第350話大学構内で麗はまた能面に

文字数 1,397文字

麗の大学への登校は、一旦高輪の家に、涼香を案内してからとなった。
葵も、高輪の家を一度見たいというので、同行。
そして、授業の関係もあるので、家に荷物を置くだけ、一服することもなく、そのまま三田線に乗る。

葵はご機嫌。
「こういう知らない街から、知らない電車に乗ると、わくわくします」
麗は、詩織がそんなことを言っていたと思い出すけれど、あえて口に出すことはない。
「お昼に、高橋先生と話をします、蘭のお礼訪問の件で」

「そうですか、同席しても?」

麗は、少々面倒になるけれど、断るほどのことではない。
「別に構いません」と、素っ気なく返す。

葵は話題を変えた。
「麗様の式子内親王様のブログ、素晴らしかったです」
「大好評で、よくあれほど美しい文章が書けるものだと」
麗は、返事に困った。
「一度、大旦那や五月さん、茜姉さまに目を通してもらってあるので」
決して自分だけの作業ではないと、答えも慎重になる。

しかし、葵は思う。
「今までの五月さんの文とは、別格」
「読む人をグイグイ引き付ける、それでいて、美しい」
「典雅さに満たされる、式子内親王様自身が語っているような」
「それにしても、才能にあふれたお方やな」
「もう、離れられん」

山手線で渋谷、渋谷からまた井の頭線に乗る。
麗がポツリ。
「そんなに長く住んでいないけれど、帰って来たという感じかな」
葵は、その麗が面白い。
「いくつめの故郷でしょうか」

麗は、また返事に困る。
育った東海地方の家には、嫌な思いしかない。
本当の実家だった九条屋敷は、今は歓待されているけれど、ほんの二か月前までは恵理と結の虐待対象でしかなかった。
麗は考えた。
「故郷と何か、育った場所か、あるいはよそ行きの顔をしないでいい場所なのか」
それを思うと、「よそ行きの顔をしないでいい場所」なのだと思うし、そうなると麗にとっては「都内」と結論付ける。
地理的とか年数的なことは、特に麗自身の場合は、全く考慮にはしたくない。
宗雄からの暴言暴力と、奈々子の無関心から、ようやく一人になり解放された都内の生活の時期のほうが、よほど「よそ行きの顔」をしていなかったと思う。

ただ、それを九条後継の自分が、ストレートに九条財団、嫁候補の一人の葵に言うことは、あまりにも短慮。
「知らない人ばかりの街でしたけれど、次第に知人が増えて来ました」
「葵さん、美幸さん、奈々子と蘭、九条屋敷からは今は涼香さん」
「それまでは吉祥寺に香苗さんと桃香」
と、故郷とは直接関係のない返事で、葵を煙に巻く。

最寄りの駅に到着、大学構内に入ると、いつもの学生の雑踏。
葵は、ますますご機嫌。
「まあ、ほんま、自由な感じで」
「この解放感がたまらんです」

麗は、「そう感じるのなら、自分からも離れればいい」と思うけれど、葵はぴったりと張り付いている。
「麗様が、関東の女に取られんように」

そんなことを言うので、麗は珍しく反発。
「忙しくて、そんな余裕はないよ」

しかし、葵は、ますます身体を寄せる。
「いや、麗様がそう思っても、ブログの件もあって」
「だんだん名前が売れてきます」
「うちは、そんな不安もあるんです」

麗は結局、そんな話が面倒になった。
愛とか恋とか、今の麗自身が、何も考えていない。
「詩織も敬遠したいタイプだけど、葵も」
「そうかと言って、九条家後継として、これからも付き合う運命か」

葵は、満面の笑み、解放感を感じているけれど、麗は、また能面、憂鬱に満たされている。
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