第5話麗は源氏物語研究の権威の名を聞き、また尻込みをする。

文字数 1,351文字

さて、途方に暮れていた麗ではあるけれど、それでも少しは頭が動き始めた。

「俺の前にいる二人の女性は、いわゆるインテリと思う」
「そうなると、少なくとも高校生の時の周囲のような程度の低い話題などはしないだろう」
「それに、源氏という学問において、この俺を評価するなどと言っている」
「となると、この他人との関係を作るのが苦手で嫌いな俺としても、一定の反応をすべきなのではないか」
「少なくとも、学業に支障のある話題にはならないだろう」

そんなことにようやく気づき、麗がその顔をあげると、まず高橋麻央。

「ふむ、沢田麗君、もう少し待ってね」
「と言うのはね、あと20分ぐらいで源氏の権威の教授が、この研究室に来るの」
「その時にね、もう少し詳しい話を」

ようやくその顔をあげた麗は、また戸惑う。
「源氏の権威?誰?その人」
「20分も待つのか」
「それまで何をしている?」
「また、下を向いていればいいのか?」
麗は、腕時計を見た。
午後4時50分だ。
いつもなら、とっくにアパートへ戻る道。

その戸惑いの麗を見透かしたかのように、三井嬢が声をかける。
「私は、二年の三井芳香」

ようやく自己紹介が来たので、麗もオズオズと自己紹介。
「あ・・・沢田麗と申します」
何しろ女性はおろか、人と話をすることがないので、実にドギマギしている様子。

三井芳香は、そんな麗を笑う。
「ねえ、落ち着いてよ」
「面白い子ねえ、全く」

すると今度は高橋麻央。
「一応、教授の名前も事前に言っておくよ」
「日向良夫さん、源氏物語研究では日本のトップクラスの一人」
「天皇家で講義をしてきた秋山先生の愛弟子」
「そして私は、その弟子」

麗は、そこまで聞いて、ますます驚く。
そして、つい、思ったままを言ってしまった。
「あの・・・僕は、場違いではないでしょうか」
「あまりにも、偉い人と、僕のような・・・ただ、田舎で源氏物語を読んだだけの・・・」

その麗の言葉は、高橋麻央にさえぎられた。
「ねえ、麗君、君はさっきから見ていて、引っ込み思案が過ぎる」
「私が君のセンスに注目したの、日向先生も高く評価をなさって、直接顔を見たいとおっしゃった、だから来てもらったの」

麗が「うっ」と言葉に詰まると、今度は三井芳香。
「夕顔と源氏の逢瀬が、三輪山伝説をベースにしているとかね」
「正体を明かさず、肉体関係を持つ、そのエロチックさとか」
「夕顔を取り殺した生き霊は、六条御息所ではないことの説明とか」
「なかなか、いないよ、そこまで書く人、入学したばかりの男の子で」

高橋麻央が三井芳香の言葉に続く。
「何よりね、文がきれいなの、実に繊細」
「それは、先天的なものかもしれない」
「他の学生とは全然違う、女子学生より美しい」
「だから、もっと源氏も、その他の古典の勉強も深めてもらいたい」
「私も、麗君を育ててみたいの、日本古典文学研究者としての麗君をね」

そんな「聞いたこともないような褒め言葉」を聞かされ、麗は戸惑う。

「大学って、こういうところ?」
「受験のための点数稼ぎとか、そういう技術は・・・いらないのか・・・」
「でも、あの夕顔の現代語訳は、感性と推測だけで書いてしまったけれど・・・」

またしても戸惑う麗を見ながら高橋麻央と三井芳香は、互いに目配せ、そして少し笑う。
どうやら、何やら魂胆がありそうな感じと、麗は身構えている。
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