誘う二人の魔族
文字数 3,355文字
ミシアは左手にワインを、そして右手に短剣を構えて強張った表情のまま相手を睨み付けていた。
しかし、その先では穏やかな笑みを浮かべた幼い顔つきのその男が、恭しく片手を差し伸べている。整った顔立ちは、娘達を虜に出来るほど甘く、そして声も聞いていて耳に心地良い。
非を上げるならば、人間ではない種族ということだ。額には独特の模様、そして尖った長い耳。恐らくは、魔族だろう。
ミシアの喉が大きく鳴る、魔族と対峙したのは、産まれて初めての事である。顔立ちは可愛らしいのに、肉食獣の様な獰猛な瞳でこちらを見ている。
「よろしければこちらへ来て、一緒に呑みませんか? 良いチーズが入りましたので」
悪びれた様子も無く、優雅に歩み寄って腰を折る。
一歩後退したミシアの額に汗が浮かぶ、この男の力は計り知れない。恐らく自分が勝てる相手ではない、しかし何処にも逃げることは出来ない。しかも、何故食事を誘われているのだろう。もしや、侵入者だと気づかれていないのか。何を考えているのか、さっぱり意図が掴めない。
見た目は麗しいが、先程から肌に突き刺さるような痛みを感じる。空気が震えているのか、脳が警告して吐き気をもよおすほど鳥肌を立てているのか。
そして、ダイキとクラフトは無事なのだろうか。二人はどうなったのか不安だ、まさか死んでなどいないだろうが。
「あぁ、あのお二人でしたらば、まだ彷徨っておられますので大丈夫ですよ。ご心配なく、お二人がこちらに戻られる前に、お帰しいたします」
絶句したミシアに、目の前の魔族は微笑むばかりだ。全てお見通しらしい、口にしていないのにミシアの心を読んでしまった。
ミシアは深く唇を噛み締め、我武者羅に攻撃しようかとも考えたが、無駄な努力だと判断する。
ワインのボトルを傍らに静かに置くと、男を見据え意を決した。
「……貴方は、誰かしら?」
ようやく声を発したミシアに、男は満足そうに笑うと再び深々とお辞儀をする。非常に紳士的な態度に思えた。顔を上げて一歩、また一歩近づいて跪くと、怯えて手を引っ込めたミシアの手を半ば強引に取り、恭しく甲に口付ける。
あまりの事に、ミシアは口をあけて男を見つめる。唇は暖かく、そして柔らかい。ゾクリ、と背がざわめいた。色男に跪かせ、貴族の娘の様に振る舞われ、不謹慎ながらも胸が跳ね上がる。
「これはとんだ御無礼を。申し遅れました、私は『火界の右目は』教祖を務めております、イエン・アイです。アイ、とでもお呼びくださいませ」
深々と未だに首を垂れているアイを見下ろしていると、小気味良い感覚が背筋を伝ってきた。美しい魔族が平伏している様を客観的に想像しただけで、血肉が踊る。
だが我に返る、何故自分に跪いているのか。唇を湿らせ、動揺を悟られないように声を絞り出す。
「……色々と訊きたい事があるのだけれど」
「でしょうね、私達も話したいことが山積みです。ですから、どうかこちらへ」
アイは静かに立ち上がると、丁寧にミシアの手を取り歩き出す。
どう歩いたのだろう、美しい装飾が施されたドアを開いて部屋に入れば、天鵞絨で統一された豪華な場所だ。何処かの王宮の一室のような、気品ある部屋だった。煌びやかな世界が広がっている、こんな部屋は見たことが無い。部屋を見渡せば、窓から外を見つめている長身の男が目に入った。静かにアイとミシアを見つめて深く会釈をし、長い足で颯爽と近寄って来る。
「あら、イイ男」
思わずミシアの口から、本音が漏れた。そこらの男では醸し出せない、圧倒的な存在感は彼の容姿だけが原因ではない。何より、何処となく雰囲気がトビィに似ている気がした。アイよりも自分好みだったので、反射的に頬を赤らめる。
長身の冷酷そうな鋭い瞳の男は、髪の色と瞳がアイと同じであるものの、雰囲気は正反対だ。近寄りがたい雰囲気を纏っているところが、またそそられる。太陽の様なアイと比較すると、この男は月の様だと思った。形を変え、つかみどころがなく、時折丸くも大概は鋭くそして細い。こちらの心を揺さぶって平然としているような、そんな極上の男。
「お待ちしておりました、出迎えもせずに申し訳ありません。イエン・タイと申します」
「あらやだ、声まで好み」
ミシアが熱っぽい声で、そう口にした。低音の、耳元で囁かれたら背筋がざわつくような滅多にお目にかかれない良い声である。
タイは「恐縮です」と艶かしく微笑すると、アイと同じ様に跪き、ミシアの甲に口づける。しかも、アイとは違い、唇を押し付けるというよりも、そっと優しく動かして愛撫するような口付けだ。
「ふぅっ」
ぞわわ、と甲から全身に、快楽が駆け巡る。腹の奥が痺れて、脚が震える。下から上目使いで微笑まれ、ますます身体中が熱く火照る。
ミシアは唖然としたまま、手を引かれて中央の椅子に座った。これまた座り心地が良く、瞬時に眠りに堕ちてしまいそうな感覚だ。皮張りの椅子だが、尻と背中に触れる専用の布団には羽毛がふんだんに使われているのだろう、優しく身体を包み込んでくれる。
心はざわめくが、この心地良さには抗えない。
目の前で手際よく、タイがワインを運び、アイがチーズを出す。
二人が正面に着席したので、開き直ったミシアは堂々とワインとチーズに手を伸ばした。始終自分を恭しく見つめてくる二人の美男子を肴に、ワインを軽く口の中で転がしながら流し込む。目の前の男は間違いなく魔族達だ、だが、何故か客人として歓迎されている。
二人の魔族に囲まれても、恐怖を感じないのは何故なのか。焔のような警戒心は消していないが、この状況を素直に受け入れている自分にも驚きを隠せないでいた。
綺麗に空になったグラスに、タイが再びワインを注ぎ入れる。
入れ方も様になっていた、ワイン愛好家なのだろうか、手馴れている。その様子に感嘆の溜息を漏らすミシアは、意識が朦朧としてきた。酒には強い筈だが、流石に呑み過ぎでもある。もしかしたら、酒の勢いでこの状況でも平然としていられるのかもしれない。血のような赤ワインを恍惚の瞳で見つめ、グラスを転がしながら二人に鋭い視線を送る。
それに気づいたのかタイが微笑し、アイと軽く頷くと口を開いた。
「困惑気味でしょうから、お話を」
「是非、そうして欲しいわ。手短にね」
「承知いたしました。では、まずこちらをご覧下さい」
すっかりミシアは悠々とソファに深く腰掛けて、常にそこに存在したかのように我が物顔で踏ん反り返っている。彼らは、自分に危害を加えない、と悟った。
タイが徐に立ち上がり、壁にかけてある掛け軸を指差す。
「我らが崇めている破壊の姫君です」
「破壊の……姫君?」
小さく復唱したミシアに快く頷き、タイは掛け軸を愛おしく見つめた。
言われて瞳を細めたミシアだが、抽象的過ぎて何が描かれているのか不明だった。
布には煌く星々の中心で何かが爆発を起しているような刺繍が施されていた。目を凝らせば、薄っすらと星に混じって線が見えるが、それだけだ。確かに、布も上等で糸は金や銀を織り交ぜられて作られているようで、高級品には間違いない。しかし、普通に売っていたら間違いなく素通りしてしまうだろう。
だが、アイも深く頭を垂れて見つめているので、ミシアもとりあえずそれを凝視するしかなかった。見続けたり、角度を変えれば何かしら秘密を解く鍵が見つかるかと思ったが、生憎、何も解らなかった。
「麗しき破壊の姫君が降臨されれば、その星は再生を迎えるのです。堕落した星に、制裁を与える存在。それが破壊の姫君……ミシア様、貴女です」
訝し気に、思い悩んで、それでも価値を見出そうと眉間に皺を寄せていたミシアの目が丸くなる。
二人が改まった声で、同時にそう告げた。
数回瞬きしたミシアは、整理が追いつかずに間抜けな声を出す。
「……はぁ?」
※挿絵は頂き物です(*´▽`*)ミシア。着色は私です。