七十四話 電話

文字数 2,548文字

十月上旬。雅を迎えに行くと、泣きながら車に走ってきた。


「ゲッ、落ちたか?」


そろそろ就職活動の結果が出る頃だ。雅はこのところそわそわしながら生活していた。


「あづぞう、だだいまぁ!」

「おかえり」

「あのねっ、あのねぇっ! 受がっでだの! 〇〇会社の事務員、受がっでだあ!」

「おお! 受かってたのかよ!」


なんだ、心配して損した。


「ちょっとこっちに来い」


後部座席から身体を寄せさせる。頭を撫でてやると、雅は余計に泣いた。


「あああああーんっ!」

「はいはい、車に鼻水垂らすなよ。行くぞ」

「はいぃ!」


館に帰り、雅の勉強時間までの間、俺は資格の勉強をする。


「高校ねえ。どっちかっていうと行きたくないんだけど、それくらいの資格は取っておいた方がいいのかね・・・」


通信高校時代の美代は、一日中パソコンの前に齧りついて、年に数回、メイドが運転する車に乗って学校に通っていた。生徒は一般社会からフェードアウトした者同士、妙な仲間意識が芽生えるらしく、かなり馴れ馴れしく接してきたらしい。見た目と家柄のせいで大分苦労したと言っていた。それを考えると、やっぱり行きたくない。都も別に行かなくていいと言っていたし。

こんこん。


「どうぞ」

『失礼します!』


入ってきたのは雅だった。


「淳蔵! 都さんに報告したら、お祝いにケーキ買ってくれるって! 二万円貰っちゃった! お釣りは私のお小遣いにしていいって!」

「・・・で、俺が運転するのかよ」

「うん!」

「はあ・・・。はいはい・・・」


車を走らせ、ケーキ屋に行く。


「都さんはなに食べるかな?」

「ガトーショコラ」

「美代と直治は?」

「美代はフルーツタルト。イチジク乗ってるのは駄目だぞ。直治はシンプルなチーズケーキ」

「淳蔵は?」

「・・・ミルクレープ」

「千代はモンブランが好きって言ってたから・・・。私は抹茶スフレにしよっと!」


ケーキをそれぞれ二つずつ買い、車に乗る。


「流石一条家。高いケーキ買ってるんだね。一個千二百円前後って・・・」

「まあ普通は四百円前後、コンビニのなら二、三百円とかだなァ」

「おっ? 一般庶民の感覚わかるんだ」

「俺も美代も直治も元は貧乏人だっつの」

「ふうん。ねえ、淳蔵はいつ一条家に来たの? 美代は? 直治は?」

「俺は十四の時だったかな。美代は十六、直治は二十」

「皆、今、幾つ?」

「ピチピチですよ」

「うっそだぁ。淳蔵が長男ってことは、淳蔵が一番年上なの?」

「いや、俺は一番年下。一番上は美代で次が直治」

「ええ? 複雑だね・・・」

「そーだよガキが口出していいほど簡単な話じゃねーんだよ」

「私、産まれた時から一条家に居るけど、未だに都さんのことよくわかんないや。仕事がバリバリできる妖艶な美女みたいな時もあれば、ふわふわのGカップで優しく包んじゃう聖母みたいな時もあるし、無邪気な少女みたいな時もあれば、ものすっごい天然さんで見ててハラハラする時もあるし」

「なんだ、わかってるじゃねえか。全部都だよ」

「うーん、そっかあ。こんなこと言ったら失礼にあたるかもしれないけれど、面白い人だよね」

「ハハッ、違いない」


聞いたことのない歌の着信音が鳴った。


「ゲッ、お爺ちゃんだ」

「出ていいぞ」

「ごめんね、すぐ切るから」


雅が通話ボタンを押す。


「もしもし、半田雅です。・・・ああ、はい。受かってました。春から〇〇会社の事務員です。三月二十日から研修が始まって、四月一日に入社式があります。・・・スーツは都さんに買っていただくので結構です。・・・一人暮らしの準備も都さんにしていただきますから。・・・はい、美代さんが大学に通っていた時に一人暮らしをしていた経験があるそうなので、心配には及びません。一月には新居を探します。・・・お断りしますね。一人暮らしが安定したらちゃんと住所を教えますから、一条家の皆さんには迷惑をかけないでください。一条家の皆さんに受けたご恩は、私が働いて返しますから、余計なことしないでください」


雅が携帯をポケットに仕舞う。


「切られちゃった」

「なに? 爺さん達と仲悪くなったの?」

「うーん、適度な距離感を保ってる時は優しいお爺ちゃんとお婆ちゃんって感じだったんだけどね。私にお金を稼ぐ能力ができた途端、金、金、金、って感じ。『一条家の人達をなんとか説得して大学に行かせてもらえ』とか、『息子の誰かと既成事実を作って一条家の人間になれ』とか、『家族役員って形で一条家に就職して毎月十万仕送りしてこい』とか、もう滅ッ茶苦茶・・・」

「うへぇ・・・」

「幼い頃って、親が全てでしょ? 私のお母さん、お爺ちゃんとお婆ちゃんに『洗脳』されてたんだね。お母さんは、お爺ちゃんとお婆ちゃんのこと『厳しい両親』だとは言ってたけど、悪く言ったことは一度もないの。娘の私の前だから言わなかっただけかもしれないけどさ。こんなに無茶苦茶な親、もとい祖父母なら、自衛するために教えておいてくれてもよかったんじゃないかなーって思ってる」

「ふうん」

「お爺ちゃん達、私と連絡取れなくなっちゃったら、一条家、というか都さんに会いに来て迷惑かけそうだから、我慢して電話に出てるの。もー、勘弁してほしいよ・・・」


少しの間、沈黙が横たわる。


「ねね、初給料で都さんになにか買いたいんだけど、なにが喜ぶかな?」

「この辺、山奥だからな。冷凍モンでいいから高い海の幸、送ってこい」

「持ってくね!」

「送ってこい! 頻繁に帰って来られたらうるさくて仕方がねーよ!」

「えへへ、意地でも帰ってきてやるんだから」

「ったく・・・」


館に帰る。その日の夕食の後、全員でケーキを囲んだ。


「雅さん、一月になったら引っ越し先を探しましょうね」

「はい!」

「美代、お願いするわね」

「はい」


やーっと出て行くのか。朝の送りの時間は洗濯か二度寝に回せるし、午後の迎えの時間は趣味の時間に回せる。


「寂しくなりますねェ」

「本当にね」

「千代、たまに電話してもいい?」

「毎晩でも構いませんよ! お仕事終わりが八時で、九時半から十時半までの間は暇してます!」

「都さんは?」

「毎週土曜日、十時から十ニ時ならいいわよ」


いつも都が自室で映画を観ている時間だ。


「じゃあ、二週間に一回、かけます!」

「待ってるわね」

「淳蔵達はー?」

『俺は忙しい』


俺達の声が重なる。雅はくすくす笑った。
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