彼らの思惑は何処へ向かう
文字数 3,928文字
「やれやれ、監視というのは実に居心地が悪い」
「するのは、愉しいのにね」
シポラにて邪教“火界の右目は”の教祖を務める双子の兄イエン・アイ、そして弟イエン・タイ。二人の魔族は掌を合わせ、神の視線を探っていた。消えたので同時に唇の端に笑みを浮かべると、直様行動に移す。
監視を外させる為には、他に意識を向ければよい。さすればこちらが手薄になることは明白。平穏を装い沈黙を続け、水面下で準備を整えた。トビィの前に姿を現し興味を引いたのは、計略。
監視がトビィから神に変わった時点で、二人は現神の力を探った。
人間らには信望がない神だが、二人の評価は少々異なる。脆弱でありながら高慢だと思っているが、軽視出来る相手だと認識していた。
何故ならば、四六時中監視可能な場所にいるからだ。それは、天界に住まう神の特権であり、権限。
魔王ミラボーは、自身の水晶球に映像を映し出すことに長けていた。その程度であれば、イエンらも可能だ。けれども、神が所持しているのは過去の記録をも映し出すもの。似て非なるものであり、非常に厄介な代物である。
「何様のつもりか。ただの天界に住まう種族だというのに」
二人は、神の視界が途切れる時を待ち侘びていた。過去を調べ上げるのに時間がかかるよう、一度に多方面で面倒事を起こし、混乱させた。好機は、今。
「さぁ、急ごう。足止めの村に集中している際に」
「あの程度ではすぐに収束する。時間は限られているが、理想の世界を一刻も早く創り上げる為に」
二人は大きく頷くと、壁に描かれている女神に跪く。
「破壊の姫君よ、どうか導いてください。この何処もかしこも穢れきった世界を無に帰し、今一度、皆が真の幸福を手に入れられる世界を産んでください」
「偉大なる宇宙の母、生も死も全てを司る破壊の姫君よ。この堕落した世界を正せるのは美しき貴女様のみ、どうか、一刻も早くお戻りください」
二人は床に愛しそうに口付け、女神を見上げる。心酔している二人の瞳には、最早誰の言うことも耳に入らない。
しかし、悲しいながら“階級”は
それでも、彼らは幻想の世界に憑りつかれていた。
「魔王アレクが死に、魔族たちは無秩序な集団と化した。指導者無き今、些細なきっかけを放り込むだけで、自身の本能に従うだろう。さすれば容易く動乱が起こる」
窓枠に脚をかけ飛び出したアイとタイは、久方ぶりに翼を広げた。翼などなくても飛行は可能なので、普段は隠している。穢れなき真っ白なその羽根は、二人にとって忌むべきもの。
青空に、雪が舞うように白い羽根が漂う。優雅に舞い、二手に分かれた。
塔の頂上に待機していたサンダーバードの前で腕を振ったアイは、指示を受け大きく羽を広げ飛び去って行く姿を見送る。羽ばたく音を聞きながら、忌々しそうに舌打ちして自身の羽を見つめた。
「天界人と魔族の末裔。天界を追われ地上に堕ちた天界人が、高い場所から全てを見下していた日々を渇望し、地べたに這い蹲って全てを恨みながら生きてきた」
強烈な憎悪と恨みを、双眸に焚く。
「人間という非力な存在には、勇者がいる。エルフとて王族が存在し、魔族という忌み嫌われた種族にも魔王がいる。高慢な天界人には、人間も魔族すらも恐れさせる神という存在がある。……ならば、地に堕ちた天界人は誰を崇拝すべきか。救いなどない、心の拠り所すらない。仲間を欲し、魔族に身体を売り、どうにか生に縋って生きてきた者に救済はないのか」
イエン・アイ、タイの親が天界人、というわけではない。先祖が天界人で、魔族と交わり産まれた異端の種族の末裔である。血は魔族が濃い状態にあるが、何故か羽のみは天界人そのものだった。魔族と天界人の混血種は嫌悪する羽を必死に隠し、長い年月を経て、意志で出現させることが出来るようになった。白い翼さえなければ、魔族として扱って貰えた。だが、何処かで歪が出る。
一体、何が違うというのだろう。種族など、誰が決めたのだろう。
神の能力に二人が詳しいのは、堕ちた天界人が子に伝えてきた為だ。先祖代々、受け継がれてきた。その為、彼らは天界人しか知らぬ禁呪をも扱う事が出来る。
空は飛べるのに、天界には戻れない。
地にいるのに、心許せる仲間がいない。
非力な人間は大勢いるのに、仲間に入れてもらえない。
阿呆な魔族は大勢いるのに、見下して暴力で押さえつける。
高慢なエルフは、おぞましいものだとばかりに瞳を背け口を開かない。
「我らの神は、破壊の姫君。彼女だけが、この破滅的な世界を一瞬にして無に帰し我らを救ってくれる。新しい世を作るのに犠牲が必要だとは、この世に生きる全てのものが承知の事」
破壊の姫君、という単語も受け継がれてきた。堕ちた者がどのような階級の天界人だったのか、自身について口にしなかったので解らない。故に、堕とされた原因も不明だ。だが、神に近しい位置で仕えていた者だったのではないかと推測している。
神の能力、神が恐れる破壊の姫君、何度も何度も我が子に教え、堕天はこの世を去った。言葉は親から子へ代々受け継がれながら、呪詛として膨らんでいった。
「破壊の姫君は、最も麗しき容姿を持つ。同時に、何者からも慕われるべき存在である」
何者からも慕われる存在。
そんな存在はあり得ないとタイとアイは嘲笑していた。だが、偶像であろうとも、何処にも身を置けぬはみ出た者たちには必要だった。
破壊の姫君という救済の女神を掲げて、邪教を作った。最初は、世界を混乱に陥れ、報復出来ればそれでよかった。しかし、堕ちた天界人が伝えたその極秘事項が嘘ではないと、心の何処かで信じていた。
邪教の教祖となり人間達に慕われたが、気分は憂鬱。ただ重荷が圧し掛かるだけで、微塵も愉悦がない。それもそのはず、情が移ってしまったのだ。虫けら同然だと思っていた人間たちだったが、話を聴くうちに境遇が同じだと絆された。教徒の拠り所が破壊の姫君という偶像より身近な二人に向けられた時、いよいよ自分たちにも縋るものが欲しくなった。
「破壊の姫君は、眠っている。呼び起こさなければ、彼女は降臨しない。世界の浄化は起こらず、一部の者達が幸福であり続ける不平等な世界のまま」
勇者が異世界から来た、と知った。風の噂というよりも、直感だ。教徒を増やすついでで観に行った二人は、その能力を肌で感じ取った。
異質な勇者を見て、心臓を射抜かれたように震えた。
勇者と呼ばれつつも、勇者には見えない者。見抜けたのは、天界人の血が混じっていた為なのかもしれない。
「あの時の昂揚を、忘れる事が出来ませぬ」
見た目も申し分ない娘で、初めて美しい異性を見た気がした。そして、誰からも好かれているその勇者に震え、破壊の姫君は彼女であって欲しいと切望した。
「全ての叡智を持って、破壊の姫君を降臨させる」
断固とした意志で告げ、塔へ舞い降りる。
「破壊の姫君を呼び起こす為には……」
その頃、タイは山脈に降り立ち、唇の端を上げて嗤っていた。
堕ちた天界人の末裔は、魔族の性奴隷として生き長らえ、忌み嫌われた存在。両親が死に、残された双子は寂しさから互いを求めて禁断の恋に堕ちた。何もかもが許されないこの世界など、不要に等しい。
ならば、無くなってしまえばいい。そうしたら誰しも嘆くこともない。無くなってしまえば、感情すら消える。何も、解らなくなる。楽しい事も、嬉しい事も、辛いことも、苦しい事も、全て考えなくなる。
いや、考えられなくなる。
「破壊の姫君を呼び起こす為には。我らと同じ立ち位置に引き摺り下ろし、痛みを分かち合ってこそ成立する。恐れられ、蔑まれ、拒絶される存在になってこそ、貴女様は覚醒するのです。……種族関係なく信頼され、勇者として皆を護るべき存在だからこそ可能だ」
恍惚とした表情で、吟じるように告げた。
そうして、目の前に佇む塔を見上げる。誰が何の目的で建造したのだろう、奇妙な程に細長い。
それは今にも折れそうな程で、脆く危ういものに見えた。近くにいては倒れた時に巻き添えを食らうと恐れたのか、周辺には集落もない。森の中に建てられたそれは、古代の王の墓標なのかもしれない。もしくは罪人を幽閉する為か、神に逢おうと天へ向かい造られたのか。
しかし、この塔の歴史に興味はない。ただ、格好の場所であっただけ。
その最上階にある小窓から内部へと潜り込んだイエン・アイは小さく溜息を漏らした。
塔への入り口は、二箇所のみ。この小窓、もしくは、付近の森に隠されている隠し通路で地下から進入可能だ。
石を丁寧に積み上げ造られたその塔の内部には、何もない。ただ螺旋状に階段が上へと続いており、最上階へと辿り着くと大人の人間一人が眠れるだけの狭い部屋がある。
アイはその小部屋の石壁を、軽く手の甲で叩いた。思ったより頑丈に出来ている事は承知していたが、再度確認した。懐から取り出した鉄製の金具を、壁に豪快に突き刺す。華奢な身体からは想像出来ない程、それは強い力だった。
埋まったその金具を見て、アイは満足し口元に笑みを浮かべる。喜んで飛び回りたいほどの嬉しさを感じながら、階段を下りた。準備をせねばならなかった、来るべき時の為に。
塔の最上階で、壁に打ち付けられた手首を拘束する磔器具が揺れていた。