 寝るよー、金が勿体無いだろ」

 あっけらかんとしているアリナの声は、眠そうだ。もう舟を漕ぎ始めている、しかし、そうはいかない。

「お、お前は女だぞ!?」
「そうだよ、一応」
「と、年頃の娘だろう!?」
「何、サマルト王子君はボクを夜這いしてしまいそうだって?」

 抱腹絶倒、転がりながら涙を流すアリナに流石のサマルトも冷静さを取り戻した。徐に近寄ると、爆笑しているアリナの頭部の左右に手を沈めて圧し掛かる。
 唖然、とアリナが口を開いてサマルトを見た。
 赤面しながらも、真剣なサマルトである。
 婚約を済ませていない男女二人が密室にとどまるなど、あってはならないことだ。サマルトはそう習った。

「こういう可能性だって、あるだろっ。部屋を分け」

 言い終わらないうちに、にこりと微笑んだアリナは素早く拳をサマルトの腹部に叩き込んだ。

「ガッ!」
「うん、大丈夫。ボクのほーが強いから」

 痙攣し、身動きとれず硬直しているサマルトをひょい、っと退かしてアリナは柔軟体操を始め……悪びれた様子もなく片目を瞑る。
 サマルトに叩き込まれた拳は相当な破壊力があった、当分起きられないだろう。生死の境を彷徨っていたが、アリナは口笛とともに腹筋を始める。冗談と見せかけて、本気の一撃だった。
 回復魔法を使用し、無事生還を果たしたサマルトは、すごすごと隣のベッドに転がる。シーツに包まり、その中で悟られぬ様半べそをかく。あの一撃は、堪えた。人に殴られたことも初めてだが、魔物からの攻撃ですらあそこまで重く骨が軋んだものはなかった。

「あ、そーだ」

 アリナは悪びれた様子もなく起き上がると、肩を叩く。
 叩かれたサマルトの身体が跳ね上がった、先程の恐怖からだ。触れられることが、精神的外傷になりそうだった。恐ろしくて、歯が鳴る。

「ごめんごめん、もう何もしないよ。さて、明日からの予定だけどさ」
「あの施設へは三日後に行こう、明日は別の場所を散策な。おやすみ」

 余程堪えたのだろう、ぶっきらぼうにそう告げると、サマルトは眠りについた。
 声が震えていたので、アリナは肩を竦めて再度「ごめん」と謝罪する。しかし、最初に妙な事をしたのはサマルトだから、因果応報である。
 目が醒めてしまったアリナは買っておいたワインを取り出し、一人で呑み始めた。男に組み敷かれるのは大嫌いだ、女の子なら大歓迎だが。豪快にボトルから呑む、つまみはチーズの燻製である。一人でも十分に美味しい。外に出ようかとも思ったが、部屋で呑むのもまた楽しいものだ。
 芋虫のようにシーツの中で丸まっているサマルトを見つめながら、アリナは眉間に皺を寄せる。
 いつ。
 いつ、ミシアの事を話すべきか、と。
 今日話したかったが、これでは聞いてもらえそうにない。アリナは軽く頭をかきながら、ワインを一本空にした。

 その後二人は毎日情報収集に勤しんだが、これといって目立ったものはなかった。
 三日後に訪れたあの牢獄では、再度目を光らせたが、特にこれといって何も見つからず骨折り損だと嘆く。目に触れるところに手がかりがあるわけがない、と苦笑し、前向きに考えることにした。
 軽食は止め、互いに再び珈琲を飲む。その後に持参した毒消し効果のある薬草も齧った。
 ただ。
 最後に足を運んだ地下の牢屋にて、サマルトが文字を見つけた。それは、誰かに見つけて欲しいような、そんな思いが籠められている気がした。しかし、人目に触れてはならない気もした。
 偶然だった、茶として煎じて飲めば香ばしいが、炙った草を咀嚼し飲み込む事に慣れていなかったサマルトは、延々と口内で草を噛んでいた。アリナなど、とっくに飲み込んでしまったというのに。
 繊維が残って、どうしても飲み込めずずっと口内に残っていた。もう棄てたい、とゴミ箱がないか部屋を見渡していた時に、文字らしきものを見つけた。文字が読めないサマルトは、当然アリナを呼ぶ。壁の模様にしては不自然だった、しかし、そこまで重要だと思っていなかった。そこは、ベッドで隠されているような、普通ならば見えぬ場所。

「帰ろう、サマルト」

 指された箇所を見た瞬間に、急に表情を強張らせ腕を掴んできたアリナに、ことの重大さを感じた。唇を噛み締め、顔つきが変わっている。
 固唾を飲み込み宿に早足で帰宅すると、何時もの部屋で二人は身を寄せ合う。誰かに聞かれているとは思えないが、念の為だ。

「破壊の姫君、麗しの女神、降臨し世界を導きたまえ。腐敗した世界に、制裁を。おぉ、破壊の姫君よ、愛する女神よ。シポラに降臨されよ」

 アリナはぼそ、っと記憶を辿って読み上げた。
 サマルトは唇を噛み締める、ジェノヴァで得た情報と一致した。
 これでシポラには教祖が二人以上存在し、崇めているのが破壊の姫君である、ということが把握出来た。真実は、今シポラに向かっている三人から聞くことが出来るだろう。

「無事だといいんだけど」

 嫌な予感に、二人は顔を見合わせる。
 いてもたってもいられず、サマルトは部屋をうろつく。

「な、なぁ。予定より早いけど出立しないか?」
「……どうすべきか」

 アリナは、気が気ではないサマルトを睨みつけるように見つめる。この機に“ミシア”について語ろうと、徐に口を開いた。
 思案しているサマルトにこれ以上問題を投げかけるのも気が引けるが、聞いて貰いたい。

「あの、さ」
「ん?」
「ミシアのこと、どー思う?」
「へ?」

 意表をついたアリナの言葉に、拍子抜けしたサマルトは身体の緊張から解放された。赤面し、何故か俯く。思い出すようにうっとりと、天井を見上げる。
 確実に、アリナの意図とは別の方向へ向かってしまった。

「綺麗な人だよね、なんていうかこう、異国風味満載の。知的だし、お姉さまって感じがする」
「違う違う、そうでないっつーの。顔は綺麗だけどさ、なんか……感じない?」
「均整がとれた身体つきも良いよな、胸は大きいのに腰なんてシュッとして細い。でも、奥ゆかしい色っぽさがあるよね。あぁいう人、好きだなぁ。マダーニより好み、でもアサギが一番好き」
「殺すぞ、コラ。不貞な輩め」

 話が全く噛み合わない、アリナは大袈裟に溜息を吐き憮然としてベッドに転がる。

 ……こいつは駄目だ。

 後ろで言い訳をしているサマルトに興味を持たず、不審なミシアの話も出来ないまま、結局出発の日を迎えることになった。
 全くミシアを疑っていないサマルトに話をしても、混乱させるのは明らか。それどころかこちらに疑惑の目を向けられそうだった、好印象しかミシアに抱いていないのだから。不気味さなど微塵も感じていないのだろう。
 また、サマルトは嘘偽りが苦手だと判断した。よく言えば素直。話をした後ミシアに直面した際、挙動不審になることを恐れ、告げることが出来なかった。
 二人は気を引き締め、シポラへと向かう。
 アリナが稼いだ金で馬を二頭借り、地図を片手に旅立つ。行く先の空は、暗く。暗雲立ち込め、不気味だった。嫌な予感しかしない、流石にアリナの表情から笑みが消える。

「あそこは常に雲で覆われてるな」

 緊張をはらんだ声が、重く圧し掛かる。

 一方、シポラを目指していた三人は途中で後ろから来た貨物に乗せてもらい、順調に進んでいた。
 魔物の攻撃にも、三人で耐えられた。二人の魔法が高度でもあるし、何よりダイキの腕が甲板で格段に上がっていた。
 シポラ付近で下車し、お礼を告げると鬱蒼とした森の中に佇んでいる巨大な構造物に近寄る。非常に大きな建物だが、未だ完成はしていないようだった。足場が見えるので、増設しているのだろう。しかし、人影はなく静まり返っている。
 三人は注意深く周囲を探った、何処からか侵入できないかと思ったのだ。
 二本の高い塔、その頂上に“光り輝く何かがいる”事を把握しながら、それに気づかれないようにする。

「サンダーバード、ですね」

 クラフトが密やかに告げ、表情を曇らせる。厄介なものなのだろうと、ダイキは大きく息を吸い込んだ。

「シポラへ旅立った少年達は、普通にあの大きな門から入っていったんですよね」
「でしょうね。見張りがいるように思えませんが、内側からでないと開かない気がします」

 大きな門が一つだけ存在している、そこが出入り口だろう。外壁は頑丈ではなさそうだが、高く入り込む隙はない。
 しかし、罠か、それとも偶然か。
 抜け穴らしき洞窟を、森の中の離れた場所で見つけた。三人は意を決してそこへ飛び込んだ、指を咥えて待っていては何も始まらない。飛び込んだ先は薄暗い小部屋で、何やら多種多様の道具が置いてある。単に物置小屋なのかとも思ったが、先へ続くドアが不気味に佇んでいたので武器を構える。
 逸る胸の鼓動を出来るだけ落ち着かせながら、クラフトがドアを開いた。緊張が高まる、静まり返っているが空気が流れてきた。極度の緊張から、ダイキは吐き気を憶えていた。
 道が、続いていた。気配がないことを確かめ、そこを通る。
 時折、上から砂が落ちてくる、声も振ってくる。上には人がいるらしい、どうも建物の真下を通過しているようだ。
 道は終点が階段だった、これで城の内部に入り込めるのだろう。
 隠し通路にしては手薄な気がするが、これは周到な罠か。

「どう思います?」
「一度、戻りましょうか? 二人と合流します?」
「危なくなったら今の道を引き返そう、あと少し、先へ」

 ダイキの堂々とした声に二人は頷き、そのドアに触れた。僅かに開いて様子を窺い、人気がないことを確認して音をたてないように開く。
 廊下だ、赤色の絨毯が敷いてある綺麗な場所だった。しかしここにいては目立つだろう、三人は近場の新たなドアを微かに開き、そこへと潜り込む。
 台所だろうか、食材やら調理器具が所狭しと並んでいた。誰も居ないので隠れ場所を探しながら、とりあえずその場で待機することにした。
 やがて数分待てば二人の男が入ってきたので、背後から捕らえ、口に布を突っ込み縄で縛り上げると衣服を脱がせる。それをダイキとクラフトが着用し、散策に出向く。
 ミシアはそこに残り、捕まえた二人を見張る事になった。
 クラフトにとっては、断腸の思いだった。しかし、ダイキと二人きりにするほうが不安である。

「気を付けて……」
「えぇ、ご安心くださいませ」

 にこりと微笑むミシアを、ダイキも心底心配していた。しかし、クラフトの悩みの種はダイキとは異なる。
 二人を見送ったミシアは、台所を物色し食べ物を探す。二人の為に何かこさえようとも思ったが、ワインを見つけたので拝借した。酷く喉が渇いていた、毒など入っていないだろうからと手当たり次第に飲む。幾分か落ち着くと腹も減ってきたので、すぐに口に出来るものはないかと、戸棚を開いた。

「ワイン、お好きでしたか」

 気配もなく後方に現れた男に、悲鳴を上げそうになった。振り返り、強張った表情で男を見やる。弓矢はいまさら構えてもどうにもならない、魔法の詠唱も不利、ならばこれしかない、と懐の短剣を抜き放つ。
 若い、魔族だった。薄桃の髪に、あどけない笑顔。なかなかの美男子である、思わずほぅ、と歓喜の溜息を零したが慌てて目を釣り上がらせる。
 が、眼前の魔族は、恭しく頭を垂れてこう告げた。

「ようこそ、我らが破壊の姫君様。お待ちしておりましたよ」
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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