外伝4『月影の晩に』22:運命の歯車
文字数 9,158文字
……たす、けて。
数日かけて到着した場所は、薄ら寒い牢獄の様な塔に似た建物だった。四階建てである建物の最上階へと運び込まれたマローは、そこでようやく猿轡を外された。道中、食事はほぼ与えられなかった。また、馬車の床に転がされていたので深い睡眠をとる事も出来ず、堪え切れずに幾度か失禁もした。
終わることのない屈辱と絶望の泥沼に身を沈めていたが、怒鳴るだけの余力は残っていた。
「これは一体どういうことなの!? なんなの、この扱いはっ」
喉が渇いていたので、声は掠れている。それでも目の前でこちらに白けた視線を送っている二人の王子に怒りをぶつけなければ、気が済まない。
「喉が渇いた、お腹が空いた! お風呂に入りたい、着替えたい!」
両手足を拘束されたまま床に転がされ、背屈ばってマローは訴える。
すると、目の前にパンが転がってきた。
「なっ……!」
怒りで唇を震わせるマローの瞳に、屍のように冷たい瞳で見下ろしていたベルガーが映る。彼は大袈裟に溜息を吐くと、片膝をついて屈んだ。
「いやはや、まさかここまで浅はかな娘だとは。全くご自分の立場を理解していないようで」
腕が伸びてきたので、マローは反射的に避けようと身を捩じらせた。しかし、ベルガーは今までのように髪を撫でようとも、頬に触れようともしない。ただ、耳や髪、首を飾っていた金銀細工を回収しただけだ。
「な、何すんのっ!?」
「返して戴きます、これらは貴女には必要のないものだ」
「何言ってるの!? 泥棒、無礼者!」
耳に痛いマローの喚き声に、軽い頭痛に苛まれたベルガーは眉間に指を添え、大きく肩を落とす。
「亡国の姫君よ、貴女は今後この場所から出られぬよ。着飾ったところで無意味だとまだ理解せぬか」
「私を国へ戻してよっ!」
喚き続けるマローだが、身に着けていた装飾品は全て剥ぎ取られた。眠る時も常に気に入った宝石を身に着けていたので、逃亡最中も外していなかった。これらが傍にあるだけで気丈に振る舞えたというのに、いざ失ってしまうとみすぼらしい自分が浮き彫りになり急に不安になる。
意気消沈したように見えたマローに、ベルガーが追い打ちをかけた。
「本当に何もご存じないようなので、気の毒ですから話を致しましょう。貴女の母上が、死ぬ間際に傍迷惑な予言を残したのです。姉の姫は破滅の子を産む、妹の姫は繁栄の子を産む、と。繁栄の子欲しさにラファーガに滞在しましたが、不躾にも不要な姉姫を押付けようとするばかり。面倒でしたので滅亡させ、貴女を連れ去ったまで。どのみち私かトレベレス殿のどちらかの子を貴女が産めば、ラファ―ガ国は亡ぼす予定でした。時期が遅いか早いかだけで、辿る末路は同じ。いかがでしょう、理解していただけましたか? それとも子供でも解るように、もっと分かり易く噛み砕いて説明しましょうか?」
嘲罵ともとれる言い方に、マローは憤慨した。しかし、大きな瞳を瞬きさせてから皮肉めいて笑う。そんな予言の話など、初耳だった。
「信憑性がない予言を信じたの? 二人揃って馬鹿なの?」
「馬鹿と言われましても貴女の母上は偉大な魔女、無視できない予言ですよ。もう少し、母上について調べておいた方がよかったのでは? まぁ、このように蓮っ葉な娘が産まれたのですから、確かに魔女自体も疑わしいですけれどね。……さて、欲しい子宮を持つ姫は手に入ったので」
どうしたら子ができるか、など知らぬマローは訝しげに二人を見ていた。この先に待ち受ける酷い仕打ちなど知らず、気がかりだったことをぶつける。
「あんなに可愛いって褒めてくれたのに! 私は姫なのよ!?」
「ここまで語っても、まだ立場を理解しない。知性を欠いた顔付きだと以前から思っていたが、ここまで頭が軽い娘を私は知らぬ。対話するのも疲れる……」
ベルガーは、喚くマローの口に再び布を容赦なく押し込んだ。
「あぁ、煩い。少しはしおらしくすれば良いものを……」
喉の奥まで押し込められ、苦しさで涙を浮かべたマローはきつく瞳を閉じた。
「静かになりましたな。トレベレス殿、どうぞ」
後方で呆けていたトレベレスに声がかかり、慌てて焦点をベルガーに合わせる。
「え?」
「生娘は好かない、下で酒宴をしていますので、存分に」
「し、しかし」
「さぁ、どちらの子を孕むか。愉しみですな……と言いたいところですが、気分が削がれて全く愉しめそうもないので、お譲りします」
ベルガーは華麗にマントを翻し、そう言い残すと立ち去った。
放心状態で部屋に取り残されたマローとトレベレスは、暫し沈黙したままだった。
先に抱いてしまえば、その分有利になる。てっきりベルガーが先行すると思い込んでいたトレベレスは、混乱した。何が裏があるのではと、勘ぐってしまう。だが、本当にこの可愛げのない娘を抱く事に苦痛を感じているだけかもしれないと思い直し、ようやく動く。
静かに近寄り、口に押し込められていた布を外してやった。
「ぷはっ! あぁ、ありがとうございます、トレベレス様」
悲涙を大きな瞳に湛え、マローは囁いた。普段振る舞っていた通りに、内心では焦りながらも小首を傾げて微笑む。
「助けて、トレベレス様。あんなに可愛がってくれたでしょう? ねぇ、ここから連れ出して、帰して」
道端に転がっている小石でも見るような冷たい眼差しでマローを一瞥したトレベレスは、助け起こす事もなく床に置き去りにし、用意してあったワインを静かに呑み始める。
悠々とワインを口にしているトレベレスに、怒りが沸々と湧いてきた。今まで無下にされたことがなかったマローにとって、屈辱以外の何物でもない。愛らしく振る舞えば、誰しもが蝶よ花よと褒め称え世話を焼いてくれたというのに。
「いい加減にしてよっ」
ダン!
鋭く叫んだマローだが、騒音に身体を震わせて縮こまる。
グラスをテーブルに叩き置いたトレベレスは足音立てながら近寄ると、何の躊躇いもなく身体を持ち上げマローをベッドに投げ捨てた。
「うるさい」
低く冷たい声に、マローの血の気が一気に引く。城内でのトレベレスとは違いすぎた、あまりの豹変ぶりに恐怖で歯が鳴る。初めて目の前の男を“怖い”と思った。
「大人しくしてろ。先がオレで感謝するんだな、すぐに終わらせてやる」
「っ!?」
それは。
何も知らない姫君には酷なもので、愛情の欠片が一切ない行為だった。泣き喚いたので途中から再び口に布が押し込まれた、そして四肢の拘束は解かれることがなかった。
この行為が何を意味するかも、知らなかった。
ただ、痛い。身体を引き裂かれそうな痛みに意識を手放しそうになるが、それよりも自尊心が砕けそうだった。先日までの、優雅な暮らしが幻にすら思えてきた。何故、このような目に合わなければいけないのか。悔しさで涙が零れ落ちる、壊れ物のように丁重に扱われていたあの日々は何処へ行ったのか。
多少退屈だが輝かしい日常が、永遠に続くのだと信じて疑わなかった。
……だって、御姫様だもの。
トレベレスが去ると、数人の女が無言でやって来て湯に入れてくれた。身体を洗われているその時だけ、いつもの自分に戻れた気がした。その間にベッドは丁寧に整えられ、呆けているとベルガーがやってきて同じ様に身体の内部を掻き混ぜられた。
そのようなことが、交互に度々続いた。
……気持ち悪い、一体これは何なの!? どうして痛い事をするのっ!
愛撫もなく、ただ犯される中でマローは混乱する。優しく宝石を身につけさせてくれたトレベレスは、舌打ちをしている。
……何なの、どうしてなの。
マローには解らなかったが、トレベレスはこう呟いていた。
「双子だって? ……姉と全然違う」
マローは視聴覚を手放すと少しは楽になる事に気づき、ただ揺すられるようになった。だから、その言葉は聞こえていなかった。
似ているからと、妹だからと、トレベレスはアイラを思い描いてマローを抱いていた。
けれども、抱き締めても感情が湧きあがってこない。身体の下にいる娘より、剣を交えたあの日のアイラが鮮明に思い出される。そして、からかいついでに肩に手を置いた際に、恥らいの顔で見上げたあのアイラ。無理に重ねようとすればするほど、双子姫の違いが明確になる。
幾度抱いても心は無論身体すら満たされず、トレベレスは苦痛を感じる様になっていた。
「私は淑やかで優雅な女が好きだ」
「あんたの好みなんて、知らない!」
罵倒し、必死に逃れようとするマローに、ベルガーも散々頭を悩ませている。頬を叩き、最中は言葉が漏れないように毎回猿轡をした。
「本当に……予言と違うならば女王を恨む。なんと可愛げのない娘だろうか」
落胆の溜息を吐きながらも、自由の利かないマローをいいように扱った。
その度に、マローの自尊心は傷ついていく。二人が来ない時は、常に一人だった。食事は運んでもらえたが世話役などはおらず、自分で髪をとかすことをしたことがなかったので、それだけでも苦労した。窮屈な部屋は窓が一つしかなく、時折見える月が救いだった。だが、ここへ来てから見上げる月は、殆んど翳っている。
そんな夜、こっそりと起きて胸元から引っ張り出し透かしてみたのは唯一奪われなかった宝石だ。それは、トモハラが購入し、アイラを経てマローに届いた小さな宝石。
「姉様と、同じ色なの」
宝石を眺め、嗚咽する。懐かしい城での生活、姉と騎士達に囲まれて何不自由なく笑って過ごしたあの日々。
「……助けに、来て」
毎晩、呟く。思い出して、泣き叫ぶ。
「助けに来てよぉ、トモハラ、姉様!」
だが、マローとて見ていた。姉とトモハラは、目の前で殺された。現実を、知っている。
「護るって、言ったじゃないっ!」
それでも、受け入れられない。
小さな姫君の、絶叫。質素な“行為するだけ”の部屋に押し込められ、マローは壊れそうな心を小さな宝石で辛うじて支えていた。
食事も簡素で最低限のものしか出されない、勿論、嫌いな野菜も大量に出てくる。最初は無視して食べなかったが、やはり空腹には勝てずに必死で食べた。こんな時に姉の言葉が甦る、“食べ物は大事”なのだと。
「本当ね、姉様。まさか、嫌いな野菜を食べねばならない時が来るなんて思わなかった……」
虚ろに呟き、マローはぼんやりと天井を見上げる。
子を作る、ということが幾度か行われた苦痛を伴う行為であるとすれば、何故神はそんなことを人間に科せたのだろうと思案するようになった。
互いに愛情を持ち寄って丁寧に言葉と指で愛撫をし、準備を整えてから行為に及ぶものだとは知らない。二人の態度から、それを悟れる筈もない。愛情のない行為だとしても、労わりも慰めも優しさすらない。
「子を作るって、大変なのね。そうよね、命を産みだすのって大変なのよね。手塩にかけて育てる野菜やお肉と同じなのね。でも、そんなこと、誰も教えてくれなかった……」
物知りな姉は、子作りについて知っていたのだろうか。
「どうして姉様が皆に疎まれているのか解らなかったけれど、予言のせいだったのね。でも、こんな地獄を味わうくらいなら、姉様のように死んでしまったほうが楽だったのかも」
果物ナイフが部屋に落ちていた、命を絶とうと何度も手にした。
けれども。
くすくす哂いながら食事を運ぶ女達を、忌々しく睨み付ける。
しかし。
「ベルガー殿、マロー姫の部屋にナイフを置くのは危険では? 自害でもされたら」
「落ち着かれよ、トレベレス殿。あの娘に、そんな度胸あるまい。苦痛が嫌いな娘だ、自分を痛めつけることなど出来るわけがない」
ベルガーの言う通り、マローは自害しなかった。それは、怖かったわけではない。
月影の晩に、思い出す。トモハラを、思い出す。護ると言ってくれた彼を、思い出す。口付けを、思い出す。笑顔を、思い出す。香りを、声を思い出して、そして。
「……待ってるの」
そうなのだ、マローは待っている。無理だと若干受けいれながらも、願っている。助けを、トモハラとアイラがここへ来てくれるのを。
一月経過しても、マローに妊娠の兆候は見られることなかった。それは、二月経過しても同じことだった。
「なんて女として役に立たない小娘でしょう!」
「幾ら顔が綺麗でもねぇ」
時が過ぎ、そんな食事を運ぶ女達の小言も、マローは無視できるようになっていた。どうせならこのまま子が出来ず、予言の実証も出来ぬまま時を過ごしたいと思った。そうした時、あの二人の王子はどんな顔をするのだろう。精一杯の皮肉を込めて罵ってやりたいと、そんな密かな愉しみを妄想する事が愉しくなっていた。
「ベルガー様、極度の精神的緊張が原因かもしれません。城と同じ様な生活とまでは行かなくとも、食事を豪華に、内装も煌びやかにしませんと、このままでは同じかと」
様子を見に来た医師は控え目にそう告げた、トレベレスとベルガーは呆れ返ってマローを見やる。幾ら抱いても毎度抵抗するので、手を焼いていた。捕らえた頃は毎晩通っていたが、週に一度になり、隔週になった。
義務感で女を抱くということが、如何に面倒か思い知らされた。
「早く宿せ、いい加減飽きた」
無理やり自身を捻じ込ませ、最奥に叩き付けながらベルガーはマローに吐き捨てる。
……飽きたなら、止めればいいのに。
マローは睨み付けながら、心の中で罵倒した。口さえ塞がれていなかったら、大声で罵ってやるのにと悔しそうに眉間に皺を寄せて。何故、身体も心も踏み躙られなければならないのか。
やがて三ヶ月が経過した頃には、ベルガーもトレベレスも姿を見せなくなってきた。
マローが人と会うのは食事の時だけ、湯浴みも二人の王子が来ないので毎日させてもらえない。気が遠くなり、常に虚無の瞳で天井を見上げ続ける。周囲がどうでも良くなってきた頃、一日のほとんどを眠って過ごした。
「温かくて甘い、あれが飲みたいの」
枕を涙で濡らし、故郷を懐かしむ。思い出すのは、トモハラだった。
「たすけ、て」
姉と騎士を懐かしみ、焦がれて、夢を観る。三人で居る、夢を観る。城内の庭で、小さな猫達と遊びながら、三人で紅茶を飲み交わす。ただ笑いながら、楽しく暮らす理想郷の夢だった。寒くなれば騎士が毛布を羽織らせてくれる、眠る前に美味しい飲み物を作って届けてくれる。安堵して眠りにつけば、姉が手を握ってくれて子守唄を歌ってくれる。そうして、朝まで同じ床で過ごす。
一人きりの部屋で、そんな夢を見ることが至福に思えてきた。だから、眠り続けた。
幸せな夢を、見る為に。
思えばもう、精神が限界だったのだろう。
ある朝、マローは急な吐き気に運ばれてきた食事に嘔吐した。顔を顰めて布で口を拭ったが、周囲は慌しく動き回る。狼狽している女達を、何事かと遠目に見ていた。食欲はなかったので、すぐに身体を横たえて瞳を閉じる。
「い、急いでベルガー様とトレベレス様にご連絡を!」
「ご懐妊で御座います!」
教育を受けていないので、身体の不調がよもや子が原因であるとは知らずにいた。何人もやってきた医師の診察を受け、駆けつけてきたベルガー及びトレベレスの前で、医師達は同じことを口にする。
「御子が無事、宿っております」
途端、歓声が上がった。
しかし、歓喜の渦の中心にいる主役の三人は周囲に反して冷めていた。
青褪めた表情のトレベレスと、無表情のベルガー、そして関心を示さないマロー。
どちらの、子か。
突如として丁寧に身体を扱われ始めたマローは、不愉快だと振り払おうとした。しかし、どうにも吐き気が込み上げて上手く力を出せない。
立ち尽くしていたトレベレスに、ベルガーは意味深に近寄ると耳元で告げる。
「トレベレス殿の御子だ、おめでとうございます。酒宴の準備を致しましょうか?」
無機質な声だった、身体が不自然に揺れたトレベレスは、必死に感情を押し殺し声を絞り出す。
「そ、そうでしょうか?」
「えぇ。ラファーガ国陥落から、早三ヶ月程度。私はこの姫に飽き、一月半前には通うのを止めているので」
淡々と語ったベルガーに、トレベレスの喉元に苦い汁が込み上げる。
「次期皇子の誕生、心待ちですな。いや、皇女かもしれませんが」
抑揚の無い無感情な声で肩を叩くと、ベルガーは踵を返し手を叩き、酒宴の準備を始めるよう指示を出す。
マローの部屋は四階から三階へと移され、豪商の屋敷並の装飾に数人の女官が付き添う事となった。身体を震わしながらトレベレスは俯き、そして唖然とベルガーを見る。
「子に、執着していたのではなかったのか」
沈鬱極まる調子で呟いてから、我に返った。
……オレで試しただけかっ!
ベルガーは、予言を信じていないと告げていた。戯れにマローを抱いてみたものの、本人に興味を示さず通うのを止めていた。
もし、予言通り産まれた子に何らかの魔力があるのが解れば、その時点でマローを手元に置き、今度こそ子を宿すべく監禁するつもりなのではないだろうか。そうなると、先に産まれるトレベレスの子は殺害される恐れがある。
もしくは疑惑のまま、妹姫こそ破滅だとの可能性を捨てずにトレベレスで試したのではないか。
どちらも、有り得る。
しかし、ベルガーに嵌められた事など今のトレベレスには微々たる事。
「オレと……マローの子だって?」
冷や汗が背筋を伝う、眩暈で壁に寄りかかりながら、トレベレスは青褪めた表情でずるり、と床に片膝をついた。
心配して駆け寄ってきた臣下に混ざり、ベルガーも不意に戻ってきた。一人、鋭い視線で冷酷な視線を崩れ落ちているトレベレスに投げかける。明らかに体調が優れず、絶望に打ちひしがれている男に、容赦ない言葉を降り注ぐ。
「そういえば、妙な事を耳にしましたが。真相をお聞きしたい。トレベレス殿、城にも戻らず別荘にて緑の髪の娘を一人、寵愛しているとか? そのような噂を風の便りで聞きましたが、どうなのだろう」
トレベレスの身体が、大きく震えた。充血した瞳がカッと開かれ、唇が半開きになり、床を見つめ続ける。
ベルガーの発言に周囲はどよめき始め、皆の視線がトレベレスに集中する。
「あくまで“風の噂”ですよ、気分を害したら詫びますが……亡国の姉姫に瓜二つとか? 溺愛して離さず、寵愛していると。トライ殿を表六玉だと言っていたトレベレス殿に限って、まさか……とは、思いますが」
緑の髪……その単語にマローが弾かれたように顔を上げた。我に返った、緑の髪は姉の髪色である。
トレベレスは唇を噛締めているだけで一言も発せず、皆の不信感は募る。周囲のざわめきは、トレベレスが沈黙を続けるほどに、大きくなっていった。
そして。
「マロー!?」
「ねぇ、さ、ま? 姉様!?」
「トレベレス様、一体どういうことなのですか!? 何故マローはあのように髪も梳かれず、やつれた状態でいるのですか!? あの子に、一体何が!?」
「アイラ! どうして此処に来た!?」
突如上がった笛のように綺麗に澄んだ声に、その場の空気は嵐が来る前触れのような不気味な静謐さが漂った。
声の主は被っていた灰色の布を捨てた、すると、さらりとした見事な緑の髪が現れる。青褪めたアイラ姫が、静まり返った部屋の中央に立ち尽くしていた。視線がどれだけ自分に集中しようとも、気にならなかった。マローを見つめ、大粒の涙を零す。耐え切れずに、傍に居たトレベレスに駆け寄った。
姿を目に入れるなり、慌てふためいたトレベレスは息を吹き返したように立ち上がった。アイラを抱き締めてその華奢な身体を覆い、マローから視線を逸らす。そして震える手でアイラの頬を撫でながら瞳を見つめ、悲痛そうに顔を歪めてようやく重い口を開いた。
「後で……後で説明する。何故ついて来た!」
「マローのところへ行くと、聞こえてしまったのです。どういうことですか、子って、何のことですか? マローは鉱山で、宝石を吟味しているのではなかったのですか!?」
「話を聞いてくれ、アイラ! 頼むから」
姉の姿を見つけ、マローは弾かれたように立ち上がった。
けれども、すぐに違和感に襲われた。何故、あの時死んだはずの姉が生きているのか。いや、それは嬉しいのだが、あの姿だ。髪に、耳に、首元に手首に、煌びやかな宝石を纏っている。着ているドレスは目立たない色合いだが上等そうな布であり、以前姫であった頃のマローとなんら変わりのない、豪華な装飾の数々で彩られている。
姉は、破滅の子を産む、呪いの姫君ではなかったのか。あの日、燃え盛る城内で腹部を貫かれたのではなかったのか。そして何故、トレベレスは切なそうにアイラを見つめているのだろう。声とて優しい、まるであれは。
マローは唇を横一文字に強く結び、重い腹部を押さえながら嫉ましそうに姉を見つめる。待ち焦がれていた、姉を嫉妬の念を籠めて見つめる。あの日と同じ様に、自ら切り裂いた寝巻き姿で勇敢に剣を振りながら助けに来てくれるのだと思っていた。姉は馬にも乗れた筈だ、颯爽と現れ自分を連れ出してくれるのだと思い込んでいた。トモハラもそこにいて援護してくれて、夢が現実になるのだと信じていた。しかし、待っていた筈の姉の傍に、トモハラの姿は見えない。
部屋の中心で一際輝きを放っている、麗しき姉。ほんの数ヶ月前の自分が、そこに立っている様だった。
マローは、身体を小刻みに震わす。抑圧されていた感情が、戻ってきた。攫われた自分の、この凄惨な扱い。反して、攫われずに捨て置かれた筈の、姉の扱い。
「なんで」
何故姉は着飾って、トレベレスに必死に宥められているのか。
ざわめく一室、回転する部屋。
疑心、嫉妬、焦燥、狼狽、追及、憎悪、親愛。それぞれの思惑を詰め込んで運命の歯車が音を立てて廻る。
時刻は今から三ヶ月前、ラファーガ国滅亡後の城内へと戻る。
キィィィ、カトン。