第401話時代和菓子試食会(1)

文字数 1,596文字

和菓子職人たちにより、時代和菓子が運ばれ、品評会が始まった。
その和菓子職人の中で、一番年輩の職人がマイクを持ち、説明を始める。
「今回のご案内、ご説明をさせていただく佐藤と申します」
「ああ、甘い砂糖ではなく」と軽く場を和ませる。
また、佐藤の説明が始まると同時に、出席者の手許に、今日の菓子についての資料も配られるので、余程の準備がなされているらしい。

佐藤
「まずは、古代」
「古代においては、調味料としての砂糖がなく、木の実や甘い果物が菓子の役目」
「柿については、縄文時代や弥生時代の遺跡から柿の種が発掘」
「万葉歌人で歌の聖とされる柿本人麻呂は、屋敷に柿の木があったので柿本と名乗っていたとか」
「藤原宮遺跡から、柿の種子が多量に発見される他、平城京遺跡からは柿の値段を書いた木簡が発掘されているなど、我が日本人が古代から親しんだ果物」
「尚、渋柿なので、熟柿や干柿として食べられました」

続いて栗の説明に移る。
「栗も深い歴史があります、9000年を超えると言う説もあるほどで」
「約5500年前になりますが、青森の三内丸山遺跡から、大規模な栗栽培の跡が発見」
「日本書紀にも、朝廷が栗の栽培を推奨していた記述があります」
「758年の文書によると、米の1升が5文に対して栗は8文」
「食べ方としては、やはり茹でる、焼くなど、シンプルなものと思われます」

尚、柿と栗については、季節が異なるので、資料の写真と説明のみ。
誰でも知っている味なので、菓子としては配られない。


佐藤の説明は、奈良時代に移る。
「そのようなシンプルな我が日本の菓子でしたが、遣隋使の時代に変化が起こりました」
「中国から使節が持ち帰ったものの中に唐菓子というものがありました」
「これは、米、麦、大豆、小豆などをこねたり、油で揚げたりしたもの」
「名前としては、梅枝、桃子、桂心、団喜他様々、この唐菓子が、和菓子に大きな影響を与えたと言われております」
「本日は、この中から団喜を試食していただきます」

その言葉と同時に、「団喜」が和菓子職人たちにより、配られ始める。

大旦那は面白そうな顔。
「油で揚げた茶色い巾着みたいな形や」
五月
「中身は栗でしょうか、これは」
佐藤が答えた。
「伝来当時は、栗、柿、あんず等の木の実を、甘草、あまづら等の薬草で味付けをしたようです、今日は栗を使いました」

「つまり、千年以上、食べ続けられていると、面白いな」

麗も、自分で言い始めた時代和菓子なので、神妙に食べる。
「巾着は、八葉の蓮華結びかな、おめでたい感じもある」
「形も面白いですし、工夫をすればなかなか」
「古代風はしっかり残しながらも、現代風にアレンジしたものを出しても、受けるかもしれない」

佐藤がうれしそうな顔。
「ありがたいことです、菓子ですので、そんな遊び心も大切です」

そして平安期の菓子の説明に入る。
「唐菓子は、他にも種類がありますが、今日は時間の関係上、残念ですがお出しできません」
「続いて、この京に都が移った平安期の菓子の説明です」

全員の前に、「花びら餅」「最中」「せんべい」が配られた。
佐藤
「花びら餅は、丸く平らな白いお餅の上に、ひし形・紅色のお餅を重ね、中には押鮎を見立てたごぼうとお雑煮の意味を込めた白味噌を入れて二つ折りにしたもの」
「宮中の長寿を願う歯固めの儀に由来しております」

「最中は日本特有の菓子になります」
「平安期の月見の宴の際の菓子で、丸い白餅が、もなかの月と称されたております」
「当時は、こし餡などは入っていなかった、こし餡が入ったのは、江戸中期とか」

「それと、日本人の菓子には欠かせない、せんべい」
「平安の初期に弘法大師がその製法を中国から持ち込んだとか」
「甘いせんべいと塩せんべいの2種類がはいってきたとも言われております」

佐藤による菓子の歴史の説明が続く。
また出された菓子は、どれも食べやすくされているらしい。
全員が、普通に食べている。
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