微かな動き
文字数 4,062文字
言われた通り一つ返事で受け入れる事は、苦手だ。特に、納得できないことであれば尚更。不服ではあったが、魔族サーラが滞在する場所へ向かう。渡された羊紙を一瞥すると、位置的には神聖城クリストヴァルの南西、海に浮かぶ小島。
飛行出来ない水竜オフィーリアは、クリストヴァル近海で待機させている。念の為護衛として、デズデモーナを残してきた。杞憂に過ぎないとは思うし、過保護だと言われても仕方がないが、水竜ジュリエッタの件があるので慎重になる。
二体に見送られ、クレシダと共に小島へ向かう。
「そういえば……魔界イヴァンで城が崩壊する直前に、魔王アレクがナスタチュームがどうの、と話していたな」
トビィは瞳を細め海上を何気なく見やり、アレクの言葉を思い出した。
『アサギの御身が最優先だ、アレクセイへ一旦逃げ込む、こちらへ! ナスタチュームらと合流する』
『従兄弟だ、アサギ。落ち着いて紹介したかったが、こうなっては致し方ない』
アレクセイとは、今目指している魔族達が住んでいる島の名前。そこに住まう者をまとめている人物が、魔王アレクの従兄弟であるナスタチューム。魔族サーラは、そこに身を寄せている。
「魔界イヴァン以外に魔族達が住まう場所があったとは」
黙ってクレシダは聞いていた。こういう場合デズデモーナだと直様相槌をするか意見するが、無言で聞き続ける。意見を求めれば応じるが、自ら言葉を発する事は少ない寡黙な竜である。
「主、あれでは?」
クレシダの声と動いた首に、物思いに耽っていたトビィはそちらの方角を見つめる。ぼんやりと島が前方に見えた。
「上陸してみよう、奇襲を受けないことを願う」
肩を竦めたトビィは、クレシダの首を軽く叩いた。念の為、剣を引き抜く。警戒し島の上空を二度旋回したが、反応はない。罠か、歓迎されているのか。
「あそこに」
クレシダに促され瞳を細めると、手を振っている人物が見えた。深紅の長い髪が風になびいて、草原によく映えている。魔族のサーラだと判断し、降下する。
「こんにちは、トビィさん。遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。どうぞ、こちらへ」
「久し振りだな」
案内された場所へクレシダが着地すると、魔族達がどこからともなく集まってきた。彼らの表情は穏やかであり、歓迎されていることを悟ったトビィは頭を下げる。好意的な態度に胸を撫で下ろした。
「おぉ、これは見事な竜!」
クレシダを眩そうに見つめた彼らは、その背から降りてきた人間のトビィに感嘆の溜息を漏らした。威風堂々とした姿に、感心したらしい。
「ナスタチューム様のもとへご案内致します」
「話が早くて助かる」
神よりも好感がもてる相手に、トビィは自然と口角を上げた。
「クレシダ、水を飲みたいか?」
「……そうですね、水を戴きたいと思います」
丸くなり休む体勢に入っていたクレシダに声をかけ、トビィはサーラに目配せする。
「承知しました、お水を運びましょう」
やんわりと頷いたサーラは近くにいた魔族に指示を出す。水はきちんと届けられるだろう。
クレシダに『友好的な魔族達だと思うが、一応警戒するように』と伝えたかったが、すでに瞳を閉じ眠りに入っている。よくもまあこの見知らぬ土地で眠ることが出来るなとトビィは苦笑し、肩を竦めて歩き出す。起きたら用意されていた水を飲むのだろう、常に自然体でいるのが彼である。
「黒竜と水竜は?」
「置いてきた」
サーラに訊かれたので、トビィは素直に答える。嘘をつく必要はない。
「本日は誰の指示で……いえ、一人しかいませんね。トビィさんが自ら此処へ足を運んでくださったとは考え難いので。神ですか」
全てを見透かされているようにも見えて、多少面白くない。しかし、魔族が神を気にしているとは思わなかったので、意外だった。交流がないことは明らかだが、互いに意識し合っていることに驚く。
「御名答、不本意だ」
「でしょうね。けれど、適任者はトビィさんしかいないのですよ。人間からも、神からも、そして魔族からも信頼され一目置かれている存在は」
「お褒めの言葉、どーも」
「正確には、もう一人。いらっしゃいますよね……」
サーラは、何気なくそう呟いた。
怪訝に横顔に視線を流したトビィだが、今は堪える。そして、視線で周囲の様子を窺った。何のことはない、普通の島だ。要塞を作っているわけでもなく、争いとは無縁の場所。自給自足なのだろう、農業に勤しんでいる魔族がそこかしらにいる。広場では子供達が笑いながら遊んでおり、至って
「ここに身を寄せる魔族は、争いごとを嫌います。とはいえ、武器を手放したわけではありません」
「だろうな、あんたがその筆頭だろ」
しれっ、と言い放ったトビィにサーラは苦笑した。
「あちらにいらっしゃるのが、ナスタチューム様です」
囁かれ、トビィは顔を上げた。漆黒の髪の、気弱そうな男がにこやかに微笑んでいる。隣には、精悍な顔つきの男が立っていた。
「初めまして、ようこそお越しくださいました。私はナスタチュームと申します。トビィ殿の御噂はかねがね伺っております。隣にいるのは、オークスです」
「……それはどーも」
ナスタチュームの庭先には、簡易な東屋がある。そこに案内され、木陰に一息つき腰を下ろした。
「アレクがよく褒めておりましたよ」
「へぇ……」
腰掛けはあるが、机はない。椅子の上に用意しておいた茶を、サーラが手際よく淹れる。硝子の大きな器になみなみと入っている赤い液体には、ミントの葉と氷が浮かんでいた。そこからコップにスープを注ぐように入れると、小気味よい氷がぶつかる音がする。実に涼しげだ。
「どうぞ」
手渡され、香りを楽しんでからトビィは口元へと運んだ。紅茶は芳醇、ミントが清涼感を漂わせている。
「洒落ているな、アサギが喜びそうだ」
綻んで思わずそう漏らしたトビィに、ナスタチュームが唇を軽く噛む。
「早速ですがトビィ殿、何点か質問しても構いませんか?」
「どうぞ。その為に足を運んだ、茶を飲みに来たわけではない。こちらも訊きたいことがある」
喉を紅茶で潤してから、ナスタチュームは口を開く。
「まず。魔界イヴァンで何がありました? アレクは……」
トビィは浮かんでいるミントの葉を見つめながら、一呼吸置いて語り出す。良い話ではない、思い出すのも億劫だ。
「ミラボーや、ハイのことは知っているのか?」
「えぇ、勿論です」
「そうか。……ミラボーの目的はこの惑星を占拠することだった。アレクの恋人であるロシファを喰らい、魔力を増幅し愚行に及んだ」
「ロシファ殿は、混血とはいえエルフの一族。魔力増幅の糧になると、知っていたのですね」
首肯したトビィは続ける。
「アレクは、ミラボーによって命を奪われた。看取ったのは魔王ハイ。他にも、多くの魔族らが犠牲になった。勇者一行は、全員無事だ。ミラボーを倒してから強制的に天界へ連行された為、魔界の現状は知らない。知人がいれば出向くが……」
魔王アレクを筆頭に、トビィと親しかったサイゴンやホーチミンも命を落としている。今の魔界を視察する余裕は、なかった。
鼓膜を圧迫するような、深い沈黙。氷が溶け、軋む音が妙に響いた。嘆き悲しむように、風さえも止まった気がする。
黙祷を終えたオークスが、口を開く。
「教えてくださって、ありがとうございました。……現在、魔界イヴァンでは復興が始まっております。生き永らえた魔族達が一丸となって、懸命に。ですが、未曽有の危機に魔界を飛び出した魔族達が多く、人員不足が深刻な問題となっているようです」
トビィは慮外なことを言われ、目を見開いた。まさか、彼らが今の魔界を把握しているとは思わなかった。
「それに、先導者が不在です。本来ならばアレク様の従兄弟であるナスタチューム様が、仮といえども魔王に即位するのが妥当。統率者がおらねば、滞ります」
オークスが神妙に告げるので、トビィは瞳を細めナスタチュームを見た。解っているのであれば、何故こんな場所にいるのか。
「アレクの恋人であるロシファも、魔族王家の血筋。二人の子がいれば安泰でしたが、今となっては」
意外なナスタチュームの発言に、トビィは目を丸くした。ロシファが魔族とエルフの混血だと聞いたことはあったが、まさか王族だったとは。
「ロシファの父は、アレクの叔父です。アレクが知っていたか定かではありませんが、運命かもしれませんね。さて、それはともかくとして。私の存在は、イヴァンに住まう魔族達に忘れられています。今更出て行ったところで、誰も納得しないでしょう。アレクの隣で政を執っていたらよかったのですが……。トビィ殿が魔王として即位したほうが、皆の信頼を得られることは必然です」
イヴァンに出向かない理由は解ったが、軽くトビィは咳き込んだ。冗談にしても酷い。
「無茶苦茶だな」
魔族流の冗談だということにして切り返したが、ナスタチューム達は真剣にこちらを見ている。真髄なその視線に、トビィはたじろいだ。
「戯言ではありません。魔王アレクの後継者が存在しないのが、現在の魔界です。このままでは、無意味な争いが起きかねません」
無法地帯は、確かに危険だ。トビィはさらなる混沌が魔界を襲うかもしれない事実に、喉を鳴らした。
「魔族達がその力を認め、信頼が出来る者が早急に必要なのです。アレクと親密な関係であったのならば、尚更好い。そうなると、該当者はトビィ殿か、勇者アサギ。魔族でなくとも、皆が納得出来るのは御二方です」
再びトビィは咳込んだ。まさかアサギの名まで飛び出すとは思わなかった。そこまで魔族は人材不足なのか、他種族に魔王を依頼するなど有り得ない。
だが考えてみれば、スリザにアイセル、ホーチミンにサイゴンなどアレクの有能な側近達は死んでしまった。知名度だけならナスタチュームの言う通りだ。
「……ところでトビィ殿。破壊の姫君、なる者をご存知ですか?」