月夜に夢見る
文字数 5,660文字
ジョアンは、質素で何の変哲もない街だ。山の麓にある旅人達の宿場街で、設備は普通に整っているものの、目新しいものはない。しかし最近は魔物の出没率が高い為旅人自体が珍しく、宿の主人は夜も更けているというのに、久しぶりの客に浮足立った。
「商隊の方々は通られますが、小人数の旅人様は久し振りです。ようこそ、おいでくださいました!」
大歓迎され恐縮した四人だが、遠慮なく世話になることにした。
ここからアサギの武器であるセントラヴァーズが奉納されているピョートルまでは、山を越えるだけである。トモハルとミノルは、見せて貰った地図に微笑む。もう、目と鼻の先だ。
ほぼ閉鎖されたこの街は、退屈凌ぎに旅人の話を聞くことが好きだった。それが、数少ない彼らの娯楽である。
宿は何件か存在するものの、その多くは自宅と併設であり、普段は客を泊める事がない。風呂も食事も家主と共同で、寝室用の小さな部屋が貸し出されるだけである。特にここ近年、客足が遠退いている為、直ぐに旅人を泊められる家は限られていた。
今回は、一番大きな宿に泊まることになった。そこしか空いていないので、必然である。
慣れない旅で疲労しているミノルとトモハルは、直様ベッドに倒れこみ死んだように眠った。緊張の糸が切れたのだろう。結局、彼らが起きたのは翌日の夕刻である。
ライアンとマダーニも眠りに就いたものの、日の出と共に起き、街の散策を始める。
自給自足の生活を送っている街なので、道具屋を覗けば薬草の質はなかなか良く種類も豊富だった。店内を物色し、疲労回復に効果のある薬草を買い込む。店と言っても、多くは家の前に簡素な手描きの看板がかけてあるだけで、玄関で欲しいものを見せてもらって購入する。それでも、売ってもらえるだけ有り難い。
鍛冶屋もある、普段は農具などの手入れをしているらしいが、刃こぼれしていた剣を、鍛え直すことは出来るそうだ。現在は混んでいない為、旅立つまでに修理は可能らしい。これまた、有り難い事だ。
街人は皆、素朴で飾らない笑顔を浮かべていた。見慣れない二人にも、気さくに挨拶をしてくれる。彼らを見ていると、そこまで魔物からの圧迫を受けていないように思えた。
ライアンとマダーニは肉屋で串焼きを数本と、ワインを一杯ずつ購入して広場のベンチに座る。備品の準備は整った、あとは体調の回復を待ってすぐに出発する。旅立つ前に購入する食材等も発注済みで、宿で出される夕飯まであと数時間程度。
公園の日時計を一瞥し、マダーニは肉を齧る。
「ねぇ、ライアン。私達、何処まで進めるかしら」
「勇者は、見つけ出した。正直マダーニは戦闘から外れても誰も文句を言わないぞ? 本来の目的は母親の死の謎と、父親の捜索だろう」
「何を今更。ミシアの占い結果でも勇者ちゃん達は必須なことだし、ほいほいここでサヨナラ出来るわけがない。ただ、この間のトロルでも苦戦したでしょ? ……魔王ってどのくらいの強さなのかしら。あのトロルを楽勝で倒せるくらいにならないと、無理よね」
「少なくとも、魔王ハイには全く歯が立たなかったな」
二人は、苦虫を潰した様な顔をで俯く。
「勇者ちゃん達に重荷を与えてしまいそうで正直怖いのよね、祭り上げられているけれど、まだ子供」
「それは、思う。本来ならば全く関係ない生き方をしている子供達だろうに」
地球の校庭を思いだし、ライアンは眉を顰める。
「っていうか、謎が多すぎない? まず魔王ハイの目的が理解出来ないのよね、トーマちゃんの言い方だとアサギちゃんは無傷でしょう? 何がしたいのかしら」
「その辺りを突っ込んで訊いて置くべきだったな、彼が素直に教えてくれたかは別問題だが。さて、少し整理してみるか? 最終目的は、魔王斬滅。分岐として、マダーニの両親に関わってきているらしい“破壊の姫君”についての捜査が必要……と」
「トーマちゃんといい、私達の前に現れた魔族達も気にかかるわよね。他のみんなは、今何処で何をしているのかしら。順調に進んでいるのかしら……。ピョートルに到着した時に、誰かから手紙が届いていれば安心出来るけれど」
軽くマダーニは肩を竦める。
主要都市には、手紙通達の転送陣が施されていた。この街には存在しないようだが、大都市ならば街のほぼ中央に位置している手紙受取所に自分宛のものがないか確かめることが出来る。放置していても住所さえ解れば、家ではなくとも滞在先の宿にも届く仕組みになっている。
人間の転送には高等技術が必須だが、手紙だけならば失敗しても誰も死することがない為、幅広く使われていた。死する事がない、と軽はずみに言っても、危篤の情報やらもあるので一概ではないが。
ピョートルにはそれが確実に存在するので、アリナかブジャタから朗報が届いていてもおかしくはない。それに期待していた、無論マダーニも到着次第確実に現在地が把握出来ているブジャタには、手紙を送る予定だった。
太陽が、山に沈んでいく。
二人は並んで、宿へと戻った。旅の途中で芽生えた恋心など儚いかもしれないが、それでも二人は寄り添っていた。宿の部屋が違うのは子供の勇者を考慮してだが、マダーニは非常に不服だ。こんな時くらい、共に居たい。
「なぁマダーニ。全ての謎が解けて世界が平和になったら、俺の故郷で隠居する気はあるか?」
ぼそ、と呟いたライアンに、呆気に取られたマダーニは直様返答できなかった。
何故、このような何の変哲もない場所で求婚されたのか。もう少し時と場所を弁えて欲しいと、軽く眩暈を覚えつつも、この気取らない男をマダーニは気に入っている。体格が良く、顔とて極上の美形というわけではないが整っており、何より笑みが零れてしまうほんわかした雰囲気が好きだった。
「平和になったら、隠居してあげる。ならなかったら、無理よ?」
「ならば全力で謎を解き明かすしかない、ということだ」
笑いながら肩を抱き締めてきたライアンに、そっと頬を染めたマダーニは小さく、頷いた。
あぁ、そうとも。
二人が寄り添う為には、謎を全て解明せねばならないね。
大丈夫、君ら二人は護られている。偉大な加護に、包まれている。今はまだ、解らなくとも。
宿に戻ると、二人の勇者は起きたばかりで寝ぼけている。腹は減っていたので、重たい瞼を抉じ開ける。
夕飯はこの時期に川で獲れるという魚料理だった、塩加減良く焼いてあり白身が淡白で美味い。山菜の保存食に焼きたてのパンと自家製のジャム、サラダはお替り自由だという。無我夢中で食べた勇者二人は早々に宿の風呂に直行し、再びベッドに入り込んだ。
ライアンとマダーニは宿の主人や従業員らと軽く談話しながら、ワインとチーズを戴いた。勇者一行とは言わない、ただの旅人だと説明する。それにしては年齢がマチマチだが、街の住人はそこまで気にしなかった。彼らは魔王や魔物についてではなく、街で何が流行っているのかを訊いて来た。
打ち解けた仲になったので、気兼ねなくライアンは主人と風呂も共にした。こういう生活が、一番楽しく心が裕福になれるかもしれない。隠居したら、自分もこのような宿を経営してみたかった。幸い、マダーニの料理の腕は信頼できる。
「世界が、平和になったら」
呟き、ライアンは瞳を閉じて湯に浸かる。
満天の星空を見上げ、ライアンは思いを馳せた。星の一つが、瞬いた気がした。
部屋に戻り直様眠りについたミノルと反して、トモハルは眠いのに寝付けず呻いていた。何度も寝返りをうつ、もどかしくて、苛立つ。どうにも気分が昂ぶってきて、居ても立っても居られない気になってきた。
「俺の……仔猫?」
トーマに言われた言葉が、胸に引っかかっていた。全くもって、身に覚えのないことだった。仔猫、という単語がそもそも何を指すのかが分からない。確かに犬と猫で言えば猫が好きだ、母親が動物アレルギーの為、家では飼えない。幼い頃は、それでよく不貞腐れたものだった。
しかし、意味が違う。猫は猫でも仔猫、だ。トーマの指した仔猫は、猫では無論ない。
「こ、ね、こ?」
うつらうつらと、現実と夢の狭間で、トモハルは夢を観ていた。夢にしては、妙に生々しい。
それは、夢であって、夢ではない。
目の前で、黒髪の少女が泣いていた。大きな瞳に華奢な手足、か細い腰だが豊かで柔らかそうな胸。ベッドの上で、静かに泣いている。時折顔を上げるが、枕に顔を突っ伏している。深紅の短いスカートから覗く太腿が眩しくて刺激的で、トモハルは赤面して視線を反らした。
それでも泣いている少女に耐えられず、躊躇いがちにそっと手を伸ばし髪を撫でる。艶やかな髪は手触り良く、指を通すとさらさらと流れる。
少女が徐々に泣き止み、呼吸の乱れが正常に戻る。
ゆっくりとこちらを向いた少女と視線が交差し、思わずトモハルは反射的に後退った。
……なんて、綺麗な女の子だろう!
胸が弾け飛ぶように苦しい、全身の血が沸騰するように熱く滾る。息をすることもままならず、ただ、少女と視線を交わした。薄桃色の唇が半開きになり、大きく開いた衣服から零れる程の乳房が顔を覗かせている。扇情的な光景に、喉を鳴らす。少女の瞳は猫の様に強気だが、どことなく寂しそうな光を宿していた。
トモハルは、吸い込まれるように顔を近づけると、口を開いた。
「あい、してるよ……」
マ。
「ま……?」
悲鳴を上げて、トモハルはベッドから飛び起きた。
辺りは暗闇だ、混乱したが、今は真夜中である。いつしか眠りにつき、夢を見ていたらしい。
「“ま”、って何ー!?」
絶叫。
「愛してるって、何だー!?」
咆哮。
「何事だ、トモハル!? 敵の襲来か!?」
傍らに置いてある剣を引き抜き、トモハルの奇声でライアンが飛び起きた。
ベッドの中で寝返りをうった隣のミノルは、頭をかきながら半目でトモハルを睨みつけていた。眠りを妨げられ、かなり機嫌が悪い。
「今の女の子、誰だよっ!?」
混乱するトモハルは、慌てふためく。
あまりの大声に不安になり、隣室からマダーニも駆けつけた。しかしトモハルが寝ぼけただけだと分かると、皆呆れて冷ややかな視線を送った。
赤面してしどろもどろ説明するトモハルに、一応三人は「おやすみ、良い夢を」と告げる。
再び静寂の夜が訪れるが、トモハルだけはやはり寝付けない。
「可愛い子……だったな」
夢だ。
記憶は曖昧で、顔もそこまで覚えていない。ただ、やたらと可愛らしい女の子だったことだけが記憶に残っている。少女の姿が、頭から離れない。それこそ、自分好みな女の子だった。思い出して、赤面する。妙に色気のある美少女だ、異性に関心はあるが、あそこまで現実的な夢は初めてだった。
けれど、再びトモハルが眠りにつけばまた、その少女の隣にいた。夢の中では冷静で、静かに眠っている少女の傍らに近づくと、そっと跪く。
躊躇いがちに顔を覗きこむと、長い睫毛に、形の良い唇が見えた。思わず口付けたくなってしまう。そっと震える指先で頬に触れてみれば、くすぐったそうに彼女は笑った。無邪気な、仔猫の様に。
トモハルは、なんとも言えない幸福感に包まれていた。そして再び口にする「愛しているよ」と。
「 」
トモハルは、確かに夢の中で少女の名を幾度も呼んでいた。知らない筈なのに、知っている。
トーマに出逢ったことによって、トモハルとマビルが繋がり、遠い過去の記憶が揺さぶられている。
「ミラボーの追っ手はまだ来ないかな? 退屈凌ぎに僕が一層しておきたいけど」
ジョアンの片隅、木の幹から宿屋を見ているトーマは唇を尖らせた。
月が美しい夜だった、目を細めて仰ぐ。別れた振りをして、実は追って来た。共に行動はしない、と言ったが見守らないとは言っていない。何も変わり映えしないであろうジョリロシャへ赴くよりも、こちらを監視していたほうが退屈しのぎに成ることなど、十分承知だ。
冷えた肉を齧った、夕刻にこの街で購入したものだ。新たな旅人だと騒がれたが、顔を隠して逃げるようにその場を去った。買った時に軽く暖かなスープで身体を温めたが、これは夜食用に購入しておいたものである。串焼きの肉が数本と、硬くなったパンを齧りながらワインで流し込む。
「マビルとの、過去からの縁。もの好きな男もいるんだね……。僕は天地がひっくり返っても姉さん派だけど」
縁の途中で、黒い靄がトーマには見えた。あれが何を指すのか、トーマには解らない。
先見の能力を持っているのは、アイセルだけではなかった。誰にも告げることがなかったがトーマは、未来が時折読めるのである。
「姉さん……アサギ姉さん。僕が必ず、傍に居るよ」
近い未来、一部の破片がトーマには見えていた。
血塗れのトモハルは、囚われの身。ミノルとマビルは、トーマの敵だ。どういう状況なのか全く理解出来ないが、自分は武器を構えて立っている。ミノルとマビルの表情が苦悶を浮かべており、それが何を指しているのか解らない。こちらを憎んでいるようには思えない、寧ろ困惑し、泣いている。
大地が揺れて裂ける、絶対的な力がトーマの背後に控えていることは解った。
「現魔王など、意味を成さない。取るに足らない駒、なんだ。僕“達”の邪魔をしないでよ」
勇者の武器セントラヴァーズ、それを手にしアサギに譲渡すれば、世界が変わるだろう。変わるはずだ。
……それまでは、僕がこっそり護衛してあげるから。
肉を食べ終え、トーマは月の光に残忍な笑みを浮かべた。