外伝2『始まりの唄』7:理想の夫婦
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そして、誰からも愛される二人を見届けると、安心したようにキースがこの世を去る。夫を追うように、カルティアもすぐに他界した。二人共時折体調を崩していたが、気丈に振る舞っていたことが災いしたのだろう。幸せな二人に安堵し、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。
一転し村中が沈んだが、トバエは自分の我儘に付き合い、ここまで育ててくれた二人に心から感謝をした。悲しんでいては二人も浮かばれないと言い聞かせ、真っ先に気持ちを切り替る。
二人の墓を見つめ、何れは自分もこの村に骨を埋めることを誓った。墓標の周囲には、アリアが植えた花々が咲き誇り、賑わいを見せている。
暫くは、以前と同じ様に村で暮らしていた。二人には、それで十分だった。これ以上の幸せはないと、思っていた。
ある夏の熱い日、一人の吟遊詩人が村に迷い込んだ。手厚くもてなした御礼にと、毎晩彼は唄って村人達を愉しませる。その際、旅の話も面白おかしく語った。娯楽の少ない村人は、すぐに吟遊詩人の虜になった。
アリアも例外ではなく、街に興味を持った。だが、華やかな都会の生活に憧れたわけではなく、興味を惹いたのは楽器だ。カルティアから繊細な刺繍や貴族らの踊りを教えられ、物覚えがよかったので直様習得したが、その際に聞いた『楽器』について気にしていた。街の人々は、楽器と共に舞い、唄いながら刺繍して楽しむと。
よって、吟遊詩人が手にしていた竪琴に興味を示したのである。村にある楽器と言えば、獣の皮を張って作られた太鼓に、草笛。祝い事や祭りのときにそれを叩き鳴らしたが、吟遊詩人の織り成す竪琴と歌声の重奏に、アリアは心酔した。『楽器が欲しい』と自ら口にしなかったが、察したトバエが旅に連れ出すことにした。
慎ましい愛する妻が欲するものを、与えたかった。
勿論、目的の物を手に入れたら、すぐに村に戻る予定だ。ここは居心地よく、また、自分達を頼りにしている村人の期待に応えたかった。
村中が、一つの家族のようなもの。アリアとて、村でたくさんの子供を産みトバエと寄り添って生きていくつもりだった。それ以外、思いつかない。楽器に興味を示したのは、子守唄にあの竪琴があればと思ったからで、自分の為ではない。
歌が好きなアリアと、彼女に楽器を与えたいトバエを、村人達は快く送り出した。
吟遊詩人に教えられた通り、音楽が盛んな街を目指す。二人でいれば不便な旅も愉しいので、苦だとは思わなかった。
時折、若く美しいこの夫婦に目をつけ襲う輩もいたが、トバエの剣には誰も敵わず返り討ちにあった。悪徳な宿に泊まってしまい、アリアを売り飛ばそうと目論んだ輩に寝込みを襲われても、トバエが難なく叩きのめし、街の警備兵に突き出した。その時の報酬で、少しだけ旅が楽になったりもした。
何処へ行っても、ニ人は目立つ。
長身で細身ながらも引き締まった筋肉に、端正な顔立ちと気品漂う振る舞いのトバエは、隣にアリアを連れ立っていても娘らから黄色い声が飛んだ。無論、見向きもしないが。
小柄でまだ幼さが残る顔立ちながらも美しく、華奢な手足に蠱惑的な身体と不思議な空気を纏っている完璧な容姿のアリアは、隣に夫であるトバエがいても男達の視線を集めた。
注目を浴びる事が苦手な二人だが、行く先々で『傍から見ても幸せそうな、若くて美の結晶の夫婦がいる』と噂される。嫌味の無いその夫婦の互いを想いやる仕草は、恋に多感な少年少女の羨望そのもの。おまけに、トバエは下卑た輩を容易くねじ伏せる豪傑だと評判で、アリアの歌声は天からの贈り物だと皆が聞き惚れた。
つまり、誰が見ても非の打ち所のない相思相愛の夫婦だった。
旅を続け、ようやく辿り着いた目的の街で、ついに竪琴を作ってもらうことになった。ただ、楽器は全て特注品とのこと。頑固で完璧主義の主人はアリアの手の採寸をし、その持ち主の手にあったものを一から作るのだという。
この街に滞在し完成を待つことにした二人は、借家を探し、仕事を決め、最低限の生活用品を揃えた。
「早く竪琴出来ないかな、村に帰って歌いたいの。やっぱり、あそこが一番好き! 村のみんなや、崖に咲き誇るあの可憐な花達に聴かせたいな」
「そうだな、オレも少々疲れたから出来る事ならば早く帰りたい。都会は人々が忙しない、あの村は全てが穏やかだった。アリアと出逢えた場所だから、終わりはあそこで迎えたい」
「トバエは、……もうこの世を去る気なの? 私を置いて?」
膨れたアリアを宥める様に首を横に振ったトバエは、椅子に腰掛けて肩を竦める。
「去る気は全くない、村に一刻も早く帰ってアリアと穏やかに暮らしたいだけ。……ところでアリア、朝食が冷める」
「あ、そうだね!」
ふふふ、と小さく笑うと、アリアは古ぼけた鍋から欠けた茶碗にスープを注ぐ。
竪琴の費用が思った以上に高額だったので、不要になった食器を勤め先の飲食店から無料で戴いて使用している。非常にありがたい事なので、みすぼらしくとも丁重に扱っていた。
今朝は豚の塩漬けとキャベツを煮込んだスープと、麦のパン。食べ物に感謝し、二人は朝食を頂く。
「いただきます」
食器など気にならない程に、食事は非常に美味しい。トバエは毎回、感嘆して低く唸る。遠い昔、城で口にしていた食事の何百倍も美味かった。
確かに、アリアは単純かつ質素なものしか作れない。しかし、何を作っても素晴らしい。カルティアから習っていたこともあるが、素材の持ち味を上手く引き出せるのは天性の素質だろう。
そして二人は、揃って同じ職場に出向く。
常に一緒に居たかったので、同時に雇って貰えた飲食店に身を置いた。この店で不要な食器を貰えただけでなく、二人の働きぶりに感心した経営者が取り計らい、店に卸しに来ている業者から食材を安く購入している。他にも、同僚たちが不要な物をくれたり、時折奢ってくれたりもした。
この上ない、幸運だった。
随分切り詰めた生活をしているが、給料が安いわけではない。少しでも生活費を節約し貯金をして、村の皆に土産を買い込む予定だった。洒落た装飾品ではなく、寒い冬に少しでも楽になるよう暖かな衣類を購入したかった。また、馬か牛を買って帰ることも検討している。
そんな二人だが、休みの日には街を散策して楽しんだ。街には、村には無かった物珍しい様々なものが売られている。興味は湧くが、決して贅沢はせず、生活に役立つものだけを吟味して購入する。見ているだけで、心は満たされた。
継ぎ接ぎだらけの安っぽい衣服を身に纏いながら注目を浴びているアリアに、上流階級の娘らは鼻で嗤った。しかし、どんなにみすぼらしい衣装を身にまとっていても美しいのだから、勝てるわけがない。それは娘らも解っており、ただの負け惜しみだった。
楽器の完成を待つ焦がれ、二人はそんな風に過ごしていた。
窓から、軽快な日光が入り込んで来る。
野菜を丁寧に煮込み、甘さと旨味を十分に引き出したスープを作っていたアリアを背後から抱き締めたトバエは、疚しい気持ちもなく自然とふくよかな胸に触れた。
身動ぎしたアリアは、不服そうに振り返り見上げる。
トバエは悠然と不思議そうに微笑み、解っていたようにその唇に噛みついた。そして、難なく唇を抉じ開け口内を舌で弄る。
だめ、と言おうとしたのに、アリアの唇から切ない声が漏れた。
「ま、だっ、あさっ」
口付けの合間に、途切れ途切れに声を出す。
余裕めいた表情で、トバエは薄く微笑んだ。
「あぁ、朝だな?」
火照った頬を大きな掌で優しく撫で、切ない吐息を漏らしたアリアを確認すると、細い首筋から鎖骨に指を滑らせる。そうして胸元からするりと手を忍び込ませ直に肌に触れると、熱を確かめるように撫でまわす。
官能の呻き声を聴きたいが、外では人々が動き始めている。街の外れの家とはいえ、無情にも人々は行き交う。腰を打ち付けると、家が軋む。誰かに見られやしないかという不安はあるが、もう止められない。幾度も口付けの雨を降らせていると、今日はこのまま家で過ごしたくなってしまう。
名残惜しいがアリアの体内で自らを解き放ったトバエは、小刻みに震えているその華奢な身体を強く抱き締めた。
「……まずいな、遅刻してしまう」
「ひゃ、ひゃから、あさはぁ、だめってっぇっ!」
産まれたての小鹿のように足をプルプルさせながら強がるアリアに、トバエは勝ち誇ったように囁いた。
「あと、一回だけ」
昨晩も三回アリアの体内に欲望を吐き出したというのに、朝からこれだ。トバエは疲れたように薄く微笑み、腰を打ちつけた。
結局その日、アリアが体調を崩したと店に告げ、看病の為にトバエも急遽休みを貰った。普段から真面目に働いていた二人なので、誰しもが許してくれた。
「うぅ……。明日、みんなにどんな顔して会えばいいのっ」
寝台の上で、トバエが買ってきてくれた果実を齧る。恨めしく見つめても、目の前の夫は平然としていた。
「たまにはいいだろ、ゆっくりしよう。……でも、声は押さえて?」
齧りかけの果実に歯を立て、一緒に食べる。いつしか果実ではなく互いの唇に舌を這わせ、甘酸っぱい口内を行き来するように絡ませた。
「まだ昼前だから、何度達しても大丈夫。時間は、まだたっぷりある。今日は一日中、アリアを“看病”するから、オレに全てを任せればいい」
アリアを強く抱き締め、勝気に微笑んだトバエは、口付けの雨を降らせた。
※挿絵は、Twitterでお世話になっている白無地堂安曇様より頂きました。
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