火と水の口喧嘩
文字数 2,671文字
目の前の相手は、自分と同じように舌打ちをした。右足を少し開き顎を引く動作も、同じだった。
呼吸を合わせ一糸乱れぬ同じ動きをしたような二人に、クレシダが眉を寄せる。
「話は聞いています、
先に近づき、手を差し出したのはトランシスだった。獰悪な笑みを浮かべている。
言葉の抑揚にトビィの眉が吊り上がる。その言葉には、刺々しい威圧と皮肉が込められていた。差し出された手を見もせず、脇をすり抜けてアサギへと向かう。
通り過ぎたトビィの背に、面白がってトランシスは口笛を吹いた。
後ろから聞こえた耳障りな口笛に、胸が焼ける程イラつく。初対面の相手に礼儀がなっていないのは承知の上、けれどもこの男に『よろしく』という単語を言いたくはない。上辺だけだとしても、まっぴらごめんだ。寧ろ、剣を振りたい衝動に駆られている。
トビィは動揺する心を押し殺し、冷静さを装って言葉を発する。しかし、声が若干掠れた。
「アサギ、どういうことだ? あれは誰だ」
「え、えっと、後で説明しますが、トランシスさんです。その、私の……恋人、です」
恥じらい、俯いてそう言ったアサギに目眩がした。トビィは困惑し、適切な言葉が見つけられず口籠る。言える事は『あの男は駄目だ』ということ。しかし、それをそのまま告げようものならば、悲しむことは目に見えている。
二人の間に妙な沈黙が流れた。
それを破ったのはトランシスだった、トビィの肩に馴れ馴れしく手を置き軽く叩く。
「そういうことなんで、よろしく」
「気安く触れるなっ」
トビィにしては珍しく声を荒立て、即座に手を跳ね除けた。触れられた瞬間に悪寒が走る、けれども同時に妙な映像が脳裏に流れ込んだ。
それは、不貞腐れて唇を尖らせているトランシスの額を小突く自分だ。
目の前で光が断続的に点滅する。目の奥に痛みを伴い、トビィは低く呻いた。アリエナイ、唇をそう動かすと声に驚いたアサギを反射的に抱き締める。そうすることで痛みが和らぎ、一息つく。
後方でトランシスが殺気立った事に気づくまでに余裕が出来ると、知らず口角が上がった。
「何がどうしてこうなった……」
悲痛な溜息を零しながら耳元で囁くと、アサギはまごつきながら顔を上げた。
「簡単に説明しますと、トランシスさんはマクディという惑星の住人です。私、この間何故かそこへ飛ばされて出逢いまして」
「出遭ったのはともかくとして……何故恋人に」
呆れ口調のトビィは、アサギを離さず告げる。
「そ、それは」
「オレはアサギの兄だ。得体の知れない相手に大事なアサギを任せるなど出来ない」
後ろで、トランシスの激しい足踏みが聞こえる。大方嫉妬しているのだろう。優越感に浸れたトビィは、更に強くアサギを抱き締めた。自分の香りを移すように。
「血の繋がりがない、って聞いたけど? 妙に親密度が高いんですねぇ、トビィお義兄さんとやら? 今からアサギにこちらの世界を案内してもらうところなんで、もーしわけないんですけど、
義兄の権利が勝るのか、恋人の権利が勝るのか。
アサギの髪を撫でながらゆっくりと面倒そうに振り向いたトビィは、悪鬼のごとき形相のトランシスを睨みつける。
「あぁ、確かに
「あのトビィお兄様、何処の誰とも解らない、ではなくて、惑星マクディのトランシスさんです」
「アサギは少し黙っていなさい」
口を挟んだアサギに、トビィは厳しい口調を投げた。
驚いたアサギは、申し訳なさそうに肩を竦める。
「全く神は何をやっているんだ、そもそもこの場所に無関係者が来ること自体おかしいだろ」
吐き捨てたトビィに、トランシスは大袈裟に顔を顰める。
「お言葉ですが、アサギの親愛なるお義兄様。アサギが勇者だということは知っています。ですが、勇者だろうがなんだろうが、オレには関係ないんで。この世界がどんなものなのかも知らないのに、侵略とか言われましても。アサギの恋人としましては、彼女が危険な目に遭うことを憂慮し、傍に居たいってだけなんですけどー」
語尾を伸ばし、下卑た笑みを浮かべながら言い放つ。
直様、トビィが反撃に出た。
「アサギの身はオレが護るから心配しないでくれ。何より、貴様にアサギを護れるとは思えない。まだトモハルかミノルのほうが適任だろう」
「そうは言われましても、トモハルさんや、ミノルさんを知りませんしー、オレもトビィさんの実力知りませんしー? 貴方もオレのことを知らないですよねぇ? どーして言い切れるのかなぁ、自信過剰すぎやしないかなぁー」
「今の貴様は、アサギの足元にも及ばない。見れば解る」
「へぇー、そんなことがすぐに分かるくらい、自分に自信があるんですねぇ。すっごいなー、尊敬しちゃうなー。オレには出来ないなー」
「確実に、貴様よりもオレは強い」
「大口叩いて、後で後悔しないでくださいねー。無様だよ」
二人の口喧嘩をハラハラしながら聞いていたアサギだが、小さく悲鳴を上げる。
ついにトランシスが両の手から炎を繰り出したのだ、天井に向けて腕を伸ばし誇らしげに笑う。揺らめく炎は、トビィに今にも襲い掛からんとしていた。
「ほぉ、火炎使いか。だがどうした」
身じろぎするアサギを離さず、トビィは鼻で笑う。先程から背の愛剣ブリュンヒルデが蠢いていたのは、この男の属性の影響を受けていたからなのかと軽く納得した。ブリュンヒルデは水竜の角で出来ており、属性は水。禍々しい炎の存在を察し、危機を知らせてくれたのだろう。
「オレはそういう類のものは扱えない」
「えー、弱そう駄目じゃーん! やっぱりオレがアサギの傍で護ってないとー」
「悪いな、そんなものに頼らなくとも剣の腕に覚えがある」
勝気な表情を浮かべたまま左腕にアサギを抱きとめ、右手で剣を構える。
クレシダとデズデモーナが狼狽した、トビィが本気だと肌で感じ取ったからだ。
張り詰めた空気が周囲に漂う。