第84話日向先生宅の麗(3)

文字数 1,293文字

昼食時となった。
日向先生の奥様が、顔を見せた。
「日向の家内でございます」
「大した料理は準備出来ておりませんが、食堂まで」
と、頭を下げる。

日向先生からも、声がかけられた。
「とにかく出来る限りなので、お口に合うかどうか」

麗は、麻央と佐保が立ち上がったので、その後に続く。

食堂に入ると、鎌倉らしい磯料理がテーブルに並んでいる。

麻央は、本当にうれしそう。
「この鎌倉のお刺身大好きなんです」
佐保も笑顔で、磯料理を見ている。

麗は、まだ神妙な顔を崩さない。
かつては御用邸に近くに住んでいて、近くに漁港もあった。
その麗から見ても、目の前にある磯料理は、相当新鮮で美味しそう。
相当な出費をしたのか、麗は少し申し訳なく思ってしまう。
こんな地方出身者、田舎者の自分に、こんな歓待をするなど、実に気を使わせてしまったと思うのである。

日向先生から麗に声がかけられた。
「麗君、遠慮しないで召し上がってください」
「若い男の子なんだから。ガツガツ食べるくらいで」

麗は恐縮した。
「あ・・・はい・・・」と、ようやく白身魚の刺身から食べ始める。

さて、麗の刺身の食べ方は、刺身に直接必要な分のわさびを乗せ、わさびを挟み込むように2つ折りにした状態を箸で持ち、醤油につけて食べる。

その食べ方に、麻央が注目。
麻央は、醤油の入った小皿にわさびを溶かしてわさび醤油を作って食べている。
「麗君、丁寧な食べ方だね、そのほうがきれいに見える」

佐保は、麗の真似をして食べる。
「そうか、この間、魚河岸取材で教わったんだ」
「そのほうがワサビの風味を消さないって」

先生の奥様は麗の食べ方に目を細めている。
「本当に主人の言う通り」
「お刺身も食べ方は基本に沿って、お魚の選び方も、白身魚から」
「お椀の持ち方、お箸の持ち方、口への運び方」
「全て、美しいというか、典雅と思います」

麗は、ガツガツ食べなさいと言われてみたり、作法が美しいと言われてみたり、ここでも困惑、少し顔を下に向けて食事を続けるしかない状態。
なので、あまり食べた気はしない。

麻央が麗に尋ねた。
「この間の料亭から思っていたけれど、そういう作法の先生とかいたの?」
「料亭の女将ともお知り合いのようだけど、あの女性から?」

麗は、ここでも無難な答えを貫く。
「はい、たいていは、そのようなことで」
「ただ、それほど作法が上手というわけではありません」
実際は、九条の屋敷と母の実家の香料店で、徹底的に鍛えられたなどとは、口に出さない。
麗はまた下を向きながら思った。
「特に必死になって作法を覚えたのは、九条の屋敷で不作法をすれば、恵理と結から、どんな侮蔑の言葉や暴力まで受けるかわからなかったため」

しばらく麗の食事作法を満足気に見ていた日向先生が話題を変えた。

「午後は小町通りを歩かれるとか」
「そこに香料店があります」
「麗君も香りに詳しいようです、立ち寄ってみたらいかがですか?」

麗は、また困った。
香料店の業界は、狭い、万が一出自が知られると、実に面倒なことになる。

麗は、懸命に断る理由を探すけれど、なかなか見つからない。
結局、「素人の通りがかり」をするしかない、それ以外に対処の方法が見つからなかった。
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