第362話九条家と「祖母」鈴村八重子

文字数 1,305文字

その頃、京都九条屋敷では、大旦那に五月が付き添い、麗の「祖母」鈴村八重子と向き合っている。

大旦那は深く頭を下げる。
「ほんま、いろいろ、長いこと、申し訳なく」

鈴村八重子は、唇をキュッと結ぶ。
「大旦那様、それは何度も」
「ご厚意は、しっかりと受け取ってまいりました」
「今さら、どうにもなりません」

鈴村八重子の娘の由美は、当時の九条家後継兼弘と未婚のまま関係を持ち、麗を生んですぐに、兼弘の正妻恵理に殺された。
鈴村八重子としては、憎むべき九条家であり、大旦那に深く頭を下げられたとしても、娘を殺した家の人と向き合っていることになる。
しかし、鈴村八重子は、理屈ではわかっている。
あくまでも、宮家を鼻にかけた恵理の凶行であって、大旦那の「監督不行き届き」があったとしても、恐ろしく多忙な大旦那を、どれほど責められるのだろうか。

また、まだ見ぬ孫の麗が、どこかで生きていると聞けば、どうしても顔を見たい。
九条家との関係を断ってしまうなら、二度と顔を見ることは難しくなる。
それだけが、鈴村八重子と九条家をつないで来た理由になる。

しかし、鈴村八重子の瞳から、一筋の涙が頬を伝う。
「気が狂いそうなほど、死にそうなほどの、熱い鉛玉を飲み込むしか」
「どんなに恨んだか、どれほど由美の顔が見たかったか」
「どれほど孫を抱きたかったか」

決して責めるようなことを言うまいと思っていたけれど、やはりこらえきれなかった。
「大旦那の京社会でのお立場もようわかります」
「でも、あんまりやと」
鈴村八重子の言葉は、それで止まった。
涙も激しいので、言葉にはならない。

頭を下げ続ける大旦那は、実に苦し気な顔。
五月が、やはり湿った声で、口を開いた。
「麗様は・・・」

その言葉で、鈴村八重子は、涙をようやく拭く。

五月は、少しだけ、顔をやわらげる。
「今は都内の大学、高輪にお住まい」
「九条屋敷では、最初は緊張気味でしたが、今はうち解け始めて」
「使用人から、お世話係さんまで、誰からも好かれて」
「少しお話しましたけれど、九条の次席理事として」
「とにかく優秀で、京社会でも、期待が高く」

鈴村八重子は、うれしそうな顔に変わる。
「はい、人の噂ですが、素晴らしい後継がとか」
「時代和菓子、葵祭での立派な所作、石仏調査の話も伝わってまいりました」
「これで京社会も安心やとか」

大旦那は黙って葵祭の時の集合写真を差し出すと、鈴村八重子は、食い入るように見る。
「これが・・・麗・・・麗様・・・」
「はぁ・・・きれいなお顔して・・・」
「この目が、由美に似とる」
何枚もあるので、差し出されるたびに、目を輝かす。

五月が、九条財団の冊子、麗のブログのページを開いて差し出す。
鈴村八重子は、これにも目を大きく開く。
「九条麗・・・式子内親王様の?」
「これも葵祭の御歌・・・」
「はぁ・・・うん・・・これは・・・」
「美しい文です」

黙っていた大旦那が、口を開いた。
「さきほど、麗からの、伝言があります」
「麗自身からも、お願いするかもしれん」

鈴村八重子は、全く予想がつかない。
「それは?いったい・・・」

大旦那は、やわらかな顔。
「古今の大家に、弟子入りしたいとか」

鈴村八重子は、顔をおおって泣き出してしまった。
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