第89話晃の不安、大旦那の指示、「母」奈々子の涙

文字数 1,217文字

麗が鎌倉を歩いている時間、麗の「母」奈々子の実家、京都の老舗香料店の当主晃は深刻な不安に包まれている。
それは、後継と期待していた息子の隆の病状が実に思わしくないこと。

「あの顔色やと・・・持っても、二週間・・・いや・・・一週間、今日明日でもおかしゅうない」
「先生も言っておった、全身に癌が回っとると」
「はぁ・・・どないしよ・・・」
「跡継ぎは麗に頼むしかないんやけど」
「でも、九条の大旦那様は、麗を戻したいみたいや」
「仕方ないと言えば、その通りや、血筋は九条様や」
「そうかといって、この香料店を閉ざすのは忍びない」
「しかし、九条様のご意思に背くなども・・・」

そんな逡巡を繰り返していると、九条の大旦那から電話が入った。
「どうや、隆は」

晃には隠せる話ではない。
「危ないとしか・・・」

大旦那は、少し黙った。
しかし、次の言葉は重々しい。
「麗は、わしが引き取る」
「連休中に麗に逢う、全てを話す」
「その時まで隆は死なすな」

晃は、「はい」としか答えようがない。

大旦那の口ぶりが穏やかに変わった。
「早いとこ、麗を引き取って、嫁を取らすことや」
「何人か子供が生まれれば、その生まれた子を、店の跡継ぎにすればええことや」
「それで安心やろ」

晃は、麗には早すぎると思う。
確かに九条のお家や、香料店にとっては、悪い話ではない。
しかし、その話の中に、麗の気持が全く入っていない。
それに、そもそも麗自身が九条の純粋な血を引いているなど、誰も教えてはいない。
晃は麗が子供の時、九条の屋敷に何度も連れて行ったけれど、あくまでも「ご親戚のお家にご挨拶」としか、理由を言ってはいない。

晃は慎重に尋ねた。
「となると、東京では、そのことを麗に?」

大旦那は即答。
「そや、そう言ったやろ?ことは急を要するんや」
「何が何でも、進めなあかん」
「これが九条の家、お前の家を守ることになる」

晃は、結局、大旦那には逆らえない。
「わかりました、そのように」と答える以外には、何も出来なかった。


その頃、麗の東海地方の「実家」では、「母」奈々子と「妹」蘭は、途方に暮れていた。


「父さんは帰って来ないけど、どこに?出張中?」
「居場所は?わからないの?」
「隆さんの葬式になるかもしれないんでしょ?」

奈々子は、苦しそうな顔。
「急にプイと外国に行くって、麗の貯金を崩して」
「居場所は・・・」
奈々子は口を濁す。

蘭は怒った。
「だって、もし葬式になったら、恥をかくよ」
「京都って、そういう礼儀を大切にするんでしょ?」
「甥の葬式なんだよ?あり得る?」

奈々子は下を向くばかり。
「兄さんにも顔向けできない・・・九条の大旦那が来られたら・・・」

蘭はまた怒る。
「麗ちゃんの喪服だって、父さんが処分しちゃったんでしょ?何で止めないの!」
「いい加減な喪服だと、また恥をかくんだよ、葬式は京都なんだって!」

「そんなこと・・・わかってる・・・でも・・・どうにもならないもの・・・」
奈々子はテーブルに頭をつけて泣き出してしまった。
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