たゆたう花束~ホーチミン~
文字数 6,436文字
声変わりを迎え、元々大人びていたが逞しく、けれども美しさは損なわないまま成長した。魔性の美童は、魔性の少年へ。成長するほど、世の異性を虜にする魅力は高まる。
ある日、緑の肌に濃紺色した長髪の男が一人、マドリードの家を訪ねてきた。
二階からトビィはそれを見ていたが、マドリードとは親しい様子で朗らかに会話をしている。何処となく、似たような雰囲気を持つ彼に、警戒心を抱くことはなかった。
トビィの視線に気づいて手を振る精悍な青年に、トビィは釣られて手を振り返した。そのまま駆け足で一階へと下り、会いに行く。
サイゴン、という名のこの青年はマドリードの弟だった。
「似てない姉弟だな? 髪も肌も、色が違う」
「あぁ、腹違いの姉弟なんだよ」
マドリードは目を見張るような美女だが、サイゴンは整っている顔立ちながらもどちらかというと一般的だ。ただ、二人が放つ雰囲気は、トビィにとって心地の良いものだった。握手を求めてきたサイゴンに、素直に手を差し出し握り締める。
「君が噂のトビィ君か、姉さんから聞いているよ。よろしく、サイゴンという。一応これでも剣士をやってるよ」
背負う長く大きな剣を下ろせば、音が床に響く。相当重いのだろうが、彼は軽々と持ち運んでいた。
「数年会いに来ない弟ってのもどうかと思うが」
「いやいや、俺にも色々わけがあってね……」
苦笑するサイゴンは、用件を話し出した。マドリードが暫く留守にするというので、代わりにサイゴンが呼ばれたのだそうだ。保護者代わりである。
一人で生活する事が苦ではないトビィだが、一応ここは魔界である。居心地が良いとはいえ、邪な魔族に目をつけられてはいけない。マドリードにとって、トビィは大事な息子であり、恋人も同然だった。
「良い子にしているのよ?」
「もう、そんな歳じゃない」
トビィの頬に優しく口づけると、母親のように慈愛に満ちた笑みを浮かべたマドリードは、そのまま家を出て行った。トビィが魔界へ来てから、たびたび留守にすることはあったが、数日で帰宅した。今回は長期らしい。
男二人が残され、サイゴンは不慣れながらもトビィに茶を煎れ始めた。目も当てられぬような不手際に、自分でやる、と言い出しそうになったトビィだが、ぐっと堪える。好意を無下にしてはいけない。
「姉さんのように掃除も料理もこなせない、期待するなよ。あれだ、男らしく豪快に生活しよう」
一体、何のために来たのか。トビィは、項垂れた。
「夕飯どうする?」
「男の料理は気合で切る、焼く、煮る! もしくは生! さぁて、夕飯は何が食べたい?」
「……料理はオレが担当する。悪いなオレ、味に煩いんだ」
「はっはっはー。任せた」
直ぐにサイゴンと打ち解けたトビィは、遠慮なしに文句を言い合った。兄と弟というよりかは、むしろ友人のそれに近い。実際、トビィのほうが精神的に大人びているようだった。
その日から、サイゴンに剣術を教わりながら、稀に家を出て二人で森で野宿をし、気ままに生活をする。兎を獲って、焚き火で焼き、塩を振ればそれだけでご馳走だ。
「野生的だな」
「男は野性味溢れないとな、面白いだろ、こういうのも」
「まぁね」
トビィは兎を食す時、茸や木の実、そして香草類を腹に詰めて香りを出していただいている。が、これはこれで素朴で美味しかった。
星を見上げながら、二人で暖めた酒を呑みつつ、男同士の会話を愉しむ。
無骨な性格かと思えば案外夢想家なサイゴンは、時折天体を見つめながら魔界に伝わる伝承を話して聞かせた。思えば、姉に頼まれたとはいえ、歳の離れたそれも人間の面倒見るなど、余程のお人よしなのだろう。
トビィは不思議な空気を持つサイゴンを信頼し、尊敬もしていた。彼には、心を穏やかにさせる雰囲気がある。これは、誇っても良いと思った。
「魔族には、古くからの言い伝えがあってね。“星海の向こうに、とびきりの美少女が一人で住んでいる”ってね。まぁ、誰が考えたのか、単に御伽話だけれど。彼女は、どんな願いでも叶えてくれるんだそうだ」
「とびきりの美少女に、願い事を叶える、ねぇ? ありがちな話だな、魔族はもっと現実的だと思っていたよ」
「そんなことはない、予言だって信じるし、結構迷信好きだ」
「予言?」
聞き返したトビィに、サイゴンは狼狽えて口ごもる、どうも口を滑らせたようだ。解りやすい。
トビィがサイゴンを気に入っている理由の一つとして、これも挙げられる。裏表がなく、嘘を吐けない素直な性格なのだ。
察したトビィが、首を横に振った。
「あぁ、返答はいいよ? 言い辛いんだろ」
「いや、うん、その、なんだ……。そのうち話すよ」
苦笑いしてトビィはカップの酒を飲み干す、見上げた夜空では星が糸で縫い留められている様に、頼りなく輝いている。
横顔を見ていたサイゴンは、声をかけるのを躊躇い、無言のまま二人で星を仰ぐ。
「緑の髪の女の子を、捜してるんだ」
「え?」
夜空を見ていると、何故無性に飛び込みたい衝動に駆られるのだろう。何故、懐かしいと思ってしまうのだろう。
トビィが不意に漏らした言葉を、思わずサイゴンは聞き直した。
真顔のまま、視線を星から移すことなく、トビィは続ける。
「気がついたら彼女は夢に出てくる、幼い頃から、今まで、ずっと。緑の髪の可愛い女の子、あんなに美しい子は、この世に二人と存在しないだろう。彼女を護る為だけに、オレは産まれて来たとそう思っている。必ず、何処かに居る筈だ」
「緑の、髪?」
訝しげに呟いたサイゴンは、それきり黙った。
「緑の髪が、そんなに珍しいか?」
トビィは怪訝な視線をサイゴンに投げると、地面から視線を逸らさず、睨み合いをしている。
「……気にしないでくれ、ただの偶然だ」
「気になるな、なんだよ」
「伝承の、宇宙の片隅に住まうどんな願いも叶えてくれる美少女、その子が緑の髪」
「へぇ」
……ただの、偶然だ。
トビィは苦笑いして焚き火にかけ温めていた酒をカップへと注ぎ、再び呑み始める。
「予言の子も、緑の髪だ。偶然だろうけど、みんな緑色なんだなぁ、って思って」
「何だって?」
酒の煙が、星空へ舞う。
神妙な顔つきのサイゴンを、険しい表情でトビィは睨みつける。
森の木々が、風に揺すられて囁くようにざわめく。
晴れているのに、突如小雨が通り過ぎた。
焚き火が、瞬間燃え盛った。
月の光が、眩さを増して二人に降り注いだ。
大地の小さな芽が、微かに震えた気がした。
「現魔王であるアレク様に、交代の兆しが出ているのだそうだ」
「歳なのか、アレクとやらは」
トビィは、率直な意見を述べた。
「いや、若い。若く、賢く、有能で歴代の魔王でも相当な人気を所持する卓越したお方だ。だが、交代の兆しが出ている、と。不穏だろ?」
「それは」
トビィも眉根を寄せる。サイゴンが言わんとしていることが解った。
「成り代わろうとする謀反者が居るか、或いは暗殺され……」
「物騒だな」
口籠るサイゴンをあやすように、トビィは顔を覗き込む。人間界でも、王や村長は交代する。当然魔王も交代するが道理だろう、荒れることは目に見える。
「次の魔王が……緑の髪の娘だそうだ」
「何だって?」
トビィとサイゴンの瞳が交差する、ただの偶然だろう、と二人は思った。
しかし。
キィィィィ、カトン。
音が、聞こえた。
瞬時に二人は傍らの剣を構え、背を合わせて周囲を窺った。
今、確かに奇怪な音がした。
それはまるで、歯車が軋みながらまわったような音だった。
非常に不愉快だ、森でそのような音が鳴る筈もない。
“緑の髪の娘”その言葉が常に絡みつく。まるで、重要な単語だと主張しているように。
仕組まれているかのように、次から次へと出て来る。それらが指し示す意味は、何か。
サイゴンは直感した、マドリードが人間界でトビィに出会い、連れて来たのは必然だったのではないかと。
トビィは思った、自分は緑の髪の娘を守護する為に、魔界へ連れてこられたのではないか、と。
再び、月を仰ぐ。
ざわめく二人に悪寒が走り、同時に身体を抱き締めた。
不吉な、予感が這い寄ってきた。
マドリードの家に戻ってきた二人は、以後、“緑の髪の娘”について口にしなかった。今まで通り、普段通りに生活をする。男二人にも慣れた、トビィに叱咤され、サイゴンは掃除も懸命に行った。料理だけは、やはりトビィが担当している。
全て終わらせた後の御愉しみ、夜に二人で飲み交わす酒は旨く、今日もチビチビ呑み交わす。至福の時間だった。
ほろ酔いのサイゴンは、ベッドに転がりながらベーコンをつまみにして呑んでいるトビィを恨めしそうに見やった。
「トビィは、いいよな」
「何が?」
「彼女がすぐに出来そうだよな」
「はぁ?」
子供を捕まえて恋愛相談か、とトビィは勢いよく吹き出す。
しかし、サイゴンは深刻だ、真顔でクッションを抱きかかえ、炙ったイカを齧りながら語る。
「身長が低くて、ふりふりのドレスとか大きなリボンが似合う子が彼女に欲しい。お人形さんみたいな子。俺よりこーんくらいちまっこい子!」
酒が入っているため、熱弁を振るっている。
面白かったので、トビィは話に乗った。そういえば、今まで恋愛話をしたことはない。
「サイゴンなら引く手数多だろ? 顔だって悪くないし、気さくだし。相手に寄り添って親身になれる。浮気もしないだろうし、優良物件に思えるが」
「褒めて頂き恐悦至極、しかしながら、自慢じゃないが産まれてこの方、彼女が出来た事がない」
「激震……ということは童貞」
言ってはならぬ一言を告げてしまった。
サイゴンは悲鳴を上げ、地面に突っ伏す。図星だった。
流石にトビィは顔を引きつらせた。人間と違い、魔族は長命だ、サイゴンとて何年生きているか分からない。それで彼女がいないとは、今まで何をしてきたのか。魔族は色欲に疎いのだろうか、とも思ったが、マドリードは性に積極的である。実は魔族と人間では美の感覚が違う為、サイゴンが魅力的な男に映らないのだろうか、とも脳裏を過ぎったが、マドリードとトビィの美的感覚は同じだ。
原因がさっぱり分からない。
「可愛い彼女が欲しいと思い続け、自慰行為に励みつつ、気が付いたら独り身だった。姉さんとホーチミンに悉く邪魔され続け、気づいたらこんなイイ歳に。あぁっ、一生嫁さんが出来なかったらどうしよう!」
トビィは、初めて聞いた名を復唱する。
「ホーチミン?」
「あぁ、幼馴染。俺に好きな子が出来るとさ、ホーチミンが彼女達を苛め抜いたんだ。お蔭で嫌われ者の俺だよ、気に入った子が出来ても、うかつに近づけやしない。最近だと、武器屋の女の子が可愛くてさ、声をかけたんだが風のように飛んで来たホーチミンによって、そこの仕事を辞め、引っ越していった。どうしたらいいんだぁあああああああ」
おいおいと泣き続けるサイゴンに、トビィが首を傾げる。
「どうしてホーチミンがそこまで邪魔するんだよ、親でも殺したのか」
「いや、両家共に仲睦まじい。アイツは単に、俺のことが好きなんだ」
落胆するサイゴンは、口にしてから尚、項垂れる。
トビィの脳内で、疑問符が乱舞した。
「ホーチミンを彼女にすれば? 容姿が御世辞でも褒められない程に醜悪なのか? この際諦めろ。性格は確実に捻くれてそうだが、見た目さえよければ……」
「可愛いとか、それ以前の問題だ! 男なんだよ、ホーチミン」
呆れたように言葉を出したトビィにサイゴンが返した言葉、それで全てを理解した。一瞬の沈黙が、トビィの大爆笑で切り裂かれる。
瞳に涙を浮かべて、サイゴンはその爆笑を聞いていた。
数日後。
居場所を突き止めたらしい噂のホーチミンがやって来た。
追い返すべく気合で出迎えたサイゴンだが、数分しないうちに家に入り込んできた。口も達者であるようだ、純朴なサイゴンでは太刀打ちできないだろう。
運び込まれた巨大な荷物が、居候を決め込んだホーチミンの決意を表している。
ホーチミンは、見た目だけならば極上の女性だった。
マドリードと同じ見事な金髪、男が好きそうな艶やかなストレート。長身だがほっそりとした身体つきで、女性的である。足元までの長い丈のドレスを着用し、サイゴンの趣味に合わせてなのか頭部に大きなリボンをあしらっている。物腰も上品で、知らなければただの“美女”で済まされる。
しかし、彼は男である。
「あなたが噂のトビィちゃんね。初めましてホーチミンよ、ミンって呼んでね」
可愛らしく言っているが、声がかなり低い。これはどう聞いても、男の声である。
多少の事には動じないトビィだが、流石に頬が引き攣るのを感じた。背に花でも背負ってそうな雰囲気を醸し出している、初めて見る人種であったが、苦笑しながらどうにか差し出された手をとった。壁に手をつき、項垂れているサイゴン気の毒そうに見つめる。
ホーチミンは気にすることなく、女性でも着用するのに抵抗がありそうなフリフリのエプロンを装着すると、勝手に夕飯の準備を始めた。
「腕によりをかけた私の手料理を、思う存分召し上がれ。ついでに私も召・し・上・が・れ」
きゃっ。
軽い足取りで調理を始めるホーチミンに、サイゴンは泣き崩れる。
引き攣った笑みを浮かべながら、トビィはサイゴンの耳元で囁いた。
「もう、諦めたら? 本気だ、あの人」
手料理も完璧、気立てもよいし良く働く、“女性ならば”土下座してでも嫁に来て貰うべき人物だ。
マドリードは田舎の家庭料理が得意だったが、ホーチミンは流行に敏感で、流行りの食材をいち早く手に入れ、確実に自分のものにする。
ホーチミンの手料理はトビィの舌も満足し、三人での生活が始まった。
夜中、隣のサイゴンの部屋から悲鳴が聞こえてくることにも慣れた。ホーチミンが毎晩懲りもせず、夜這いをかけているらしい。最初はサイゴンの壮絶な喚き声が耳障りで眠れず外に出ていたが、慣れとは恐ろしい。最近では気にせずに眠っている。
宮廷魔術師のホーチミンと、只者ではないと思ってはいたが、サイゴンとて魔族では名の知れた剣士で普段は城の警護をしているのだという、そんな二人に囲まれてトビィは毎日充実した生活を送っていた。
幸せな日々だった、けれども、マドリードが一向に帰って来ない。
一度、サイゴンに連れられて人間界の街へ出向いたトビィは、興味が惹かれることもなく散策し、魔界へ戻った。魔界のほうが、トビィにとっては居心地がよかった。その時に、奇妙な視線に思わず背筋を震わしたが、それが今後トビィに降りかかる災厄の始まりだったとは予測出来るわけもない。
月日は流れ、トビィは魔界で十四歳を迎えた。
天性の才能、そして修行の成果、一人前の剣士としても十分通用できる程に成長した。人間界に戻れば直ぐにでも知名度が上がるほどの達人になれるだろう、だが、トビィは魔界で過ごすことを決意する。
十五歳になると、魔界では職業を選択せねばならないらしく、サイゴンからその説明を受けた。連れて来られた人間も、無論そうして何かしらの職についているらしい。人間と魔族の寿命が違う為、この十五、という年齢は人間特有のものだ。魔界に人間が増えてきたので、いつからか決まったらしい。
「種族が違うのに寛大だな、魔王様は」
トビィは、肩を竦める。