二百九十九話 いいぜ

文字数 1,763文字

冬になった。都の夢は見ない。今も戦い続けているんだろうか。『最悪の災厄』は起こらなかった。国内外で自然災害や流行り病が短期間で頻発したのは確かだが、人類が滅ぶだなんてことはなかった。寧ろ、賢者気取りの馬鹿が浅はかな考えを披露して思考停止した馬鹿の不安を煽って、その様子を面白可笑しくマスメディアで取り上げていたくらいだ。それも短期間で終わったが。

カンカンッ!

窓になにかがぶつかる音がして、俺は弾けるように顔を上げた。淳蔵の鴉だ。急いで窓を開ける。


『侵入者だ』


全身の毛と殺意が逆立つのがわかった。


『責任者と、直治、お前を出せと言ってる。相手は『聖』と名乗った若い女だ。その護衛の化け物共も居る』


聖。俺の夢に入り込んで『一条家の情報を売れ』と俺に持ち掛けてきた諜報員。ヤツは都の顔をして俺を誘惑した。俺は聖の顔面を拳で崩壊させて追い返した。


『運ぶから掴まれ』

「おう」


俺は蛇を一匹出し、淳蔵が足で掴んで飛ぶ。山の裾、正規の入り口から少し外れたところに、目元だけくり抜いた布を被った女、恐らく聖と、手下であろう白い翼の二足歩行の生きものが槍を構えて俺達を待っていた。淳蔵が美代の鼠も運んでくる。


「お久しぶりです、直治さん。貴方やっぱり、蛇じゃありませんか」


聖が腰に両手をあてて笑う。手下達が槍を握りしめ、武者震いなのか、奇妙な鳴き声をあげながら震える。


「責任者はどなた?」

『俺だ』


美代が答える。


「取り引きをしましょう」

『断る』

「内容も聞かずにですか? 実力行使は好きではありません」

『断る』


聖はくつくつと鍋が煮えるような笑い声を漏らすと、顔を隠す黒い布を剥ぎ取った。


「私の顔、もう元に戻らないんですよね」


聖の顔は、洗っていないじゃが芋のようにボコボコに変形していた。俺の記憶ではもっとグチャグチャにしたので、なんらかの治療を受けた上であの顔なのかもしれない。肉に埋もれた目、蛇口のように曲がった鼻、蛭のような唇。話すたびに見え隠れする歯も歪んでいる。輪郭もガタガタだ。


「直治さんが言った『諜報員が任務に失敗したらどうなるか』の結果がこの顔です。私は『あの人』にもう一度チャンスを与えられた。私の取り引きに応じるのなら、このままこの世界で生きることを許しましょう。しかし、断るのなら、私は思う存分貴方達に復讐します。よろしいですか?」

『醜女めが、失せろ』


美代が間髪入れず答えると、聖は号令をかけるように右手をさっと挙げた。


「火を放てッ!」


手下達が雄叫びを上げ、槍を地面に突き立てると、そこから火の壁が広がった。ジャスミンが作った『結界』の中にも、そして麓の町の方向にも火が燃え広がる。


「残念です。私は無益な殺生は好みませんのに。下の町はこの炎で全て燃えるでしょうね。ああ、そういえば、一条都のペットの桜子という女性、なかなか綺麗な顔をしています。あとで彼女の顔を貰うとしましょう」


聖が肩を揺らす。笑っているのだ。


『淳蔵、直治、じっとしてろよ』


美代がそう言った途端、赤い炎の根元から緑の炎が巻き起こり、赤い炎を飲み込むように渦を描いた。緑の光源が美しく揺らめく。


「なッ!?」


聖が慌てている。


『お前達、どこから情報を買っているのか知らないが、本当にお粗末過ぎる』


キキ、と鼠が笑う。目が吊り上がり、口元は裂けたように広がる。美代は異形の笑みを浮かべていた。


『どうした? 少し睨んだだけでそのザマか?』


赤い炎は緑の炎で『焼失した』。炎すら焼く炎。

わん!

ジャスミンのご機嫌な声。森の奥からやってきた親切な白い悪魔は、自身が張った『結界』の外に飛び出ると、可愛らしい笑みを浮かべながら手下の一人に噛み付いた。手下は慌ててジャスミンを振り払う。地面に叩き付けられたジャスミンはゴロゴロと転がったあと、土だらけになりながらも尻尾を振って立ち上がり、遊びに誘うような仕草をする。


「っ! 『ヤツ』だ!! 殺せッ!!」


聖がジャスミンを指差すと、手下達は槍をジャスミンに向け、突き出した。

カンッ! コンッ!

槍が折れる。中には槍を持っていた腕が反動で弾き飛ばされた者も居た。ジャスミンはオスワリをして、美代を見て『きゅうん』と甘えるような声を出しながら首を傾げる。あれはおねだりをする時の仕草だ。


『いいぜ、ジャスミン。おやつの時間だ』


ジャスミンがニパッと笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み