第149話麗は「背中流し」を拒絶する。

文字数 1,431文字

戸惑いながら麗は考えた。

「若い女が誰もいない風呂場で若い男の背中を流す」
「それも自分から声をかけるとは何だ」
「危険とは思わないのか」
「それとも何か思惑があるのか」
「あるいは誰かに指示をされたのか」

「色仕掛けで、まだ、わけもわからないうちに、関係でも持とうとするのか?」
「相手は俺の名前も、素性ももちろん知っている」
「しかし、俺は知らない」
「そうすると、下手に関係を持つなど、危険極まりない」
「この先、味方になるにせよ、あるいは俺の足元をすくおうとする敵であったにせよ、それも全くわからない相手に気を許すべきではない」

麗は、気持ちを固めた。
そして、大き目の声。
「どなたかは知りません」
「お引き取り願います」
「一人で風呂ぐらいは入れます」

見知らぬ女などに背中を流されるのは拒絶の意志を示す。
そうすれば、相手から何らかの反応が戻って来る。
それでも浴室に入って来るのか、それとも、何かを言って引き下がるのか。
その反応を確かめようと考えた。

麗の声で、浴室の扉を開けようとしていた若い女の影が止まった。
そして、再び声が聞こえて来た。
「あの・・・ご心配なさらず」
「ここの御屋敷に奉公させていただいております」
「葉子と申します」
「これも、私のお役目なのです」

麗は、それでも拒絶の意志を変えない。
「葉子」という名前の使用人の顔写真をPCで見たような気がするけれど、九条家に泊まるのは今日が初めて。
そんな状態で、よくわからない葉子に身体を洗われるなど、実に抵抗がある。
仮に、その「葉子」と名乗る若い女の役目が、風呂場で背を流すことであっても、そもそも麗自身が「お役目」を指示したわけではない。

「源氏とか、そんな過去の時代の召人でもあるまい」
「そんな時代は、大貴族の御屋敷に奉公して、お手付きやら性の相手をする召人もいたけれど、それも御褒美狙いで」
「紫式部とて、道長の召人とも言われているけれど」
「いくら、その流れをくむ九条家であっても、時代が違い過ぎる」

麗は、再び声を大き目に再び拒絶する。
「お引き取りください」

すでに浴室の扉に手がかかっていた「葉子」の身体が震えたような気がする。
「本当に申し訳ありません」
少し湿った声で、言葉を残し、「葉子」の姿は浴室の扉付近から消えた。

麗は、その後、脱衣場の扉が閉まる音も聞こえたので、「葉子」は諦めて去ったと理解する。
そして、ようやく落ち着いた。

「危なかった」
「お屋敷に入って早々、女がらみのトラブルは御免だ」
「大旦那も五月さんも茜さんも、がっかりさせたくない」
「特に京都で、余計な人間関係は作るべきではない」
「後でそれに縛られて、どれほど迷惑するか、想像するだけでも面倒だ」

そして、こうも思う。
「もしかして試されていたのかもしれない」
「女にだらしがない男なのか、そうでないのか」
「簡単に背中をいい気になって流させれば、操るのも簡単な田舎男」
「それに乗らなかったのだから、また戦略を変えるのか」
「どうせ、田舎者を騙すための戦略になるだろうけれど」
「騙して振り回して、自分たちの都合がいいように操る」
「そして何か問題が起きれば、知らぬ存ぜぬか」
「いかにも京都人らしいやり方だ」

麗は、湯船から出て、慎重に脱衣場に出る扉を開ける。
誰もいないことを確認してから、脱衣場に入り、茜が準備した夜着に着替えた。

「とにかくどんな部屋に入っても鍵をしないと危険だ」
「監視カメラも要注意だ、何を見ているのか、恐ろしくてならない」
麗の顔は、本当に厳しくなっている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み