第359話苦しむ麗 

文字数 1,277文字

五月からの電話を、「わかりました」と終えたものの、麗は気が遠くなるほどの衝撃で、椅子に座り込んで身動きができない。
もちろん、「わかりました」と了解した以上は、面会は避けられない。
断る理由は、何も見つからない。

しかし、それ以上に、どんな顔をして逢えばいいのか、それに難儀する。
とうとう、麗は、頭を抱え込んでしまった。

「俺が生まれなければ・・・」
「こんな俺が生まれなければ、母は殺されることもなかった」
「父の単なる浮気で、責められるのは父だけだった」
「手を下したのは、恵理と宗雄、それに加担した鷹司執事」
「そして、あのヤクザみたいな医者」
「それはそうだけれど」

麗は、頭をかきむしる。
「それ以前に、何故、俺は生まれてしまったのか」
「俺が生まれたから、母は殺された」
「俺も、母殺しの原因だ、その最初の原因だ」
「俺は生んでもらっておきながら、母を殺す原因か」
「生まれながらにして、どれほど罪深いのか」

しかし、涙は出ない。
涼香が不安そうな顔で見ている。
九条の後継が、これ以上は錯乱した姿を見せるわけにはいかない。
苦くて熱い鉛を飲み込むような思いで、麗はいつもの能面に顔を戻した。

そして涼香に声をかける。
「涼香さんは、心配いりません」
「自分の不始末で、自己嫌悪に」

麗としては、「自分が生まれてきたことが不始末」になるけれど、まさかそれを涼香に言うわけにはいかない。
そんなことを言えば、自分だけではない。
九条家とそれにつながる全ての人を、苦しめ、呆れさせることになるのだから。

そんな苦しむ麗を見ながら、涼香は不安でならない。
「麗の事情」については、大旦那と五月から、麗が九条家に戻る前にしっかりと説明を受けている。
その麗は九条家に戻ると、瞬く間に九条屋敷で働く者全員に、感銘を与えてしまった。

「とにかく、お心が深い」
「辛いことに耐えきった極上のお人や」
「あのお顔、きれいや、見とれてしまう」
「やさしいわぁ・・・ほんま、細かく気を配ってくれて」
「とにかく皆で守りましょう」
「元気でいてくれれば、全て安泰や」

涼香は、そんな声を思い出すけれど、今、目の前の麗は、明らかに衝撃を受け、苦しんでいる。
そして、本当に近寄り難いほどの、能面。
そろそろ風呂に、と思うけれど、とても、そんな雰囲気ではない。
湯女をしながら、麗の健康状態を確認するのも、お世話係の大切な仕事ではあるけれど、言い出せそうにない。

その麗は、ようやく立ち上がった。
「涼香さん、少し大学の課題をこなします」とだけ言い、そのまま自分の部屋に入ってしまった。
そして、予想された通り、なかなか出てこない。
また、あの表情を見てしまうと、「お風呂」などと言い、部屋をノックするのもためらわれる。
涼香は、どうにも不安、茜に連絡を取る。
「茜様、麗様が、五月様とのお電話の後、相当なお苦しみに」

茜は、五月から話した内容を聞いているらしい。
少し悩むような声。
「麗ちゃんは、ショックかもしれんな」
「いきなり聞いて、そんな話」
「仕方ない、いずれは言わんと」

茜も苦慮するだけで、どうしたらいいのか、わからない様子。
涼香は、懸命に考えている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み