絡まった糸は何時解く
文字数 7,410文字
凝視している姿に、サイゴンが苦笑する。
「ミン、羨ましいのか? 絵になる二人だよなー、いいなー」
「違うわよ。……あの物語の、例の二人にそっくりだって言いたいのよ」
手にした不可解な物語が、ホーチミンの脳裏に甦る。目の前の情景は、あの引き裂かれた夫婦そのもの。ツキン、と頭部に痛みが走った。
その様子を不安そうに見つめるサイゴンだが、後方で妙な殺気を感じ振り返る。ハイが、嫉妬丸出しでトビィを睨みつけていた。突然やってきた男が親しげにアサギに触れ、笑みを独占しているのだから気持ちは解る。
だが、二人の絆は特殊なものだ。
「ハイ様、トビィとアサギ様は兄と妹です。仕方がないですよ」
「ん? ……兄?」
補い助けたつもりのサイゴンだが、ハイは聞き終えると血走った瞳でトビィに突進した。止める間もなく、二人の間に割って入る。
そして、真顔でこう告げた。
「お兄様、どうか妹さんをお嫁にくださ」
「断る、邪魔だ、退け」
言い終わらぬ内にトビィは右脚でハイを蹴りつけ、無表情でそう吐き捨てた。唖然としているアサギを軽々と持ち上げ、アレクに向き直る。
物理的に、魔王は手も足も出なかった。地面に突っ伏しているハイは相当痛かったらしく、低く呻いている。憐れみの視線を向けるサイゴンだが、自業自得だと思った。
トビィは無かったことにして、アレクと対話している。
「オレは今すぐにでも構わない」
「そうだろう、ただ……ここは騒がしい。静かな場所を用意するから待ってくれ」
「あぁ、是非。それまで、オレはアサギと共に適当に寛がせてもらう」
「承知した、急ごう」
激痛に苦しみながらも一応会話を聞いていたらしく「いや、それは困る!」と、叫んだハイが突進してきたが、再びトビィの鋭い蹴りによって地面に沈んだ。
アレクはハイを一瞥し、そのまま無言で歩き出す。去り際、様子を窺っていたスリザとアイセルに密かに囁いた。
「私はミラボーとリュウの元へ行く。アイセル、同伴してくれ。スリザはホーチミンと行動してくれないだろうか。それから、サイゴンを呼んで欲しい」
「……畏まりました、お言葉通りに」
スリザがアイセルに『任せた』と視線を送り、神妙に頷き合った。
ホーチミンと合流したスリザは、呼ばれて立ち去ったサイゴンに小さく手を振り笑顔でトビィに話しかける。久し振りに間近で見た彼は、より一層男の魅力が滲み出ているように思えた。ただ、自分の美貌に気づき利用していた昔と比べると、ひけらかさなくなった気がする。アサギが要因なのだろうか。
「お疲れかしら、トビィちゃん。一緒にご飯はどう? 積もる話があるでしょう?」
「アサギが行くなら」
アサギは正直、先程甘いものを口にしたので空腹ではない。しかし、この状況で鍛錬の続きはどう考えても続行不可。何より、長旅をしてきたであろうトビィを休ませたい。
「そうですね……私、喉が渇きました」
「決まりだな」
「うんっ、行きましょう!」
歩き出した四人の後を、這いつくばったハイが懸命に追う。思った以上に喰らった二撃が効いており、立ち上がりたくとも吐き気がして断念した。それもそのはず、トビィは殺意を篭めて蹴りを繰り出している。普通の人間ならば、今頃死んでいるだろう。
トビィを追って数人の女達も移動し、残っていた者もまばらに散っていった。
そこに残されたのは、眠っているクレシダだけ。
静寂に包まれ、闇が訪れる中影が近寄る。
「立派な竜だな、だが彼は……」
「我ら同胞ではないようですね、元々惑星クレオに居た種族なのでしょう」
「彼も、あの人間に使役されているのか? 哀れだな」
ひっそりとやって来たリュウとエレンが、眠っているクレシダの周囲を歩きながらその巨体を見上げ感嘆の溜息を吐く。硬い外皮は、驚く程美しい金色をしている。
「……どちらさまですか」
眠っているはずのクレシダが、急に声をかけてきた。瞳は開いていないが、確かに喋りかけてきた。
エレンは驚いて後退したが、リュウは戸惑うことなく話しかける。
「私はリュウ。君に尋ねたい事があるが、よいだろうか」
「はぁ珍しい事で……どうぞ。ただ、私は上手く受け答えが出来るか解りませんゆえ、難しいことは主に訊いて頂きたく」
「いや、君がよい。……何故君は、人間と共に行動を? 弱みを握られているのか?」
リュウの問いに、ようやくクレシダは瞳を開いた。大きな瞳を動かし、リュウの姿を捕らえる。鼻を鳴らすと、自分と近しい種族であることを匂いで嗅ぎ取ったらしく、若干瞳を大きく開いた。何度か瞬きをし、鼻を鳴らすのを止める。
「共に行動をしているのは、興味が湧いたゆえ。弱みなど握られておりませぬ、自分の意思」
「興味? ……人間に?」
訝しげな声を出すリュウに、クレシダは静かに頷くと再び瞳を閉じた。
意外な返答に困惑し思案しているリュウを、エレンが不安げに見つめる。
「楽しいのか? 辛くはないのか? 人間に乗られ、あのように戦闘を無理強いされ、悔しくはないのか?」
ゆっくりと、クレシダの瞳が再び開く。無感情の光を放つ瞳に、リュウの姿が映った。
「楽しいのかは、解りません。辛くはないかと訊かれると、確かに好きな時に眠れないのは辛いです。ただ、人間ではなく、“主”が乗っているので悔しく思った事は一度もありません。私が認めた主を乗せることに、躊躇などありませぬゆえ。それから……こういった質問は、私ではなくデズデモーナが適任かと。そのうち戻る黒竜です」
「解った、すまなかった。貴重な時間をありがとう」
クレシダの瞳が、再び閉じる。
「なんだか、変わった竜ですね」
エレンは苦笑したが、リュウは不思議そうにクレシダを見つめている。苦には思っていない、人間との生活。主である人間と、親密な関係を築いていることは間違いない。以前の自分とサンテを重ねるが、合わない。友達と主従関係は違う。
遠ざかりながら、エレンはクレシダを振り返った。
「流されやすい性格なのでしょうか、全てを諦めているように思えました」
「……違うよ、エレン。彼は……違う。悲壮とも、不思議とも、いや疑問にすら思わない、何故自分が人間と共にいるのかを。それが当然であると、受け入れている」
「この惑星の竜達は、そういう生き方をしてきたのでしょうか? 古来からの本能?」
「違う。そうじゃ、ない。恐らく、そうではなくて……」
口を噤んだリュウに、エレンは何も言えなくなった。
……あの竜は、絶対的に人間を信頼している。人間というよりも、“トビィ”を。それこそ、親兄弟に近しい絆で結ばれているような。
リュウは疲労した顔で足取り重く、自室へと戻った。胸が、ざわめく。
「あんな関係が、存在しただなんて」
種族など、関係ない。ただ、個々が繋がっただけ。姿形など、本当に強固な絆の場合は無意味。
「なんて、羨ましい」
リュウは寝台に転がると、大きく肩で息をしてから瞳を閉じた。
「あぁ、サンテ。私が君を信頼したままだったら、猜疑心など抱かなければ。……今でも君は、生きていただろうか」
哀し気に震える声が、部屋に落ちた。
いつもの様に、魔界の食堂でホーチミン達は会話を始めた。すっかりお馴染みの場所だが、今日は外野が煩い。トビィを追って、女達がついてきてしまった。グルリと囲まれてしまい、げんなりと肩を落とす。
落ち着かない。
トビィは全く気にしていない様子で、隣のアサギと談話しながら紅茶を啜っていた。全くもって、何をしてもさまになる男。それを瞳に入れたホーチミンは、重苦しい溜息を吐く。人間は今までも数人見てきたが、彼ほど堂々としている者はいなかった。若さゆえの無鉄砲という危うさも以前はあったが、今はまるで別人。
……何があったのかしら、妙に達観した雰囲気だわ。
人間界で旅をしただけで、こうも豹変するのだろうか。ホーチミンはトビィとアサギを見比べ、舌で唇を湿らせると開口する。
「トビィちゃん、改めてお帰りなさい。それで、今まで何やってたの?」
「アサギが変態魔王に連れ去られてから、こちらへ向かっていた。それだけだが」
アサギの髪に指を通し、トビィは愛おしそうに触れている。何年も逢えなかった恋人の様に。見ているこちらが、むず痒くなるほど甘い雰囲気を醸し出している。
また、髪に触れられても違和感がないようで、アサギは身動ぎすらしていない。慣れているようだ。
「でしょうね……っていうか、アサギちゃんとは何処で知り合ったのよ?」
「つい最近と言えば最近だな、そういえば」
トビィが呟いたので、果物をすり潰したジュースを飲んでいたアサギが同意する。
「そうですね、最近です」
「最近なのに、そこまで親密な仲なのね」
呆れたホーチミンは項垂れる、色々思案したいがまとまらない。トビィがアサギの髪を撫でるたび、頬に指が触れるたび、周囲から黄色い声が飛ぶので気が気ではない。喧しい、煩い、非常に苛々する。耐え切れなくて、青筋を浮かべながら周囲を睨み付けた。
その視線に怯えた女達が、一瞬静かになる。少し経つとまた騒がしくなったが、先程よりマシだ。
トビィに向き直ったホーチミンは、多少声色を変えた。無意味に緊張してしまう。
「ねぇ、トビィちゃんって兄弟いる? 髪と瞳が同じ色の」
直球で訊ねた。あの不可解な物語には、トビィには双子の兄がいた。杞憂であると願いたいので、いなければ、それでいい。
トビィは顔色一つ変えず、アサギに触れたまま返答する。
「さぁ、どうだろう」
曖昧な言葉に、ホーチミンは怪訝に眉を寄せると身を乗り出す。
「何よそれ。はぐらかすような質問じゃないでしょ?」
アサギがトビィを見上げて、小首を傾げる。
何故そこに食いつかれたのか解らないトビィは、不機嫌そうにホーチミンを見やる。
「そう言われてもな。オレ、捨て子だったから。もしかしたら双子だったかもしれないし、三つ子だったかもしれないし。兄弟がいたかと訊かれても」
「トビィお兄様、捨て子だったのですか?」
驚いたアサギに、トビィは軽く頷いた。
複雑な表情で、アサギが俯く。触れてはいけなかったのではないかと落ち込み、申し訳なく思う。
しかし、トビィは微塵も気にしていない。意気消沈したようなアサギの頭部を撫で、髪に口づける。
「気にするな、今が楽しければそれでよい。そもそも、オレはこの人生で後悔したことなど一度もない」
軽く笑い、本心を口にする。
だが、反してホーチミンは身体中から汗が吹き出ることを止められずにいた。確信に近い予感が襲う。捨て子のトビィに、同じ髪と瞳の色を持つ兄が居てもおかしくはない。それこそ“幼い頃にる生き別れた”としか思えなくなってきた。顔面蒼白の震える手で、傍らの紅茶を啜る。
紅茶が波打ち、現実を歪める。
ますますあの物語に畏怖の念を抱く。トビィが笑いながら『兄弟はいない』と言ってくれることを、何処かで期待していたのに。ホーチミンは、押し黙って紅茶を啜った。味が、分からない。
ミラボーの部屋を訪れたアレクは、扉の外でアイセルとサイゴンを待機させると丁重に入室した。室内に入るのはアレクのみだが、万が一何かあれば直様二人が駆け付けるだろう。
来訪者に驚いたミラボーだが、笑顔で出迎える。乾いた音をたてて扉が閉まると、ピリピリとした緊張感が漂う。
互いに、意図を察している。
「なんとも珍しい事よ、アレク殿が出向くとは。何かあったのかね」
「大した事ではない。単刀直入に言おう、一時、ミラボーの惑星へ戻って戴きたいのだ」
ミラボーは不思議そうに首を傾げた、重そうな頭部が軋むくらいに。
「ほぉ、それはまた……」
「情けない事だが、城内に不審人物が侵入している可能性がある。その者を炙り出すまでは、客人に居てもらっては困る。それだけだ」
「侵入者、と? 魔王を狙う不届き者なのか?」
瞳を細め話に乗ってきたミラボーに、淡々とアレクは語った。
互いに、感情を読み取らせない。何もかも大袈裟に驚くミラボーと、無表情のまま抑圧のない声で語り続けるアレク。
「……ふむ、あい解った。そなたの望みとあらば仕方がない……早急に戻るとしようかの」
「すまないな、感謝する」
深く腰を折り頭を下げたアレクに、ミラボーは気さくに笑った。気にするな、とばかりに。扉まで見送り、互いに顔を見合わせ軽く頷き合う。
コトリとも音を立てずに扉を閉め出て行ったアレクを、ミラボーは睨み付けた。何段にも重なった顎を撫でながら、頭部についている触角を左右に動かす。
「いけ好かない奴よのぉ。証拠がないから強気に出てこぬが、確実に疑っておるな。……安心するがよい、望み通り直に帰る。事が終われば、のぉ?」
ミラボーはその場で足を踏み鳴らしていたが、すぐに室内を歩き回った。
「にしても忌々しいのぉ、愛用の水晶球が二個も割れてしまったわぃ。片方は罅が入っただけじゃし、なんとか……。全く、貴重品じゃというのに」
片方は、介して見ていたトーマに破壊された。
もう片方は、介して見ていたアサギの魔法の影響を受け、罅が入った。
「んむ?」
ふと真っ二つに綺麗に割れている水晶と、罅が入った水晶を見比べる。水晶自体は何の問題もない、そうではなく着眼点は別のところにある。
「あの二人……小僧と勇者が似ている気がするのぉ」
瞳を細め、二人を思い出した。特に瞳が似ている気がする、自分の水晶を“介して割った”特異な二人に接点を見出したかっただけかもしれないが。しかし、ミラボーは自身の直感に自信があった。何かは解らなくとも、自身が有利に成り得る情報が隠されているような気がする。
第六感が、働いた。
「そろそろエーアを呼び戻そうかの……アレクに急かされたことであるし」
ミラボーは身体を揺すりながら、罅が入った水晶を覗き込んだ。映るのは黒髪の美女、人間のエーア。全裸で男と絡み合っている、相手はハイの片腕であった悪魔のテンザ。
満足しミラボーは笑った、破顔すると最早顔の部品が何処にあるのか解らない。
「流石エーア、完全に心を掌握しているようじゃの。優秀な部下を持てて、実に幸せ者である」
水晶に手を翳すと、エーアが小さく仰け反るように空を仰いだ。
「戻れ、エーア。そなたが必要だ、以後の指示は戻ってから出す」
頷いたのか絶頂を迎えたのか解らないが、エーアの身体は大きく仰け反り、そしてテンザの胸に崩れ落ちた。
時は来た。
忠実な人間の
惜しい駒を失くしたと落胆するが、仕方がない。
あの薬液は飲ませた者全員の意志を奪えるものではない、そんな代物があればとうの昔に使っている。『自分に劣等感を抱いており、かつ対象とした人物を羨望している人物』にしか発動しない。
対象者であるアサギに、嫉妬に近い羨望を抱き、自分を恥じて殻に籠もろうとしていたスリザは、まさにうってつけだった。
「他に……あの娘にそういった劣等感を持ち合わせている人物はいるかのぉ?」
ミラボーは低く唸った。
再びスリザに薬液を仕込んでもよいが、流石に警戒しているだろう。特に、周りをうろついているアイセルが目障りだった。
ミラボーの命を受けたエーアは、テンザに薬草を仕入れてくると言い残し、魔界へと戻ってきた。『黒髪で瞳が深紅である人間の女』が指名手配されていると聞かされていたので、髪に泥を塗り白く染め、念の為外套を深く被った。瞳の色までは隠せないが、肌にも黒粉を塗った。
無論、アレクの城には安易に入れない。かといって、ミラボーが外へ出向くわけにもいかない。どちらにしても目立ちすぎる。
けれど、城付近までやってきたエーアはそれだけでよかった。近づけば近づくほど、ミラボーの声を鮮明に聞き取れることが出来た。
下された指令は、テンザと共にロシファの抹殺に向かうこと。岐路に余裕があれば、他の勇者達を襲撃し、根絶やしにすること。
直様エーアは踵を返し小船に乗り込むと、テンザがまだ治療に要している小島へと向かう。
「魔王アレクの恋人である、あの混血姫をどう殺害すべきか」
エーアは気難しい表情を浮かべた。ミラボーの指令は絶対であり、何が何でも遂行せねばならない。島の結界は相当なもので、テンザは十中八九入ることが出来ないだろう。姫君と一対一で対峙するには、多少の覚悟と犠牲が必要となる。テンザがいれば造作もないことなので、どうやって結界を破るのかが鍵となる。
勇者は別に危惧することもない、ただの戯れにでも殺せそうだと楽観視した。
そして、こちらの戦力を減らさず、最も簡単に殺害する方法を思いつくと、薄く微笑む。その冷笑は、彫像の様に美しく無機質だ。
ロシファはミラボーが食わねばならないので、その場で消し去っては失敗となる。また、エルフの遺体とて時間が経てば腐敗するので、殺害してからも問題だ。
エーアは孤島で帰りを待っていたテンザの足元に跪き、嬉しそうに頬を紅色に染めて抱き付いた。そして情欲に塗れた瞳で、耳元でねっとりと囁く。
「殺したい女がいるのです。憎らしくて、身体中が弾け飛びそう」
股間を優しく撫で擦り、熱い息を耳に吹きかける。
「そこへ行きたいのです、これ以上耐えられません」
伏目で懇願され、テンザは一つ返事で頷いた。溺愛している人間に殺したい者がいるのならば喜んで叶える、それこそ悪魔の領分。
テンザの完治を待って、二人は飛び立った。魔力で飛ぶことが出来るエーアだが、よいところを見せようとしたのか抱きかかえられている。
……どこまでも単純で愚か、憐れで愛おしい。悪魔といっても、所詮は男。人間と同じで単細胞ね。
その腕の中で、エーアは艶やかに微笑んだ。
「お前が憎むとは、一体どんな女だ? 何をした」
「世界平和を望む、甘ったるい思考の女ですわ。存在自体が疎ましい」