外伝4『月影の晩に』20:参謀であり親友の老婆
文字数 2,706文字
「あぁ、姫様……」
老人特有の錆びたような声を出し、彼女はアイラを抱き締めた。
白髪の老婆について、騎士らは知らなかった。しかし、聞いてしまえば名前だけならば知っている。
それは、前女王の親友であり宰相であるクーリヤだった。姫達の無事な姿を確認すると、緊張の糸が切れて床に倒れ込み、歓喜の涙を流しながら嗚咽する。
「よく、よくぞ御無事で! 信じておりましたよ、姫様は何処かに隠れていると」
「怪我はありませんか、クーリヤ! あぁ、よかった……。知恵者の貴女が居れば、もう安心ですね」
女官エレナもようやく正気に戻った、クーリヤの姿を瞳に入れた瞬間に一瞬大きく瞳を見開き信じられない、と首を振ったものの、安堵から腰を抜かして座り込んだ。
現在、表舞台ではほとんど姿を見せていなかったものの、幼い姫に代わり裏で国内を統治していたのはクーリヤである。この城内で最も権力を持っている者、と言っても過言ではない。
そして、ベルガーが捜していた最後の一人である“双子が産まれた際に立ち合っていた”人物である。
「こちらは危険です、別の場所から移動しましょう」
老体とは思えぬ機敏さで動いたクーリヤは、マローが座っていたソファへ近寄ると、トモハラとマローをそこから離れさせた。察したアイラがそれに手を添え、力を籠める。動いたソファの下から、新たな隠し階段が出現する。皆は息を飲みその様子を窺っていたが、アイラは存在を知っていたので驚きもせずに神妙に頷いた。
「行きましょう! クーリヤが居てくれるのならば、これ以上に心強い事などありません」
クーリヤの出現で皆、希望を見出した。大人しくアイラの言葉に従い、そっと階段を下りていく。狭いのでマローもトモハラの背から降り、アイラと手を繋いで自分の脚で歩いた。時折、壁の向こうから敵兵と思われる声が聴こえてくるが、悲鳴を上げぬように息を押し殺す。
どのくらい歩いただろうか、すでに半日は歩いている様な錯覚を起こしていた。多少広まった通路に出たので、皆は久々に腕や身体を大きく伸ばし、額の汗を拭った。
「アイラ姫様、相談があります」
「どうしました、クーリヤ」
「二手に分かれましょう、そのほうが速く進めます」
「え?」
意外なクーリヤの提案にアイラは首を傾げた、確かに少人数のほうが行動は楽だが、どうにも腑に落ちない。
「ですが、クーリヤ」
「この場所、お分かりですね? ここからならば何処へでも移動できます。落ち合う場所を決め、逃げましょう。撹乱の為、アイラ様、マロー様は別行動といたします」
「えぇ!?」
今マローと離れるわけにはいかない、と反論しようとしたが、アイラよりも先にマローが鋭い悲鳴を上げる。
「あたしは、嫌っ! あ、あたしは姉様と一緒じゃなきゃ、嫌! 絶対に嫌よ!」
「落ち着いて、マロー。静かに……。クーリヤ、私もマローと離れたくありません」
「ですが姫様が二人で行動していては、大変危険で御座います」
「しかし」
ぎゅぅ、と腕を掴んでいるマローを怯懦の瞳で見下ろしたアイラは、決断出来ずにいた。皆で逃げたほうが、心強い。しかしながら、機敏性をとるならば少人数だということも解っている。一刻の猶予もない、アイラは腹を据えて反論した。
「でも、二人で安全な道を考えれば……皆で逃げられるはずです。一緒に行きましょう」
「いいえ」
ぴしゃり、と老婆とは思えぬ声でクーリヤは断固否定した。
エレナ及びマロー付きの騎士二人は、クーリヤに賛成な様子でアイラを睨み付けている。
つまり、こういうことなのだろう。髪の色を隠している為どちらか一見分からぬ双子姫である、本命のマローを逃がし、アイラには囮になってもらう。そういう算段なのだと、ミノリとキルフェは覚悟を決めた。確実に意見は押し切られるだろうから、自分達は囮のアイラ姫と共に居るつもりで腹を括る。
「大丈夫です、アイラ姫。必ず御守りしますから、ここは一度別れましょう」
「ミノリまで、そのような事を……」
寂しそうに瞳を伏せたアイラを見て、ミノリは胸が痛んだ。だが、皆が助かる方法を選択し続けなければいけない。いや。多くの者はアイラの身の上を案じてはいない。ならば、自分達騎士がアイラを護り抜くしかないのだと覚悟を決めたのだ。
決断を迫られたアイラだが、震えるマローと離れることなど、とても出来ない。
「従いなさいませ、アイラ様。最高権力者はクーリヤ様です」
エレナの妙に勝ち誇った口調にカチン、ときたミノリだったが言い争う余裕などない。
諦めかけたアイラが、マローを説得しようとした時だった。
「居たぞー! 姫と残党だー!」
壁の向こうで爆音が聞こえた、衝撃に皆は瞳を瞑ってしまい、慌てて煙立つ中で仲間を捜す。
「アイラ様!」
「マロー様!」
むせながらも、マローの手を離さなかったアイラは傍にある温もりに胸を撫で下ろした。どうやら声から察するに、トモハラもミノリも近くに居るようだった。
「何故、何故こんなにも早くここが解ったのでしょうっ!?」
新たな逃げ道を脳内に描き、マローの腕を引っ張り上げて駆け出した。破壊された壁から、数人の敵兵が身を乗り出しているのが見える。悲鳴ではなく、喉から得体の知れない体液が溢れそうになる。
「こちらへ、アイラ様!」
急に腕を引っ張られた、見ればクーリヤだ。いつの間にか床の隠し部屋へ入り込んでいる。しかし、その場所へ逃げる事などアイラには出来ない。二人が限度の狭すぎる避難所というより物置部屋だ。
「早くこちらへ!」
「でも、そこには二人程しか身を潜められませんっ」
「いいから早く!」
「いいえ、そこには行きません!」
「アイラ様! 良いから貴女様だけこちらに! アイラ様! アイラ姫様!」
クーリヤの手を死に物狂いで振り払い、アイラは新たな道へと駆け出した。
「アイラ!? アイラ姫様!?」
クーリヤの叫びも虚しく、アイラとマローの姿は煙の中へと消えていく。エレナの耳を劈くような悲鳴が響き渡った、ついで騎士の断末魔がそれに重なる。クーリヤは祈りながら、静かに身を潜めた。小さな隠し部屋の上を、荒々しい足音が通り過ぎていく。こうなった以上、天祐に祈るより他なかった。
「神よ、そして女王よ。どうかあの子を……アイラ姫を御守りください。御慈悲を、御加護を!」