七十二話 ぐーちゃん2
文字数 2,116文字
俺達は揃いも揃ってぽかんとしてしまった。ジャスミンに奇妙な夢を見させられて、都の幻影を追いかけたら、伝説の生き物『グリフォン』と出会ってしまい、『こんばんは』と挨拶をされた。
「こ、こんばんは・・・」
「こ、こんばんは」
「こんばんは・・・」
「ハハハ、悪魔が居るんだ。グリフォンが居たっておかしくはないだろう? さあ、自己紹介をしなさい」
尻尾の蛇はくねくね蠢く。どうやらこっちが頭らしい。
「一条淳蔵です」
「一条美代です」
「一条直治です」
「ぐーちゃんだよ。よろしくな」
「あの、ここは一体・・・?」
「都の秘密の世界さ」
「はあ・・・?」
「海を渡って来ただろう。赤い海を。あの海水は、都が流した涙でできているんだよ。涙だから海水みたいにしょっぱいし、涙はこころの傷から流れ出た液体だから赤いんだ」
俺達は顔を見合わせた。蛇は続ける。
「砂もね、都のこころが傷付いたときにできた瘡蓋、『カス』みたいなものさ。繊細なこころの持ち主だから、砂も綺麗なものだっただろう。ほら、足元の砂を掬い上げてごらんなさい」
真ん中に立っていた俺が砂を両手に掬い上げ、地面に落とす。淳蔵と直治がそれを覗き込む。水面が光るように煌めきが波打って、細かい粒がさらさらと砂時計のように落ちていった。
「私はね、都のお母様が作ったぬいぐるみなんだよ。ま、座って聞きなさい。座布団はないがね」
俺達はその場に座る。
「都が二歳の時に、都のお母さんが『不思議の国のアリス』の本を誕生日プレゼントに贈ってくださってね」
「あの、ちょっと待ってください。一条家では誕生日を祝う習慣は無いのではないんですか?」
淳蔵が手を挙げて言うと、蛇は笑っているかのように顔を上下させた。
「ああ、無いよ。でもお母さんはそれに反発してね。情熱的で社交的なお母さんは、幼い頃から御友人のお誕生日パーティーに何度も参加したことがあって、自分も祝ってほしいと自分のお母さん、都のお婆様に泣きついて、冷たい態度をとられて、毎年酷く落ち込んだのだよ。だから自分の娘にはそんな思いをさせたくないと、こっそり祝ってあげていたのさ」
「そうですか。すみません、話の腰を折ってしまって。続きをお願いします」
「そうそう、不思議の国のアリスに、グリフォンが登場するのだよ。都はアリスのドレスよりも私のことを気に入ってしまってね。それを汲み取ったお母さんが、慣れない針で指を刺しながら作ったのが、私なのさ」
蛇は再び、首を上下させた。
「都は私に、なんでも話してくれたよ。あの子、世渡りは上手いから友人は沢山居たようだけれど、こころを開ける親友は一人も居なかったんだ。『跡取りなのに女に産まれやがった』とあんまりにも酷いことを言うお婆様と、すぐ手をあげるお母さん、いつも薄ら笑いを浮かべてどこか気持ち悪い父親、余所余所しい家政婦達に囲まれて、いつもつらそうにしていたね」
「都・・・」
俺は口元を手でおさえた。俺は女に産まれなかったことを責められたが、都は男に産まれなかったことを責められていたんだ。
「五歳の誕生日にジャスミンを拾うまでは、都はずっとひとりぼっちだったよ」
蛇は宝石のような目をゆっくりと閉じた。
「お婆様は都が八歳の時に病気でお亡くなりになったよ」
身体が立っているのがつらくなったのか、ゆっくりとその場に伏せる。
「十五歳の誕生日前日、都のお母さんと父親は口論になった。理由は、都の進学。お母様はこのまま高校に行かせて、大学まで行かせるつもりだった。でも、父親はね、都の十五歳のお誕生日に、お母さんを殺して、都を犯してそれをネタに強請って奴隷にして、一生楽しく暮らすつもりだったのだよ。それを、ジャスミンが助けてくれた。私は彼にどう礼を尽くせばいいのかわからないよ」
鷲の頭の尻が組んだ腕に顎を乗せ、寝始めた。
「彼がね、言ったんだよ。このまま、僕が作った世界に都を閉じ込めてもいいけれど、都がとてもとても大学に行きたがっているから、それまでは僕が都に寄り添って待つよ、と。だから君も待ってほしい、とね」
大きな羽根がぐいんと伸び、再び折り畳まれた。
「強くて弱い都が、自分を傷付けることで、痛みで紛らわせて悲しみを癒すのではなく、誰かに言葉で伝えて、甘えられるような日が来るまで、ここで待つことにしたのだよ」
「・・・もしかして、俺達がその『誰か』ということ、ですか?」
「そうだよ。これで私も溺れ死ぬ前に役目を全うして消えることができるというわけだ」
「溺れ・・・? あの、羽根が付いているのに飛べないんですか?」
「飛ぶのは苦手なんだよ。都にも残念がられたなあ」
蛇が笑うと、巨体がずんずんと揺れた。
「消えちゃうんですか・・・?」
「私は都の空想の親友、『イマジナリーフレンド』だからね。都のこころが成長した今、思い出の一つとしてこころの支えになることはあっても、都を秘密の世界に閉じ込めて、一人で泣かせるわけにはいかないんだよ。そのために、彼に頼んで私のことを忘れさせたのだから」
「そういえば『なんで今まで忘れていたんだろう』って言ってたなァ」
「さあ、お話は終わりだよ。帰る前に良いものを見せてあげよう。目を閉じなさい」
俺達はゆっくりと、目を閉じた。
「こ、こんばんは・・・」
「こ、こんばんは」
「こんばんは・・・」
「ハハハ、悪魔が居るんだ。グリフォンが居たっておかしくはないだろう? さあ、自己紹介をしなさい」
尻尾の蛇はくねくね蠢く。どうやらこっちが頭らしい。
「一条淳蔵です」
「一条美代です」
「一条直治です」
「ぐーちゃんだよ。よろしくな」
「あの、ここは一体・・・?」
「都の秘密の世界さ」
「はあ・・・?」
「海を渡って来ただろう。赤い海を。あの海水は、都が流した涙でできているんだよ。涙だから海水みたいにしょっぱいし、涙はこころの傷から流れ出た液体だから赤いんだ」
俺達は顔を見合わせた。蛇は続ける。
「砂もね、都のこころが傷付いたときにできた瘡蓋、『カス』みたいなものさ。繊細なこころの持ち主だから、砂も綺麗なものだっただろう。ほら、足元の砂を掬い上げてごらんなさい」
真ん中に立っていた俺が砂を両手に掬い上げ、地面に落とす。淳蔵と直治がそれを覗き込む。水面が光るように煌めきが波打って、細かい粒がさらさらと砂時計のように落ちていった。
「私はね、都のお母様が作ったぬいぐるみなんだよ。ま、座って聞きなさい。座布団はないがね」
俺達はその場に座る。
「都が二歳の時に、都のお母さんが『不思議の国のアリス』の本を誕生日プレゼントに贈ってくださってね」
「あの、ちょっと待ってください。一条家では誕生日を祝う習慣は無いのではないんですか?」
淳蔵が手を挙げて言うと、蛇は笑っているかのように顔を上下させた。
「ああ、無いよ。でもお母さんはそれに反発してね。情熱的で社交的なお母さんは、幼い頃から御友人のお誕生日パーティーに何度も参加したことがあって、自分も祝ってほしいと自分のお母さん、都のお婆様に泣きついて、冷たい態度をとられて、毎年酷く落ち込んだのだよ。だから自分の娘にはそんな思いをさせたくないと、こっそり祝ってあげていたのさ」
「そうですか。すみません、話の腰を折ってしまって。続きをお願いします」
「そうそう、不思議の国のアリスに、グリフォンが登場するのだよ。都はアリスのドレスよりも私のことを気に入ってしまってね。それを汲み取ったお母さんが、慣れない針で指を刺しながら作ったのが、私なのさ」
蛇は再び、首を上下させた。
「都は私に、なんでも話してくれたよ。あの子、世渡りは上手いから友人は沢山居たようだけれど、こころを開ける親友は一人も居なかったんだ。『跡取りなのに女に産まれやがった』とあんまりにも酷いことを言うお婆様と、すぐ手をあげるお母さん、いつも薄ら笑いを浮かべてどこか気持ち悪い父親、余所余所しい家政婦達に囲まれて、いつもつらそうにしていたね」
「都・・・」
俺は口元を手でおさえた。俺は女に産まれなかったことを責められたが、都は男に産まれなかったことを責められていたんだ。
「五歳の誕生日にジャスミンを拾うまでは、都はずっとひとりぼっちだったよ」
蛇は宝石のような目をゆっくりと閉じた。
「お婆様は都が八歳の時に病気でお亡くなりになったよ」
身体が立っているのがつらくなったのか、ゆっくりとその場に伏せる。
「十五歳の誕生日前日、都のお母さんと父親は口論になった。理由は、都の進学。お母様はこのまま高校に行かせて、大学まで行かせるつもりだった。でも、父親はね、都の十五歳のお誕生日に、お母さんを殺して、都を犯してそれをネタに強請って奴隷にして、一生楽しく暮らすつもりだったのだよ。それを、ジャスミンが助けてくれた。私は彼にどう礼を尽くせばいいのかわからないよ」
鷲の頭の尻が組んだ腕に顎を乗せ、寝始めた。
「彼がね、言ったんだよ。このまま、僕が作った世界に都を閉じ込めてもいいけれど、都がとてもとても大学に行きたがっているから、それまでは僕が都に寄り添って待つよ、と。だから君も待ってほしい、とね」
大きな羽根がぐいんと伸び、再び折り畳まれた。
「強くて弱い都が、自分を傷付けることで、痛みで紛らわせて悲しみを癒すのではなく、誰かに言葉で伝えて、甘えられるような日が来るまで、ここで待つことにしたのだよ」
「・・・もしかして、俺達がその『誰か』ということ、ですか?」
「そうだよ。これで私も溺れ死ぬ前に役目を全うして消えることができるというわけだ」
「溺れ・・・? あの、羽根が付いているのに飛べないんですか?」
「飛ぶのは苦手なんだよ。都にも残念がられたなあ」
蛇が笑うと、巨体がずんずんと揺れた。
「消えちゃうんですか・・・?」
「私は都の空想の親友、『イマジナリーフレンド』だからね。都のこころが成長した今、思い出の一つとしてこころの支えになることはあっても、都を秘密の世界に閉じ込めて、一人で泣かせるわけにはいかないんだよ。そのために、彼に頼んで私のことを忘れさせたのだから」
「そういえば『なんで今まで忘れていたんだろう』って言ってたなァ」
「さあ、お話は終わりだよ。帰る前に良いものを見せてあげよう。目を閉じなさい」
俺達はゆっくりと、目を閉じた。