次期魔王に選ばれし勇者
文字数 3,290文字
混乱しているトビィに、畳み掛けるようにナスタチュームが話しかけた。一瞬硬直した為、知っていると判断し返事を待たず続ける。
「数年前から急速に広まった邪教ですね。教祖は魔族で、彼らが崇め奉る者が破壊の姫君。類稀なる美しさで、世界を一瞬にして葬り去れる能力を持つ者」
淡々と説明するナスタチュームに、トビィは然程驚かない。一見虫も殺せぬような優男だが、喰えない。アレクよりも、余程魔王に向いていると思った。腹の底に、何を抱えているのか分からない男は不気味だ。
「知っている。つい最近まで、本拠地らしいシポラの監視に当たっていた。邪教の名は“火界の右目は”だとも」
トビィは、包み隠さず知っていることを口にした。
ナスタチュームは、小さく頷き続ける。
「彼らが本格的に表だって動き出したのは、勇者が異界から来た頃からです。それまではただ、水面下で教徒を増やすのみでした」
トビィが眉を顰めたが、気にせずナスタチュームは続ける。
「アイセルはご存知ですね? 彼は予言家の末裔で、魔族が繁栄するよう極秘に未来を指し示してきました。故に、アレクの側近として常に傍におりました。その予言家が最期に残した未来は、次期魔王について。その予言は彼の親が遺しました。残念ながら、彼には能力が備わらなかったと聞いています。その予言を
「……なんだって?」
ここまでアサギが関わってきてしまっては、顔色を変えずにいられない。平常心でいられなくなったトビィは、声を荒げる。
勇者が、魔王となる。そんな馬鹿な話があるのだろうか。
「勇者アサギにお会いしたい。どうか、機会を作っていただけませんか?」
トビィはすぐさま返答が出来なかった。情報量が多過ぎて、処理に当惑する。
「私からは以上です。魔族達が安心して暮らすことが出来る世を作る事が、アレクの夢でした。従兄弟として私が継げばよいのですが、生憎その器ではない。ですが、せめて次こそは魔王を補佐したいと思うのです」
「アンタの気持ちは解らなくもないが……」
言葉を濁らせたトビィに、ナスタチュームは真髄な瞳を向ける。
「正直、私は予言という信憑性にかけるものを信じておりませんでした。ですが、アレクが志し半ばにして倒れた以上、縋りたい気持ちが生まれたのです。アイセルの妹に“マビル”という名の少女がいます。彼女に瓜二つの者こそ、次の魔王となる。……勇者アサギです。アイセルからの報告では、確かに似ていると」
「すまない、少し考えをまとめる時間をくれ」
片手を上げ会話を制したトビィは、項垂れる。口内が急速に乾いたので困惑気味に紅茶を飲み、暫し沈黙する。
「そのマビルとやらは何処に居る?」
「行方不明です。彼女を捜しに魔界へ行きましたが、姿は見えません」
「巻き込まれ、命を落とした可能性は?」
「無きにしも非ず。ですが、彼女がいようがいまいが、支障はありません。マビルは、魔王後継者を判断するための道標。判明した以上、正直彼女は不要です」
「……随分と辛辣な物言いだな。アイセルの妹だろう」
知らない相手だが、今のナスタチュームの言い方は癇に障る。トビィは、睨みをきかせた。
「失礼。ですが、切羽詰まった状態なのです」
ナスタチュームらが魔界の現状を把握していたことも、これで納得がいった。普段ならば、トビィは赤の他人を気遣うことはない。しかし、どうにもマビルの存在が不憫に思えた。アレクの目指した安寧の世に、彼女が含まれていないとでも言うのだろうか。
「そもそも、人間の勇者が魔界を統治する魔族の長となるなど、有り得ないだろ」
馬鹿げていて、酷薄な笑みを浮かべる。けれども、ナスタチュームらは真剣だ。
「有り得ない、など誰が決めたのでしょう。考えてみてください、魔族と人間が共存できる大きなきっかけです。先の魔王戦で勝利を治めたアサギならば、人間も認めるのでは」
「そうだろうか? 『勇者でありながら魔王に身を堕とした』と恐怖の対象になるのでは?」
トビィは眉根を寄せ真剣な顔をしたが、想定内だとナスタチュームは微笑む。
「そうならない為に、あなた方という死闘を潜り抜けた仲間がいるのでは。その中に、顔の広いディアス市長の娘がいますね?」
指摘され、トビィは顔を引き攣らせた。確かに、アリナはあれでいてディアス市長の娘。各国の代表とも渡り合える手腕の父がいる。ナスタチュームが掴んでいる情報の多さに、偵察されていたのではないかと勘繰った。
唇を噛んだトビィは、一呼吸置いてから胸に巣食う違和感を告げる。
「
ここで初めて、ナスタチュームが瞳を輝かせ大きく頷いた。
「えぇ、同感です! 上手くいけばそれこそ夢にまで見た平穏な時代が来るでしょう。……ですが、あまりに出来すぎています。誰かに誘導されて掴む、偽りの平和のような。もしくは、何者かの掌で踊らされ、目前の至福を破壊されそうな気が致します」
トビィは顏の片側を歪めた。
「彼女をこの目で見て、真実を見極めたいのです。トビィ殿が心配するようなことはありません、アサギに魔界全てを一任するのではなく、一時です。復興の象徴として、魔族らの意欲を掻き立ててもらいたい」
空になったトビィのコップに、サーラが紅茶を追加した。氷はほとんど溶けてなくなり、紅茶が薄まっている。しかし、ミントの味は濃く出ていた。その鼻を通る爽やかな香りに、些か気分が落ち着く。
「アサギと会わせることは、問題ではないだろう。けれども、魔王に即位となると、な? 確かに適任だが、確実に危険が伴うだろう」
「トビィ殿はアサギを危険に曝すことを、望まない。全てを敵にまわしても、貴方は彼女を護る事も重々承知しております」
トビィは、鼻で嗤った。
「一応こちらの用件も話す。オレは神に、魔界イヴァンで何があったのか話すように言われた。そして、仲間は多い方がよいとも。まるで、この先に避けられぬ戦いがあることを知っているような口ぶりだった。正直、それが腑に落ちない。奴から開示される情報量が圧倒的に少ない」
ナスタチュームは神妙に頷き、顎を擦る。
「厄介ですね。ならばトビィ殿、ご足労をおかけしますが、神には『信頼したうえで連携をとりたいと思います』とお伝えください。用紙にも書き留めますから、それをお持ちください」
ナスタチュームは立ち上がると、慌ただしく室内へと入っていった。オークスが一礼し、その後を追う。サーラは暢気に紅茶を啜りながら、瞳を閉じたままだった。
疲れたようにトビィは首を鳴らし、再び紅茶を空にする。
陽が差し込む明るい室内に、妙に透き通って声が聞こえる。
「神は、信用に値する相手でしょうか」
慣れ親しんだ古めかしい木製の机に向かっているナスタチュームに、オークスがそう告げた。
「トビィ殿が仰る通り、神が何かを隠しているのであれば意図が知りたい。直接神とも対話したいですね、やはり目を見て話すのが一番ですから」
小気味よく、羊紙の上を文字が走る。
「時が来たら。今は分厚い何かに阻まれていようとも、全てが眩い光に照らされます。良い事も、悪い事も、平等に」
「……そうですね」
「勇者アサギは、何者か。異界から呼ばれた勇者か、予言通り魔王に一時即位する者か。はたまた、
「その件、トビィ殿に話さないのですか?」
「えぇ、今はまだ憶測ですから。彼をこれ以上混乱させるのも、気の毒です。ただ、神も同じことを考えているのでしたら、彼には早急に伝えなくてはなりませんね」
「僭越ながら、違うと思っています。不思議な方だとは、確かに思いました。勇者というよりは……こう、何といいますか、もっと別の何かに思えたのは事実です」
書き綴った文字を読み返し頷いたナスタチュームは、きっちりと折って封緘する。丁重に手紙を携え、部屋を後にした。