第212話麗を離したくない葵 麗が探す意外な本とは?

文字数 1,398文字

麗は、袖を掴まれて実に面倒と思うけれど、トラブルを起こしたくもない。
「わかりました」とシンプルに答え、応接室を出た。
葵もさすがに恥ずかしいと思ったのか、応接室を出る際には、袖から手を離している。

麗は財団の社長、そして職員たちには、「また寄らせていただきます」と、定番の挨拶。
高橋所長は、神妙な顔で深く頭を下げ、職員たちは笑顔で麗と葵に頭を下げる。

九条事務所のビルを出ると、葵が話しかけてきた。
「麗様、無理を申してしまって」

麗は首を横に振る。
「単に本屋さんで、本を探すだけです」
「面白くも何ともありません」
本音としては、一人で自由に探したい、葵がいると気を遣うし、面倒と思っている。
ただ、葵も九条家の大事な関係先、おそらく家自体の付き合いの歴史も深いと思う。
また、葵とは今後、仕事を一緒にすることもある。
結局、それを考えれば、一緒に神保町に向かって歩くしかない。

葵がついて来る理由も考える。
「単に、俺が九条家後継で、縁を深くしておきたいに過ぎない」
「つまり、九条後継でなければ、こんなことにはならない」
「そもそも、俺は女性の気を引くタイプではない」
「勉学はともかく、スポーツ万能でもなく、爽やかでもない」
「やせているし、背は普通か」
「だから、葵の興味は、九条家の後継という身分だけだ」

麗は、葵のついて来る理由を結論づけて、逆に葵に尋ねた。
「ところで葵さんは、神保町に何か用事があるのですか?」

その言葉で、葵の身体が震えた。
葵自身が、神保町に用事があるわけではない。
ただ、麗と一緒にいたい、それだけでついて来たのだから。
その意味で、麗の問いかけは、まさに冷水、背筋が寒くなる。
「あ・・・はい・・・たまには私も本を探そうかなと」
必死に答えるけれど、当の麗は頷いただけで、それ以外の反応がしばらくない。

それでも、神保町交差点が見え始めた時点で、麗が口を開いた。
「すみません、葵さんと趣味が合うかどうか」
葵は麗から声をかけられて、少しだけホッとした。
「え・・・それは?」
麗は、恥ずかしそうな顔。
「理事とか、そんな仕事をするようになるので」

「あ・・・はい・・・期待しております」

ただ、その麗の次の言葉は、葵には実に意外なものだった。
「せめて、決算書ぐらいは読めるようにしたいと」
「貸借対照表とかキャッシュフロー計算書、損益計算書も」
「高校では、そんな勉強をしてこなかった」
「それと、監査もわからないと、良くない」

葵は、意外な展開で、丸い目を、ますます丸くした。
「え・・・あ・・・そうですか・・・」
「私、その言葉自体がわかりません」
「はぁ・・・文学部で・・・あ・・・麗様も文学部で・・・」
まるで、麗の言葉への返事になっていない。

麗は、申し訳なさそうな顔。
「ですから、葵さんと趣味が合うかなあと」
「言葉が足らなくて申し訳ない、葵さんには面白くも何ともないかと」
「それが心配で」

驚いていた葵の顔が、明るく変わった。
「いえ、ご相伴します」
「私も、それ、勉強したくなりました」
「いろいろ、気づかっていただいて、申し訳ありません」

葵は、麗と、どうしても腕を組みたくなった。
難しい学問も、将来の理事としての勉強なので、麗の誠実さを、あらためて感じた。
しかし、何より、自分を気にかけていてくれたことがうれしかった。
「ますます、離れたくない、離したくない」

麗は、そんな葵の表情は見ない。
ごく自然に神保町の書店街を歩いている。
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