第109話麗は神保町を有意義に散歩する

文字数 1,578文字

麗は神保町駅に到着した。
昼食時なので、靖国通りも、すずらん通りも相当の雑踏。
まず、文具も欲しかったので、すずらん通りにある老舗の文房具店を目指す。
池波正太郎ゆかりの中華料理店もあるけれど、食欲がないので、素通り。
すると、すぐ先の洋食店は、店外にまで20人も行列。
「美味しいんだろうけれど、俺には関係ない」

右を見ると、ロシア料理、餃子の老舗、インドカレーの店もある。
しかし、全く興味がないので、ここも素通り。
小さな画廊や、カフェを道沿いに併設してある書店もある。
「確かに便利だけど、人が歩いているのに、大口を開けて飯を食うのも」
「恥ずかしいと思わないのかな」
「まあ、自分が食うわけでもない、どうのこうの言う理由もない」
などと思っていると、天ぷらの揚がる香ばしい匂い。

「珍しく美味しそうな」
少し店の前を見ていると、井伏鱒二やら文豪が通った天ぷら店のようだ。
大学も多く、本屋も出版社も多い、それで手頃で手早い天ぷらが受けたのだと思う。
しかし、ここも行列しているので、とても入る気にはならない。

左手に三省堂があるけれど、まずはお目当ての老舗の文房具店に入る。
「文房具と言うよりは、美術道具店か」
「ビルの中に画廊があったり、美術教室まである」
麗は、それらがある上の階ではなく、地下の階におりた。
欲しかったのは、ミニサイズのルーズリーフ。
「ちょっとしたメモ書きに使える」
「小説を読み始めて、登場人物がわからなくなるので、それらをメモしておく」
「本を読んでいて、使える言葉を発見したら、書いておく」
結局、大した買い物ではない。
メモリーフの予備まで買っても、千円にも満たない。
しかし、麗はそれで本当に満足。
「後は、古本屋で千円くらい買って帰るか」
その時点で礼服作りを忘れている。

麗は、そのまま靖国通りに出た。
後は古本を買うだけになる。
まず目に入ったのは、デュマの「王妃マルゴ」。
「二冊セットで、400円、これはお買い得」
そして、プリア・サヴァランの「美味礼賛」
これも二冊セットで400円だった。
麗は、実に満足となるけれど、実家付近の書店との呆れるほどの格差も感じる。
「田舎の無学な書店員では全く知らない類の本だ」
「書名を言ってもチンプンカンプン」
「著者を言ってもチンプンカンプン」
「出版社を先に調べて来いとか、実に態度も悪く程度が低い、自分で調べようなどの向上心のカケラもない」
「無駄話だけは好きなようだった」
「それも芸能人の話、誰と誰が結婚したやら、別れたやら」
「自分に直接関係がない芸能人が不倫しようが別れようが、得も損もない」
「しかし、あの程度の低い書店員は、世界の一大事のようにしゃべる」
「田舎の書店員など、読むレベルはゴシップ誌程度だ」
「そもそも、文学の素養を持つ人は、田舎の書店員になどならない」

麗は、またしても気分を悪くしながら、靖国通り沿いの古書店を歩く。
その店先のワゴンに、「式子内親王の歌集」を発見。
思わず、手に取り、開いてしまう。
「源氏よりも好きだなあ、この感性」

ページを数枚めくると、
「いま桜 咲きぬと見えて 薄ぐもり 春にかすめる 世のけしきかな」の歌。
麗は、ため息をついた。
「この世界は広い、そして桜色に広い」
「桜が咲ききった瞬間を目がとらえ、世の中が全部、今までとは違う春一色になった世界を詠む」
「桜の花が満開となり、花の色が周囲に広がり、春霞と渾然一体」
「まさに春そのもの、桜花の香りに満ちた空気、花の色の霞に全てが覆われる世界」

麗は目を閉じた。
「京都の人は大嫌いだ」
「でも、式子内親王の世界は好きだ」
「上賀茂神社、下鴨神社、それから賀茂斎院跡に、行きたくなった」
「誰にも言わず、知らんぷりして、行ってみようか」

麗は、結局、「式子内親王の歌集」を500円で購入。
もう少し関連本が欲しくなったので、山本由紀子の父が店主をする古書店に向かった。
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