第277話葵祭社頭の儀の麗

文字数 1,878文字

葵祭は、欽明天皇の御代、凶作に見舞われ飢餓疫病の流行を懸念した天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源。
上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられている。
ただし、三大祭は近年になって言われ始めたことであり、京の都の祭りといえば、かつてはそのまま「葵祭」のことだった。

語源としては、5月15日の祭の当日、内裏神殿の御簾をはじめ、御所車、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべてに葵鬘を飾ったことからのもの。
また、装束の着付け、調度にいたるまで平安朝の文物風俗を遵守。
勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を奏上、お供えを届けるのが祭りの目的。
東京遷都以前には、天皇が行列の飾り馬と出立の舞を見学する、習わしであった。
有名なその行列は路頭の儀といい、長さは約1kmに達する。
その行列が京都御所を出て、下鴨神社、上賀茂神社に到着すると、社頭の儀が神前にて、とり行われる。


さて、麗は九条家の一行とともに、午前10時過ぎには、下鴨神社の社頭の儀を見物する席に到着した。
ただし、事前に佳子から話があった通り、麗は常に大旦那の隣に立ち、九条家の他の面々とは距離が離されている。
また、嫁候補とされる関係筋の娘たちも、九条家の大旦那と麗に近づくことはない。
麗は、「俺はそういう立場なのか」と、あらためて実感するけれど、違和感を覚えている暇はない。
やはり京都人の中でも歴史的にも実力的にも別格となる九条家の大旦那の前には、本当に多くの「偉そうな人たち」が挨拶に来るのだから。
おまけに、大旦那は、その一人一人に麗を紹介する。
「これが孫の麗、次は麗に託します」
その紹介を受けて、麗は必要最低限ではあるけれど「麗と申します、今後ともよろしく」と、挨拶をする。

また、大旦那から麗を紹介された「偉そうな人たち」は、一様に麗を見て笑顔。
「はぁ、やっとお目にすることができました」
「あちこちで噂になっとります」
「えらく綺麗なしっかりとした後継さんでとか」
「重々御関係筋の方々からも、お喜びのお話がございまして」

ただ、麗はどれほど笑顔で見られたとしても、その表情を崩すことはない。
唇をキュッと結び、笑顔の「お偉いさんたち」の表情を、しっかりと観察する。
「つまり、大旦那の手前、お世辞を言っているに過ぎない」
「そもそも京都人のお世辞を、まともに喜ぶ馬鹿はいない」
「ただ、その中で、相手の表情に、どれだけ真実味があるかは確認するべきだ」

そんな状態がしばらく続いた頃、少しずつ歓声が耳に入るようになった。
行列が近づいているようだ。
麗が隣の大旦那の顔を見ると、やはりうれしいようで、輝いている。

ついに、次々に儀式のお役目を担う人たちが到着し始めた。
大旦那が麗に「検非違使・山城使、御幣櫃・馬寮使、舞人・近衛使、陪従・内蔵使・・・」
などと解説をするけれど、麗は特に言葉を出さない。
つまり麗としては、下手な感想を言い、それが「お偉いさんばかり」の耳に入り、余計な噂になることを避けている。
そして、ついに葵祭のヒロイン、斎王代が登場して来た。
かつては未婚の内親王、現在は京都在住の未婚女性、それも由緒ある家のお嬢様から選ばれる。
髪はおすべらかしで金属製の飾りもの「心葉」をつけ、額の両側には「日陰糸」を下げる。手には桧扇を持ち、きらびやかな十二単衣を着ているので、見物する人たちの目が、ますます輝く。

その後は、定例通り、舞殿にて勅使が御幣物を備え、御祭文を奏上するなどの儀式が、次々に格式高く、優雅に進行していく。

春日大社や平安神宮、府知事、市長など超大物の来賓の正式拝礼も予定される中、麗が困惑したのは大旦那が正式拝礼に向かう際に、腕を引かれたこと。
「麗も拝礼せい」との一言で、拒むことも困難。

麗は、覚悟を決めた。
ここで下手な抵抗を見せて、醜態をさらすこともないと思った。
そう思うと、気持ちはいつものごとく、冷静そのものに戻る。
結果として、大旦那と並んで麗は正式拝礼をすることになった。

その後は、馬の舞殿回り、男性6人の舞人の舞を経て、勅使が退席し社頭の儀全てが終了。
麗たちは、控室に入り、直会、高級料亭の弁当や等を食べる。
この控室で、ようやく大旦那と麗は、九条家の五月、茜、そして関係筋の面々の中に入る。

五月は、麗を見て目が潤んでいる。
「麗ちゃん、完璧な拝礼や、美しゅうて・・・はぁ・・・感動したわ」
茜も涙をためている。
「ほんまや、物おじせんと・・・ようやった」

麗は、ここでも表情を変えない。
「無事に終わって、よかったかな」
心は、すでに別のことを考えている。
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