外伝7『埋もれた伝承』8:野営

文字数 5,359文字

 信望を集めるトロワが村の掟を破るなど、誰が思ったろう。 

「アミィに贈った花には、眠り粉と痺れ粉を付着させておいた」

 ぽつり、とトロワが話し出す。まるで大昔のような昨晩の話を、物語でも聞かせるように。
 アミィの身体の自由を奪った後、一旦寝台に寝かせた。何食わぬ顔で自宅に帰り、「クレシダの世話をする」と家族に印象付ける。
 馬小屋で普段通り飼葉を食べていたクレシダを離すと、主人の意図を汲み取った利口な馬は静かに村を徘徊した。
 村人は不思議に思い馬を見ていたが、藁を抱えたトロワを見かけ、掃除の最中に散歩をしているのだろうと解釈した。
 準備を整えたトロワとクレシダがアミィの家に到着した時には、すでに周囲は暗闇に支配されていた。瞳が閃光を放つほどに。人影はない、皆はすでに家屋だ。
 自分の行動を見ているのは、夜空に浮かぶ星々だけ。普段は無限にあるその光だが、分厚い雲に覆われて今宵は頼りない。トロワの背中を押すように、見て見ぬフリをしているように思えた。
 神を裏切るのに、“神が味方してくれる”などと思った自分を嘲笑う。
 静かに家に入り、アミィを布で包んでから藁で隠しクレシダに乗せる。寝台には、束ねた藁を寝かせてそれらしく整えた。
 そのまま馬小屋にクレシダを入れ、眠っているアミィを不安げに見る。藁とクレシダの体温で寒くはないはずだが、少しの辛抱だと唇を噛んだ。
 家に戻り小腹が空いたことを伝えると、母が干し芋を用意してくれた。食べるフリをして、今後の為にくすねた。
 翌日の夜這いを控え、浮かれているトリュフェを見たのはこれが最後だ。
 クレシダが妙に興奮しているから様子を見に行くかもしれないと伝えておき、寝静まった家族を見届け家を出る。
 こうして陽が昇る前に、アミィを連れて村を出た。
 小さい村なので、すぐに白日の下に曝されるのは分かっている。皆が寝静まっている時に行動し、逃げねばならない。

「アミィ。伴侶にオレを選べとは言わない。ただ、村の理不尽な掟をよく考えろ」

 静かに話を聞いていたアミィだが、戸惑いの色を瞳に浮かべた。そう言われても、もうトロワしかいないのではないか思ってしまう。二度と村に戻れないとしたら、選択の余地はない。知らない土地で、一人で生きていく自信もない。
 無言のアミィに、トロワは小さく嘆息した。ここまできたら、後には引けない。無理強いをしていることは解っていたが、突き進むより道はない。

 逞しい胸に抱かれ、アミィは太陽が沈むのを見ていた。
 日没だ。
 本当ならば、禊ぎを終え、トリュフェを待つ時間帯である。意識が水に漂っているようで、あやふやになっている。これは、夢のようで夢ではない。
 ただ、アミィも考えてはいた。なんとしてでも村に帰るべきなのか。それとも、このままトロワについていくべきなのか。
 だが、考えたところで結論は出なかった。
 村に戻った場合、掟を破ったことにより罰せられるだろう。自分は構わないが、首謀者のトロワはどうなることか。恐ろしい事が脳裏を過り、そんなことは望んでいないと頭を振る。
 追手が来て連れ戻されることになったら、トロワを逃がそうと決意した。器用で賢い彼ならば、何処でも生きているはずだ。
 このまま二人であてもなく放浪し、村に戻れなかった場合。アミィは混乱して低く呻く。村に降りかかるであろう災いを見て見ぬふりなど出来ないが、何よりトリュフェに二度と会えないのが辛かった。
 昨日、朗らかに微笑んでいた彼の表情が浮かんだままで、知らず涙が零れる。
 
 ……トリュフェ。
 
 アミィは愛しい男の名を心中で呼んだ。
 淡い恋心を抱いている相手は、トロワの双子の兄。

 ……私は、軽薄な人間だった。

 村の皆の行く末より、ただ彼と対話出来ない事が辛い。それに気づいてしまい、自責の念に駆られる。ただ、どうしても胸が締め付けられ、堪えているのに嗚咽が漏れる。今頃、彼はどうしているだろう。
 そんな様子をトロワが上から見ていたことを、アミィは知らなかった。その顔には、濃い不安の色を浮かべている。

「何処まで行くの?」
「分からない。だが、浅くても交流がある近隣の村は駄目だ。出来るだけ遠くへ」

 黄昏は、幕が下りるように夜に変わった。
 野宿の準備をする為、場所を探す。小川のほとりの狭い場所を選ぶと、落ちていた柴木を四隅に挿す。これは、土地の神から場所を借りるための風習である。こうすることで聖域となり、悪霊や獣から身を守ってくれると。
 そう教えられていたトロワは普段通りに行ったが、顔を顰めた。
 神を否定しながらも、身体が動いてしまう。信仰心はないはずなのに、矛盾する自分に腹が立つ。 
 まるで、せせら笑う神が糸で自分を操作しているようだ。この逃亡劇ですら、傀儡の証拠だと。
 深い溜息と共に、澱みを吐き出す。気弱になっている証拠なので、急いで枯れ木を集め火を起こした。明るい光に手をかざすと、それだけで勇気が出るから不思議だ。
 活力を維持するには、腹も満たさねばならない。魚を獲るため川に向かうと、不思議な匂いに鼻を引くつかせる。
 トロワは訝り、手ごろな木の枝で川底を掘った。すると、じんわりと温かな湯が沸き出てくる。

「これはまた奇妙な」

 感嘆し、面白くて暫く掘り進めた。このような場所が存在するとは知らず、ここでも自分の幸運に感謝する。水温は低いが、湧き出る湯が熱いのか、混ざり合って丁度良い。上手くいけば贅沢な入浴が出来る。
 魚を獲るのも忘れ、夢中で穴を掘った。
 足が浸かれる程度の場所を確保する頃には、石の下から出てきた蟹や小魚も捕まえた。
 
「アミィ、この川は愉快だ。湯が出る」
「川に、お湯が?」

 焚火にあたっていたアミィは半信半疑でついていくと、湯気が出ている川に瞳を大きく開く。

「すごい、奇跡のよう」
「ほらみろ、掟を破ったオレたちにも僥倖が訪れる。もし神がいるならば怒りに触れ、ここへ辿り着くことはなかったと思うが?」
「……神様が助けてくれているのだと思います。本来は、きっと優しい御方だから」

 唇を尖らせたアミィに、トロワは肩を竦めた。
 川の恵みと干し芋を焼いて食べると、早速トロワが作った穴に足を入れて暖をとる。アミィは、想像以上の心地良さに歓声を上げた。

「わぁ、あったかい!」
「オレたちが知らないだけで、外の世界は様々なもので溢れている。……一緒に見に行こう」

 星を見ながら、トロワが静かに呟いた。
 アミィは言葉を詰まらせ、はしゃいでしまった自分を恥じる。確かに、好奇心はある。だが、どうしてもトリュフェのことが頭から離れなかった。
 黙ってしまったアミィにやるせない溜息を吐いたトロワは、暫く静かにしていた。だが、思いの外熱い。じんわりと汗が吹き出してきたので、衣服を脱ぐ。
 ついでに、汗を流してしまおうと。

「どうした」

 布で身体を拭いていると、俯いて震えているアミィに気づいた。
 アミィの父は早くに亡くなっているので、異性の裸体を目にして驚いたのだろう。身体のつくりに困惑し、いたたまれなくて目を逸らしたように見える。
 トロワは苦笑すると、アミィを引き寄せ逞しい胸板に押し付けた。

「ひゃあ!」

 馬上ではこの腕の中にいたのに、衣服がないだけで心が乱れる。アミィは呼吸が乱れるほど驚き、全身を真っ赤に染めた。
 
「男の裸に免疫がないのに、夜這いが平気だなんてよく言う」

 たしなめるように耳元で囁いた声は、どこかお道化ている。

「こうして布を湯に浸し身体を拭くと、さっぱりする。アミィもどうだ」

 喉の奥で笑いながら告げられ、アミィはぎこちなく頷いた。衣服に手をかけると、トロワは立ち上がり焚火へ移動する。不思議に思って、去っていく背を見ていた。
 律儀に後ろを向き、こちらを見ないように気遣っている。アミィは慌てて衣服を脱ぐと、早々に全身を拭いた。足からじんわりと熱が身体中に広がり、不思議と心も整う気がする。ほぅっと溜息を吐き、夢中で湯を浴びた。

「……やれやれ」

 はねる水音を聞きながら、トロワは頭を掻く。アミィが沐浴をしている間、そこらの枝で罠を作ることを思いつく。愛用の小剣を研ぎ、狩猟の準備を進めた。干し芋はすぐに底をつくので、肉を調達せねばならない。
 こうしていれば集中できると思ったが、どうにも後方が気になる。理性が壊れそうになり、幾度も振り返ろうとしたが、その度に手の甲に爪を立てて必死に耐えた。普段は難なく作れる罠も、上手く指先が動かなくて難儀だ。
 アミィが受け入れてくれるまでは、手を出さないと決めている。無理強いをしては村の掟と同じだと、戒めて。
 戻ってきたアミィと二人で毛布に包まり、焚火の前で眠りにつく。

「森は、危険だから。アミィは利口だから逃げないと思うが、念の為」

 蔦で互いの手首を縛ったトロワは、ぎこちなく微笑んだアミィの額を小突いた。
 二人の頭上を、幾つもの流れ星が通過していく。

 明け方近くの、青黒い薄明りに瞳を開く。
 静まり返る周囲だが、クレシダの小さな嘶きが現実に引き戻してくれた。火が小さくなっているので、木をくべる。
 トロワは白い息を吐き、周囲を見渡した。狩猟が成功したら肉が食べられるので、そっと手首の蔦を外す。

「ん……。どうし、たの?」

 眠っていたアミィを起こしてしまった。トロワは優しく頭を撫でると、出掛ける旨を伝える。

「頼むから、逃げないでくれ。口煩いが、森は危険だ。分かるな?」

 アミィは、カクン、と首を立てに振る。寝ぼけているのだろうか、本当に分かっているのだろうか。些か不安になったトロワは、思案した挙句両足首と両手首を蔦で結んだ。
 これなら逃げることも難しいだろう。拘束は気が引けるが、その身を護るためだ。逃げたところで、村へ辿り着ける保証はない。迷子になるか、獣に食われるか、つまりは死。
 焚火の近くにいれば火を恐れる獣は寄ってこないので、動かないのが懸命だ。獣避けにもなるので、クレシダは置いていく。

「行ってくる。すぐ戻れるよう、祈ってくれ」

 額に優しく口づけると、クレシダの背を撫で静かに駆け出した。狩りが成功したら、茸や山菜、木の実を獲ってもいい。連れてきてしまった以上、不自由は避けられない。しかし、少しでも喜ばせたい一心だった。
 アミィは、まだ微睡んでいた。長時間馬に乗っていたのは初めてであるし、トロワに嗅がされた粉の反動か身体が怠い。しかし、白い微粒に取り巻かれた太陽光に重たい瞼を開く。
 寄ってきたクレシダが鼻先で頭部を突くので、くすぐったくてアミィは笑った。立ち上がろうとしたが、手足が縛られていることに気づく。
 逃げようとは思っていない、そこまで浅はかではない。信用されていないことを悲しむ気持ちと、それほどまでに大事にされているのだという彼への信頼がせめぎ合う。

「でも、私だってお手伝い出来るのに」

 昨日は暗くて見ている余裕がなかったが、森は野草の宝庫。すぐそこには油で炒ると美味いミゾソバが生えているし、少し離れたところにはサルトリイバラの真っ赤な実が見える。暫く二人で旅をするならば、協力し合うのが当然だ。
 どうにかして拘束を外せないか、身を捩った。
 這って焚火近くに移動し、突き出ていた枝を懸命に掴む。引き摺り出すと、脚の蔦に添えて熱で焼き切る。
 時間はかかったが、どうにか足は解けた。次は手だが、腹側で結ばれているとはいえ難しい。
 しかし、立ち上がる事は出来た。雲の上を歩くみたいに足元が定まらないが、川へ向かって水面を覗き込む。鋭利な石があれば、蔦を切ることが出来ると思った。
 揺れている水面に、曇った表情がくっきりと映っている。石を探して手を揺らすと、表情は歪む。
 だが、水底の砂が巻き上げられ濁っても、しばらくすると透明感を取り戻す。
 こんな風に、時間が問題を解決してくれたらよいのにと、願わずにはいられない。今は身動きできない状態でも、いつかはきっと安穏が訪れるはずだと。
 神に祈り続ければ、見逃してくれるのではないかとも思った。
 
「トリュフェ」

 想いを寄せていた男の名が、知らず口から洩れた。頬を染め、彼を思い浮かべる。名を口にしたら、無性に逢いたくなった。顔を見たくて仕方がない、声が聞きたくて苦しい。数日会わなかったことなど、今までなかった。
 深い哀愁の色を瞳に浮かべ、村がどうなっているかよりも、彼を想う。
 
「トリュフェ」

 再度、名を呼んだ。
 呼んだところで、彼が来るわけもないのに。
 けれど、来てくれたら状況が変わるのも確かだ。三人いたら、良い案が浮かぶに違いない。ここまで神変不思議なことが起これば、村も災厄に見舞われずに済むだろうなどと、夢見がちなことを考える。

「私、我儘だ……。自分に都合のよいことしか考えない」

 浅はかな考えに落胆し、唇を噛みしめる。じんわりと、瞳の端に涙が浮かんだ。離れるほどに恋い焦がれ、もがいて足掻く。
 絶望と渇望が押し寄せる中、後方の木々が揺れる音が聞こえた。振り返ると、涙で滲む瞳に人影が映る。
 太陽の光に反射し、紫銀の髪が光り輝く。

「おかえりなさい」

 アミィは結局手の拘束を解けぬまま、立ち上がって声をかけた。

「……ようやく、()()()()
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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