四百十四話 直治の場合

文字数 1,702文字

都が倉橋美月に負けた。ジャスミンも殺され、館も山も燃やされた。都はたった一人を救うために全ての力と声を失った。たった一人救われたのは、俺だ。


『おはよう、都』


返事はない。俺の独り言だ。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

都達が鳴く。

光は潰え、海底には届かない。魔力を消費して造った都達が僅かに発光しながら泳いでいる。都達に感情はない。表情は微笑みで固定されている。視界に常に俺が映るように泳ぎ、見失うとその場を回転して探す。見つからなかった場合は身体を魔力に分解して海水に戻し、それを俺が吸う。永久機関だ。永遠だ。俺以外の生物を目視すると避けて泳ぎ、一定距離まで接近されると鳴き声で威嚇し、接触されると身体を魔力に分解し、それを俺が吸う。ずっとそうやってここで暮らしている。可愛い都達。まるで人魚のようだ。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

俺が衰弱して餓死するまで、ずっとここで暮らしていく。今になって思う。ジャスミンの判断は正しかったと。都を『外』の世界に出すべきではなかった。あの美貌はどうやったって好奇の視線を引き寄せてしまう。老若男女は関係なかった。都一人で外出することは許さず、必ず俺が傍に居るようにしたが、それでも都はするりと俺の手を通り抜けてしまいそうだった。俺が就職して、仕事で出掛けている間にも、こっそり抜け出しているんじゃないかといつもひやひやした。俺は都を信じ切れなかった。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

インターホンが鳴るたびに心臓が止まりそうになった。都を一人にすることが怖くて怖くて堪らなかった。誰かが都を狙って家に押し掛けたり忍び込んだりしていないかと心配で心配でたまらなかった。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

勉強熱心な都は少しずつだが『外』の世界に溶け込んでいった。俺は気が狂いそうになって、そして、気が狂った。都にテレビを見ることを禁じた。情報を得る手段を少しずつ断っていった。テレビの次は雑誌を禁じた。淳蔵を思い出させるようで嫌だった。雑誌の次はノートパソコンを禁じた。美代を思い出させるようで嫌だった。漫画を禁じ、本を禁じ、ゲームを禁じ、携帯は朝と晩に中身をチェックして、俺以外との連絡は取らせなかった。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

休日になると償いにと外に出掛けた。喫茶店にも海にも動物園にも行ったが、自由に行動させることはできなかった。許せなかった。手を繋いでポケットに入れて、腕を組ませた。それでも都は『幸せだよ』と言ってくれた。なのに、俺は駄目になった。腐っていった。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

仕事を辞めて貯金を食い潰すようになった。一日中都を監視するようになった。家事は手が荒れるからとさせなかった。都の楽しみは食事以外はなかった。それでも俺は苛々した。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

今でも何故あんなことをしたのかわからない。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

今でも何故あんなことをできたのかわからない。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

俺の機嫌を伺うようになった都に無性に苛々した。押し倒して馬乗りになって、首を、絞めた。気付いた時には都は息をしていなかった。虚ろな表情で、もう瞬かない瞳から涙が零れ落ちていた。俺は錯乱して、大声を上げて、泣き喚いて、近所の誰かが警察を呼んで、都を持っていかれると思った。警官の脳の血管を破裂させて、都を抱えて無我夢中で逃げた。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

何日都を抱きかかえていたのかはわからない。段々硬くなっていく都をどうにかして生き返らせたくて、頭の中は都のことでいっぱいになって、でもどうしようもなくて、俺は都を、このまま腐らせるくらいなら、ずっと一緒に、永遠に。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

都を食べて、人の身体を捨てて、海に潜った。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

誰も到達できない海底で、都と俺だけの世界を作った。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

偽りの都達がじゃれあう。俺に甘える。微笑ましい光景だ。俺がそう造った、偽物の幸せだ。いつか崩れる楽園で、俺は都と暮らしている。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。

きゅっきゅっ、きゅいきゅい。
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