第265話大旦那と麗のデュオ 葵の麗独占計画

文字数 1,324文字

大旦那が用意した曲は、ブラームスのチェロソナタ第一番だった。
これも麗にとっては初見になるけれど、音を外さず、大旦那のチェロに合わせて弾くことだけを心掛けた。

麗は大旦那のチェロを聴きながら思った。
「アマチュアのチェロで、決して上手ではない」
「しかし、一音一音の情感が深い」
「この日のために練習したのか、俺と演奏するために」
「ブラームスは簡単な曲ではないけれど、ミスもしない」

美幸は、譜めくりをしながら、麗と大旦那の様子をうかがう。
「すごいわぁ・・・現当主と次期当主、息がピッタリや」
「麗様の合わせが、メチャ上手もあるけれど」
「大旦那が崩れそうになると、麗様がスッと合わせる」
「曲が進むにつれて、チェロとピアノが一体になったり」
「お互い、軽く主張して、それに答えたり」
「やはり、血のつながりやろか、お顔もよう似とる」

五月は、本当に満足そうな顔。
「ここでしか聴けない、極上や」
「大旦那と麗ちゃんのデュオなんて、他所ではあり得ん」

茜も、その表情を明るくして聴き入る。
「これがほんまの九条家や」
「みんなが和気あいあいと高め合う、生きることを楽しむ」
「麗ちゃんをもっと、この世界に溶け込ませて、笑顔を見たい」

大旦那と麗のデュオが終わった。
麗は立ち上がり、大旦那に頭を下げる。
「お見事でした、大旦那様」

大旦那は、恥ずかしそうな顔に戻った。
「よく言うわ、フォローが上手過ぎや」
「実力以上に弾けてしもうた」


九条家の音楽室にて、和やかな音楽会が続く中、九条財団の葵は少し焦っている。
それは、不動産の麻友から、麗が久我山のアパートを出て、高輪に転居するとの連絡があったため。

「何や・・・せっかく一緒のアパートに住んで、親密さを増そうと思うたのに」
「大旦那の御意向?仕方ないけど・・・」
「麻友さんの仕掛けとも言い切れんし」
「そうなると大学で迫るしかない?」
「でもなあ・・・麗様は、体面を気にするタイプや」
「マジに笑わんし、笑いかけても、暖簾に腕押しや」
「せっかく大学まで追いかけたのに・・・また・・・逃げられる?」

月曜日の葵祭も一緒になるけれど、どうにもならないことは理解している。
「大旦那、五月さん、茜さん、他の関係筋のお嬢様、お世話係たちも一緒で」
「それ以前に麗様は、寺社のお偉いさんに顔見せや」
「とても近寄れん、辛いわぁ・・・」

冷静に考えれば、お目当ての麗と二人きりになる時間は、特に京都では実に確保できないことも理解する。
「そうなると、麗様が好きな神保町かなあ」
「とてもデートスポットとは言えん」
「おしゃれやないし」

葵は、それでも打開策を考える。
「珈琲が好きな人やから、本格的な珈琲を出す店があるやもしれん」
「そもそも学生街、本屋街や」
「調べれば・・・あるやもしれん」
「そこで、飛び切りの喫茶店を見つけておいて、そこに連れ込む」
「それしかない」

葵は、麗を独占する打開策として飛び切りの喫茶店に決めた。
とりあえず、九段下事務所の気を許せる女子社員に、探して欲しい旨を伝える。

その返事は、意外なほどに即答だった。
「大学から下がって靖国通りの少し手前、狭い階段をのぼると、極上の珈琲を出す店があります、BGMもクラシックで」

焦っていた葵の顔は、途端に笑顔に変わっている。
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