人型竜
文字数 4,451文字
ここにいても時間が惜しい。天界城に戻ることにしたが、気になったのでライアンが口を開いた。
「アサギは?」
ややあって、トビィは上空を見た。
「天界城に立ち寄っているが、ここで合流予定だ。こちらを錯乱させることが目的であれば、今もオレ達が対処すべき問題が何処かで起こっているのではないかと踏み、先にクレロに訊きに行った」
「確かに。クレロ様からの指示は、どうしても後手になる。では、俺たちも共に話を聞こう」
「そうしたいのはやまやまだが。デズに、アサギを任せてしまった。入れ違いになる可能性がある」
トビィが顔を曇らせたので、ライアンは微笑し肩を叩いた。
「俺たちは先に戻るが、トビィはアサギと来るといい」
朴訥だが、こういうところはすぐに気をまわしてくれる。話の分かる、出来た男だ。
「助かる」
「勇者たちー! 帰るぞー」
ライアンの呼び声にわらわらと集まった勇者たちは、飛び立つ気配のないトビィを見て、
「姉さん」
「どうしたの、ミシア。そんなに深刻そうな顔をして。……何か気づいたの?」
押し黙っていたミシアが急に開口したので、マダーニは目を丸くする。
「ううん、特に何も。……勝手を言って申し訳ないけれど、外れてもいいかしら。子供たちの読み聞かせ、今日なの」
「あぁ、通っている孤児院の?」
ミシアは魔王との戦いが終わった後、頻繁に各国の孤児院を訪ねまわっていた。旅の費用に貯蓄しておいた金を寄付し、子供らと接する機会を設けている。
「えぇ。新しい本を手に入れたから、子供たちが楽しみに待っているの」
「こちらは気にしないで。いってらっしゃい、頑張って」
もし、ここに。
アリナかクラフトがいたら、不審に思っただろう。だが、二人はディアスに残り、村人たちの受け入れに奔放している。
「ありがとう!」
ミシアは本心を偽り、さも嬉しそうな顔をした。
トビィは接するのも億劫であったので、極力瞳を合せないようにクレシダと共にいる。
「とりあえず、一旦天界城よね」
意気揚々として、マダーニは陣を描いた。天界人から教わった、人間には未知の陣形である。これさえ描けば、簡単に天界城の一角へ戻ることが出来る。魔力が高ければ習得可能だと言われたので、誰でも習得出来るわけではないそうだ。
問題点として、放置すると誰でも使用可能になってしまうので、後始末が必須である。この場はトビィに依頼し、消してもらうことにした。
陣が出来るまで他愛のない会話をしていたのだが、ミシアだけは陣を描く様子を眼光鋭く見つめていた。
視線に気づいたマダーニが不思議そうに首を傾げると、ミシアは「私も覚えたほうが良いかしら」と控えめに歩み出る。
「そのうち覚えてもらおうかな。今は疲れたから、教えるのが辛い。今度ね」
「無理しないでね」
姉を気遣ったミシアの態度に、やりとりを見ていた皆は口元に笑みを零す。仲の良い美しい姉妹は、それだけで絵になる。
トビィだけが、訝しげにミシアを睨み付けた。
完成した陣から消えていく仲間達を見送ると、静かになった森の中でトビィは陣を消す。大したことはない、天界の植物や鉱石で形作られた陣を足で壊し、最後に水をかけるだけだ。
「それにしても不思議なもんだ、これだけで天界城と繋がるなんて」
「天界人は、私たちには理解出来ぬ叡智を持っているのですね。だからあぁも高慢なのだと」
「だとしても、癪に障る」
ライアンたちが去ってから、トビィは暫しの休息を愉しむようにクレシダにもたれかかると瞳を閉じる。森を通り冷やされた空気が流れてきて、心地よい。
「トビィお兄様!」
転寝をしていると、上空からアサギの声が降ってきた。
見上げ片手を上げると、デズデモーナが窮屈そうに空地に着陸してくる。流石に二体の竜が降りるには無謀な場所だった。
「おかえり」
「ただいま戻りました! ……みんなは?」
「収穫なしで、先に天界城へ戻った。アサギとは入れ違いだ」
「ごめんなさい、私を待っていてくださったのですね。トビィお兄様の時間が無駄になってしまいました」
「そんなことはない」
トビィはアサギの髪にさりげなく振れると、指で摘まんだ。指先に荒い感触はなく、艶やかで健康的な髪は触れていて心地よい。僅かな時間であれども、二人きりでいられるならば幸福である。
しかし、アサギは頬を紅潮させ落ち着かない様子だ。
「……では、早速」
悪戯っぽく微笑んだアサギは、先程持ち出した杖を取り出した。
「それは?」
トビィは瞳を細め、不思議な空気を発している杖を眺める。ただの杖ではないことなど、一目で解った。それほどに、異質である。
「少し、お時間を下さい」
「うん?」
杖を地面と水平に掲げたアサギは、デズデモーナとクレシダの前に立ち瞳を閉じる。
「アサギ様? ……何を?」
何事かと狼狽するデズデモーナには答えず、アサギは神経を集中させる。風が舞い、丈の短いスカートから眩い太脚が露出した。足元から頭上へと空気が流れ、髪が舞い上がる。光の粒子に包まれ、その腕から杖へと移動していった。
杖が淡く光り始め熱を帯びる。掌が心地よい温度になると、瞳を大きく開いた。成功した嬉しさから、笑みを浮かべて叫ぶ。
「いきますっ!」
「はぃ?」
「は?」
間抜けな声を出した二体の竜は、眩い光に包まれた。
腕で光の直視を避けたトビィだが、何が起きたのか瞳を細めて見やる。
竜の巨体が、消えた。
「……待て、アサギ」
光の中に、人が二人立っているのがおぼろげに見える。
「成功です、やりました!」
飛び上がるほど嬉しいアサギは、歓声を上げた。
光が薄れると、金髪と黒髪の男らと目が合う。隣で、唖然としたトビィは大口を開けた。
「あ、あわわわわ! なんで!?」
悲鳴を上げて背を向け、アサギは手で瞳を覆う。
姿を現した男二人は、全裸で立っていた。
このままではいけないと、杖を再度振る。そうして、恐る恐る改めて彼らを見つめる。
「あ、あの、これは一体」
「……何をされました、アサギ様」
顔面蒼白で自分の身体を触っている黒髪の男と、虚無の瞳でアサギを見つめている金髪の男。
二人の声で全てを理解したトビィは、思わず吹き出した。
「よう、デズ、クレシダ。縮んだな?」
「アサギ様……説明してください」
「え、こ、これはどういう」
黒髪の男がデズデモーナ。二本の立派な角が生えた、長身の美丈夫である。
金髪の男がクレシダ、同じく二本の角はそのままに、デズデモーナより若干身長は低く、身体も華奢な感じがする。
二人共トビィと似たような衣装に身を包んでおり、人間年齢にして二十代後半に見えた。
「人間になれる魔法をかけてみました! これで今度からトビィお兄様と離れることなく、一緒にいられます。姿が怖いと、恐れられることもありません」
アサギは誇らしげにそう告げ、意気揚々と説明する。
「お洋服は想定外でした、ごめんなさい。トビィお兄様の衣装を参考にして着せてみました」
竜は服など着用しない。その為、文字通り産まれたままの姿で人型になったのだろう。しかし、意識すれば服を着せる事も可能らしい。
「なるほど、それでオレと似たような服を」
感心し呟いたトビィは、すっかり小柄になってしまった相棒らの姿を見て再び腹を抱えて笑い出す。
唖然として口を開いたままアサギを見つめていたクレシダとデズデモーナは、思い当たることがあり、大きく瞳を開いてわなわなと唇を震わせた。
『……でも、不便でしょう? この姿だと、トビィお兄様が街へ行く時にはついていけないもの』
先日、アサギが心を痛めた様子で告げていた言葉を思い出した。クレシダは苦虫を潰したような顔をして口元を押さえる。
「よもや」
アサギは、本気で竜達の身の上を案じたのだ。そして、秘策を思いついた。
その結果、竜たちは人型となった。
「勝手にこのようなことをされましても、甚だもって言い辛いのですが迷惑で」
「アサギ様! ありがとうございます!」
抑揚のない声で反論したクレシダを遮り、デズデモーナは歓喜に打ち震えてアサギに抱きついた。
普段の竜の姿であったならば擦り寄る程度だったろう、けれども今は青年の姿。両腕でしっかりとアサギを抱擁する。気にかけてくれていたことが嬉しく、何より“似たような姿になれたこと”に感動したデズデモーナは、あろうことかトビィの存在を忘れていた。
竜と美少女、ではない。青年と美少女。
いかつい容姿の天空の覇者である黒竜が、勇者である美少女に傅いているというものではない。それは、トビィの許容範囲を超えていた。
ビキィ! と空気が凍るような音が聞こえた気がして、クレシダは喉を鳴らす。
「デズ」
押し殺したような声色で名を呼びながら首を掴み、トビィはアサギからデズデモーナを引き剥がした。自分より若干背丈があることに、少々立腹しつつ。
その表情を目の当たりにしたクレシダは、「アサギ様は疫病神」と頭を抱える。面倒な事をしてくれたと心底この姿を忌み嫌う。余計な火種がついてしまった。普段は周囲に配慮し空気を読むデズデモーナだが、アサギが関わると吹き飛んでしまうらしい。先日から、何かがおかしいとは思っていた。
クレシダは、デズデモーナの恋慕に気づいている。
「いかがされました、主。そのように引きつった顔で」
デズデモーナは解っていない、何故トビィが青筋を浮かべているのかを。やっていることは同じでも、姿形が違えば見ている者の心理は変わる。
「どうもこうもない、アサギに馴れ馴れしく触れるな」
「そう言われましても、今の今までアサギ様は私の背に乗っておられまして」
クレシダは、見ていられない、聞いてもいられないとばかりに耳を塞いで瞳を閉じる。何故、そうも逆なでするようなことを言ってしまうのか。
四つん這いになっている人型のデズデモーナの背に、アサギが跨っている様子を思い浮かべたトビィはこめかみを引くつかせた。不思議そうに首を傾げているその姿に苛立ちが増し、全力で殴る。
「トビィお兄様! 駄目です、動物虐待ですよ!」
悲鳴を上げて止めに入ったアサギだが、興奮状態のトビィは謝罪の言葉もない。
初めて信頼していた主に殴られ小さく吠えたデズデモーナは、ジンジンと痛む頬を掌で押さえながら不服な瞳を投げかけた。
「何故殴られたのか!」
「っ……面倒なことになったな」
トビィは項垂れて、そっぽを向く。率直な意見を述べたまでだ。人型は便利かもしれないが、色々と面倒事が増えることが目に見えている。
それでも、アサギは自分がしたことは間違いではない確信があった。この姿ならば、竜達は堂々と何処へでも行き来出来るだろう。竜に戻りたい時も念じれば簡単に戻る筈だ、難しくはない。
「……貴方達は、トビィお兄様の傍を離れてはいけないのです。何があっても」
神妙な顔つきで、切なくそう零す。何処か遠くを見つめ、唇を真横に結んだ。