“破壊の姫君”
文字数 6,642文字
「が、がはっ」
後方で上がった呻き声に、全てが危なげなく手順どおりに進むと思い込んでいた二人は弾かれたように振り返る。
そこには、クラフトを地面にねじ伏せたサマルトが、無表情で宙を見ていた。
「まずい!」
焦点の合わぬ瞳、傾げた首。サマルトは呪詛に負け、正気を失った。
焦ったアリナはダイキに戻るように告げ、簡易な足止めだが百足の前に松明を数個投げつける。百足の相手をしている余裕などない、クラフトの救出が先だ。
咆哮を上げ跳躍し、飛び蹴りをサマルトに喰らわせたアリナはそのまま構える。
クラフトを引き摺り救出したダイキは、不安そうに覗き込んで名を呼んだ。
「大丈夫か!」
「な、あんとか……、ガッ、ぐふっ」
むせ返り、上手く言葉が話せないクラフトは胸を押さえた。
「め、面目ない……」
息も絶え絶えに謝罪するクラフトに、ダイキは首を横に振る。そんな言葉は不要だ。
心の昂りと焦りを抑えきれず、顔を歪ませたアリナは唇を噛む。どうやってサマルトを正気に戻すべきか、説得出来るものなのだろうか。魔力によるものだとは解るが、専門的なクラフトは今上手く話すことが出来ない。ミシアを捜したくとも、今はサマルトから目を話すことが出来ない。
ミシアはそれを後方で見ていた。術者を倒せば安易にサマルトを操っている魔力など掻き消す事ができるが、アリナに教えるわけがない。
「サマルトにアリナを殺させるのかしら? 見ものねぇ」
口の端に笑みを浮かべる、火照り出した身体を諫めたい気分だ。
それならばアリナとて容赦なく攻撃できないだろうから、隙が大いに生じるだろう。後方に控えている百足四匹を援護させても良いだろう、先程の暗鬱な雰囲気は何処へやら、高らかに笑い出したい感情を押し殺す。ミシアはそのまま、弓を射るフリをした。このまま、傍観だ。百足が流石に自分を攻撃してきたら反撃するが、幾らなんでもそれはないだろう。
自分は、破壊の姫君なのだから。
ジャリ、と地面の砂がこすれた音に、ミシアは狂気じみた瞳で仲間達を見つめた。剣で斬りかかってきたサマルトに、真っ向からアリナが対峙している。
「甘いね、遅いよ!」
後方に回り込み、背中を思い切り蹴り倒す。地面にねじ伏せ、面倒くさそうに笑った。
「悪いね、ボクのほうが強いから。それは先日、身をもって知った筈だろう?」
胸を撫で下ろしたダイキだが、百足が俊敏な動きでこちらへと向かって来ていることに気づいた。ダイキの叫び声に我に返ったアリナは、サマルトを掴んで百足の体当たりを避ける。思ったより動きが速い、火が弱まり、何も邪魔をするものがなくなったのだろう。
ミシアは一匹の百足と向き合った、弓を構えているものの、アリナを狙え、と暗示をかけるように眼で訴える。
『私は破壊の姫君よ、言う事を聞きなさい』
百足は理解出来たのか、ゆっくりと身体をミシアからアリナへと向けた。
こうも上手くいくとは思わず「魔物も操る事が出来るだなんて、流石ね私」とミシアは自慢げに仰け反る。が、歓んでばかりもいられない、確実にアリナの息の根を止めるまでは。
地面を這いずっていたサマルトは、急に強い力でアリナを押しのけて再び剣を振り回し始めた。遠慮がない分、サマルトのほうが優勢だ。
「あー、ホント、面倒っ」
アリナは高く右足を掲げた、最早失神させるしか方法がない。そのほうが楽だ、その隙に敵を全滅させれば治るだろうと考えた。
脳天に直接打撃を与えれば、相当のダメージを食らうだろうがクラフトに治して貰えば死にはしないと。安直な考えだ、しかし、それしか思いつかなかった。
「アリナ、百足を任せる。俺がサマルトは止めるよ」
覚悟を決めたアリナの前に、ダイキが躍り出て、上がっている足をそっと右手で下ろさせる。
まさか割って入ってくるとは思わなかった、些か顔に不機嫌さを出したアリナだが、ダイキの視線に大人しく頷く。
「……りょーかい、ですよ」
百足に向き直り、好戦的な笑みを浮かべる。まさか、こんな短期間で信頼できるまでに成長するとは思っていなかった。今ならば、安心して背を任せられる、大事な仲間も委ねられる。出会った時とは、比べられないほどに成長している。
「ご期待に備えてみせますよ、勇者様」
笑いながら駆け出し、地面を這っている百足の胴体を踏み潰す。痛みで胴体をくねらせるので、尾っぽに注意しながら頭部を強打する。燃え残りの松明を拾い上げ、瞳を焼いた。悪臭が立ちこめる、鼻と口元を押さえ、刺す様に松明を深く沈めた。目が染みるその臭いだが、今ここで手を止めるわけにはいかない。
「も、申し訳ありません、足手纏いで……。直様加勢します」
回復したクラフトが援護についた、動きを鈍くする為、影縛りを唱える。
「気にするな、身体は大丈夫か? こんなバカでかい百足くらい、ボク一人でどうにかなるさ」
「いえ、お気遣いなく」
青白い顔は隠し様子もない。本調子ではないことなど明白だが、クラフトの顔を立てアリナは鼻を鳴らすとそのまま二人で百足へと向かった。
一方、ダイキと向かっているサマルトは両手で剣を振り回すも、標準を合わせられないのか、攻撃を避けるのは簡単だった。とはいえ、下手に反撃に出ることも出来ない、呼びかけることに専念するしかない。アリナに「なんとかする」と言ってしまった以上、ダイキは覚悟を決めた。船上で親しくなった仲だ、友達に近いものを感じているので助けたかった。
「起きろよ! アサギを捜しに行く為には、そんな状態じゃ無理なんだ」
サマルトとてダイキとて、同じ惑星の出身はいなかった。クラフトとアリナは、常に共に行動していて気が知れている。二人の会話に入り込めず、ダイキとサマルトは苦笑いをしたものだった。それが二人の仲を強めるきっかけではあったものの、今ではかなり心を許せる存在だ。
「頼むよ、王子なんだろ!? わけわかんない魔法にやられて、どーすんだよ!」
クラフトは百足と対峙しつつ、サマルトの正気を失わせた術者を探していた。何処かにいる筈だ、直接脳に語りかけ、過去から自責の念を引きずり出した者が。これは、ある種の呪いである。
真っ先に幼いダイキが精神攻撃に耐えられなさそうだが、本人がそこまで辛い体験をしていない。故に、捕らわれるものがなかった。地球の日本というほぼ安全な場所で暮らしていたダイキは、真の恐怖など味わっていない。哀しかった事は、幼い頃買っていた犬が老死した事。そして、アサギが今回攫われた事。以前起こった大規模な地震はニュースで見て恐ろしかったものの、体験していない。
アリナとて、クラフトとて、悔しい思いはしていても、心を挫かれるほどではない。
ミシアは対象外である。
だが、サマルトだけが違っていた。壊滅状態のサマルトの故郷、惑星ハンニバル。想像以上の地獄絵図は、目の当たりにしなければ分からない。そこにいた人物だけが、真の恐怖を味わい、絶望の淵に立たされる。そこからサマルトとムーンは勇者を探して逃亡してきた、犠牲も当然計り知れない。
そこを付け込まれたことは大体誰にでも予想は出来た、王子なら尚の事民が心配だろう。逃亡し、こうして生きている自分に重い枷を填めたくもなるだろう。また、サマルトはムーンよりも心根が脆弱だ。
剣の攻防が繰り広げられる、必死で受け止めながらダイキは叫ぶように言葉を投げ続けた。しかし声は届いていないのだろう、サマルトは無反応だ。
もし、この場にムーンが居たならば、いとも容易く戦闘は終了していたかもしれなかった。あの華奢な姫君は、精神が尋常ではないほど強固だとクラフトは思っていた。サマルトよりも逞しく、ある意味目的の為ならば“非情に”もなれる程度の。この場に居たのが彼女であったならば、逆に魔力を跳ね返していただろう。
道を完璧に描き突き進んでいるムーンとは違い、サマルトは危うい。彼は優し過ぎた、付け入るスキは十分にあり、そして脆い。
「サマルト! しっかりしてくれ! サマルト! トビィに笑われるから、しっかり……」
懸命に叫んでいたダイキだが、不意にサマルトの鋭い突きに対応出来ず、その心臓を一突きにされた。油断していた。
「ダイキ!?」
クラフトの悲鳴に似た声が響き渡る、動揺し、脚が震える。
最後の百足を撃破し、緊急事態を知って顔面蒼白のアリナが駆けつけた。
……勇者の一人を失うわけには!
しかし、ダイキは平然としていた。狼狽しているアリナとクラフトに、唖然と瞳を投げかける。確かに胸元の服には突き刺された剣の痕跡がある、穴が空いていた。だが、血液は噴き出していないし、痛みもない。驚いただけで、無傷だ。
それは、クラフトが先程唱えた防御壁のおかげでもあり、そして。
「あ、あぁ、これ、か……」
自分でも死んだと思ったダイキだが、我に返った。確かに身体は衝撃を受け痺れていた、震える手で胸元から手を入れ、それを取り出す。
手にとってダイキは安堵した、それをサマルトに見せて微笑する。
「御守り」
それは、サマルトが見てもクラフトが見ても、当然アリナが見ても解らなかった。地球製の品物で、鉄製の名刺入れである。
名刺を入れているわけではない、母親から貰った御守りが入っているのだが、それと同時に。
「よかった、無事だった」
心底嬉しそうに顔をほころばせ、大事そうに撫でながらそれを見つめる。名刺入れと御守りには穴が空いていたが、肌に近いほうに入れていたので“それ”は貫通を免れた。
一枚の写真だ。
昨年の運動会で共に同じ組の応援団であったダイキとアサギが、二人で写っている。凛々しく立ち、大きく腕を振り上げたダイキと、隣で可憐に片足を上げて笑顔でいるアサギ。
誰が撮ってくれたのか、感謝したいくらいだった。
校内の掲示板に張り出されて騒然となったことを覚えている、あまりのアサギの可憐さに注文が殺到したのだ。長く伸びた美しい足は、少女達の憧れる人形のように完璧だった。
そんな勝利の女神の笑みを湛えたアサギとツーショットだったことに、天にも昇る勢いでダイキは感謝し、直様購入した。やましいことなど何もない、自分が写っているのだから、問題ない。
それを持ち歩いていた、これが幸いした。
「アサギの加護? なんて」
幸運としか言いようがない、まさに偶然だ。鉄製の名刺入れが思ったより頑丈な事にも驚いたが、神の加護が働いたと思えてしまう。
浮き足立ったダイキは“サマルトに”見せたのだ。未だに正気の戻らない、彼に。
「うああああああああああああっ!」
見せた途端にサマルトから悲鳴が上がる、そして木の上からもくぐもった呻き声が発せられた。
慌てたダイキは名刺入れを丁重に再び仕舞うと、何事かと剣を構える。クラフトとアリナが援護に駆けつけダイキの前に立ち塞がった、三人で息を飲む。
サマルトは剣を手から離し、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
構えていた銀の杖を二、三度回しながら駆け寄ったクラフトは、慌てて抱き起こす。その腕のなかでぴくり、とも動かなくなる。けれども、息はある。顔色も普通だ、呼吸も荒くはない。まるで、眠っているようだった。
「サマルト殿、しっかり!」
クラフトの揺さ振りと回復魔法に、サマルトは数分後何事もなかったように欠伸をして目を覚ました。
「あ、あれ?」
皆の前で、情けない声を出す。
クラフトが脱力感で代わりに倒れこんだが、アリナはサマルトの無事を確認すると声の主を探し、木の上を何度も見渡した。
サマルトもクラフトも無事だろう、背後では懸命にダイキが回復魔法を試みている。二人とも傷はない、ただ精神的にやられただけなので、安静にしていていれば治るだろう。
それよりも、何故サマルトがこちら側に戻ってきたかだ。
ダイキは、アサギの写真が原因だと思っていた。サマルトも彼女に好感を抱いている、だから起きた現象であると錯覚した。一応、筋が通る。サマルトもアサギの事を余程好いているのだろう、と。自分も、アサギに励まされるからそれと同じだろう、と。
幼い勇者は、そう思いこんだ。
真実は、違う。そうでは、ない。
「おい、ミシア! 手当たり次第弓を射れ! 引き摺り下ろす。木の上に何かいるのは解っているだろっ」
「え……えぇ、そう、ね」
アリナの怒鳴り声に唖然と成り行きを見守っていたミシアは、青筋を立てながら弓を放った。怒りを込めて、容赦なく無数の矢を放つ。
「死んでしまえ。なんて役立たず、サマルトも正気に戻った、百足とてすでに全滅した。何処まで間抜けで低脳な愚図なの? ……死んで当然」
ミシアは、冷え切った目つきでくぐもった声を出す。一度たりとも失敗など許されない、能無しは死するが定めと、身勝手な結論に達した。自分の下した命を護れぬ配下など、不要。『アリナを殺せ』と言った筈だ、ところがピンピンしており、今し方は事もあろうに命令してきた。
弓を握る手に力が籠もる、音を立てて砕けそうなほど強い力で握りしめる。
だが、もはや何かが潜んでいる気配すらその場にはない。掻き消えたように、声の主は出てこなかった。弓の宙を駆ける音だけが、妙に響き渡る。
この場から離れたかったが、サマルトとクラフトの安静を優先し、警戒しつつその場で当番制で仮眠もとった。けれども、仕掛けてくることはなかった。
非常に不愉快で、気がかりだ。
しかし、追跡するわけにもいかず、朝を迎えると、五人はその場を立ち去る事にした。馬は二頭いる、交代で乗りながら進む。
顔から心からも笑みが消えたミシアは、最初に馬に乗せて貰えたので手綱を力強く握り締めながら唇を噛み続けていた。アリナは、生きている。無傷だ、目の前を歩いている。夢ではない、現実だった。アリナを見ると、どうにも腸が煮えくり返った。あまり闇の気を放つとクラフトに警戒されるので、必死に押さえ込む。それすらももどかしく、やりきれない。
隣には、申し訳なさそうに落ち込んでいるサマルトと、それを励ましているダイキがいる。
五人は、ようやく街に戻ると船の手配をしつつ空いた時間で再度街を調査した。
ジェノヴァへの帰路は、皆ほぼ無言であった。
街に残留している者達との一刻も早い再会、そして、上手く行けばライアン組が武器を授かり戻って来る。それだけを、願って。
慣れた船旅に戻ったダイキは潮風に吹かれながら、願いを懸けた。
『どうか、皆が早く出会えますように。無事でありますように』
そしてそれは、あの日の事。
木の上で絶叫した人物は、確かにまだ、そこに居たのだ。五人が立ち去る時も、そこにいた。
死体だったが。
サマルトの精神を破壊し、操っていた魔術師だった。精神崩壊に携わる研究を突き詰めて、人間達の魔術師協会から破門された異端児だ。顔中に幾重にも包帯を巻き、人目を阻んで生きてきた魔術師。
決して自分の呪いは解かれることはないと思っていた、だが。
「……お強い“気”、ですね。当然でしょうか、貴女様に敵う者など、誰もおりませぬ」
空中に浮遊し、手下の成れの果てを見ていたタイは静かにそう漏らす。その無残な死体をそのままに、捨て去った。やがてカラスや空の魔物が餌として、死体を貪るだろう。
素晴らしき、生命の巡りだ。
「やれやれ……この場に居ないのに」
タイは喉の奥で愉快そうに笑うと、マントを翻し宙を舞って、シポラへと戻っていく。
「破壊の姫君様は、優秀であられる。まぁ、造作もないことでしょうが」
嬉しそうに、呟いた。胸を躍らせて、頬を紅く染めて湧き上がる興奮を抑えることなく。タイには解っていた、何が原因でこうなったのかを。