外伝4『月影の晩に』34:最悪の事態

文字数 8,722文字

 アイラの口から誓いの言葉さえ得られれば、直様マローを暗殺しようとしていた矢先の事だった。
 朝食を普段通り摂り、穏やかな日差しの中で今日は何をしようかと語り合っていたトレベレスの視線に、門から駆け込んできた馬車が一台入った。一瞬だけ視線を走らせたが、興味がなくてすぐにアイラへ視線を戻した。しかし、頬に口付けながら指を絡め合っていると、何やら下が爆ぜる豆の様に騒がしい。怪訝に眉を顰め、邪魔をされたことに腹を立てる。
 その直後、アイラは波が押し寄せてくるような吐き気に襲われて咳き込んだ。

「どうした? 体調が悪いのか?」

 トレベレスは背を擦りながら、申し訳なさそうに笑ったアイラを不安そうに見つめた。

「昨夜、少し寒くて。風邪をひいたのかもしれません」

 そうは言われたものの、顔は青白く芳しい状態ではない。焦燥感に駆られたトレベレスは大声で女官を呼びながら、立ち上がった。確かに昨晩は気温が低く、抱きしめていたとはいえ、二人は一枚のシーツに全裸で包まっていた。汗をそのままに眠ってしまった為、寝冷えしたのではないかと不安になる。
 部屋に近づく数人の足音が聞こえたが、音量からして女官ではない。言葉もなく、勢いよく開けられたドアに憤慨したトレベレスは鋭利な視線を来訪者へ向けた。しかし、皆の様子がおかしい。

「何事だ、騒々しい。医者を呼べ」
「火急の件です、こちらへ」
 
 怒りに似たような興奮を瞳に宿した彼らは、重要な事を言わずただトレベレスを促す。 
 トレベレスは妙な胸騒ぎに襲われ、「すまないアイラ、すぐに戻る。休んでいてくれ」とアイラをソファに横にさせると導かれるままに退室した。
 力なく頷いたアイラは、青白い顔で瞳を瞑る。胃が気持ち悪く、嘔吐しそうになる。

「何事だ、手短に頼む」

 血相を変えて狼狽している皆に、不愉快さを極力抑えトレベレスは静かに問う。女官が右往左往していたので叱咤し、アイラの看病を優先させた。

「御懐妊、でございます」

 重々しい口調で家臣がそう告げれば、トレベレスは素っ頓狂な声を出した。

「は?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔のトレベレスに、家臣が呆れた様に首を振る。懐妊、と言えば該当者など一人しかいない。

「ですから……マロー姫が御懐妊だと連絡が届きました」
「何だと!? どちらの子だ!?」
「流石に、そこまでは。今、通い日から計算をしております」

 想定外の事態に眩暈がしたトレベレスは、脚がもつれて壁に倒れ込んだ。どよめきが起こり、皆がその身体を支える。
 そんな中、高まる興奮を抑えきれず顔を綻ばせた者が、大急ぎで駆け寄ってきた。

「可能性は御座いますぞ、覇王の御子は我国に!」

 言葉を聞いた瞬間、トレベレスの血の気が一気に引いた。土壇場に追い詰められたような気分だった。

「ま、待て。最近私は通ってはいない、ベルガー殿の御子では?」
「何を言われますか! 最後に訪れた日で可能性がございます!」

 歓呼の声を上げる家臣達とは反対に、トレベレスは取り返しのつかない絶望に陥った。
 思い返せば、アイラを想い、仕方なしに何日かマローを代わりにした。恋焦がれ、欲した想いだけが先走り、マローの深くに自分を植えつけた可能性がなくもない。アイラ、アイラと幾度も心で叫びながら狂ったようにマローを抱いた日の自分が、走馬灯のように流れ出す。
 血の気が失せ、トレベレスは無言で宙を仰ぐ。願うことは、ベルガーの子であれ、と。大丈夫だ、と祈る。
 確かに、繁栄の子は欲しかった。だが、今はアイラとの子以外は必要ない。アイラが、マローと自分の間に子がいると知ったらどうなるのだろう。それだけは、避けねばならない。身体が震える程に悪寒が走った、爪を噛んで壁を叩く。
 おまけに、この騒動ではマローを殺すことが難しくなった。懐妊すれば、扱いとて丁重になるだろう。自殺に見せかけ窓から放り出す予定だったが、目が厳しくなっては難解だ。
 焦ったトレベレスは、家臣が運んできたマスカットを何個も皮ごと口内に放り込んだ。乾いた口腔内に、潤いが戻る。冷静になれ、と言い聞かせながら何個も詰め込む。
 ふと、トレベレスはマスカットを房ごと壁に放り投げた。グシャリ、と潰れたので無言で女官がそれを片付ける。
 虚無の瞳でそれを見つめていたトレベレスの口元に、笑みが戻ってくる。

 ……そうだ、妊娠したのならば精神を病んだとし、自殺に見せかけることが容易くなったではないか!

 好きでもない男の子を産まねばならないと知り絶望し、将来を悲観し自殺を図る。それは、姫君にとっても高貴な最期だと判断したトレベレスは、突如として狂ったように笑い出した。
 皆は表情を強張らせ、憂色を浮かべてトレベレスを見つめる。失笑が止まらない様子に、歓喜のあまり狂ってしまったのかと思った。
 しかし、笑いながらも冷静だったトレベレスは、皆の視線をもろともせずに髪をかき上げる。今はマローのもとへ急がねばならない、次に取るべき行動は鮮明に浮かんでいた。望んだ未来は、すぐそこにある。

 ……これこそ、好機。

 唇を噛締め獣的な決意を閃かせたトレベレスは、アイラのもとへと戻る。

「アイラ。ベルガー殿の使者が近隣に来ているそうで、呼び出された。全力で交渉してくる。体調が悪いのだろう? 寝てろ、直ぐに戻るから」
「本当ですか? お願いします」

 瞳を薄く開き、気だるそうにソファに埋もれたままアイラは力なく笑った。
 普段ならば身体を起こし駆け寄って来るが、それが出来ぬ程に弱っていると判断したトレベレスは決心が揺らぎそうになる。

「本当は離れたくない、辛い時に申し訳ない。帰りに、身体に良いものを購入してこよう、土産を待っていてくれ」

 優しくアイラを抱き起こすと、丁重に寝台に運び寝かせた。

「いいえ、いいえ。御土産など要りません、トレベレス様が居てくださればそれで十分です」
「頼むから、そういう可愛い事を言わないでくれ。出掛けられなくなる」

 様々な果物を部屋に運ばせてから目を閉じているアイラに口づけると、トレベレスは表情を険しくして部屋を出た。殺気に似た雰囲気を身に纏い、喉を鳴らす。

 暫く転寝していたアイラだが、不意に目を醒まし天井を見上げ、震える身体を抱き締める。

「あぁ、トレベレス様は大丈夫かしら」

 先程の、どことなく強張っていたトレベレスを思い出すと申し訳なく思えてきた。上手く交渉できれば良いが、下手したらトレベレスの国もラファーガ国の二の舞にならないかと杞憂する。

「トレベレス様を危険な目に遭わせるくらいなら、いっそ私が交渉したほうが良いのでは」

 不安で心が埋め尽くされたアイラは、いてもたってもいられなかった。マローは助けたいが、トレベレスには無事でいて欲しい。どちらかを諦めるという選択肢などなく、葛藤するアイラはよろめきながらベッドを降り、そっと部屋を出た。
 館は蜂の巣をつついたように慌しく、厳戒態勢で交渉に望むのだろうと思いこんだアイラは、邪魔をしないように、ひっそりと歩いた。
 普段ならば、部屋を出たその存在にすぐに皆は気づいただろう。しかし、今はアイラになど構っていられない状態であり、極力気配を消すように歩いていたので、余計に注意を逸らされてしまった。
 喉が渇いたアイラが食堂に立ち寄ると、話し声が聞こえて来た。声が密やかだったので、訝し気に壁に隠れて聴いた。胸が、ドキドキとざわめいた。

「マロー姫が……」
「その場所に……」
「どちらの……?」
「祝いの用意を……」

 会話は途切れ途切れだが、『マロー』の単語は妙に鮮明に聞こえた。アイラは、交渉の場にマローが居るのではないかと推測した。身を翻して部屋へ戻ると、吐き気を懸命に堪え、食欲はなかったが用意されていた果物を口に押し込み水分を補給する。
 覚束無い手つきで、軽くて地味な色合いのドレスを探し出し、ふらつく身体で身支度する。それからシーツを人型になるように丸めて寝台に横たえ、布団を被せる。自分が寝ているように偽装した。
 じんわりと浮かぶ額の汗を拭いながら、窓から顔を出す。門付近に慌しく馬車が数台用意されているのが見えたので、一枚のシーツを被り、そっと窓から外へと足を踏み出す。最初にここへ来た時の様に、壁を伝って庭に下りると、隙を見て馬車へと忍び込んだ。荷物が置かれた場所の、一定の隙間にすっと入り込む。シーツで自分を覆い隠し、身体を曲げて痛さに耐えながら時を待つ。
 ようやく、馬車が動き出した。居心地が悪く腰が痛いが、それでもアイラは身動きせずに馬車に揺られていた。逸る胸で呼吸もままならず、押し潰されそうな圧迫に幾度も意識を手放しそうになった。
 こうして、アイラは密かにトレベレスに同行してしまった。

 約一日かけて、馬車は完全に停車した。
 慌しい足音が広がり始めると、アイラは軋む身体に眉を顰めながらも起き上がり、幌から顔を出す。眩しい光に眩暈と吐き気を覚えたが、人の話し声が近づくと、慌てて顔を引っ込める。

「祝盃の用意をせねば」
「まだ気が早いのでは?」
  
 この馬車に荷物を取りに来たのかと思ったが違ったらしく、声は去って行く。
 アイラは再び顔を出した。目前に、塔のような建物がそびえ立っている。意を決してシーツをフードの様に深く被り直すと、人目を気にして馬車から降りた。
 大勢の人々で賑わっているが、皆なんとも言えない表情を浮かべていた。喜色満面の者もいれば、不安げに瞳を伏せている者もいる。幸いな事に、各々が手一杯なのかアイラに関心を寄せる人物はいなかった。人ごみに紛れて、建物内部へと侵入する。

 ……このような場所で、話し合いを? 

 どちらかの館にしては、あまりにも外観が簡素。街でもないこの場に、アイラの脳内に疑惑の花が咲いた。しかし、食事の用意をしている者達も見受けられたので、やはりこの場で相談するのだと思い直す。 
 トレベレスの姿を探しながら、目立たないように歩いていたアイラだが、一階にはいなかった。人で溢れるその中で、吐き気に襲われながらも懸命に階段を探す。
 二階に辿り着くと、そこでは酒宴が始まるような雰囲気だった。

 ……交渉にしては妙に盛大な。それとも、これが普通なのかしら。

 宴など王子達を招いた一度きりしか体験していなかったアイラは、そういうものなのかと受け入れた。二階の様子を目に留め、壁を伝い三階へと上がる。

「トレベレス様の御子のようですぞ!」

 聞き覚えがある声に、弾かれて顔を上げた、見れば、トレベレスの側近の男性だ。

 ……御子?

 復唱したアイラは、不思議そうに首を傾げた。
 それから通り過ぎる人々は、皆口々に同じ事を言って階段を上がり下がりしている。身動きも出来ないほどの中で、アイラは人にぶつかりながら躍起になってその側近を追った。彼についていけば、トレベレスに辿り着けるのではないかと思い、見失わないように人混みを掻き分けていく。
 そして、ようやく愛しい紫銀の髪を見つけた。
 駆け寄ろうとしたが、雷に打たれたように硬直して立ち止まってしまう。顔面蒼白のトレベレスに、冷淡な視線を送っているベルガー。二人の姿が瞳に飛び込んで来ると、呼吸が止まりそうになって心臓が跳ね上がる。あの日の恐怖が甦り、身体は臆して後ろへ退いた。
 だが、その奥に。
 アイラは信じられないものを見た、一瞬目を疑った。それは、疲れている自分が見た幻ではないのかと思うほどに衝撃を覚えた。疲労困憊の顔、やせ衰えた頬、そして瞳に光を宿さないマローが座っている。女官に囲まれて以前と同じ様に身なりを整えて貰っているが、城に居た頃とは人相が違っていた。

「マロー!?」

 アイラは、救いを求める様な切羽詰まった大声で叫んだ。
 今まで誰にも気づかれずに来たが、ここへ来て周囲がアイラを捕らえた。マローも、トレベレスも、ベルガーも、視線を向けた。全員の眼が一点に注がれる。

「ねぇ……さ……ま? 姉様!?」
「マロー、マローですよね!? あぁ、なんてことっ」

 女官を振り払い立ち上がったマローを見つめながら、アイラは真っ直ぐにトレベレスへと詰め寄っていた。
 顔面蒼白のトレベレスと狼狽しているアイラを見比べながら、ベルガーは無言のまま槍を手にした。手の中でそれを遊ばせながら、二人の距離が縮まるのを見つめている。
 しかし、アイラにはその様子が目に入らない。気が動転しており、状況を把握している余裕がない。

「トレベレス様、一体どういうことなのですか!? 何故マローはあのように髪も梳かれず、やつれた状態でいるのですか!?」
「アイラッ、どうして此処に居る!?」

 舌打ちしたトレベレスは、マローを背に隠すようにしてアイラの前に立ちはだかると、強引に抱き締めた。怯えた犬の悲鳴に似た哀れな声で弱々しく告げると、発狂したいほどに追い詰められている状況で突破口を探す。まさか、アイラがついてくるとは予想していなかった。あと一歩だったというのに、自分の計画が崩れ落ちようとしている。トライとリュイには、全てはベルガーが単独で起こした事だと説明し、難を逃れようと企てた。脅迫され、こうしなければ自国が攻め滅ぼされてしまっていたと、訴える予定だった。屈辱だが、それしか方法はない。アイラだけは無事に保護出来たと説明し、美しい姿を二人にも見せれば納得してもらえるのではないかと。
 道中の計画が白紙に戻ってしまった、最悪の状況に脚が竦む。暴れるアイラは、泣き喚いている。胸が痛む、痛むがどうすれば良いのかが、トレベレスには思いつかない。

「マロー姫様の子が欲しかったのですよ、我々は」

 暴れるアイラに気を取られ、ベルガーの事を放置してしまった。面白がっているようにも聴こえた声に、トレベレスの背筋が凍る。淡々と告げたベルガーを、鬼のような形相で睨み付けた。その瞳には、余計な事は言うなという強い意思が籠められている。
 しかし、ベルガーは鼻で嗤った。
 意味が解らずに戸惑うアイラはベルガーの声に耳を傾けるが、その耳はトレベレスの手によって塞がれた。
 聞かせないように対策をしているトレベレスに、無意味だとばかりに意地悪く微笑んだベルガーは、声を若干大きくして続けた。口元に、皮肉めいた笑みを浮かべて。

 ……爪が甘い男だ、淘汰されても仕方がない。

 噂通り、溺れて愛してしまったが故に、真実を隠し通してきたのだろう。事実を暴露すればどうなるか、ベルガーは心底愉快そうに嬉々として語り出す。

「交代でマロー姫を犯しました。ゆえに、あのようにやつれているのですよ。トレベレス殿に何を吹き込まれたか知りませんが、これが現実です、アイラ姫」
「あれはっ!」

 声を張り上げ抗議しようとしたトレベレスだが、真実を捻じ曲げることは出来ない。迫りくる恐怖で震える身体を押さえつけることすら出来ず、腕の中のアイラから視線を逸らす。

「おか、した?」

 ベルガーの放った言葉の意味が分からず、それでもアイラは眩暈で足元をふらつかせた。
 畳み掛けるように、ベルガーは続ける。『犯した』の意味合いを解っているだろうかと思いつつ、ほくそ笑む。

「えぇ。子が出来るまで、犯しました。どうやって子が女体に宿るかはご存知ですかな? トレベレス殿のお子が、マロー姫様には宿っておられます。寵愛していたのだから、無理もな」
「寵愛などしていない! オレが愛しているのはアイラだ!」

 言葉を被せて反論するトレベレスに舌打ちしたが、青褪めているアイラに微笑しながら、おどけたようにベルガーは言葉を続ける。

「ですが、実際マロー姫にはトレベレス殿のお子が」
「だから、あれは!」
「嬉々として、マロー姫の貞操を奪っておられたではないですか」
「違う、だから、あれは!」
「なかなか激しく貪っておられたようで? 情事後の清掃が大変だったとお聞きしております、さぞ、愛し合ったのでしょうな。いやはや、お若いというのは羨ましい。トレベレス殿の色恋沙汰は有名でしたな、生娘を好み、飽きたら捨てると。若く美し王子に見初められたと勘違いした少女達は、素直に愛の言葉を鵜呑みにし、脚を開く」
「なんだと!? そのような事っ」

 陰険な光を瞳に宿し、愉悦だとばかりにベルガーはトレベレスを睨む。

「私などは一人の女性を愛する事で精一杯、トレベレス殿の様には生きられませぬ。それで、マロー姫に飽きたからアイラ姫を甘い言葉で籠絡したのですか?」

 アイラは混乱していた、言い争いが続く中で頭の中が真っ黒になってしまった。

 ……飽きたら、捨てる? 

 思案せねばと、整理しようとペンを握って脳内にまとめようとしたものの、手が勝手に脳を黒く塗り潰す。もう、意味が解らない。

「アイラ、説明するからここから離れよう。彼の言う事は耳に入れてはいけない、あれは嘘だ! オレとアイラを引き離す為の巧妙な策略だ」

 抱き上げて部屋から出ようとしたが、腕をベルガーに捕まれた。
 ほくそ笑んだベルガーの瞳は、微塵も笑っていない。トレベレスに無常な視線を投げかけ、首を横に振る。人を蹴落とすのが好きな性格は、もって生まれたものなのか。

「いけませんな、トレベレス殿。妻と子を置いて、他の女と席を外すなどと。奥方が哀しみますぞ?」
「妻などではない! オレはっ」

 アイラを見つめながら舌なめずりしたベルガーは、その頬に触れようと手を伸ばす。案の定トレベレスに弾かれたが、無邪気に笑った。
 恐怖心が込み上げ、トレベレスが息を飲む。敵に回してはいけない男だった、餌を与えれば畳み掛けてくる性格は、知っていた筈だ。

「ここで説明すればよろしかろう。二人で共謀しラファーガ国を内から襲い、マロー姫を捕らえて犯していた、と。ここまでアイラ姫が単独で乗り込んでくるとは思いもよらなかったが」
「共謀?」

 弾かれたようにアイラはトレベレスを見上げた、しかし、視線は交差しない。
 疚しい事から逃れる様にトレベレスは顔を背ける、今、アイラの純粋な視線を受け止めるだけの気力はない。切に願うとばかりに見つめ続けているアイラの視線が痛いほどに突き刺さっている、けれども、どうしても合わせる事が出来ない。気持ちだけが焦る、新たな言い訳を探すが、上手く出て来ない。ベルガーの狂言だと説明したいが、ほぼ真実だ。アイラに嫌悪されたらどうなるのか、考えるだけで足が竦む。腕の中の愛おしい香りと体温、これが急に消えたら自分はどうなってしまうのだろう。
 意気消沈したトレベレスは、小さく、蚊の鳴くような声でアイラに告げることしか出来なかった。

「誓ってくれ。何があっても、オレから離れないと。頼むから」

 それは本当にか細く、今にも倒れてしまいそうなトレベレスの精一杯の声だった。沈黙のアイラに苦悶の表情を浮かべながら、その髪に口づける。精一杯真実の愛を伝えようとした。これ以上ないというくらいの絶望に、トレベレスは包まれていた。最も恐れていた事、それは愚行の露見である。アイラに、知られたくない。知られたら、自分を見る目がきっと変わってしまう。
 アイラの愛する双子の妹を、どのような目に遭わせて来たのか知られるのがこれほどとは。もっと早くにマローを殺害すべきだったと、後悔しても後の祭りだ。重苦しい空気、滴る汗、震える身体、それは自分の失態を認めていた。この状態では万難を排して、先に進む事など出来るわけがない。おまけにベルガーは、この機に自分を潰す気でいる。
 アイラを強く抱擁することしか、トレベレスには出来なかった。

「マローに、会わせて下さい。腕を、離して下さい」
「離すと、戻ってこないだろう!? だから、離さない」

 力を抜いて離れようとしたアイラを、渾身の力で抱き締め直す。
 トレベレスの身体の震えはアイラにも伝わっていた、悄然としている様子が気の毒で困惑する。怒りは湧いていない、ただ、可哀想で愚かで抱き締めたい衝動に駆られてはいた。

「あの、戻りますから。マローに会わせて下さい」
「駄目だ、きっと、離れていくから会わせられない。オレはアイラに傍に居て欲しい、頼むからっ」

 アイラの息が止まるほど、全力で抱き締め拒否をする。
 圧迫されたアイラは、咳き込んだ。咳が止まらず、嘔吐に変わる。
 慌てたトレベレスは力を緩め、ゆっくりと背を擦った。体調が芳しくないことを思い出し、両手で口元を押さえ、涙目で寄りかかっているアイラを見つめる。こんな体調でも自分を追ってくるほどにマローに会いたかったのだと知ると、妹に嫉妬し疎ましさを覚えた。
 不気味な光を讃えた瞳で二人を眺めていたベルガーだが、立ち上がったものの膝から崩れ落ちたマローが目の端に入った。眉間に皺を寄せて双子を見比べ、ゆっくりとトレベレスに視線を移した。腹の底から笑いが込み上げ、皮膚が奇妙に引き攣る。
 耳元で誰かが囁き続ける、あの若造は邪魔だと言い続ける。

「ははっ、姉もか! 破滅と繁栄の子が同時に存在するのか!」
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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