堕ちた勇者の独り言
文字数 3,827文字
殴られることを承知で、ミノルは歯を食いしばった。
「どうしてお前がここにいる!? 要請があった時点で一緒に居たんだろう、何故アサギと行かなかった!」
吼える様に声を荒げたトビィにミノルは萎縮し、何も言えなかった。
視線を泳がせ言い訳すらしないミノルに舌打ちすると、トビィはそのまま地面に放り捨てた。床に叩き付けられ小さく呻いたが、起き上がろうともしない姿に余計苛立つ。
「お前は何をしていた!?」
叫ぶトビィだが、ミノルは口を開かない。
「……この腑抜けが。不愉快極まりない」
そう言い捨て、トビィはその脇を通り過ぎた。これ以上相手になどしていられない、時間の無駄だ。
「何故アサギはこんな男を……。オレが貰うぞ」
そう言われても、ミノルは沈黙を貫く。足を止めることも、振り返ることもなく、トビィは立ち去った。
「……トビィが貰ってくれたら、アサギだって幸せになれる」
ミノルは項垂れ、そう呟くのが精一杯だった。トビィが去ったことを確認すると、よろけながら立ち上がる。脚が震えているが、どうにか壁を伝って歩く。争う声を不審がって駆けつけてきた天界人達に愛想笑いを浮かべ、何も言わず地球へ戻った。
自室に戻り床に転がると、床が生ぬるくて気持ちが悪い。しかし、エアコンを入れる気力もなく、床と一体化するように沈む。
「アサギの、恋人……」
涙が溢れてくる。『オレが貰うぞ』はっきりとそう告げたトビィを思い出し、あれくらい自信があればよかったのにと声を押し殺し大泣きした。
悔しくて、そして情けなくて。言い返す事すら出来ない自分に、腹が立つ。
アサギの隣には、とてもいられない。だからこれでよかったんだと、再確認させられた。
「願わくば、誰かアサギを幸せにしてやってくれ。微笑むアサギを、見ていたいから」
女々しい自分に嫌気がさしたが、これが本心だ。アサギを想う気持ちは、昔から変わっていない。
髪を気にしながら恐る恐る家に帰ったアサギは、小さく「ただいま」と告げた。
「おかえり! 勇者のお仕事?」
「お仕事……うん、お仕事だね!」
家族に、『敵と遭遇し一戦交えた』とは口が裂けても言えない。余計な心配をかけたくはない。
「ご飯は?」
「食べる!」
温かい笑顔で迎え入れてくれたので、胸を撫で下ろした。髪の変化に気付いていない、クレロが上手くやってくれたのだろう。
「よかったー……」
感謝しながら、緑の髪を弄った。
翌朝土曜日、勇者達はクレロからの指示を受け地球から異界へ旅立つ。ピアノの稽古がある為、ユキのみ不参加だった。
ミノルは気乗りしなかったが、張り切っているトモハルが隣の家から叫んでいたので半ば強制的に参加する羽目になった。重たい身体を引き摺り、憂鬱な心を抱えたまま異界へ出向く。
要請を受け、幻獣星からはリングルスとエレンが駆け付けてくれた。本当はリュウがこちらに来たかったのだが、般若の様に恐ろしい顔で睨んでくるヴァジルに許して貰えなかったと。
二人の姿を見つけると、アサギは嬉しそうに手を振り駆け寄った。
「エレン様、リングルス様!」
心細そうに隅のほうに居たが、見知った顔に安堵し二人は笑顔を浮かべる。
「アサギ様! お元気そうで何よりです。……おや、髪と瞳の色が?」
「おはようございます! えっと、そうなのです、色については気にしないでください……」
俯いたアサギに、慌ててエレンが肩にとまって励ます。
「い、いえ、アサギ様にお似合いですわ。それになんだか、こちらのほうがしっくりきます」
「そう思いますよ、とても美しい緑色ですね」
エレンとリングルスにそう言われ、アサギは少しだけ嬉しくなった。そのうち黒髪に戻ることを願い、今は任務に集中することにする。どうやら、地球に居る人にのみ視覚魔法は効果があるようだ。
「おはよう、アサギ」
「トビィお兄様、おはようございます。すぐに発ちますか?」
「そうしよう」
先陣を切り、アサギとトビィが天界から飛び出した。
不服だとトモハルが唇を尖らせるが、二人は昨日クレロから指示をもらっている。他愛のない会話をしていると、ようやくクレロがやって来た。
「協力に感謝する。アサギとトビィは、魔王アレクの従兄弟ナスタチュームのもとへ向かった。彼らの協力を得ることが出来れば、心強い」
一人一人の顔を見ながら、クレロは続ける。
「幻獣星から参られた御二方、感謝致す。本日は勇者達と組み、村の調査に出向いて頂く」
勇者らは彼らと目配せし、頷いた。
「ライアン達が戻らないので、土地勘のない者達ばかりだが……。二人共素晴らしい能力を持つと聞いている。勇者らを宜しく頼む」
「承知しました」
リングルスが頭を深く下げると、トモハルが駆け寄って手を差し出した。
「俺はトモハル。アサギの対の勇者です、宜しくお願いします」
「宜しくお願い致す。私はリングルス。そして、彼女はエレンです」
爽やかで軽快な少年に、緊張していたリングルスも多少気が楽になった。
「向かう先は、昨日アサギが調査した洞窟だ。魔族と一戦交えている、もうそこにはいないと思うが、油断しないように。危険だと判断したらすぐに救援を頼んで欲しい。無理は禁物だ」
「はい! ……っていうか、アサギが無事でよかったよ」
仲間らが何の気なしに話している傍で、ミノルは黙ったまま俯いていた。
「洞窟の近くに村がある。昨日魔物の襲撃を受けたが被害は少ない。しかし、みだりに驚かせてしまうのも気の毒だ」
クレロの視線の先には、リングルスとエレンがいた。つまり、彼らのように“容姿が人間と多少異なる”者は危険だと言いたいのだろう。二人は人間の味方だというのに、視覚で判断する生物は本当に厄介だ。
「分かりました、行ってきます!」
「頼んだぞ、トモハル」
簡単に事情を聞いた勇者達は、多少緊張した面持ちで村の外れの洞窟へと出向いた。昨日アサギが足を踏み入れた洞窟の前で、勇者達は息を飲む。
「え、本当にアサギはここに入ったの!? 一人で!?」
ケンイチが引き攣った声を出す。先は暗く、何も見えない。生温かい風が穴から吹いてくると、奇妙な音が聞こえる気がして背筋が凍る。
「不気味だな……」
今は数人でいるからどうにか平常心を保てるが、とても一人でここへ入る勇気はない。
ミノルは感心を通り越し、驚愕した。そして、やはり自分が弱いのだろうと項垂れる。アサギは責任感が強く、決めたことはやり遂げる。恐怖に打ち勝ち突き進んだのだろう。
呆けていると、周囲が騒がしくなる。
「話によると、この洞窟内には何もないと。ならば私とリングルスでこの崖を越え、あちらの出口を調査しましょうか?」
「そうか、飛べるんだ! 是非、お願いします! でも、危ない事はしないでください」
「えぇ、承知しております。では、早速」
言うなりエレンとリングルスは舞い上がり、反対側へと向かう。
頼もしそうにそれを見送ると、トモハルとダイキは聞き取り調査の為村へ向かう。
残されたミノルとケンイチは、洞窟周辺の調査を任されている。
こうして、三組に分かれた。
「みんなと離れ離れになった時も城壁を調べたなぁ。あの時はユキが変な箇所を見つけたんだけど」
「……へぇ」
ケンイチが懐かしそうに呟き、入口の崖を丹念に調べる。
ミノルは、気のない返事をした。
「同じだと思うんだ、あの時追っていた盗賊と……今回の件。そんな気がして仕方がないよ。もし同じなら、僕に解る何かが絶対に有るはず」
「へぇ」
トビィの一言が胸に刺さったままで、未だに浮上出来ないミノルは心ここにあらず。それに加えアサギの強さと自分の弱さを再確認し、恥じて脱力感に襲われていた。必死に草の根を分け探すケンイチのようには、出来ない。
「……しっかりしてよミノル。どうしたの、ぼーっとして」
無気力なミノルを横目で見ながら、文句一つ言わずケンイチは一人で手がかりを探した。
「村を襲撃した魔物は、洞窟へ逃げていった。……でも、その洞窟はアサギ一人が通るだけでも精一杯。なら、魔物はどうやって突き進んだんだろ? 小さい魔物だったのかな? もし、大きい魔物だとするならば、ここは通れない」
しかし、どんな魔物でも通過出来る方法をケンイチは知っている。精製に遭遇してしまった不気味な球体を思い出していた。
『琥珀色が大蛇、あれは最後に生きた蛇を大量に鍋に投げ込んで製作可能になる。
瑠璃色が吸収、お前達が見た吸い込まれた盗賊はその球のせいだろう。これが最も難解な製作だ。
珊瑚色が大鷲、萌黄色が触手、群青色が死人、漆黒が毒霧だ』
目の前で死んでしまったバリィが教えてくれた禁断の球の効果を思い出したケンイチは、唇を噛むと微かに震えた。
「吸収の玉を使えば、魔物を一瞬にして消すことも出来る」
ケンイチが実際に見たのは、大蛇出現の球と盗賊を吸収した球、その二種類だけだ。自分の結論を誰かと共有したいが、ミノルは今呆けている。話したところで、まともな会話は成り立たないだろう。あの場に居たムーンかブジャタ、ユキがいてくれたのならば、語り合うことも出来たのに。
「ねぇ、ミノル。僕さ、洞窟を通ってあっち側に行くから、トモハル達が戻ってきたら伝えて」
岩に座り空を眺めていたミノルに、一応声をかける。
「あぁ」
返事は戻ってきたが、本当に理解してくれたのか。苦笑し、ケンイチは一人洞窟へと入って行った。