三百三十四話 叶わぬ夢

文字数 2,893文字

新しいメイドがヤバい。


「ふえー? 今日の晩ご飯、まーぼーどーふなんですかあ? ひめ、辛いの苦手ですう。しょぼん・・・」


馬場姫子、三十六歳。試用期間が始まって一ヵ月。

一人称は『ひめ』。わかりやすいくらい都を敵対視しているので、表面上は穏やかな美代からも、上司として割り切っている直治からも心底嫌われている。俺も嫌い。どうも男にちやほやされないと駄目な性格らしく、美男揃いと有名な一条家の頂点に君臨する都が許せないのだろう。

最近わかったことだが、千代は感情が荒ぶると周囲の土が呼応するように揺れる。つまり陶器の食器がカタカタと音を立て始めるのだ。桜子も静電気で艶のある髪が逆立つ。今、食器は僅かに揺れ、桜子の髪が一本一本ふわふわと宙に浮き始めた。


「お前の分は甘めに味付けしてある」


あとでぐちぐちと煩いので、要望、いや、『我儘』はなるべく通すようにしているらしい。直治の言葉に姫子は顔を蕩けさせる。


「えーっ! 直治様、優しー! それってえ、ひめのためにい、と、く、べ、つ、に! 作ってくれたってことですよねっ?」

「そうだ」

「わーい! 嬉しー!」


血管を弾けさせられる対生物兵器のような男の血管が切れそうになっているのだから、姫子は大したものだ。間延びした舌っ足らずな喋り方を『可愛い』と思っているらしい。


「では、いただきましょう。いただきます」

『いただきます』


食事が始まる。


「直治」


都が直治の名を呼ぶ。


「うん?」


直治が優しい声で答える。


「直治がくれたワイヤレスマウス、そろそろ寿命みたいなの」

「新しいの買って『養子縁組』でもさせるか?」

「フフッ、何色があるんだっけ?」

「灰色と水色は持ってるから、残りはピンクだな」

「じゃあピンクで」

「わかった」


そこで会話が終了した。


「あのー」


はずだった。


「なんのお話してるんですかあ?」

「ワイヤレスマウスの話だ」

「ちがくてー、よーしえんぐみ? ってなんですかあ?」

「俺の下らない冗談だ。気にするな」


話す意思がないと表したいのか、直治が白米を口に入れて咀嚼する。


「え、あのー、あのー」

「姫子さん、鼠の形をしたワイヤレスマウスの話よ」


直治を庇う目的でだろう。都が言う。


「え、あの、今、ひめ、直治様と話してたんですけど?」

「会話を優先して食事の邪魔をしてはいけないわよ」

「え? 邪魔かどうかは直治様にしかわからなくないですか? なんで貴方が判断するんですか?」


あーあ。直治のこめかみに血管が浮いてる。


「姫子、黙って食事をしろ」


直治が低い低い声を出す。頑張って自分をおさえつけているのだろう。


「ふえーん! 都様のせいで直治様が怒っちゃったあ! ぴえんですー・・・」

「あら? 地震かしら? 食器が揺れてるわね」

「おッと。揺れてますねェ」

「・・・おさまったわね」

「落ち着いて対処しなければいけませんね」


千代がにっこり笑って都を見ると、都もにっこりと笑い返した。

その日の夜。

都の部屋に集まって皆で酒を飲む。


「三十六でアレはヤバいなァ」


美代も直治も眉間に皺が寄っている。


「眉毛と前髪燃やしてえ」

「俺もブチ殺したい」

「私も殺しそうですニャ」

「都様、試用期間が終わったら絞めませんか?」

「あらぁ・・・。そうね、そうしましょうか」


都が苦笑する。


「おばさんボイスでふえんぴえん言われるの、俺もキツいわ」

「親しい間柄の人間に冗談で言うので漸く許されるレベルだぞあの言動は」

「馬鹿だ、馬鹿過ぎる。なんで社長に喧嘩を売るんだ。謎だ、謎過ぎる」

「思い通りにいかないと『ギイーッ』となるの、やめてほしいですねェ」

「はああ・・・」


桜子の溜息の前に千代が知らない情報を出したので、俺と美代は身を乗り出した。


「寛大なお前がそこまで言うなんて珍しいな」

「ええっ? 寛大というのは過大評価な気がしますぅ」

「『ギイーッ』となるって、どうなるの?」


千代と桜子が顔を見合わせたあと、直治を見る。直治は二人の視線を受けて頷いた。


「いやぁ、本当に『ギイーッ』と言うんですよ。というか、鳴く?」

「威嚇するような声を出しますね」

「エプロンを両手で握り締めて、顔を真っ赤にして、上目遣いで睨みながら言うんです。『ギイーッ』って。叱ったり諭したりすると泣き始めます。泣きながらギイギイギイギイ。初めて見たのは桜子さんですよね?」

「はい。トイレ掃除を教えようとした時のことでした。なにを言っても駄目だと判断して『トイレ掃除はしなくていいです』と伝えると『ひめのこと苛めないでくださいっ』と唇を尖らせて言うので、呆れてしまって、もう・・・」

「名前の通り『姫扱い』されて育ったようでして、『可愛い私はそんなことしない』という感情がビンビンに伝わってきますねェ。『ギイーッ』も恐らく、本人は可愛く抗議しているつもりかと」

「淳蔵様もそのうち見ることになるかと・・・」


俺は顔を顰めた。桜子が同情するような視線を送ってくる。


「彼女、アイドルになることが夢だそうで、『そろそろ仕事に慣れてきたからカラオケに行って歌を練習したい』と言っていました。『ついでに淳蔵様とドライブデートしようかな』とも」

「まさか、俺に送迎させるつもりか?」

「はい・・・」


カンッ、と都がグラスをテーブルに叩き付けた。カチャンッと氷が悲鳴を上げる。俺達は吃驚して都を見た。


「それは駄目。絶対駄目。淳蔵、返事は?」

「は、はい」

「そんなことしたら『かんな』で背中の皮を骨が見えるまで剃って殺すあのクソ女」


都がグラスを持ち上げ、ぐい、と酒を飲み干した。未だに『後遺症』で急に怒り始めることがあるので少し心臓に悪いが、嫉妬しているのだと思うと、どうしても嬉しくなってしまう。


「なにニヤけてんだよ、兄貴」

「ンフッ、ニヤけてねえよ」

「兄さん滅茶苦茶ニヤけてるぞ」

「おや、淳蔵様、ライバルですね・・・」


桜子が挑発する。


「都様の初めての『ドライブデート』はわたくしのものですよ・・・」


桜子のおかげで、都の機嫌が良くなった。


「ほォう? 俺の安全運転に敵うかな?」

「わたくしの小粋な爆笑トークで道中も楽しいことを都様にお約束しますよ」


二人共、馬鹿だ。叶うかわからない、いや、恐らく叶わないだろう夢の話をしている。どうしてもいつかは『都とドライブデートをしたい』と思ってしまうので、断言しない愚かな俺だ。


「千代さんは免許取らないの?」

「お聞きください都さん。私、赤ちゃんの頃、どうしてか高速道路を走ると夜泣きが治まるらしく、両親に『お前は暴走族になりかねないから免許は取るな』と言われてしまいまして、免許はやめておこうかと・・・」

「あらまあ」

「三輪車や一輪車でも爆走していたのでェ、バイクなんて乗ったら人格がかわるかもしれないですニャ」

「ハンドル握ると人がかわるって話は確かにあるわねえ・・・」


そういえば、千代は休日は食事の席以外で姿を見ない。車がなければ出掛けられない土地で、一体どうやって過ごしているのだろう。気になったが、今更『休日はなにを?』と聞くのはなんだか恥ずかしいし、好奇心は猫を殺す。謎は謎のままでもいいのだから、つい聞きそうになった口に酒を捻じ込んで、言葉を飲み干した。
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