結婚したら、抱かせてね
文字数 6,005文字
「ごゆっくりどうぞ」
すんなり部屋に案内されてしまい、スリザは奥歯をギリリと噛む。向こうも商売だ、来るもの拒まずなのだろうと思ったが、犯罪を助長しかねない。次回の治安会議で宿のあり方について提案せねばと、仕事の事を考え出した。
スリザは、真面目だ。
「はい、スリザちゃん。お疲れ様でした、到着です」
床に足が着いた瞬間、右脚で蹴りを入れる……体勢を整えようとしていたが、一向に着地出来ない。
「何か飲む? 喉渇いてない?」
アイセルに顔を覗きこまれた。
唖然としたスリザは、状況を把握すべく周囲を見渡す。気づいた瞬間、即座に悲鳴を上げた。今度はアイセルの両腕に全身を支えられ、抱き留められている。小柄な娘を抱き上げることは多々あったが、自分がされたのは初めてだ。
目の前が真っ白になった。
「ヒ、ヒィィィィ、あわ、わわわわわ」
「可愛いなぁ、スリザちゃんは」
狼狽するスリザを他所に、アイセルは勝気に微笑むと部屋のソファに深く腰掛けた。
キシッとソファが鳴り、スリザの緊張が高まる。こんなに密着していては、心音がアイセルに聞こえてしまう。
「ねぇ、スリザちゃん」
「な、なんだ」
上ずった声を出すスリザに、アイセルは多少耳を赤くして天井を仰いだ。照れている顔を見られたくなかっただけだ。
「いや、その。俺とお付き合いする気はない? すぐにとは言わない、前向きに検討して頂けると助かります」
冷静を装ってさらりと言ったつもりだが、声が普段より高かった。
しかし、気が動転しているスリザは気づけなかった。
「断る。拉致した男となど」
毅然とスリザは言い放った、しかし、声は若干裏返っている。
「好きです、検討してください」
「断る」
「好きです、検討してください」
「断る」
「好きです、検討してください」
「断る」
というやり取りを何度繰り返しただろう、どちらも意地を張って止めない。
「好きです、検討してください」
「断る! というか、何度断れば終わるんだこれっ」
「断る以外の言葉でお願いします」
「じゃあ、死ね!」
子供の言い争いのようだと、スリザは徐々に呆れてきた。言い続けたので顎が疲れ、喉も渇くいた。舌打ちして、唇を噛んでから開口する。
「……解った、検討しよう。だから放せ」
言葉など、幾らでも偽れる。口にすること自体腹立たしいが、辛抱して告げた。このままでは埒があかないので、スリザは折れた。
「本当に!? やったね!」
嘘だとは微塵も疑わず、心底嬉しそうにアイセルが破顔する。一気にスリザに罪悪感が湧き上がった、本当かどうか解らぬ一言を信じ喜んでいる姿から視線を外す。
アイセルは、すんなりとスリザを解放した。
心苦しさを感じつつ、スリザは居心地のよかった腕からゆっくりと離れる。温もりは急激に消え、夏だというのに寒々とした空気が肌を撫でる。
右腕で顔を隠し天井を仰いでいるアイセルを、そっと盗み見た。
「嬉しいんだ。本当に、嬉しいんだ。俺、頑張るわー」
「あ、あぁ、そうか。よかったな。あ、あのな、一応検討はしてやる。だが、検討するだけだからな。結果に責任は持てんぞ」
「うん、構わない」
二人の視線が、突然交差した。
曇りない瞳で真っ直ぐ見つめられ、良心の呵責を感じたスリザは慌てて視線を逸らす。
「スリザちゃんが俺を男として見てくれれば、それで構わない。」
唇を尖らせ、スリザは大股で室内を歩いた。
「喉が、渇いた」
ぶっきらぼうにそう告げたものの、自分で用意することはなかった。すぐそこに、水差しがあるというのに。
「はいはい、お姫様」
「お前は一言余計だ」
苦笑したアイセルは腕に力を篭めてソファを押し返し立ち上がると、スリザに水を届けた。嬉しさから脚がもつれ、不自然な動きになってしまう。
「どうぞ」
差し出された水が、ゆぅらりと揺れている。
無言で受取り一気に飲み干したスリザを見届けると、アイセルは床に転がった。
うつ伏せになっている姿に鼻を鳴らし、スリザは気にせず部屋の片隅に移動する。壁にもたれると腕を組み、瞳を閉じた。
日が暮れて夕陽が差し込むまで、ずっと無言だった。だが、陰鬱な空気ではない。そこにいるだけで安心できるような空気が、部屋中を包んでいる。
「夕食の準備が整いました」
外から声をかけられ、二人は現実に引き戻された。
「行こうか、スリザちゃん」
差し出された手をとることはなく、スリザは部屋を出る。共に食事をする義理もないが、折角なので食べる事にした。食堂で向かい合って席に着くと、無言で食事をする。他の客は楽しそうに会話をしながら食事をしているが、ニ人は一言も話さなかった。
あっけないほどあっという間に食べ終え部屋に戻ると、再びスリザは部屋の隅へ移動する。
アイセルは明かりを灯し、遠慮がちにスリザを見つめた。
「あの、さ。スリザちゃん」
「何だ」
「そのさ、えーっと、なんていうか。俺はアレク様のように高貴でも、美形でもない」
「あの御方と比べるなっ、不愉快だ!」
突然声を荒げたスリザに一瞬アイセルは怯んだが、尻込みしなかった。
「そうだね、比較しても仕方がないよね。あちらは産まれながらに王様だもん」
不意にアイセルの瞳が、光る。スリザが異変を感じ腕組を下ろした時には、既に目の前に迫っていた。
「手を出したら、検討は止めだ」
余裕めいて鼻で笑ったスリザは、そうぶっきらぼうに吐き捨てた。けれど、あっさりと唇を塞がれる。瞬時に怒りが込み上げるが、抵抗の仕方がわからない。隅に居たので逃げ場などなく、悔しいがなすがままだった。口内で蠢く舌に、身体中がゾワゾワする。呼吸もままならず、苦しそうに顔を歪める。
「おまっ、えっ」
ようやく糸を引く舌が口内からぬるりと出て行ったので、赤面して吼えた。
「舌は出したけど、手は出してない。ほら……触れてない」
「屁理屈をっ」
拘束するように壁に手をつけているが、確かにスリザ自身には触れていない。だが、触れるか触れないかの距離感なのでアイセルの荒い呼吸が間近に感じられる。その熱い息で肌は過敏に反応し、身震いしてしまう。
「色っぽいよね、スリザちゃん。灯りが揺れてるから余計にさ、すっごい綺麗。っていうか、扇情的」
「っ、どうしてお前は、常に変態的な台詞を吐き出すんだっ」
「本心だよ、変態だなんて失礼だな……」
耳元に息を吹きかけられ、小さくスリザは悲鳴をあげた。鳥肌が立ち、ゾクゾクとして背筋を何かが這う感覚に身震いする。このような感覚に免疫がない。
「かわいいなぁ」
「だからっ、馬鹿にするのもいい加減にっ」
ちぅ、と音が聞こえた。
「ひぃっ」
首筋を吸われたらしく、全身が痺れる。わざと音を出し聞かせているのだろう、眩暈がする卑猥な粘着音が止まない。吸い付かれるたびに、スリザの身体から力が抜けていく。
「や、やめっ、やめ」
熱を帯びている唇なのに、唾液がついた箇所に空気が触れると妙に冷たい。つーっ、と舌が動いてアイセルの顔が首筋から移動する。
「きゃあっ」
鎖骨を嘗めた途端に上がった悲鳴は、紛れもなく女の声。
自分の声とは思えぬ甘い嬌声に驚いて瞳を大きく開いたスリザは、唇をギリリと噛んだ。わなわなと震えるアイセルの頭部を半泣きで見ていたが、再び悲鳴を上げた。
「きゃあああっ!?」
勢いよく抱きつかれ、混乱する。
「もー、スリザちゃん、可愛すぎる可愛すぎる、可愛すぎる可愛すぎるっ。生殺しもいいとこだよーっ」
「へ、変態っ! やめろっ、抱きつくなっ! 思いっきり触ってるじゃないかっ!」
「あー、このまま押し倒してあーしてこーしてあれをあぁして、これをこうしてスリザちゃーんっ」
「ひいいいいい、変態! 離れろ、死ねっ!」
すりすりと頬を寄せるアイセルに、身の毛がよだつ。一体何をする気なのか、スリザは蒼褪めいざとなったら舌を噛む覚悟をした。
「でも、しない。我慢するから、このままでいさせて」
「い、意味がわからんっ! 放せっ」
ぎゅう、と締め付けるアイセルは、スリザの肩に顎を乗せて項垂れた。
互いの身体はこれでもかと密着しており、眩暈を起こしそうな程目の前がまわっている。ただ、アイセルの胸板は心地良く、妙に色気を感じる。こういうのをそそられる、というのだろうか。有り得ない考えを起こした自分が情けなくて、スリザは離れようと身を捩った。身体に惹かれるなど、破廉恥極まりない。失態だ。
「ま、待ってっ、スリザちゃん! そんなに動かないで。、こすれるからっ、はぅっ」
「はっ……?」
「い、いやだから、その。……今動くと、こすれて大き」
一瞬の沈黙、次の瞬間。
「いやあああああああ、へんたーいっ」
スリザが絶叫した。意味を理解し、憤慨する。渾身の力で身体を捻った。
「あ、あぁぁあっ、 まずい、まずいよスリザちゃんっ、動かないでっ、出ちゃうからっ」
再び、一瞬の沈黙。産まれて初めて恐怖を感じ、顔面蒼白でスリザは悲鳴をあげた。
「……ひ、ひぃぃぃっ、汚らわしいっ。こ、こすれるなら、離れるっ」
「離れたら、暴走して押し倒し、犯しちゃいそうなんだよっ。こうしていれば、まだ理性が……」
「け、けだものっ」
「あ、あぁっ、駄目だってぇ、スリザちゃんっ! あふぅっ」
「や、やめろっ、熱っぽい声で耳元で囁くなっ」
「や、だからっ、動かれると辛うじて保っている理性が、あぁっ」
「そ、そんな声出すなっ。わ、私が貴様を犯しているみたいだろうがっ」
「あぁ、駄目、動かないで、スリザちゃん! そんなに動かれたら、俺っ! あ、あぁっ、駄目、駄目、激しいっ!」
「や、やめろ、誤解を招くような台詞は止めてくれっ」
アイセルがスリザを両腕で抱き締めているだけで、特に何もしていない。
「……なーんて。いつか、そんなコトになったら嬉しいなぁ」
弾かれたスリザがアイセルの顔を見つめれば、悪戯っぽく笑っていた。なんという性質の悪い冗談だろうか、羞恥心が憤怒を増幅させる。
「いや、大きくなってるのはホントだけども。だから、今は動けない。ホントだよ、見る?」
「ひぃ! い、いらんっ」
スリザは硬直した。その“大きくなっていて硬いもの”を、確認してしまったからだ。自分の臍辺りに、熱いソレが触れている。顔から湯気が出そうな程赤面した。
「いいなぁ、スリザちゃんが上に乗って動いてくれると幸せだなぁ」
「た、頼むからっ、妄想は脳内でやってくれっ! 声に出さないでくれっ」
「え、脳内でいいの? 妄想していいの? ……じゃ、遠慮なく」
アイセルの顔がだらしなく緩み、「ひっひっひっ」と妙な笑い声が零れた。
「ま、待て待て待て、何を想像してるんだ!?」
「え、言ってもいいの? スリザちゃんがさぁ、純白なんだけど紐みたいな下着を着ててさぁ、寝台で足を大きく広げて俺に来いって……」
「ぎゃああああああっ」
悲鳴を上げるスリザを、アイセルは笑いを噛み殺し見ていた。随分と、表情が豊かになった。少しは張り詰めていた気も緩んだだろう、叫べば抑圧されていた精神が解放される。
普段叫ばないスリザは、荒い呼吸で青褪めて咳込み出す。
流石にやりすぎたかなと、アイセルは軽く反省した。
「ごめんね、スリザちゃん。でも、叫ぶと楽にならない?」
「は?」
きょとんと、無防備に見上げてきたスリザが、とても愛おしい。
「あぁ、やっぱり世界で一番可愛いなぁ」
告げて、口付けた。すんなりと唇を割って舌が入り、絡める。スリザの身体が引き攣って、救いを求めるようにアイセルの衣服にしがみ付く。
可愛い可愛いと、何度も呟きながら深く口付けられると、スリザの脳は思考が停止しそうだった。ぼう、っとして蕩ける様な。気持ちがよいのかまだ解らないが、不快ではない。
「……私を可愛いと言う者など、貴様くらいだ」
「そうかなぁ、結構居ると思うけどね。でも、俺だけでいいよ。競争率が上がると困る」
髪を撫でられる事に慣れてきた。太い指が優しく頭皮を包むので、妙に安心できる。口付けも、不思議な事に慣れてきたような気がする。
「ねぇ、スリザちゃん。結婚したら、抱かせてね。それまで、我慢する。そしたらさ、俺の想い。……信用してくれる?」
「もう、手を出してるじゃないか」
苦笑して呆れた声を出すスリザに、アイセルは不服そうに首を横に振る。
「だから……舌しか出してないって」
ニ人の笑い声が、室内に小さく響いた。
月の光が部屋に差し込み、影をつくる。寄り添っている二人の陰が、床に映し出された。
数日後、胸元の首飾りにいち早く気付いたのはホーチミンだった。次いで、取り巻きの少女達もスリザが珍しい装飾品を身に着けていることに気づいた。
「スリザ様、どうしたんですか、それ? かっこいいですね」
黒の皮ひもに、重量ある銀細工。一見、男物の渋い装飾品が鈍く光っている。
「とってもお似合いです~」
スリザを取り囲む少女達を見ていたホーチミンは、軽く首を傾げていた。詮索するように見つめると、今までと表情が違って見える。どことなく柔らかく、丸みを帯びている気がした。
「……あらあら~? 何かあったのかなぁ、んふふふっ」
ホーチミンは口元に手を添え、愉快そうにコロコロと笑う。
「スリザちゃーん! お疲れ様でーすっ」
「きゃっ、淫乱変態不潔なアイセルですわっ! スリザ様、隠れてっ」
そこへアイセルが、突っ込んできた。少女達は嫌悪感丸出しで、スリザからアイセルを護るように鉄壁の防衛を張り構えた。
けれども。
「構わない。……アイセル、挨拶する暇があったら仕事をしろ」
「うん、言われなくても頑張ってるよ。けれど、スリザちゃんを見たら、もっと捗るから」
「フッ……そうか。ならば落胆させるなよ?」
少女達をやんわりと退け、真正面から向き合ったスリザは、手を振って離れていくアイセルに軽く手を上げた。
皆、息を飲んだ。
うわべだけの笑顔ではないスリザの微笑は、人を惹きつけてやまない高潔な一輪の花に思えた。
「綺麗……」
誰かが、陶酔してそう零す。押し殺されていたスリザの魅力が、解き放たれた瞬間だった。
「あらあら、アイセルとお揃いなんだぁ。やっだぁ、いちゃついちゃって」
アイセルの腕輪と揃いだと気付いたホーチミンは、羨ましそうに肩を竦める。全てお見通しだとばかりに、軽く小首傾げて唇を尖らせた。
「うっらやっましー! いいな、いいなぁ! 後でじーっくり、話を聞きましょーっ!」
小さく「おめでとう」と呟き、ホーチミンは破顔して小さく拍手をした。