いつか一緒に
文字数 7,237文字
「おはようございます、ハイ様、アサギ様」
「うむ、おはよう。今日は宜しく頼む」
ハイは、困惑した様子のリュウを一瞥したが、何も言わなかった。見たところ一人なので、着いてくることは出来ないと判断した為だ。
「四人で出掛けるぐもか、楽しそうだもぐ。いってらっしゃい」
妙に聞きわけの良いリュウを、ハイは些か警戒した。しかし、本当に見送るだけらしいので、胸を撫で下ろす。
「アサギちゃん、ミノタウロス車かキマイラ車だと、どっちに乗りたい? 乗ったこと、あるかしら?」
「あの、なんでしょうか、それ……」
平然と言ってのけるホーチミンに、アサギは顔を引きつらせた。言葉から大体の想像は出来たが、それに乗らねばならないのだろうか。僅かに、恐怖を感じる。
「知らない?」
「ごめんなさい、解らないです。その、なんとなくおぼろげに予測は出来ましたが……」
「そっか、人間界にはないのね。こっちでは有り触れた乗り物で……アレのことよ」
ホーチミンが指差した方向に、停留所がある。
早い話馬車だが、馬ではなく魔物が繋がれていた。
「な、成程。そうです、よ、ね」
客を待っているらしい姿に、絶句した。誤って遭遇しようものならば、攻撃を仕掛けてしまいそうだ。
車に繋がれたキマイラは、興味深そうにアサギを見つめている。人間の香りを感じ取り、餌だと認識しているように思える。
苦笑したアサギだが、ミノタウロスからも視線を感じて一歩後退した。
「ドラゴンが最速だけど高いのよねー……。ハイ様、運賃出してくださる?」
「あぁ、構わないが」
「じゃ、ドラゴンね」
今日の代金は全てハイが支払うことになるのだろう、サイゴンは一人静かに合掌する。
「あーでも、ドラゴンだとみんな一緒に乗れないか。それだとつまんないし、キマイラにしましょう」
「移動手段くらいなんでもいいだろ」
「よくないわよっ! ここから愉しまないとっ」
素早く乗車手続きをしたホーチミンは、意気揚々とキマイラ車に乗り込む。
アサギとハイは顔を見合わせ、こちらの様子を窺っているキマイラに引き攣った笑みを浮かべて会釈をしてから、乗り込んだ。
キマイラ三頭が荷台を引き、高度は低いものの宙に浮いて森を駆けていく。
「わぁ、凄い!」
外観はともかく、宙に浮いて滑走する未来の乗り物を彷彿とさせたキマイラ車に、アサギは瞳を輝かせていた。乗り心地は悪くはない、クッションが柔らかく振動を吸収してくれる。屋根もついているので、雨天でも安心だ。
「遊園地のアトラクションみたい!」
すでに楽しんでいるアサギを見て、ハイも上機嫌である。
定員四名で多少窮屈であるものの、久し振りの買い物であるホーチミンは胸が躍っていた。おまけに、全額ハイに支払いをお願いする予定だった。これで笑みが零れないわけがない。
「アサギちゃん、私の行きつけのお店巡りで良いかしら?」
「はい、お願いします!」
「昼食も、こちらで選んでよいかしら?」
「はい、楽しみです!」
身体をしならせながら、始終笑顔のホーチミンを盗み見ていたサイゴンは、呆れた溜息を吐いた。
「高級店ばかりに向かう気なんだろうなぁ」
気の毒そうに、ハイを一瞥する。
暫く揺られていたが、街に到着するなり、水を得た魚の様にホーチミンは機敏に動く。真っ先に高級宝石店へ直行した。普段ならば外から眺める店だが、今日は違う。胸を張って入店し、ここぞとばかりに物色を始めた。
アサギも目を見張った。眩いばかりの装飾品に、感嘆の声を上げずにはいられない。煌びやかな宝石達が所狭しと並んでいる、神々しくて、目が痛くなる。
「わぁ、綺麗ですね……」
「これ、アサギちゃんにどうかしら? 素敵だわ! いかが? ハイ様」
「ふむ、似合うな。よし、買おう」
「あ、ついでにこれもください」
アサギに似合いそうな物をハイに勧め、どさくさに紛れて会計時に自分の物を滑り込ませる。凄い手捌きだ、俊敏な動作でホーチミンは勝手に高額宝石を買い込んだ。
呆気にとられたサイゴンは、見なかったふりをした。
こんな調子で数店、まわっていく。昨夜から周到に計画を練ったのだろう、ホーチミンは迷うことなく店へ店へと渡り歩いた。
店に入る度に増えていく荷物を抱えているのは、無論サイゴン一人だった。
「おぃ! おぃ、ミン、止まれ!」
「今忙しいから後にして。ほら、アサギちゃん。これからの季節、魔界には肌を痛める日光が降り注ぐの。それで、これを肌に塗って保護するのよ。ほら、香りも良いでしょう? 薬草が主成分なの」
日焼け止めクリームだ、アサギは納得して頷いた。
「ねぇ、ハイ様。アサギちゃんの白くて柔らかな皮膚が、日光で痛めつけられるのは困るでしょう?」
「おぉ、それは一大事。買わねばな」
「これくださーい。もう一つ追加ね」
昼食も、一級料理店がすでに予約してあった。窓際の個室で、意気揚々とホーチミンは舌鼓を打つ。
アサギと一緒なので笑顔の耐えないハイだが、流石にアサギも首を傾げ始める。店内の豪華な絵画や小物を見ていると、支払いが不安になってきた。
「……ミン! ちょっと来いっ」
「後にして、まだ食べてないのよ、白身魚の蒸し焼き」
サイゴンはハイに頭を下げながら、不満そうに唇を尖らせたホーチミンの腕を引っ張り上げ席を立った。
手を振りながら優雅に食事を続けているハイと、困惑気味のアサギを残して二人は物陰へ消えていく。
「おいっ、調子に乗るな」
珍しく声を張り上げたサイゴンに、微かにホーチミンは目を開いた。だが、すぐにそっぽを向いて舌を出す。
「なぁにぃ、これくらいイイじゃない。だってサイゴン、何も買ってくれないんだもん」
「どーして俺がお前に買ってやらねばならんのだっ! ……じゃないだろ、よく考えてみろっ」
怒鳴られても、髪を指に巻きつけながらきょとん、とホーチミンは小首を傾げる。
仕草は確かに可愛いのだが、男だ。着飾ったホーチミンは確かに擦れ違ってきた同年代の女達より美しかったかもしれない、けれども、男であることは覆せない。
大きく息を吸い込むサイゴンは、がっくりと肩を落とし壁にもたれかかる。
「ハイ様の財力、ミンは計算違いだ」
「ふぇ?」
汗を拭きつつ語るサイゴンは、荷物が重くなった頃から嫌な予感がしていた。
「アレク様は解る、ここの魔王だ。だが、ハイ様は異世界からの訪問者だぞ? 魔王と呼ばれてはいるが給料など貰ってないだろう!? 魔王=金持ち、という定義は成り立たない」
つまりサイゴンの主張は、いつしかハイの金が尽き、自分の支払いに廻ってきそうだから止めて欲しいということだ。
確かに、アレクが他の惑星からやってきた自称魔王達に給与など渡すだろうか、渡すわけがない。そもそも他の魔王は働いてなどいない、ただ、魔王アレクの城に居住しているだけだ。魔王ハイとは肩書きであって、惑星クレオにおける職業ではない。
つまり、ハイは早い話無職である。
「!? な、なんですって!?」
すっとんきょうな声を上げたのはホーチミンだ、確かにサイゴンの言う通りかもしれないと青ざめて口元を押さえる。
「そ、そうよね……惑星ハンニバルならば、魔王として君臨していた。栄華を極めていたのだろうケド。ここは惑星クレオだものね、無職よ、無職で間違いないわ! だってここの魔王はアレク様だものっ」
「うん、そう」
わなわなと震え始めるホーチミンは、もっと早くにそれを伝えて欲しかったとサイゴンを鋭く睨む。
「こ、ここの支払い、大丈夫よね……?」
「知るか。最悪、魔王アレク様へのツケになって、スリザ隊長に発覚されて大目玉だぞ。俺は断固として支払いを拒否する」
「い、いやああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
がったーん!
盛大に近くにあったテーブルを倒したホーチミン。慌てて店員がすっとんでくるが、彼をも跳ね飛ばす。
気の毒に、彼は壁に豪快に叩きつけられた。
スリザの名が出た瞬間、悪寒が走った。そんな失態、知られた日には半殺しだ。ハイをヒモ扱いしていたことも、厳しく罰せられるだろう。減給は必須、寧ろクビかもしれない。そうなると、ホーチミンも無職だ。
「じょ、冗談じゃないわよ!? 払えるわけないでしょお、代金四人分なんてっ」
「自分で蒔いた種だ、なんとかしろよ」
「あーん、助けてよサイゴンっ」
「知らんっ」
無い胸を押し付け抱きついてきたホーチミンを、サイゴンは顔を引き攣らせつつ剥がす。
「でもでも、まだ行きたいところがっ! お洋服は諦めるわ、でも水着は欲しいのっ。今年の新作、すっごく可愛いのっ。淡い桃色でふわふわなの、ここがこうで、こうなってるの!」
身振り手振り、説明する。ホーチミンは、新しい水着が欲しかった。本来の目的は、それである。
「男物でいーだろうがっ! それに、型落ちなら安く売ってるだろう!? そもそも、隠す乳もないだろーがっ」
「嫌よっ! サイゴンは他の男に、私の胸にある二つの神々しい突起が見られてもいいっていうの!?」
「神々しい!?」
思わず吹き出したサイゴンは、額を押さえた。頭痛と眩暈で嘔吐しそうになる。
そんなサイゴンを尻目に、ホーチミンは倒れこんですすり泣いた。瞳を潤ませ、薄幸の美女を演じる。
「女物だと、男の大事なモノがくっきりと目立つと思うんだが。男物に服を羽織れよ」
冷静なサイゴンだが、鬼のような形相でホーチミンに怒鳴りつけられた。
「だから腰巻が必要なんでしょー!? この腰の美しい曲線美を強調するにはあれが必要なのよ!」
「腰巻? 腰に巻くなら何でもいいだろうが」
「違うのよ、水着専用なのっ。布の面積が大きいなら身体に巻きつけて服みたいにも出来る、とても便利なものよっ。今年突然出現したのっ」
腰をくねらせ、曲線美を強調する。
確かに、その辺りは美しいとサイゴンも納得していた。しかし、どうしたって男である。
「くだらない……さっさと食べて帰るぞ」
「やー、やー! 絶対水着は買うのっ。私、アサギちゃんときゃぴきゃぴちゃぷちゃぷ、水遊びするんだからっ」
必死に駄々をこねるホーチミンの気持ちは、若干サイゴンとて解っていた。
これまで、ホーチミンは水遊びをしてこなかった。女の友達がいなかったので、遠くから眺めるか涼む為に脚を湖に浸すくらいだ。しかし、今年はアサギがいる。脳内では、楽しい華やかな水遊び計画が進行している。
「なら、早く言え。……男だって」
「言ったら。アサギちゃん、私のこと軽蔑するかもしれないから」
「でも、嘘はいけないと思う。それに、アサギ様なら受け入れてくれる気がする」
コツン、とホーチミンの額を小突いてサイゴンは腕を引く。
「ほら、戻るぞ。とりあえず、買い物は禁止」
「水着は、買う。きちんと、自分で買うわ」
小声で静かに呟いたホーチミンを、軽くサイゴンは見つめた。幼馴染だから、滅多に自分以外には我儘言わない事を知っている。他人に対して勝気で強気な態度だが、間違った事は大抵言っていない、正論を通す。華やかで目立つホーチミンが、影で悪口を言われている事も知っている。
女性の影口対象には、もってこいの人物だった。
項垂れたままのホーチミンの手を握り歩くサイゴンは、幼い頃はいつもこうだったとぼんやりと思った。何時からか女装に目覚めたホーチミンだが、幼少は元気に飛びまわる普通の男の子だった。共に暴れまわって、大人に怒られたものだ。
何処で、変わったのだろう。
「サイゴン様、ホーチミン様、おかえりなさい」
にこやかに微笑んで出迎えたアサギは、ハイと共に食事を終えていた。
ぎこちなく微笑み返すホーチミンは、優雅に着席すると残りの食事に手をつける。
「ごめんなさいね、すぐ食べるから」
「ゆっくりで構わないのです。ここの紅茶、とっても美味しいです」
「お口に合ったかしら? 良かった」
素直なアサギに、胸が痛む。いつ言うべきか。早いにこしたことは無いのだが、勇気が出ない。口にする高級食材で作られた料理達の味が、もう解らない。
「次は何処へ行くのかね?」
腹を擦ってまったりとしているハイに、アサギは控え目に囁く。
「あの、ハイ様? お金ってたくさんあるんですか? 先程からたくさんお支払いをされているように思えますが……」
その発言に息を飲むサイゴンとホーチミンは、聞きづらい質問をよくしてくれたと感謝する。
「ミラボーが以前くれた宝石があるから、大丈夫だ。……おそらく?」
おそらく、が恐ろしいが三人は胸を撫で下ろした。無職でも、小遣いは貰えていた様だ。
結局水着は後で買いに行こうと、店には行かなかった。
ぶらぶらと屋台を見て回り、公園に立ち寄って談笑する。
魔界は、今日も平穏だ。
「さて、帰りますか」
陽が傾いてきたので、サイゴンが立ち上がった。大人しく頷いたホーチミンは小さく溜息を吐くと「そうね」と力なく呟いて帰路へつく。
キマイラ車に揺られて城に舞い戻った四人は、そこで別れた。
仲良く手を繋いで帰っていくハイとアサギを、ホーチミンはぼんやりと見つめる。大量の荷物に埋もれて幸せな筈なのに、心はどうにも寒々しい。
「言ってないのか」
手を振りながらそう告げたサイゴンに返事をせず、無言で立ち尽くす。けれども、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえて俯き気味だった顔が上がる。
「……チミン様! ホーチミン様!」
アサギが全力で戻って来た、ハイが慌てて追いかけている。
手を振りながら懸命に駆けよっていくるアサギに、サイゴンも目を丸くする。
二人の目の前で止まったアサギは、深くお辞儀をした。
「今日は、ありがとうございました! とっても面白かったです」
曇りのない瞳で、御礼をした。
「また、お城で会えますか?」
「会えるわ。いつも居るし、会いに行く」
「よかった、おやすみなさい!」
アサギは、手を振る。友達にしてきたように、普通に手を振る。
それにつられて、ホーチミンも手を振った。
迎えに来たハイに連れられてアサギは帰っていくが、再び振り向いて手を振っている。
「……いい子だぞ、早く言えよミン」
「う、ん」
足元に転がる本日の戦利品たちに埋もれて、無気力に手を振り返し続ける。暫し、その場に立ち尽くしていた。後悔した、もっと早くに自分の性別を伝えるべきであったと。
今日はとにかく楽しかった、服の趣味が似ていたから笑いながら共に買い物が出来た。互いに選びあって、試着をして、意見を言い合った。
こんな買い物を、したことがなかった。
「私……どうして男なの?」
呟いたホーチミンの言葉に、サイゴンが隣で空を見上げる。紅く染まり始めた空が、何処かひどく、物悲しい。美しい、空だったが。
「私……マドリードみたいな女性になりたかった」
「姉さんか」
「あの人は本当に気高くて美しかった」
「無茶もしてたがな」
亡くなった、サイゴンの姉マドリード。夜半前の美しい空は、遠くて儚くて、マドリードを思い出す。
「帰ろう、ミン」
「……うん」
項垂れて、足取り重くホーチミンはサイゴンに腕を引かれて歩く。
いつしか、夜の帳へと。
キィィィ、カトン……。
入浴を済ませたアサギは寝台に転がると、窓際へと駆け寄った。
懸命に空を見ていたところへ、ハイが入室する。爪先で立ち何かを探すように上空を見ているアサギに、不思議そうに首を傾げる。
「どうした、アサギ?」
「七夕、って知ってますか?」
「ん?」
知らない、と首を横に振った。
微笑んだアサギはハイを手招きし、窓から身を乗り出し一緒に並んで空を見上げる。
「私の住んでいるところにある、えーっと、昔話というか行事です」
「ほぅ、是非聞かせてくれ」
庭先からの虫の声が聴こえた、熱が残る空気も微量の風で心地よく感じられる。
「私が間違えていなければ、今日は七夕で。七夕は一年に一度、彦星と織姫という恋人が再会出来る日なのです。あ、あれ昨日だったかな……んーっと」
「一年に一度?」
「はい。優秀な牛使いの彦星に、優秀な機織の織姫でしたが、二人は恋仲になると自分達の仕事をほったらかしにしてしまいました。怒った神様が二人を引き離したのです。恋に溺れて、やるべきことを忘れてしまった二人への罰なのです。年に一度、天の川でカササギの導きにより、二人は逢えるのです」
「なんともまぁ悲惨な話だな……私は耐えられん」
即答したハイに、アサギは苦笑する。
「いつか。二人は赦されて一緒に居られる日が来ると思うのです。それまで、我慢です」
アサギは唇を動かす。
……いつか。二人は赦されて。一緒に居られる日が……来ると。
ハイの呼びかけにも応えず、アサギは無心で夜空を見上げていた。
惑星クレオの魔界イヴァンでは、天の川が見られなかった。地球とは位置が違う、見えなくて当然か。そもそも、ここが同じ宇宙なのかすら、アサギは知らない。
「いつか、ゆるされて、いっしょに」
幾度も、“その言葉”を繰り返す。
飽きることなく見上げる夜空に、流れ星。