二百四十話 作り話

文字数 2,938文字

七月中旬。

結局、忙しい八月を迎える前に、愛坂は出ていくことになった。談話室に集まった俺達はテレビを見ている。連日、愛坂の母親の不倫のニュースが報道されていて、徐々に事実が明らかに、そして報道の仕方が過激になっていった。

お相手の男は有名なイタリア料理のシェフ。

男は愛妻家と評判で、二人の娘と一人の息子がいる。不倫のきっかけは愛坂の母親が友人に連れられて男の経営する店に行ったこと。男は昔から憧れていた女優を目の前にして、周りが見えなくなったらしい。愛坂の母親は仕事に忙殺される日々を送るうち、このままでは仕事と心中するのではないかと思い始めた矢先に、男の作る美味い料理に出会い衝撃を受けたという。そして、穏やかな性格の男と話すうちに、心身共に癒され、気付いたら後戻りできない状態になっていた、と報道されている。


「馬鹿だろこの女」


美代が鼻で笑った。


「本人が火消しするならもっと弁えた格好をしろよな」


何度も流れる、愛坂の母親本人が謝罪している映像。ミルクティーのような明るい茶髪をふんわりと巻いて、煌めく大きなピアスを着けている。頭髪はなにかの撮影の都合があるのかもしれないが、ピアスは駄目だろう。謝る立場の人間がする格好ではない。


「そのうち愛坂の存在にも辿り着きそうだなァ」

「有り得る。事務所のテコ入れだなんて言ってる場合じゃないよな。下手したら事務所が潰れるぞ」


俺と直治が言うと、美代が肩を竦めた。


「むかーし産んだ娘のことはどう思ってるんだろうな、この馬鹿女」

「不要な過去か、邪魔な存在か、人生の汚点か・・・」

「碌でもねえなァ・・・」


沈黙。暫くテレビを見ていると、都が千代と桜子を従えて談話室に現れた。


「皆さん、ごきげんよう」


いつも座る俺の隣ではなく、空いている上座に座り、千代が右手に、桜子が左手に座る。


「一条家に、メイド服を導入します!」


都は二枚の紙をテーブルに置く。都の直筆のイラストが描かれていた。


「ヴィクトリアンメイドをモデルに、もっと機能性を追求したデザインにしたの。上下はセパレート。スカートは膝より少し下の丈。エプロンは今のデザインのまま色をグレーにして、靴は履きやすくもスポッとは脱げないものに。靴下は自由。千代さんはいつも髪を結んでいるからホワイトブリムをつけてもらって、桜子さんは今のまま三角巾。どう?」


都はかなり気合が入っている。


「メイド服を導入する理由は?」


直治が問う。


「おじさんが見たいからですねぇ・・・」

「・・・お前らはそれでいいのか?」


千代は瞳を輝かせ、両の手を握りしめた。


「女の子の憧れですよォ! メイド服! お仕事やる気スイッチもバチコーンッと入っちゃいます!」


桜子はくすくすと笑う。


「働く女の戦闘服、ですね。働きやすいように何度でも改良をする、と。都様の熱意に負けてしまいました」


直治は苦笑した。


「『可愛い』ってのは不思議な感情だなァ。可愛い制服を着たいからって理由で進学先や働く先を決めるヤツも居るし・・・」

「うーん、説明が難しいな。人から『可愛い』って言われた時に抱く感情と、自分で自分を『可愛い』と思う気持ちは結構種類が違うし・・・」


美代が少し上を見ながら人差し指と親指で顎を抓む。と、どすどすどすどす、と、荒い足音を立てて愛坂が談話室にやってきた。


「・・・荷物をまとめました」

「そう。お疲れ様。じゃあ部屋で待機していてね。明日には椎名社長が迎えにくるわよ」

「テレビ消してよッ!!」


ニュースは未だに愛坂の母親について報道している。都が直治に目配せすると、直治がリモコンを操作してテレビの電源を落とした。


「そういうのムカつくからやめてッ!!」

「そういうの?」

「見せつけるようにイチャイチャ、イチャイチャ!! あんたと居る時はどいつもこいつも幸せそうに笑ってる!! 私を見る時は冷たい目で見るのに!! 美代さんだってそう!! わかってんだから!! 美代さんの笑いは愛想笑いなんだって!!」

「あ、わかってるの? じゃあもうやらなくていいか」


美代が馬鹿にしたように笑って愛坂を見ると、愛坂は顔を真っ赤にした。


「ムカつく・・・! ムカつく! 私は女優なのよ!?」


まーた始まった。


「女なら誰もが一度は憧れる、世界で一番華やかな職業なの!! その私が、十代で子供を産んだシングルマザーの役なんて、おかしいでしょ!? おかしいでしょ!! なんでこんなところでこんなことしなくちゃいけなかったのよ!! 私は映画やドラマの主役になって、格好良く銃を撃って派手なアクションをしたり、綺麗な服を着て激しい恋をしたりしなくちゃいけないの!! それから、色んなCMに出て、コラボ商品を作って、私が作詞した歌を歌って、私が書いた本を出して、私のブランド商品を作って!! 私の部屋には、数え切れない程のトロフィーが飾られてなくちゃいけないのに!!」

「そうですか、大変ですね」


愛坂が都を強く睨む。都も美代と同じく、そして珍しく馬鹿にしたように笑った。


「あのね、愛坂さん。ここは作り話の世界じゃないのよ」


都の少し低い声が、広い談話室に浸透する。


「努力すれば報われるという考え方は、才能が無い者が掴む最後の藁。こんなに不幸なんだからいつか報われるはずという考え方は、幸運を持たぬ弱者の慰め。産まれた時から自分の幸せに疑問を持たず何不自由なく暮らしている人間も居れば、産まれた時から死んだほうがマシだと思うようなつらい日々をただ耐え忍ぶことしかできない人間も居る」

「意味わかんな、」

「思考停止するな」


愛坂は少し怯えて、空気を飲み込む。


「椎名社長に、いえ、父親に靴を舐めさせた相手をいつか必ず見返してやる。そんな気持ちすらわかないのね? 靴を汚して損したわ」

「なっ!?」

「一条家に来たらなにかがかわると思ったの? もう一度言うわね。ここは作り話の世界じゃないのよ。スッキリしない中途半端な終わり方を迎えても、なにも不思議なことじゃない。貴方がここを出ていったあとに貴方が幸せになろうと不幸せになろうと私達はどうでもいい。貴方に興味ありません。来月の八月は世間一般では夏休み。宿泊客で賑わう、私達にとっては忙しい一ヵ月になるわ。貴方のことなんてあっという間に忘れるでしょうね。そして、ふとした瞬間に思い出して、『あの人は嫌な人だったね』と笑い合って、我儘な貴方が居ない事に安堵して、皆、仕事や休暇に戻っていくの。貴方はね、『私は女優なんだぞ』と言って人を捻じ伏せる力を持っていないのよ」


愛坂は涙を零している。


「見返したいのなら演技で見返しましょうね、女優さん? さ、部屋に戻ってくれる? 今の貴方はここで勉強をしている身分でもなければ客でもない。食事は部屋に運ばせるから、伸び伸びと楽しめばいいわよ」


愛坂は両手で顔を覆い、泣き声を上げながら談話室を出ていった。


「うーん、今回の都ちゃんはちょっと意地悪だったかなあ」

「全くですよ」


桜子が拗ねて唇を尖らせる。


「許しておくれよお嬢ちゃん。おじさんだって好きでやってるんじゃないんだからさあ」


都はおどけているが、言葉は本心だろう。桜子もそれを汲み取って、苦笑する。


「あ、そうだ。直治もメイド服を、」

「着ねーよ」


くすくす、と千代が笑った。
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