絶えない呪いの言葉
文字数 3,287文字
「おはよう、ユキ」
「おはよう、アサギちゃん」
気づいたトモハルとダイキが大きく手を振る。何処へ行っても注目の的のアサギに、皆が視線を投げた。
多くの刺すような視線を背に浴びながら、ユキは顔を顰めたいのを懸命に堪える。居心地の悪さが全身を強張らせ、逃げるように教室を出た。引きつった笑みにならないよう顔に神経を集中させる。
「ユキ、顔色が悪いけど大丈夫?」
「え、そう? 大丈夫だよ」
不安げにのぞき込んできたアサギに、一瞬胸が跳ね上がった。やはり上手く笑えていなかったのかと、ユキは顔を隠すように頬を両手で覆い小首を傾げる。
二人は階段の踊り場へ行き、壁にもたれた。一番奥の階段は、端の教室に用がある生徒しか通らない。遠くでは賑やかな声が聞こえているが、ここは静かだ。
まるで、異空間のように。
「どんな人なの? 写真は?」
ユキはそう切り出した。ボロが出ないように、昨夜懸命に打ち込んだ言葉を思い出しながら言葉を紡ぐ。普段よりも遅いテンポで口を動かし、こちら側に相手を乗せて様子を窺えば余裕ができる。
アサギが眉を寄せ困惑した表情を浮かべたので、しめた、と思った。
「ごめんねっ。写真なんて、ないよね。異世界の人だもんね、不便だね」
つらつらと言葉が喉から飛び出す。嫌味を籠め、語尾を溜息へと変えた。けれども悪気はないように見せかけ瞳を伏せる。
「ごめんね、写真はまだないんだ。今度、撮ってくるね」
別に見たくないけど、と飛び出しそうな言葉を飲み込んで、ユキはにこやかに頷いた。
「うん、楽しみにしてるね!」
そうして、口元をにんまりと歪める。
彼氏は地球人で、いつでも会えるのだから自分が勝っていると心中で叫び、拳に力を籠めた。勢いづいたユキは、湧き上がってきた高揚感に震える。畳みかける言葉が次々に浮かび、早口で捲し立てる。
「毎日会えるの?」
「ううん、毎日じゃないの」
「そうなんだ、大変だね。寂しくない?」
「逢いたいけど、我慢する」
「そっかぁ、私は好きな人に毎日会いたいから、ケンイチと同じ学校でよかったな、って思う。やっぱり、大好きな人ってそうなるよね? アサギちゃんがミノル君を好きだった時もそうだったよね、姿が見えれば嬉しかったものね。でも今回は違うんだぁ。大変だよねぇ、会えないって」
たっぷりと皮肉を籠めた。アサギが気づこうが気づかまいが、どうでもよかった。
「そうだね。寂しいけど……」
言葉を認めたアサギに、ユキは鼻の穴を膨らませる。止めを刺すべく、微かに瞳に涙を浮かべて同情するように胸の前で手を組む。
「みんなに自慢できないのも辛いよね。かっこいいんでしょ、その人。でも、異世界の人だなんて説明出来ないから、紹介出来ないよねぇ。せっかく彼氏がいるのに」
身体をしならせ、“アサギちゃん可哀想”のポーズをとる。打ち負かしたと確信し、昨日の怒りが鎮まった気がして自然な笑みを零した。
けれども。
「自慢? 彼氏は自慢するものじゃないと思うから、辛くないよ?」
不思議そうに首を傾げ、アサギが不信感を露わにした。
その言葉にユキが硬直する。
「それに、その……私の友達はみんな可愛いから、会わせるのは少し心配でもあったり」
しゅんとした様子のアサギだが、照れたように微笑む。
「毎日じゃなくても、少しでも逢うことが出来たらそれで嬉しい。まだ出逢って間もないけど、トランシスさんは、とってもあったかい。確かに、ずっといたいな、寂しいなって思うけど。なんだかこうしてユキに言われたら、想ってるだけでも幸せな気がしてきた」
頬を染めてそう告げたアサギを目の前にし、ユキは鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
それは、恋する乙女の顔。数多の男を虜に出来る、自然なものであり、媚びていない、打算のない、好きで好きで堪らないという、美しい顔だ。
それは、ユキには出来ない表情だった。突然、奈落の底に突き落とされた気がした。
「ユキはケンイチとのこと、みんなに言わないの?」
「ぇ……」
その言葉に、ユキは蒼褪めた顔で頷く。勝利を確信した自分が愚かだったと怒りが込み上げ、上手く言葉が出てこない。溢れ出ていた水は枯渇した。
「う、うん、まだ、その、恥ずかしい、し。わ、わたしも、会えるだけで、嬉しいかな、って」
「そっか。そうだよね、好きな人がいてくれるだけで、なんだかほんわりするよね」
「う、うん、そう。……アサギちゃん、そろそろ教室戻らないと。私、次の授業で発表があるから、準備したい。ごめんね」
「こっちこそ、ごめんね。聞いてくれて、ありがとう」
「気にしないで。私達、
何処までも続く色とりどりの花畑は、癒しの空間だった。そこで大きく伸びをしていたのに、武骨なトラックが何台もやってきて、地面を抉り泥水を引っかけ去っていく。足元の花は踏み躙られ、悲鳴を上げて茫然と遠くを見渡すと、あんなに美しかった花畑が見るも無残に荒れ果てていた。
気に入っていた純白のワンピースが、泥まみれになった。大きなシミは、洗っても消えることはない気がした。その泥は土だけではなく、油も交じっている。擦れば擦るほど、広がって繊維に染み渡る。
汚れたそれは、もう元には戻らない。
「嬉しい、ユキが親友でよかった」
破顔したアサギにユキは唾を吐き捨てたくなったが、そんなことは出来ない。してよいのは、夢の中だけ。今は堪えなければならない、人気がないとはいえ、誰かに見られでもしたら大変だ。
「アサギちゃん、早く秘密基地に行きたいね」
「ユキは何をすることにしたの?」
「うん、課題曲を聴いて覚えたりする場所にしようかな、って。家だと時折邪魔が入って集中できないから」
「とっても真面目で、素敵だな。今度、トランシスさんを紹介するね。ユキはとても可愛いから、心配だけど」
「ふふふ、気にしすぎ! じゃあ、またね」
二人は、手を振って別れる。小走りに去っていたユキを見送りながら、同じ方向だがアサギはゆっくりと歩き出した。真実を話し、心が軽くなったため晴れやかな表情で。
反して、昨夜以上の憤怒に襲われたユキは歯軋りし、怒りに震えていた。隣接している教室で、授業を受けねばならない。
ユキは震える手でノートを取り出した。
静かに広げ、次の授業科目の教科書も広げる。ここは、隅の目立たない席。そもそも、アサギが近くにいなければ、注目を浴びることもない。
誰も、こちらを見てくれない。
次は理科の授業だ。きちんと予習復習をしているため、教科書のページを先生に言われる前に広げた。授業が始まり、先生が教科書通りに説明をする。黒板に書かれる文字を、皆はノートに書き写す。
ユキも素早くシャーペンを走らせ、がむしゃらに書き遺す。
『彼氏は自慢するものでしょ、かっこいいほうがいいに決まってる、頭おかしいんじゃないの、馬鹿みたい! 私の友達は可愛い? はぁ? 何そのとってつけたようなお世辞! アンタが一番可愛いんでしょ、見下すんじゃないわよ、バァァァカッ! なんなのその、自分可愛くありませんー、なアピール、うっざっ! 気づいてないの? んなわけないでしょ、気づいてるでしょ!? 何処に行っても注目浴びてるじゃん! なのに、その気にしません、モテませんな自己主張とか、ホントマジでウッザイ! 会って間もない男をそんなに好きになるんだったら、見た目がいいんでしょ!? 性格なんて、中身なんて、まだわかんないじゃん! ケンイチのことみんなに言わないのって、余計なお世話だっつーの! 親友でよかった? 私は全然良くない、ホントにいい加減にしてほしい、もう、うんざり! あああああ早く秘密基地行きたい、行って大声でわめきたい! アンタと私の男の趣味違うから、好きにならないし、あー、もー、ほんと、ほんと、ほんと嫌嫌嫌嫌嫌嫌、死ねばいいのに! 勇者アサギ、大失敗して死んで消えればいいのに!』
ノートは、まっ黒になった。震える手元を見つめながら、足りないとばかりにユキは再びノートを塗り潰していく。