第320話葵の違和感 喫茶店で麗に願うこと

文字数 1,337文字

麗と西洋史の碩学佐藤先生の話は、午後3時半に終わった。
佐藤は名残惜しそうな顔。
「いや、実に楽しかった、もっとしゃべりたいところだけど」
「4時から社会人講座でね、大学に戻るよ」
麗も、引き留めない。
「いえ、忙しい時間を割いていただいて」
「また、是非、ご指導願います」
佐藤は席を立ち、麗と握手をして、スタスタと店を出て、大学に戻っていった。

結局、何もできなかった葵は、驚くばかり。
「ほんま、京都とはえらい違いや」
「京都やと、まず先生に教えてもらう前に、心付けや」
「それも懸命に選んで、しっかり頭を下げて」
「同じ大学の先生やから・・・まあ・・・そないなことせんでも?」
「別れ際も、あっさりと、京都やと、もう少し粘る」

さて、麗も実にあっさりとしている。
店主の山本保に数冊の本を頼み、「本日は本当にありがとうございました」と、店を出てしまう。
仕方ないので、葵は麗を追いかけることになる。

麗は少し歩きながら、葵に声をかける。
「用件が済んで、あまり長居するのも、お店の人には失礼」

葵は「はぁ・・・それは、当たり前で」と答えるけれど、麗と佐藤先生、古書店主の「あっさり感」が、まだしっくりとしていない。
それでも、葵は麗にどうしても言うべきことがあった。
「麗様、まだ、お時間はよろしいでしょうか」
「あの・・・珈琲が美味しいお店をと」
何とかして、麗と二人きりの時間を増やしたいのが本音になる。

麗は、素直に頷く。
「はい、それはかまいません、お約束でしたので」
「申し訳ありません、店がわからないので、連れて行ってください」

葵の顔に、ようやく明るさが戻った。
「わかりました」と、麗の手を握り、元気に歩き出す。


さて、「珈琲が美味しい店」は、靖国通りから駿河台にのぼる坂道に入り、すぐ左手の場所だった。
その直近にはいわゆる学生街の洋食店、古本屋、ウィーン風のカツレツを出す店の看板もある。
葵は麗の手を一旦離した。
「ここのビルの二階になります、階段が狭くて急なので」
と言いながら、階段をのぼっていく。
麗も「確かに狭く急な階段」と思うけれど、店に入ると意外に広い。
正面には、黒い木製の長いカウンター。
実に様々な珈琲カップ、紅茶カップが壁一面に並べられている。

葵は麗を窓際の席に誘導。
これも大きな黒の一枚板のテーブル、よく使い込んだ品格のようなものを感じさせる。
麗は葵に尋ねた。
「葵様は、何度もここに?」
葵は首を横に振る。
「いえ、実は初めてで、九段事務所の女の子に教えてもらいました」
麗は店内を再び見渡す。
「実に、すっきりとして、いい感じ」
葵もホッとした顔。
「うちも、こういう落ち着ける店が好きです」

中年にはなるけれど、愛くるしい小柄の女性店員が注文を取りにきたので、麗はコロンビア、葵はカフェオレを注文する。


「コロンビアが好きなんです」

「豆を挽く音も、美味しそうな感じ・・・あ・・・いい香りが・・・」

「いいなあ、こういう店、昔風と思うけれど、シンプルで」

葵は珈琲を飲む前から満足そうな麗に安心。
その安心ついでに、麗にお願いしたいことがあった。

「あの・・・麗様・・・今度から・・・葵様でなくて、葵って呼んで欲しいんです」
「あの・・・どうでしょうか・・・」

葵は、少しハラハラとしながら、麗の返事を待っている。
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