光に潜むモノ
文字数 5,481文字
「クッ……」
自分の心の狭さに落胆し、溜息を零した。
申し訳なさそうにアサギは二人に近づくと、やんわりと腕に触れる。
「大丈夫です、『戻りたい』と念じればいつでも竜の姿に戻れます。今後は、杖の必要はありません。クレシダ、デズデモーナの意志で姿を変えることが可能です」
杖でアサギが念じなければ変化出来ないと思っていた二人は、驚いて目を丸くした。どういう理屈なのか解らないが、クレシダは両手を握り締め、開き、見慣れない指を見つめる。
「ということは、念じなければ以後人間に変わることはないと。助かります、私にも理解出来てよかった。てっきり、強制的に変化させられるものだとばかり」
淡々と告げたクレシダに、アサギはぎこちなく微笑む。
「今は嫌かもしれませんが、そのうち慣れますよ。それに人間の姿だと、トビィお兄様と何処にでも行けますから、きっと嬉しいと思います。そう、竜では降りられないような
言われた瞬間、クレシダの表情が引き攣った。
その様子に、アサギが浮かべていた笑みが消える。瞳を細め、難しい顔をしているクレシダを真正面から見据えた。
そんなアサギから逃れるべく、クレシダはぎこちなく視線を外す。しかし、大人しく首を縦に振って了承した。
言われたことに、一理ある。
クレシダは、数ヶ月前を思い出していた。自分たちと離れ、森へ入っていたトビィの後ろ姿が蘇る。あの時、酷く胸騒ぎがして『嫌な予感がする』と止めた。だが余裕の笑みを残して飄々と去っていき、結果、行方知れずとなった。
どうにか再会出来たが、あの時の不安と疑惧を二度と味わいたくない。そう考えると、自分が人間になったほうがまだ心身ともに楽だと思えた。クレシダは、歯が欠けるほど歯軋りした。これでは、アサギの思惑通り。全てを見透かされている気がする、出会って間もないというのに。こちらの心情を把握し、理解している。
「畏まりました。……御意に」
深く頭を垂れたクレシダの隣で、デズデモーナは嬉しそうに微笑んでいる。浮足立つ黒竜を横目で見て、嘆かわしいとばかりに大きく肩で息をした。出会った時はトビィ以外の人間に心を許さない雰囲気だったが、三体の竜で最も人間に馴染んでいる気がする。
意外だった、黒竜は常に単独行動を好む種族だと聞いていたからだ。ところが、主であるトビィよりもアサギに心が傾いている気がして仕方がない。それは契約違反ではないだろうか、とクレシダは懸念した。
デズデモーナは、何故ここまでアサギに肩入れするのか。
勇者、という人間を初めて見たが、それだけではない。クレシダには、ずっと何かが引っかかっていた。別の要因があると睨んでいる。でなければデズデモーナが懐く筈がない、いや、同じ竜族として懐いて欲しくはない。
『……名前は、クレシダ。あそこにいる主と共に暮らしているものです』
『主? だあれ?』
出会った時を思い出し、無表情でアサギを見つめていたが違和感を感じて息を飲んだ。通常無表情で感情を表に出さないクレシダが、大きく瞳を開く。
「違う、そんな出会い方はしていない」
茫然と言葉を漏らした。
魔界イヴァンで初めてアサギと出会った筈だ、トビィが魔王に斬りかかった時である。しかし今、鮮明に思い出した光景は自分の身体を撫でながら微笑むアサギの姿だった。
まったく違うのに、
「馬鹿な」
クレシダは目眩を覚え、額を押さえる。目の奥が激しく痛む気がした。
異変に気づき慌てて駆け寄ったアサギは、その背を支える。
瞬間、再び
木の根元で眠っているトビィを、確かに二人揃って見た。
「あぁ、これは過去の記憶か」
そう虚ろに呟いたものの、そんな過去はあっただろうか。
「気分が悪いですか、少し腰を下ろして……」
「お、お構いなく」
不安そうに覗き込んだアサギの瞳を、凝視する。そこには、人の形をしている自分が映っていた。知らない男、竜ではない何か。クレシダは吐き気を覚えた。自分ではない自分がここにいて、気味が悪い。
アサギは念の為、治癒の魔法を唱えた。慣れない身体で精神に負荷がかかっているのだろう、と思ったのだ。
そうではない、クレシダは単純に恐れている。開いてはならぬ扉から見えた、
「ありがとう、ございます」
俯いたクレシダは、言われるがままに腰を下ろして蹲る。難しい事を考えたくなかったので、眠ることにした。膝と抱えて、瞳を閉じる。
「それにしても、謎の球体は何処へ? 消えたという事は、移動したということ。突然街の上空に出現したら、危険です」
アサギの表情は強張り、一刻も早く手を打たねばと瞳に決意が宿る。
「クレロに洞窟を離れてからの記録を、視てもらうことになっている。しかし、所詮は後手。洞窟を見張っておくべきだったな」
「確かに、この周辺には何も感じませんね……。あの村と同じで、もう役目を果たしたような」
困惑していた二人だが、ふと、トビィは思い立ったように口を開いた。
「今後の指示はライアンたちが確認している。この機にナスタチューム達のところへ行くか?」
「そうですね、この間途中でしたし」
トビィの提案に、アサギは嬉しそうに頷いた。
「クレシダ、行けるか?」
「はぁ、まあ。気分はそこそこ……」
言いつつも不機嫌そうなクレシダに、トビィは肩を竦める。
しかし、今は人型。このままでは背に乗せられない。
「なら善は急げだ。デズ、クレシダ。竜に戻ってくれ」
そう簡単に言われても、当惑する。念じるだけと言われても、そうも簡単に人間から竜へと変貌出来るものなのだろうか。
「やってはみますが……」
不安そうにデズデモーナがアサギを見つめ、訴える。
「初めてですし、杖で戻しましょうか。でも、練習しておいたほうが今後楽かも」
アサギがやんわりと告げると、二人は顔を見合わせ当惑する。
「やってみます」
意を決し、二人は離れた。この至近距離で互いに竜になろうものならば、確実にぶつかる。
慌てている相棒らの姿を見るのは新鮮で楽しく、トビィはアサギの肩を抱き寄せる。こうしていられる時間が永遠に続けばよいのに、と心底思った。
しかし、まるで見計らったように突如クレロの声が脳内に響く。
『戻ってきて欲しい! 何かがおかしい』
毎回よい雰囲気で邪魔をするクレロに、トビィはいい加減腹が立って青筋を浮かべた。
鱗の様に浮かぶ雲が、不気味に空を覆い尽くしていた。太陽の光がところどころから地上に差し込むが、妙に禍々しい雰囲気を醸し出している。
生暖かい風が頬を撫で、何処からか流れて来た死臭が鼻先をくすぐる。
ミシアは天界で仲間達と離れ、人間の街に佇んでいた。小高い丘に、潮風が届く。海は大きくうねり、全てを飲み込むかのような高波だ。こんな時でも、散歩をしている人々がいた。大概は離れたくない恋人同士か、犬の散歩。物好きなものだと、一瞥する。
ここは、最大都市ジェノヴァ。
人間の出入りが激しく商業や貿易が盛んで、常に活気づいている。皆が安心して住めるように整えられている警備は万全と思われがちだが、実は甘い。
「破壊の姫君、ミシア様」
海から来た亡霊の泣声に似た忌まわしい風が吹くと、小高い丘に顔が整った若い男が二人現れた。ミシアの前に跪くと、恭しく靴に口付ける。
恍惚の笑みを浮かべて舌なめずりしながらも、ミシアは身を捩って眉間に皺を寄せた。
「駄目よ、そんな行動は人目につく。顔を上げて私の隣へ」
「恐れ多い……」
「構わないわ。ほら、あの長椅子に座ってお話しましょ」
優雅に微笑むと、ミシアは二人を誘った。
彼らは戸惑いながらも、一礼をして寄り添うように腰を下ろす。
ミシアはおもむろに取り出した水晶を膝に置き、周囲にはあたかも占いをしているように見せかけた。恋に悩む青年は、藁をも掴む思いで美貌の占い師に相談に来た。そんな芝居を演じる。心得た青年は、何も映っていない水晶を覗き込むような振りをする。
物分りがよい青年二人にミシアは満足して頷くが、すぐに顔色を変える。背中の奥からブワッと空気が盛り上がってきたような、黒い布が被さってきたような雰囲気を見せた。
「一体、何が起きているの? 私も出向いたけれど、不可解な魔物が出没してるでしょう? あれは貴方達の仕業よね、アイとタイは何を企んでいるのかしら。私には聞く権利があるわよね」
小声だが冷徹なそれは、怒号に匹敵する様だ。けれども、青年達は臆することなく口を開く。
風が止まる。潮の香りが掻き消え、血生臭い空気がミシアの周囲を取り囲んだ。
「破壊の姫君に相応しい生贄を探しております」
「生贄?」
眉を顰めたミシアに深く頷くと、二人は揃って口を開く。
「ミシア様が正式に破壊の姫君として降臨する際には、美しい処女たちの首を一斉に斬り落とし、そこから吹き出た血で沐浴をされますようにと。大勢の生贄を集める為に、アイ様とタイ様は様々な土地に罠を張り巡らせていらっしゃいます」
想像してみたが、おそらくは盛大な儀式なのだろう。それが自分の為に用意されることは嬉しいが、ミシアは軽く首を傾げる。幾つか引っかかった、素直に喜ぶことが出来ない。
「私は美しいわよね? 私より劣る女達の血を浴びて、どうにかなると思えないのだけれど。すでに美の結晶でしょう? どうしても必要なこと?」
いけしゃあしゃあと言いながら、可愛らしく反対側に首を傾ける。
「私の為の祀り事ならば、美形の男達を大勢届けていただけた方が嬉しいのだけれど。殺すなんて馬鹿な真似はしないわよ、生贄が必要ならば別に用意するとして、供物として工面出来ないの?」
あまりにも図々しい発言に、沈黙が訪れる。
冗談ではなく、ミシアは本気で言っていた。二人が何と言うのか、早く知りたかった。独断では決められない事など解っている、しかしそれ相応の応対くらいは出来るだろうと望んでいた。『確かにそうですよね、目が潰れる程眩く神々しいお方に、下卑た女共の血を浴びせるだなんて無礼ですよね。承知しました、伝えます』等。
待ち侘びたミシアは、彼らの顔を交互に覗き込む。早く言葉を発しろと、唇の隙間から舌を覗かせた。
二人の視線は、地面の遥か地下を見つめているように虚無でどんよりと濁っている。
偶然通りかかった恋人達は、その様子を見て『占い師に真実を的中されて動揺している』青年達だと思い、不審に思うことなく通り過ぎた。
ぼそり、と青年は口を開いた。覇気はないが、聞き取り難いわけではない。
「美形の男達も勿論取り揃えていると聞いております。女性の信者が少ないので贄を集めておられるようですが、不服でしたら伝えておきます」
数分の沈黙後、ミシアは髪に触れながらゆるりと口角を上げた。
「うーん、女が減るなら私の損にはならないわよね、それで進めて頂戴。それで、奇っ怪な魔物達は私に危険が及ばないようになっているのでしょうね? 見境なく襲っていたりするわけ?」
頻繁に出没している魔物には、ミシアも洞窟の奥で出くわした。宙に浮く球体は、耳障りな不快音と共に魔物を出現させる厄介な物体である。ライアンたちには当然の事、天界人はおろか神すらも把握出来ていない魔物。
自然に生まれたものとは考え難く、人の手が加えられていることは明らか。となると、思いつく団体は邪教しかない。ミシアは黒幕が誰か早々に気づいていたが、そ知らぬふりをしている。
「勿論、ミシア様には指一本触れないようになっております」
球体に指などなかった、と言おうとしてミシアは口を噤む。被害が来ないのならばそれで良い、返答に十分満足した。ひらひらと手を振りながら、話題を戻す。
「私はいつ破壊の姫君として君臨するのかしら? 時期は決まっているの?」
「アイ様、タイ様によりますと、神を封じてからになると。実力だけなら神など赤子のようなもの、ですが、注意すべき点は千里眼です。神は地上の様子を窺うことが出来ると聞いております、邪魔が入らないようにするためにも、今しばらくお待ちくださいませ」
すぅ、とミシアの瞳が細くなる。
「……そう」
小さく頷き、訝しむ。妙に神について詳しい、憶測ではなく言いきった為不審に思った。ミシアは水晶に触れていた指を軽く動かしたが、表情は変えない。
「楽しみにしているわ。連絡を待ちながら、普段通り過ごせば良いのね?」
「はい。何かありましたら、またこちらでお会い致しましょう」
深く一礼し、恭しく手の甲に口付けると青年たちは去っていく。
ミシアは一人風に当たり、腰掛けたままだった。膝の上の水晶は、雲から顔を出した太陽の鈍い光を浴びている。水晶に、アサギを、マダーニを、そしてアリナを映し出す。
「いつ殺そうか。生贄として首を斬り落としてもよいけれど、醜い女の血では私の灼熱の太陽のように眩い美しさを際立たせられるかが疑問よね。各地の魔物達がとっとと皆殺しにしてくれればよいのに、っていうか、女は別に不要なのよ。この世界に私が一人いれば済むことよね」
目障りな女は、全員消えてしまえばいいのに。
喉の奥で愉快そうに笑うと、最後に水晶にトビィを映し出す。恍惚の笑みを浮かべて赤子をいつくしむ様に水晶を持ち上げ、そっと口づけた。舌を這わせると、頬が紅潮する。
粘着音が丘に響く。