拒絶したのは
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二人の件を知らないクレロは、不思議そうに首を傾げつつもアサギを席へと促す。
「さぁ」
「あ、ありがとうございます……」
アサギは断れず引き攣った笑みを浮かべ、椅子にぎこちなく近寄った。
ミノルはその表情に一瞬イラつき、舌打ちしそうになったが寸でのところで堪えた。余所余所しい態度に心が悲鳴を上げ、哀しみが怒りの感情へすり替わる。危うく、またアサギを傷つけてしまうところだった。
取り払う事が出来ない目の前にある透明な壁が、二人を隔てている。
クレロが去り、二人きりになった小部屋に沈黙が訪れた。椅子に座ることなく立っているアサギにミノルは声をかけることが出来ず、残りの菓子を食べつくすことに専念する。
数時間が経過したような錯覚を起こすほどに、退屈で窮屈な時間を過ごした。ようやくソレルが茶を運んできたので、二人は同時に安堵の溜息を吐く。
不思議そうに首を傾げたソレルは、ミノルに新しい茶を淹れた。
三人になったので、ようやくアサギもおずおずと席につく。そして、静かに湯気立つ茶を啜った。
「とても、美味しいです」
「お口に合ってよかったですわ」
二人の会話を聞きながら、ミノルは一気に林檎のような香りが広がる茶を飲み干した。
「ごっそーさん。んじゃ、俺は帰る」
三人とはいえ、やはり空気に耐えられなかったミノルは徐に立ち上がった。
アサギが小さく会釈をし、ソレルは何も知らず微笑む。
部屋を出ようとしたミノルだが、聞こえてきた足音に立ち止まった。布で隔たれただけのその部屋に、勢いよく天界人が飛び込んでくる。ぶつかりそうになったので、慌てて横に避けた。その剣幕に、ソレルが顔を険しくして立ち上がる。
「勇者アサギ様、勇者ミノル様! 緊急事態です、出動してください」
「は?」
「え?」
「他の皆様方は出払っておいでです。至急応援を頼みますが、早急に動く事が出来るのは貴方達しかおりません。武器はお持ちですか? ……大丈夫ですね」
天界人は手短に説明するが、二人はあまりの勢いに頷くことしか出来ない。
「クレロ様は?」
ソレルが問うと、天界人は焦燥感を含む声色で告げる。
「シポラの監視を一時中断なされました。トビィ殿を派遣すべく対応中です」
「一刻を争うのですね。アサギ様、ミノル様、こちらへ!」
ミノルの背にあったエリシオンを見つめ、ソレルは安堵の笑みを浮かべて頷く。アサギも手首にセントラヴァーズを填めている、二人が武器を所持していることを確認し瞳を輝かせると、戸惑っている二人の背を押した。
「え、冗談だろ……?」
ミノルは困惑してアサギを見つめた。こうなった以上、皮肉な事だが共に戦うしかない。気まずいが、協力し合えば前の様に普通に会話出来るかもしれないと淡い期待を抱いた。恋人には戻れないだろうが、見えない壁を少しでも削れるかと思った。
しかし。
「ミノル。あの、私、一人で大丈夫です」
颯爽とミノルの脇に来たアサギは、薄く笑った。
「は?」
拍子抜けして言葉に詰まったミノルに、アサギは畳み掛けるように早口で捲くし立てる。
「えっと、私。仲良くなった天界人様がいて、その、一緒に……稽古していたのです。その方達と行くから、大丈夫ですよ。ミノルは忙しいだろうし、先に地球に戻っていてください。私、今日は用事がないので、へっきです」
大口開けたミノルは、頷くことも反論することも出来ず見つめる。視線は交差したが、すぐにアサギが外した。拒絶されたようで、唇を噛む。やんわりと『足手纏いだから来るな』と言われた気がした。アサギは馴染みの勇者より、付き合いの浅い天界人を選んだという事実に打ちのめされる。天界人を信頼しているにしても、哀しい。
「おいで、セントラヴァーズ」
呟いたアサギは細身の剣を取り出し、俯きがちだった顔を上げ再びミノルに微笑む。
その仕草が、ミノルには妙に腹立たしく思えた。
「そうかよ。お前、強いもんな。俺がいなくても楽勝か。……じゃ、帰るから後は宜しく」
理由はどうであれ、皮肉めいて引き攣った笑みを浮かべることしか出来なかったミノルは拳を強く握り締めた。アサギを睨みつけ、若干震えた声で吐き捨てる。
「……はい」
小さく頷いて去っていたアサギの背を、ミノルはぼんやりと見つめる。口内が、苦い。苛立ちながら頭を掻き毟り、その場で足を踏み鳴らす。
「ホント、やってらんねぇな、オイ」
舌打ちし、馬鹿らしいので言われた通り地球に帰ろうとした。それでも、別れ際にアサギが妙に哀しそうに微笑んだ気がして、気になって追いかける。身体が動いていた、もう後悔はしたくない。
振り返ったソレルは、勇者二人がついて来た事を確認し先を急ぐ。二人の距離が離れていたのが気になったが、そんなことを詮索している余裕はない。
「現在の状況は?」
「村が襲われていたようです。しかし、魔物らは洞窟へ戻っていったと。深追いはせず、援軍が到着次第洞窟へ侵入して頂くことになるかと」
聞きながら、アサギは少し胸を撫で下ろした。単独で洞窟へ入る必要は無いらしい。それならばどうにかなりそうだと、気を引き締める。久しぶりに構えた武器の感触に武者震いが起こった。
転移の水鏡が設置されている部屋の扉には、常に警備の天界人が左右に二人配置されている。会釈をし、アサギは開かれた扉の前で大きく息を吸い込んだ。
「アサギ様、ミノル様、ご無理なさらずに。水鏡に飛び込めば、魔物らが入っていた洞窟の前です。見張っていてください、決して中には入らないように。私は次の指示を仰ぎますので、行きますね」
自分しかいないと思っていたが、呼ばれた名前にアサギは驚いて振り返った。俯き加減で後方に立っていたミノルに言葉を失い、身体が硬直する。
ソレルは深く一礼をすると、報告に来た天界人を連れ立ってクレロの許へと踵を返した。
勇者二人が、取り残される。
何故ここにミノルがいるのか。混乱しているアサギは、声を出せなかった。
ゆっくりとアサギに歩み寄るミノルは、頬を少し朱に染めている。どう切り出せば良いのか解らない。助けに来た、だの、俺も行く、だの気の利いた言葉が出てこない。
警備兵らは、ぎこちない二人の様子など気にしていなかった。
部屋の中にはアサギ、外にはミノル。近いようで遠い二人がそこにいる。
「……ありがとう、ミノル。すぐに応援が来てくれるから大丈夫です」
先に行動したのは、アサギだった。言うなり、内側から扉を閉める。ミノルが手を伸ばしかけたのだが、勢いよく音を立てて拒絶した。閉めてから唇を噛むと、迷うことなく水鏡に飛び込み瞳を閉じる。
「ミノルは。……勇者になりたくなかったのだから、もう、巻き込んではいけない」
数日前、言われた言葉が甦って胸がジクジクと痛んだ。
『いつまでも、見てんじゃねぇよ、このブスっ! お前なんか、昔から、だいっ嫌いだ。そもそもなぁ、誰のせいで勇者ごっこする破目になったと思う!? お前だよ、お前のせいだよ! 最初からお前だけで十分だったのに、巻き込みやがってっ』
ミノルに罵倒されたあの声に、胸が締め付けられる。瞳を閉じると、激怒してこちらを睨んでいる双眸と視線が絡んだ。
「そんな、つもりではっ……!」
ヅキン、とした重い頭痛に襲われる。
『あぁ、まんまと、呪いの姫君に俺達騎士は騙されたんだ! 誘惑されて、その代償がこれだよ! あー、ばっかみてぇ!』
そんな声も、聞こえた。
そう言われたのは、何時の事だったか。
「大丈夫、です。私、一人で出来ますから。どのみち、
自分に言い聞かせるように声を出したアサギは、気丈に正面を向く。何も迷うことはない。
「ミノルを、巻き込まない。彼にこれ以上武器を握らせない、それが私に出来る事。大事な……学校のお友達だもの」
土の上に、立つ。
崖にぽっかり口を開けた洞窟の中は、暗闇に覆われて中が見えない。後方からは人々の悲鳴が聴こえてくる、焦って振り返れば煙が上がっていた。
森に囲まれた小さな村に奇襲をかけた魔物達、目的は何か。
アサギは思案した。村に行き怪我人の手当にあたるべきなのか。回復魔法なら扱える、役に立てるだろう。それとも、言われた通りこの場で待機し、出てきた魔物と戦うべきなのか。
いや、それとも。
「私、勇者なの。勇者に……なったのだから。役に立たねば」
アサギは、強い光を瞳に宿して洞窟の中に入っていった。